かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

畏友、村形明子さんを忘れないため、昨年の記事で一昨年を思い出す

2019-07-31 20:24:55 | ブログ記事
 
昨年の今日、村形明子さんにお弁当を届けている

昨年の今日は、彼女が熱中症になっていると思って、お弁当を作って、京都の彼女のマンションまで届けている。この1か月あまりのちに彼女は膵臓癌で亡くなるのだが、昨年の今日はそん......
 

村形明子さんが亡くなったのは一昨年の9月5日であった。

訃報 2017年9月

亡くなる一か月以上前から体調が悪くなり、

私は一昨年の今日、京都の彼女のマンションにお弁当を作って届けたようである。

あの日も今日のように暑い日であった。

阪急電車で四条烏丸まで行き、そこでバスに乗り換えて彼女のマンションに行った。

そして彼女の部屋の前に黙ってお弁当を置いて、

下に降りてくると、ちょうど京都駅行きのバスが来たから飛び乗った。

バスの中から彼女にドアの外にお弁当を置いてきたことをメールした。

彼女は、すぐに私を追いかけたみたいだったが、

私は既に車上の人になっていたから会うことはなかった。

この1か月あまり後に亡くなるのだったら、無理してでも会っておけばよかった。

というのは後の祭りである。

あのときは、彼女に気を使わせたくなかったのと、

あまりの暑さにとにかくクーラーの効いたところに逃げたかった。

それがちょうどマンション前に停まったバスだった。

その後も彼女とはメールのやり取りをしていたから、

9月5日に亡くなったと教え子さんから連絡が入ったときは本当に驚いた。

彼女からの最後のメールは8月末だったと思う。

たしかマンションの近くの老人ホームにショートステイさせてもらっているという連絡だった。

その後、入院したことは知らなかった。

亡くなる直前まで教え子さんに「あれ取って、これ取って」と頼んでいて、

棚の上のものを手渡そうとすると彼女は既にこと切れていたというような

あっけない亡くなり方であったらしい。

それを聞いて、

苦しまずに死ねたのなら、それが一番彼女にとって幸せな亡くなり方だったと思った。

9月7日がお通夜、8日がお葬式だったと記憶するが、

まだまだ暑い日だったから、私はお通夜だけにするつもりだった。

が、教え子さんが、村形さんはいつも私のことばかり話していたと聞いて、

無理してお葬式も参列した。

そのお葬式には、村形さんの東大時代の学友の方も東京から来られていたようで、

その方のblogを読者の娘さんが見つけてくれて、

それ以後、その方のblogをときどき読ませていただいている。

その方と私は、目指す場所が似ていて、

今年4月末に私が福岡の宗像神社に行く少し前に、その先生も行かれている。

徳島の土柱も、私は5月に帰省した帰途に見たのだが、

その先生も、最近、わざわざ見に行かれている。

その方も、村形さん同様、あちこち行かれる方で、

やはり学者同士、似た者同士のようにお見受けする。

村形さんは京都大学の名誉教授であられたが、

名誉の名称通り、名誉はあるが、収入はさほどではなかったようで、

ホテルは、よくゲストハウスを利用すると言われていた。

私も、それを聞いて、村形さんの一周忌の日は、

彼女のマンションの傍のゲストハウスに生まれて初めて泊まった。

今思い出せば、村形さんには学問的なこともいろいろ教えていただいたが、

こういう日常的なことも教えていただいた。

また、彼女はアメリカの大学院を卒業されていたから、よくアメリカにも行かれ、

そのときの交友関係の話なども興味深く聴かせていただいた。

私にとっては得難い友人であった。

友人と呼ばせていただくには肩書が立派すぎたが、

しかし、やはり友人であったと思わせていただいている。

★一昨年まだ生きてゐし畏友かな京都大学名誉教授の

★わが母と一緒に室戸岬まで行きしは何年前でありしや

★わが父の墓前に黄色の菊のはな手向けてくれしこともありしよ

★一昨年愛媛の帰途に来てくれて私の母に母の日の花

★得月でお昼ごはんをご一緒し別れて四か月後に亡くなる

★食堂に村形さんと亡き母とわたしの写る写しゑ残る


水道民営化反対!&国鉄も郵便事業も民営化は失敗だった?

