かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

旅好きだった母の異聞

2019-09-30 08:34:43 | ブログ記事

blog友さんの今日の記事にアメリカとアラスカに行くことが書かれてあったので、

旅好きだった自分の母を思い出した。

私の母は、世界中隈なくと言っていいくらい旅行した。

スペインとかイタリアは私を連れて行ってくれるために2度目だった。

当時の私は50歳くらいで、やっと子育てから解放された時期だった。

それまでは、海外は中国とハワイくらいしか行ったことがなかった。

だから母は私に、

歴史の宝庫であるスペインとイタリアに連れていってやろうと思いついたのだった。

私は初めて訪れるヨーロッパであったスペインに感動した。

見るもの、聞くもの、すべて新鮮だった。

まだ難聴が現在ほど悪化していなかったから、ガイドさんの話も聞こえたし。

その後、母は私をカナダと北欧にも連れていってくれた。

カナダのときは、トロントでフリーな一日があったが、

まだ遠出する自信がなくて、ホテルの近辺をうろうろしただけだった。

が、北欧になると、私も少し海外に馴れて、

北欧ツアーのフリーな一日は、

ガイドさんを雇わないで、私が母と同行の母の友人二人も連れてお城巡りをした。

北欧の人達は皆英語が喋れるから何とか話が通じた。

しかも、北欧の人達も英語はネイティブではないから、私といい勝負だった。

それと、向こうの人は、とても親切で、

向こうのお婆さんなどに道を聞いても、丁寧に教えてくれた。

それを見た母の友人の一人は田舎でお店をしている人だったが、

「今まで人に道を尋ねられても、あそこまで親切に教えてあげていなかったが、

これからは北欧の人を見習おうと思う」と言っていた。

その後、母は78歳で脳梗塞で倒れて、一時半身不随にもなったが、

懸命のリハビリで歩けるようにもなったし、言語障害がありながらも喋れるようにもなった。

だから、その後も、中国の三峡とかへも行っている。

私が、この川西に来た直後も、

孫たちの将来のためにアメリカの東海岸の都市を見せてやりたいと、

勝手に私と次男のツアーの申し込みをしていた。

が、私は義母の介護を始めたばかりだったし、

大学院生だった次男は就職氷河期の就職戦線真っ最中だったから断った。

それでもあきらめることをしない母は、

甥(兄の子)二人を連れて行った。

が、往きの飛行機の中で、

亡兄の身体の弱い大学合格直後だった三男が、折からの体調不良のあげく、呼吸停止してしまった。

が、母も脳梗塞の後遺症がある中、

機中にたまたま乗り合わせていた医師に甥の手当を頼みながら、

到着予定だったボストン(だったと思う)の空港に救急車を待機させてもらって、

そのまま病院に直行して、甥の入院に1か月付き添った。

その間、兄の次男を先に帰国させて、三男の合格していた大学入学式に代理出席させた。

その後、その大学のガイダンスなども兄の次男に代理で受けさせた。

脳梗塞で頭の根幹が駄目になったはずだった母の

あの奮迅の働きは何によってなされたのかと今でも不思議に思う。

当時の母の年齢は82歳であった。

blog友さんの今朝の記事を読ませてもらって、

この私の亡母の特異な旅を思い出した。

あの、なんでも奇跡を起こす不死身の母に死が訪れることなど想像できなかったが、

案外あっさり私と一緒に宿泊中だったホテルの私の横のベッドで終焉を迎えた。

今ごろ母は、彼の世からときどき来て、此の世の空を飛び回っているかもしれない。


バザー

2019-09-29 15:25:37 | ブログ記事

私の卒業した高校は中高一貫女子高であった。

前身が良妻賢母育成目的の女学校であった名残りで、

毎年秋になると手芸品を中心にしたバザーが開かれた。

それで、

私達生徒は夏休みの間に5点ほどバザーに出す作品を作らなければならなかった。

これが毎年大変で、夏休みの終わりごろに困って母に手伝ってもらったり、

または、これは内緒だが、手芸店で買ってきたりして数を揃えた。

これは中学のときだったが、

出来上がった作品はバザーに出品するとかで、

家庭科の時間に赤ちゃん用のソックスを編んだ。

ふだんあまり編み物をしたりしない私の作品は、さんざんな出来であった。

が、これは全員バザーに出さなければならない決まりだったから、仕方なく出した。

たぶん私のだけ売れ残るだろうと覚悟していたが、

どういうわけか、私のへたくそな作品も売れていた。

お陰で恥ずかしい思いをしなくて済んだが、

しかし、いったい誰が買ってくれたのかと今でも思う。

ひょっとしたら子育て中の卒業生が、

あまりにも下手なので気の毒がって買ってくれたとか?

