昨年の今日は、彼女が熱中症になっていると思って、お弁当を作って、京都の彼女のマンションまで届けている。この1か月あまりのちに彼女は膵臓癌で亡くなるのだが、昨年の今日はそん......
村形明子さんが亡くなったのは一昨年の9月5日であった。
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亡くなる一か月以上前から体調が悪くなり、
私は一昨年の今日、京都の彼女のマンションにお弁当を作って届けたようである。
あの日も今日のように暑い日であった。
阪急電車で四条烏丸まで行き、そこでバスに乗り換えて彼女のマンションに行った。
そして彼女の部屋の前に黙ってお弁当を置いて、
下に降りてくると、ちょうど京都駅行きのバスが来たから飛び乗った。
バスの中から彼女にドアの外にお弁当を置いてきたことをメールした。
彼女は、すぐに私を追いかけたみたいだったが、
私は既に車上の人になっていたから会うことはなかった。
この1か月あまり後に亡くなるのだったら、無理してでも会っておけばよかった。
というのは後の祭りである。
あのときは、彼女に気を使わせたくなかったのと、
あまりの暑さにとにかくクーラーの効いたところに逃げたかった。
それがちょうどマンション前に停まったバスだった。
その後も彼女とはメールのやり取りをしていたから、
9月5日に亡くなったと教え子さんから連絡が入ったときは本当に驚いた。
彼女からの最後のメールは8月末だったと思う。
たしかマンションの近くの老人ホームにショートステイさせてもらっているという連絡だった。
その後、入院したことは知らなかった。
亡くなる直前まで教え子さんに「あれ取って、これ取って」と頼んでいて、
棚の上のものを手渡そうとすると彼女は既にこと切れていたというような
あっけない亡くなり方であったらしい。
それを聞いて、
苦しまずに死ねたのなら、それが一番彼女にとって幸せな亡くなり方だったと思った。
9月7日がお通夜、8日がお葬式だったと記憶するが、
まだまだ暑い日だったから、私はお通夜だけにするつもりだった。
が、教え子さんが、村形さんはいつも私のことばかり話していたと聞いて、
無理してお葬式も参列した。
そのお葬式には、村形さんの東大時代の学友の方も東京から来られていたようで、
その方のblogを読者の娘さんが見つけてくれて、
それ以後、その方のblogをときどき読ませていただいている。
その方と私は、目指す場所が似ていて、
今年4月末に私が福岡の宗像神社に行く少し前に、その先生も行かれている。
徳島の土柱も、私は5月に帰省した帰途に見たのだが、
その先生も、最近、わざわざ見に行かれている。
その方も、村形さん同様、あちこち行かれる方で、
やはり学者同士、似た者同士のようにお見受けする。
村形さんは京都大学の名誉教授であられたが、
名誉の名称通り、名誉はあるが、収入はさほどではなかったようで、
ホテルは、よくゲストハウスを利用すると言われていた。
私も、それを聞いて、村形さんの一周忌の日は、
彼女のマンションの傍のゲストハウスに生まれて初めて泊まった。
今思い出せば、村形さんには学問的なこともいろいろ教えていただいたが、
こういう日常的なことも教えていただいた。
また、彼女はアメリカの大学院を卒業されていたから、よくアメリカにも行かれ、
そのときの交友関係の話なども興味深く聴かせていただいた。
私にとっては得難い友人であった。
友人と呼ばせていただくには肩書が立派すぎたが、
しかし、やはり友人であったと思わせていただいている。
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★一昨年まだ生きてゐし畏友かな京都大学名誉教授の
★わが母と一緒に室戸岬まで行きしは何年前でありしや
★わが父の墓前に黄色の菊のはな手向けてくれしこともありしよ
★一昨年愛媛の帰途に来てくれて私の母に母の日の花
★得月でお昼ごはんをご一緒し別れて四か月後に亡くなる
★食堂に村形さんと亡き母とわたしの写る写しゑ残る