2019-07-31 16:16:01 | ブログ記事

私は郵便事業の民営化は失敗だったと思っている。

最近、簡易保険をはじめとして郵便局を信頼できなってきているからだ。

現在は水道事業の民営化が言われている。

私は、これも反対である。

水道の水は命に直結する。

民営化して水が安心して飲めなくなったら死活問題になる。

外国の資本が入って、水が高騰したらどうするのだ。

水の民営化だけは絶対してはいけないと思う。

私は国鉄ですら、民営化は必ずしも成功ではなかったと思う。

労働組合の問題はあったにしても、

国営だと安心だったし、

近年のように過疎の問題が起こっても、国営であれば、利益を無視して続けられる。

だから、過疎の人たちも安心して暮らし続けられる。

日本の過疎問題は人口の減少もあるけれど、

国鉄の民営化も多少は関係しているのではなかろうか。

現在のJRは、

儲ける都会はいいが、人口の少ない地方は運営が難しくなってきている。

北海道など、どんどん廃線されていっているのをもったいななあと思っている。

海外旅行もいいけれど、

日本人がもっと国内の過疎地を旅行するようにすれば、過疎地の鉄道も存続できるのでは?

特に運転の危なくなってくる高齢者は過疎地をJR=国鉄で旅行するようにすればいいと思う。

そのためには、過疎地の空き家を宿泊施設に改造したりもすればいいと思う。

★民営化儲けを主体にするゆゑに津々浦々の過疎化は進む

★民間と競合させて郵便は信用できぬ事業となりつ

★水までも民営化せば生きていく安心うしなふわれら国民(くにたみ)


去年の今日は接骨院に行っている

2019-07-30 19:16:37 | ブログ記事
 
腰が痛くて立っていられなくて接骨院へ

けさ、少しお礼を送りたい人があって出かけました。送ったあと、スーパーに寄ったのはいいのですが、腰が痛くなり、歩くことはおろか立っていることも困難になりました。それで仕方な......
 