私も卒業してから一度だけ卒業生として行ったことがある。

当時、短大を卒業して銀行に勤め始めたばかりだったが、

お昼休みを利用して同僚と制服のまま行った。

すると、たまたま高校時代の担任だった女先生がおられて、

とても喜んでくださって、お汁粉をご馳走してくださった。

在校生の中には、母の生け花の先生仲間の娘さんがいて、

ぜったいお世辞だけれど、その人が帰宅してから、そのお母さんに私のことを

「すごく綺麗だったけど、私も高校卒業したら、あんなに綺麗になれるかなあ」

と言っていたと、その生け花の先生が私の母に言ってくれたらしい。

私は、その当時からブスだったけれど、

さすがの私も、花の二十歳だったから、今と比べるとましだったかもしれない。

昨日、同窓生のblog友さんの記事にコメント付けさせてもらってあったら、

コメント返しに、この母校のバザーのことが書かれてあったから、

それにかこつけて、私の数少ない嬉しかった思い出を書かせてもらった。

本当に綺麗な人は、こういうことは言われ馴れていると思うけれど、

私は、めったにない、というより全然ない人なので、

この自慢話をお許しください。

これを書きたくて、今日の記事にした。


コメントを承認制に戻しました

2019-09-28 14:44:22 | ブログ記事

理由は私の記事への悪意のコメントが入るからです。

私は特定の人を糾弾する記事は書いていません。

が、しつこく私の書いたことに対して絡んでくる読者の方がいらっしゃいますので、

しばらくコメントは承認制にいたします。

*

コメントくださった方へ

私の書くことがお気に召さないようでしたら、読みに来られないでくださいませ。

現在、blogは星の数ほどございます。

お気に召したblogを読まれたほうが、あなた様のためとも存じます。


私達大人は16歳少女、グレタ・トゥンベリさんを買いかぶってはいけない

2019-09-28 10:51:02 | ブログ記事

たかが16歳の少女に何がわかるというのだ。

あのヒステリックな演説は

大人の入れ知恵あってのことと私達いい年をした人間は気づくべきだ。

グレタ・トゥンベリさんの父親が俳優、母親がオペラ歌手と聞けば、

彼女のたぐいまれなる演技にも気づく。

環境問題は複雑で大の大人でもなかなか本当のところはわからない。

科学者でさえ、どれだけ把握できているかというほどの難しい問題なのだ。

それを二十歳にも満たない少女がヒステリックに叫ぶまやかしに騙されてはならない。

人様の様々なblog記事を読ませてもらっていると、

グレタ・トゥンベリさんを誉めそやす記事を散見するが、

その人達は、

NHKの「「チコちゃんに叱られる」』に感化されてしまっているのではなかろうか。

あれは、コンピューターの作りだした少女だが、

生身の少女は幼いものである。

環境問題に関心を持ったところで、ほんの入り口付近しか理解しえないと思う。

その少女がヒステリックに叫ぶと何か神がかったように感じてしまうのは、

それを見る大人達の期待が含まれているからである。

聴くところによると、

グレタ・トゥンベリさんはアスペルガー症候群という障碍をもっているらしい。

私は精神障害者に偏見は持たないが、

しかし、彼女のヒステリックな演説には、アスペルガー症状の典型的な型が見える。

それが神がかって見えるということはあると思う。

もちろん差別することではないが、

いたずらに持ち上げることは大の大人がしてはいけないことのように思う。

それより彼女のヒステリックな演説には

後ろから操っている大人がいるということも想定しないといけない。

私は彼女の起こすウエーブに飲み込まれるのは得策ではないと感じている。

今しばらく冷静に観察するのが私達大人の務めとも思う。


毎年いまごろは夏バテを起こすのかもしれない

2019-09-27 22:20:58 | ブログ記事
 
お風呂に長湯しただけで立ち上がれない

最近は疲れが日を置いてから出る。今回もそうだ。今日は、朝すずしかったから、久しぶりに、シャワーでなく、お風呂に入った。久しぶりだったので、長湯した。すると、お風呂か......
 