 去年の7月25日に上高地に行ったときに無理をして、

それが日を置いてから腰痛になって、上記の通り今日30日に接骨院に行っている。

年取ってから、疲れが数日後に出るようになった。

今年も7月19日に剣山に行く予定だったが、

台風になったので中止になった。

行っていたら、今頃接骨院通いをしていたかもしれない。

が、ときどきは運動を兼ねて山とかに行かないと、ますます体力がなくなる。

近所を歩いてもいいのだが、

同じ景色のところを歩くのは退屈だから、やはりどこかに行ったほうがいい。

8月は三陸鉄道に乗る計画を立てているが、まだホテルの予約をしただけだ。

そろそろバスの切符も買わないと夏休みだから買えなくなるかもしれない。

*

★ときどきは山にも行きて歩かなむ歩かなければ衰える脚

★過ぎたれば腰痛膝痛起こす歳歩きすぎないやうに歩かむ


やっと印刷

2019-07-30 12:44:28 | ブログ記事

応募しようとする300首をざっと見直して印刷するまでに1週間以上かかりました。

詰めてすれば2、3日で終わるところですが、

合間にblogを書いたり読んだりするから・・・。

300首といっても駄作ばかりです。

が、これ以上のものは今の私には無理です。

なぜ、こんな無謀なことをしているかというと、

受賞したら、その300首を歌集にしていただけるからです。

応募条件は、「まだ歌集を出していない人」なので、

私は該当するのです。

もともと私は歌集は出すつもりはありませんでした。

歌はその場その場で詠ったら、それでおしまいという考えですから。

私は歌は排泄物だと思っています。

人の苦悩や悲しみを排泄するのが歌だという考え方です。

だから、わざわざ豪華な製本をして出す必要はないと思うのです。

が、出版社が出してくれるというのなら、応募してみようと思ったのです。

もちろん受賞するなどと思っているわけではありません。

が、こうしてまとめることも勉強になるから、応募するのです。

この300首は、この一年以内に作った歌です。

私は凝った歌は作らないというか作れないから、

いつも行き当たりばったりで、湧いてきた気持ちを歌にします。

だから、余計豪華な歌集にする必要はないのです。

こんな歌群を応募したら、出版社に迷惑かもしれませんが、

しかし、

何度も応募しているうちに、少しはましになるかもしれないから、

そこはお許しを、という心境です。

★この一年つくりためたる三百首まとめて応募させていただく

★締め切りは明日なり明日は朝一に郵便局より投函をせむ


その人の人生はその人のもの

2019-07-29 07:43:40 | ブログ記事

 

だから頼まれもしないアドバイスはしないほうが賢明だと思います。

いくらアドバイスしても、その人ではないのだから、本当のことはわかりません。

まして、blogの一記事を見て、アドバイスをするなどはするべきではありません。

これは自戒を込めて書いています。

私もしがちですからね。

でも、自分が吐露した記事に的外れのアドバイスをいただいても有難迷惑なのは

アドバイスをいただいたときにわかります。

人はそれぞれ抱えているものが違います。

その人はその人なりの苦労もあるかもしれませんが、

的外れなアドバイスは却って吐露した人を傷つけてしまうこともあります。

こういうときは黙って見守ることが一番です。

黙っていれば上から目線になることもないし、誤解もありません。

とにかく温かく見守るのが一番のやさしさだと思います。

自分自身がなかなかできないので、記事にして書いてみました。

*

★他人にはたやすくするなアドバイスあなたはあなたわたしはわたし

★苦しんでゐるとき口を挟まれてはいありがたうとは言ひにくきかも

★生まれるも一人死ぬのも一人とぞ思ふ己に人はかまふな

★理解などもとよりできぬ謙虚さを持つを忘れずわれはありたし

*

またアドバイスするにしてもタイミングってものがありますね。

全身やけどを負っている人に、いい薬だとつけても、返って痛みを増すこともあります。


『老いて詠おう』という本の紹介を転記転載させていただきます

2019-07-29 06:07:44 | ブログ記事

たまたま見つけたその歌集の紹介に紹介されているお年寄りの歌が素晴らしいので、

その歌集の紹介を転記転載させていただきます。

「短歌往来」という短歌総合誌を出している「ながらみ書房」という会社のホームページからの引用になります。

私も注文しようかと迷いましたが、

現在はあまりにも読み上げていない本を抱えていますので、今回は見送ることに。

関心のある方はお読みください。 

年取るって悪いことでもないなあと思わせられます。

短歌はこうでなくっちゃねとも思わせられます。

「ながらみ書房」様、不適切でしたら削除いたしますので、ご連絡ください。

 

 
◇今月のスポット◇

 

伊藤一彦編『老いて歌おう 全国版 第17集(心豊かに歌うふれあい短歌集)』(鉱脈社・1994円) 

 老いるとはどういうことか。苦しみなのか、安らぎなのか、人それぞれながら現代日本の社会を大きく揺さぶっている難題でもある。「心豊かに歌う ふれあい短歌集」として、刊行以来17年目を迎える。宮崎から始まったこの歌の集いも、全国、いや台湾、ブラジルまで広がりをみせている。ここまで大きく発展してきた理由を選者の伊藤一彦は「何より全国四十七都道府県および海外から熱心に寄せられる作品の多さ、そしてその作品のもたらす感動によるものと思います」と記している。とりわけ100歳以上の応募者が18名(2018年)もいるという驚きと喜びである。

 

 

  助さんや格さんばかりが活躍の映画眺めて暮らすのどけさ 

                木本三郎(103歳 長崎県)

 

  明日死ぬ明日は死ぬと思うけどこげんされるとなかなか死ねん                     

                大保文枝(103歳 宮崎県)

 

 

一世紀を生ききって、なおこれだけ歌を詠める、その底力という定型のもつ

生命力の屈強さに脱帽する。受賞作品は、高齢者の歌では「今を生きる」

「自分を見つめて」「感謝のこころ」など。また、介護者の歌も同時に掲載

されている。応募数2119人、応募歌数3569首に及ぶ。圧巻である。

 

 

  百歳の母とふたりで車椅子なさけないのか幸せなのか 

                村方シヅ子(84歳 宮崎県)

 

  人生ってこんなものだと今朝思う生きるも死ぬもどちらも希望 

                五木田恵子(94歳 千葉県)

 

  丸三年「ベッド」に伏せる吾が妻に添ひて寝たしと思ふことあり 

                 平澤英一(95歳 新潟県)

 

 

しみじみとしてこころに沁みる。生きる日のかなしみとよろこびが素直に衒

いなく詠まれている。人生がいっぱい詰まっているはずなのに風姿は軽やか

だ。歌とはつくづく不思議な器である。

 

 

  ピカドンを見たと言う義母の口癖は「殺し合う戦争は絶対にダメ!」               

                    藤林正則(64歳 北海道)

 

  「あんたな、また私に会いに来てな」実習の日の最後の言葉  

                    高田麻帆(19歳 岡山県)

 

 

 介護する側から詠んだ歌、二首目は学生の部より。いずれは、筆者もこの

大きな歌の輪の仲間入りになることができるだろうか。野心なく、純粋に。         

                               (ひ)


ま、悟りきったことだけ書いていればいいんでしょうが

2019-07-28 18:36:59 | ブログ記事

私は、そういうのは、そういう人達にお任せして、

自分の思うまま、感じるままに書いています。

悟りきったことを書くのだったら、たぶん書かないと思います。

だって、書く必要ないもの。

いろいろ悩んだり、苦しんだりしているから書く。

それが私のblog生活です。

私は、blogには血も涙もさらけ出して書いています。

だって、そのためのblogだから。

ときどき政治的なことも書くけど、

もともと私は政治は素人だから、そのとき思ったことを書くだけ。

皇室のこともそうです。

一国民として、感じたこと、思ったことだけ書いています。

こんな取るに足らないblogでも発信していれば、少しは風になるかもしれない。

また、

愚痴や自慢話も、人によっては共感されるかもしれないし、

誰かの慰めになるかもしれない。

星の数もあるblogだから、

みな好き好きに読みたいものを選んで読めばいい。

読みたくないものも、たまに読んでみると、何かの参考になるときもあるかもしれない。

ということで、blog万歳!

*

★よきblogわるいblogと決めつけて読むべからずと君らには告ぐ

 

★たかがblogされどblogと思ひつつblogにハマるわれは難聴

 

★バリアなきblogの記事に書かざれば君に対する鬱憤たまる

 

★指先で打つキーこそが夢に見た自由に発言できる晴れの場


LINEとAmazonからもフィッシングメール

2019-07-28 16:18:50 | ブログ記事
私はLINEをしていないから
フィッシングメールということは言われなくてもわかります。

これを書いている途中、Amazonのフィッシングメールも入りました。

皆様にもお知らせして、被害に遭われませんことをお祈りさせていただきます。

LINEのフィッシングメールこの記事です。


お客様のLINEアカウントに異常ログインされたことがありました。お客様のアカウントの安全のために、ウェブページで検証してお願いします。
こちらのURLをクリックしてください。安全認証
https://www.wdfg-sd.com/
 
この時、旧端末のLINEへ公式アカウント(LINE)から「他のスマートフォンであなたのアカウントが使用されようとしています」というメッセージが届きますが、もちろん自分で操作していることなので、そのまま手順を進めましょう。
※URLの安全認証有効期限は毎日8時から18時までです。
--------------------------------------------------------------------------------
LINE
LINE Corporation
--------------------------------------------------------------------------------
 