夏バテというのは、夏のさなかに起こすのではなく、

実は、夏が終わったころに起こすものらしい。

夏のさなかに起こすのは厳密にいえば「夏負け」というものらしい。

今年も私は夏バテを起こしているようだ。

今朝も書いたように、

ちょっと坂道を歩こうとしても歩けなかった。

だけじゃなく、体調がよくない。

身体も熱っぽい。

だから家事も最低限のことをしているだけだ。

寝込むというほどでもないが、元気が出ないのである。

夫と喧嘩していることも遠因になっているかもしれない。

心労である。

昨日はお向かいの娘さんのことで喧嘩になったが、

夫も親切なことはいいが、あまりにも度が過ぎているから注意したのである。

若い女性(といっても50歳)に親切にしてしまうのは男の本能かもしれないが、

しかし、それを利用して他所の夫をむやみに使うのはどうかと思うのである。

71歳の心臓の悪い女房がいるのに、

50歳の他所の既婚女性の頼みばかり聞いてあげるのはどうかと思うのだ。

昨日も書いたが、

自転車のパンクくらい自分で自転車を押して直しにいけばいいと思う。

それが面倒だからといって私の夫に頼むことではない。

その妻の私は、自転車のパンク修理は自分で自転車屋さんに押して行く。

夫に頼んだら「自分で行ってこい」と言われることはわかっているから。

それがなぜ、よその既婚女性に頼まれたら夫はホイホイと行くのだろう。

利用されていると思わないのだろうか。

これは親切ではない。

甘やかしである。

年取って動けない人に「ごみを捨ててきて」とか言って頼まれたら私はしてあげる。

これは当たり前の親切だからである。

しかし、痩せてはいても、

私達よりずっと若い

50歳の既婚女性の自転車のパンクを直しに行くのは当たり前の親切ではない。

75歳になろうとする夫が直してきてやることもだが、

それを頼みに来る50歳の女性の厚かましさが私には許せない。

私は、お向かいの家の前の溝掃除も黙ってしてあげている。

本当はお向かいの娘さん(既婚女性)がするべきだと思うが、

週に一度しか来ないのと、

来てもしない人だから、私が黙ってしているのである。

別に恩着せがましい気持ちでしているわけではないから黙っているが、

しかし、昨日の「自転車のパンク直してきて」の厚かましさにはいささか頭にきた。


MButterfly.さんというハンドルネームの方からコメントいただきました

2019-09-27 16:33:53 | ブログ記事

昨日の私の「『自転車のパンク直してきて』ですって」の記事が

書かれた人のプライバシーに触れるとありました。

もちろん実名を出したわけではありませんが、

知っている人が読めば誰のことかわかる内容ではあったと思います。

が、私がblogを書く目的の一つには、

自分の考えをまとめて述べるというのがあります。

殊更にプライバシーを晒しているわけではなく、

自分の思いを書いたら、

その結果、個人的なことも書かざるを得ないということになります。

私は、できるだけ自分の気持ちを正直に書きたいと思っています。

ですから、はっきり言って、このMButterflyさんのコメントは余計ですし、

私的には不快でした。

が、一応、記事は引っ込めました。

その代わり、書いたけれどアップしていなかった記事、

小泉環境相の「セクシー発言」が波紋野党「意味が分からない」と批判

書いた日付(昨日9月26日)でアップしました。

「『自転車のパンク直してきて』ですって」の記事を引っ込めました理由は、

MButterflyさんのコメントを読まれた方も不快になるかもしれないと思いましたから。