Amazonのフィッシングメールはこの記事です。


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@yahoo.co.jp2019/7/28 星期日2
 

辛い目に遭ったことのない人には辛い気持ちはわからないし、障害のない人には障害の辛さはわからない

2019-07-28 13:57:12 | ブログ記事
と思う。

昨日の「なぜ怒る?」の記事に、
「もしかすると、笑顔を返すと段々と笑顔が返ってくるかもね?」
とコメントくださった方がありました。

そうですね。そうできればそうしたくても、そうできないときもあるんですね。

その方は、たぶん私ほどの辛い思いはされたことがないと思います。

私も、子供のころは「いつもニコニコしているびこちゃん」と言われて、
親戚でも、母の友人達からも人気者でした。

そのくらい可愛がられていたからです。

可愛がられたら、自然に笑みがこぼれます。

現在、私のたった一人の女孫も笑顔の可愛い子です。

それは長男夫婦がこれ以上ないくらい可愛がっているからです。

脳性麻痺で生まれても、かわいがられたら、こういうふうにかわいく育つのです。

私も結婚するまでは、性格の明るい子でした。

でも、底意地の悪い姑、小姑にいじめられたら、だんだん性格も変わります。

夫は、私を大事にしてくれていましたが、
一昨年裏切られてからは信じることができなくなりました。

一度でも裏切られると、そのことが頭から消えません。

数日前も、夫宛てに、某温泉旅館から封書が届き、
夫は私から隠しただけでなく、すぐに捨てたようです。

夫はサプライズで私と一緒に行こうと思っていたというのですが、
それなら、なぜ隠したり捨てたりしないといけない?

以前の(貧乏だったけど?)箱入り奥さんだった私だったら、
疑わずに信じたかもしれませんが、
一昨年裏切られてからは、そうやすやすと信じることができなくなりました。

それと同じで、
「いつもニコニコしていよ」と言われても、
辛い体験をすると、にこにこしていられなくなります。

それが普通の人間だと思います。

しかし、辛い思いをすることも悪いばかりではなく、
そういう体験をすることによって、
他のそういう境遇の人の気持ちがわかるようになることはよいことだと思います。

むしろ、そういう苦労なしで生きてきた人のほうが、ある意味不幸かもしれません。

いくつになっても、人の気持ちがわからない人であるということですから。

そういう意味では苦労というのは買ってでもするべきであるかもしれません。

* 

★苦労なく生きてきし人ひとさまの気持ちわからぬままに物いふ

★人生の醍醐味あるひは苦労する中にあるやもしれず白鷺

★白鷺を知らず苦労を黒色と思ふ苦労を知らぬ人 嗚呼

少し鬱になっているのかもしれない

2019-07-28 13:10:26 | ブログ記事

なにか嫌なことばかり思い出す。

家に閉じこもっているせいだろう。

昨日は、夫に買い物を頼んだだけで怒られた。

が、そうは言いながらも、夫はカルチャーの帰りに浅利を2パック買ってきた。

それで、昨日の夕食は浅利の味噌汁にして、今日のお昼は浅利の酒蒸しにした。

さきほど、昨日の「なぜ怒る?」の記事にコメントくださった方が、

その方のお家では、

その方が怪我をされてからはずっと買い物はご主人がしてくださると書かれてあった。

我が家では、私が怪我をしても、たぶん夫は買い物とかしてくれないと思う。

それはむかしからそうだったし、

姑が生きているときなら、そんなことを夫にさせたことが知れたら大変だった。

以前、私達が東京に住んでいたころ、

川西に帰省して、また東京に帰るときの荷物を夫が作っただけで、

姑に猛烈に叱られたことがあった。

そんなことを夫にさせるものではないと。

姑が元気なころは、何か思っていることを言うことも許されなかった。

ただ黙って従うしかなかった。

今から思えば異常だったと思う。

が、これがこの家の私に対するやり方だった。

いま、そういう過去のことがいろいろ思い出される。

鬱になっているのかもしれない。

夫は、今日は朝からテニスに行っていた。

忙しい忙しいと言いながら、よく遊びに出ていく。

そのことを言ったら、また喧嘩になった。

私の言い方も悪かったかもしれないが、

夫は自分だけが楽しんでという思いは湧いてくる。


腰痛&旅行

2019-07-28 06:40:39 | ブログ記事

最近は少し長く歩くと腰痛が起こる。

腰痛と書いて腰の痛みと書くが、腰痛は痛みとはまた違う。

痛みというより、だるさの極まったものと言ったほうが当たっている。

私の場合、腰の右側のえくぼのような部分あたりが痛だるくなるのである。

それで長く歩けない。

しかし歩かないと余計筋肉が衰えて腰痛の悪化につながると思うので、

意識的に機会を作って歩くようにはしている。

今年は剣山を歩いてこようとツアーの申し込みをしてあったが、

台風で中止になったことは残念だった。

昨年は一昨日の記事にしたが、

上高地を歩いてきた。

この上高地の歩きは、少し歩きすぎたようで、

帰宅後、本格的に歩けなくなって、夏の間接骨院に通う羽目に陥った。

だから、あまり歩きすぎるのは逆効果なのだ。

しかし、これからいくつまで生きるかわからないが、

死ぬまで歩ける人でありたいと思っている。

私は難聴で人との交流がスムーズにできないが、

しかし、今のところは歩けるから、旅行もできる。

今の楽しみは、旅行して、乗り物の中から外の景色を眺めることである。

だから乗り物は時間のかかるものほどよい、

そういう私に打ってつけな乗り物はバスである。

4人掛けの列車などでは、どうしても人と喋らないといけない場面ができたりするが、

バスだと黙っていても、あまり問題ない。

また私は一人旅をすることが多いが、

列車だとトイレに行くときも荷物をもっていかないといけない。

が、バスだと乗車の際にトランクに預けておけば、

あとは手ぶらであるから自由に動ける。

それと列車だと乗り換えなどが聞こえないから不安がある。

が、高速バスなどであれば、目的地まで眠っていても運んでくれるから安心である。

腰痛の話から旅行の話になったが、

私のような旅行だと腰痛があっても、できる。

高速バスは乗っているだけでいいから。

目的地のホテルを駅の近くに予約しておけば、

高速バスの停留所はたいがい駅の近くだから、さほど歩かなくてもホテルに泊まれる。

私の旅の目的は、上に書いた通り、乗り物から景色を眺めることであるから、

これだけで旅の目的は達成できたことになる。

あとは、バスの中から景色を見ながら歌を作るのである。

これは一人旅だからこそできる芸当かもしれない。

富士山に一泊旅行したときは、帰宅して追加もしたが、100首できた。

今、そのときに作った歌を少し手直しして、さる短歌雑誌に応募するべくまとめている。

難聴であっても、腰痛があっても、なるべく余生は有意義に楽しく過ごしたい。


なぜ怒る?

2019-07-27 12:59:32 | ブログ記事
今日の昼食は奮発して鰻丼にした。

と言っても、
生協で買ってあったウナギのかば焼きを炊きたてのご飯に載せただけである。

それにワカメと豆腐の味噌汁と糠漬けのキュウリとナスを添えた。

今日土曜日の午後は夫はカルチャー教室に行く日である。

それで、おそるおそる昼食後テレビを観ている夫に、

「かまわなければ、かるちゃーのあとで、
昨日あなたが食べたいと言っていた蜆貝と、
ほかに何かおかずになるものを買ってきてくれませんか?」
と頼んでみた。

すると、夫は突然怒り出した。

「テレビを観ているのにうるさい」と。

「だって、テレビを観ているときのほかは2階で仕事をしているか、お出かけだから」
と私が言うと、

夫はテレビを消して、ドアをバタンと閉めて2階に上がってしまった。

「なぜ?」

夫の行くカルチャー教室はショッピングセンターの上にあり、
帰途、買い物をして帰るのに、全然面倒はないはずだ。

なのに、なぜあんなに怒るのだ。

夫は、
男が惣菜を買うなんてみっともないと思っているのだろうか?

それとも、
自分の小遣いが減るのが嫌なのだろうか?