またMButterflyさんは、

このblogの管理人である私の実名も住所も特定できると言われました。

それはできるかもしれません。

それは私以外のblogでも同様です。

鵜の目鷹の目で特定しようとすればできるでしょう。

しかし、私は、基本的に、読んでくださる方の善意を信じて書いています。

人を疑ったらキリがありません。

私自身が人に疑われるのは嫌ですから、

私自身も、できるだけ人を疑わないようにしています。

確かに世の中には悪意の人も多いです。

だからこそ、私は、人の善意を求めます。

そのために、自分自身が、できうる限り、善意の人でありたいと思います。

昨日の記事は、一応読んでいただきたい人達には読んでいただけたと思いますから、

私自身、保留にしても問題ないと思い、保留にいたしました。

また、後日、再アップするかもしれません。

このMButterfly.さんは私の夫であるかもしれませんから。


体力の衰え

2019-09-27 08:06:19 | ブログ記事

朝起きてすぐに散歩した。

散歩というより、住宅の売り物件が出ていたから見に行ったというほうが正しい。

その場所は、以前、娘が新婚時代に住んでいた雲雀丘という住宅地である。

宝塚市雲雀丘というのは関西では芦屋の負けないくらいの高級住宅地であった。

もともとは長尾山という山の一角を切り開いて作った住宅地である。

商売上手だった小林一三翁が阪急電車の乗客を増やすために沿線に作って売り出した住宅地であった。

その売り出した住宅地に合わせて阪急「雲雀丘」という駅まで作った。

が、その雲雀丘駅のすぐ近くには既に川西市側の「花屋敷」という駅があった。

二つの駅は、あまりにも近すぎるというので、両駅併せて「雲雀丘花屋敷駅」という長い駅名ができたのは、私の夫が中学生くらいのときだったらしい。

と前置きが長くなったが、

その高級住宅地であった雲雀丘に売り物があったから、

どんな住宅か見てこようと朝の散歩にかこつけて行ったのだった。

朝晩は涼しくなったとは言っても、昼間はまだ暑いから。

明るくなるのを待って、午前6時前に自宅を出発した。

川西能勢口駅から10分足らず歩くと急坂になる。

しかし、まだ宝塚市雲雀丘ではない。

手前の川西市花屋敷である。

朝の涼しい時間帯ではあったが、私はもう滝汗であった。

もう少しで雲雀丘に入るかというあたりで、私は歩けなくなった。

私が見にいこうとしたのは、雲雀丘山手という少し山手の住宅であった。

が、手前の花屋敷で歩けなくなったから、

もし家を買っても、車の運転のできない私は住むことはできない。

それにしても体力の衰えは目を覆うばかりだ。

この川西に来たのは58歳のときだった。

心臓弁膜症の手術を受けて3年目のことだった。

義母の認知症が進んで一人ではおいておけなくなって越してきたのだったが、

そのとき88歳だった義母が私のことを元気だと感心した。

そりゃあ、88歳のお婆さんから比べれば

病み上がりでも若かったから元気に見えたのだろう。

実際、来た当初、以前娘の住んでいた雲雀丘のマンションを見にいったこともある。

心臓のパワーのない私は休み休みではあったが、行けた。

が、今朝は、休み休みでも行けそうになかった。

心臓だけでなく、足腰も弱ったから。

下りながら、この13年弱の年月の体力の衰えを痛感した。

帰途は花屋敷の住宅を見ながら下ったが、

それにしても、こんな山手なのに、たくさんの家が建っているものだ。

駅からは徒歩圏といっても、坂道だから、年取ると住めない。

高級住宅地だったといっても、これからはだんだん空き家が多くなるのではないか。