私など、夫からもらうお金の大半は食費になっている。

自分が旅行に行く費用などは、自分の親からの遺産を使っている。

たまには夫が食品を買っても罰は当たらないと思うのだが・・・。

夫は、夫が買い物をすると、ますます私が運動不足になるという。

それとこれとは別でしょ。

夫の言い分は詭弁である。

私だって、たまには夫においしいものを買ってきてほしいし、
たまには作ってくれたらとも思う。

他所の家庭は、どういうふうに家事の分担をしているのだろう。

私の家事が行き届かなかったら怒られるが、
私の家事はただ働きである。

ただで働いて、さらに叱られるなど、
何と割の悪い仕事をしている私であるか。

さらに言わせてもらえば、
私は夫の親の介護もさせてもらったが、
夫の親からは何もいただいていない。

嫁だから当然と思ってさせていただいたが、
私の兄嫁などは、
私の兄が亡くなったとき、
母が兄嫁を受取人にして兄の生命保険料を支払ってあげていたから、
兄嫁には大金が入った。

私は、
義母の世話をしていた当時は損得でさせていただいていたわけではなかったが、
義妹には、
私の義母の世話の仕方に、いろいろ注文を付けられた。

が、
その義妹は、
私がこの家に来てから一度も来なかった。

たまには義母の話し相手に来てほしいと思うこともあったけれども・・・。

それでいて、遺産相続は、夫と同じ分け前を要求した。

考えていると、なんだかなあと思ってしまうのである。

補聴器は本当に不自由にならないと使用しない

2019-07-27 07:31:26 | ブログ記事

私は夫と結婚するころ、すでに難聴であった。

が、まだ軽かった。

難聴が一気に進んだのは、子供を二人年子で生んだころだ。

私よりも夫のほうがせっぱつまった必要性を感じていたと見えて、

当時薄給であったにも関わらず、補聴器の会社の人を自宅に呼んで補聴器を買ってくれる運びになった。

当時の金額で10万円もした。

昭和50年頃のことだ。

最初に買ったのは箱型の補聴器で、

補聴器を胸のポケットにでも入れて、そこからひいたイヤホンを耳に入れた。

が、女性用の服には胸にポケットなどついていない。

仕方なく、私はブラジャー中央辺りに木綿さらしの生地でポケットを作り、そこに入れるように工夫した。

胸の谷間だと箱型の補聴器も邪魔にならなかった。

が、箱型補聴器からイヤホンまでの線が胸のあたりから右耳まで出ているから、

まだ抱っこをしないといけない長男がひっぱってイヤホンが耳から外れることが多かった。

外見的にも、いかにも難聴ですと宣伝しているようだった。

その後、さらに難聴が進んで、

33歳のときに障碍者の認定をしていただくことにした。

検査の結果、

両耳とも60デジベルくらいだった。

今なら、この段階では障碍者認定してもらえないかもしれないが、

していただけて、補聴器には補助金が出るようになった。

担当の方が親切に、

「女性だから、目立たない耳掛け式がいいですね:と申請してくださった。

それ以来、ずっと耳掛け式である。

最近は、耳穴式も申請できるようだが、

小さすぎて落としてしまいそうに思うので、申請したことはない。

実際、高い耳穴式を買って、翌日無くしてしまった話を聞いたこともある。

現在は、さらに難聴が進んだから、両耳に補聴器を用意してある。

が、実際は右耳だけに装着することが多い。

両耳に装着したほうが会話とかは聞き取りやすいが、疲れる。

補聴器は音を拡声する機器だから、両耳につけていると騒音の中にいるような感じになるからだ。

それで、家の中では夫と会話するときだけつける。

年取ってきてから、補聴器による疲れが余計ひどく感じられるようになってきた。

が、

静かな部屋で補聴器をつければ、何とか一対一の会話ができるから、

私は文明の利器の恩恵を被っていることになる。

これは神様に感謝すべきことなのかもしれない。

団塊の世代村で、補聴器について書かれた記事を見たから、私の場合を書いてみた。

*

★補聴器を初めてつけし二十代子供二人を年子で生みて

★薄給でありし夫が買ひくれし補聴器当時十万もして

★難聴のわれより夫が難聴を困りて買(こ)ふてくれし補聴器

★箱型の補聴器下着にポケットをつけて収めて使ひし記憶

★補聴器の線を赤子の長男が引つ張り外すことに困れり

★ただでさへ補聴器するが恥ずかしき齢のわれに箱型のそれ

★蔑(さげす)まれされはせぬかと補聴器を初めてつけてそれが心配

★必要は羞恥に勝り補聴器をつける辛さをいつしら忘れ

★泣き声もよく聞き取れぬこと多く泣かせつぱなしも多かりしかな

★喃語にて話す子の声難聴の耳では聞けぬことも多かり

★不自由は耳の聞こえぬわたしより子や夫にこそ勝りし障害

★難聴のわれを疎みし姑と小姑のゐて針のむしろに

★辛きこと不自由なこと数知れずありしが全て過ぎ去りし過去


昨日はオウム事件の死刑囚たちが処刑された日だったんですね

2019-07-27 06:14:10 | ブログ記事
 
死刑で喜ぶ人はいるのか

今朝、オウム事件の死刑囚の死刑が執行されたと聞いた。人を殺したのだから殺すのが当然という考えが主流のようだ。が、死刑を執行して喜ぶ人はいるだろうか?被害者の親族でも、喜......
 

あまりそのことを書いている記事は見当たりませんでしたが、

もう過去のことなので書かないのか、

それとも、悍ましい事件のことは書きたくないから書かなかったのか。

私は、最近、昨年処刑されたオウムの死刑囚の人たちの最後の様子とかを読んだから、

ほんとうに処刑が正しかったかと疑問に思いました。

まだ事件の解明は完全に終わっていなかったところもあったから、

それをもっと解明してから処刑をすべきだったと思ったし、

松本智津夫にダサまれていたことに気づいた人もいたのだから、

死刑にしなくてもいい人もいたと思いました。

殺された人たちの親族の方々は

犯人だった彼らを死刑にしないと気が済まなかったかというと、

必ずしもそうでもなかったらしいということを聞くにつけ、

平成の最後に始末するのが義務かのように執行されたことが浅はかだったように思えてならない。

それと、私には死刑も形を変えた殺人という思いは年々強まってきている。

それじゃどうすればいいかと聞かれても、

簡単に答えは出せないが、

しかし、そういう思いは消しがたいのである。

*

★死刑とふ処刑もこれは殺人と苦しく聞きぬ処刑のニュース

★開陳をし終えてをらぬ人もゐて全ては闇になりてしまへり

★被害者でもありし加害者数人も同じ死刑といふ罰を受く

★純粋な人はまんまと騙されて松本智津夫のしもべとなりぬ


紀子さま 「将来の天皇の母」として信頼回復に努められるですって?

2019-07-27 01:36:49 | ブログ記事

冗談も休み休みにしなさいと言いたいです。

その記事は、これです。

紀子さま 「将来の天皇の母」として信頼回復に努められる

です。

この中に

あらゆるチャンスを通じ、公務に取り組む姿を世間に示すことでも、秋篠宮家の“信頼回復”に努められている。

というくだりがありましたが、それは逆でしょう?

今まで、前皇太子妃だった方に体調の波があられたため、

その公務まで引き受けてこられた方ですよ。

それがいかにも今まで頑張ってこなかったような見出しです。

それより呆れるのは、

「秋篠宮家の信頼回復」という決めつけです。

国民は今も秋篠宮家に全幅の信頼を置いています。

眞子さまのことは、秋篠宮ご夫妻の責任ではなく、宮内庁の責任です。

秋篠宮ご夫妻は、むしろ被害者です。

こうした記事の特徴は、こうして秋篠宮家を貶めながら、

最後は、愛子内親王を天皇にという論調に行きつきます。

私達国民は愛子内親王を天皇にすると大変なことになると知っています。

しかし、中には、こうした悪意のある記事に騙される国民もいますから、

油断も隙もあったものではありません。

引き続き、こうした悪意の記事には目を光らせていたいと思っています。

この問題の記事の出所は、いつも通り、ポスト、セブンです。

昔は小学館と聞けば良心的な出版社の印象が強かったのですが、

最近のこの売国奴ぶりは許せません。