少なくとも、私は、もう住めない。

もし万一、夫と離婚して住むところが必要になっても、

もうこういう高級住宅地には住めないということだ。

かと言って、まだ老人ホームには入りたくない。

★老い坂は雲雀丘の坂道を登るときこそ濃く思ひけれ

★十年(ととせ)まへ登れし坂が登れなくなりしを知りぬ七十となり

★登りても下るが難儀と知りぬれば無理せず下る登るをやめて

★運転のできぬわたしは諦めるあの憧れの雲雀丘は

★眺め良き邸宅ならぶ花屋敷雲雀丘は坂道の街

★ベランダに立てば見えるといふ遠き大阪平野そのほか

★大阪が見えるといふほど高かりし雲雀丘の山手の屋敷

★宝塚雲雀丘は芦屋市と並ぶ高級住宅地なり

★坂道をくだり見つけるサントリー会長なりし佐治敬三家


小泉環境相の「セクシー発言」が波紋野党「意味が分からない」と批判

2019-09-26 06:22:50 | ブログ記事
 
 
野党はいい加減に与党の揚げ足取りことをするのはやめたらどうですか。
 
揚げ足ばかりとることに長けて政権を獲ったらまったくダメだったという過去があります。
 
揚げ足とりをする暇があったら、国民を唸らせるような対案を出すべきです。
 
小泉環境相の「セクシー」という言葉ですが、わざわざ大騒ぎするほどの問題発言でもありません。
 
確かに具体的な提案がなされなかったという物足りなさはあったかもしれませんが、
悪い発言ではありませんでした。
 
願わくば、
小泉氏が、この「セクシー」という言葉を使ったわけをわかりやすく説明してくれることを期待します。
 
野党は、こんな重箱の隅をつつくようなことばかりしていないで、
政権を獲ったときにどのような施策ができるかに頭を使ってください。
 
そうしないと永遠の野党で終わります。
 
そう、反対のための反対ばかりの・・・。
 
善政は、政権党に負けないくらい力のある野党が出現して、初めて成立します。

1人の新生児でも手いっぱいになるのに

2019-09-25 14:25:15 | ブログ記事
三つ子を育てなければならなかったお母さんの苦労は筆舌に尽くしがたいほどのものだったと思います。

だから殺してもいいというわけではありませんが、
手助けしてくれる人のいない育児の大変さはやった人しかわかりません。

私は、三つ子ではありませんでしたが、
実家からの手助けなしに年子の二人の子を育てるのだけでも、
食事も座って摂れないほど多忙でした。

私達の頃は、おむつも布おむつでしたから、一日中、二人のおむつを洗っては干し、洗っては干しでした。

婚家に行くときも、おむつ持参で出かけました。

帰るときは濡れて重くなったオムツを持ち帰りました。

電車に乗る時も、
現在のようにベビーカーを電車で使うことは許されなかったから、
上の子をおんぶひもでおんぶして、下の子は抱っこして乗ったものでした。

その上、
オムツの入った大きなカバンを肩にかけ、ベビーカーは折りたたんで持って乗るのです。
 
しかも当時住んでいた神戸須磨から川西へは途中乗り換えが三度ありました。

ですから嫁ぎ先の玄関にたどり着いたら既に倒れそうなくらい疲れていたものでした。

が、当時の嫁は、そこで休むことなど許されず、
夕飯の支度を手伝って、夕飯が終わったら家族全員の洗い物をさせられました。

その間に二人の子のおむつを外の水道で洗わなければなりませんでした。

冬の寒い時期など、手がかじかんで、洗ったオムツは干す片端から凍ったものでした。

関西でも、当時の冬は今よりずっと寒かったですから・・・。
 
お風呂場の横においてあった洗濯機や洗濯機の脱水は使わせてもらえませんでした。

実家には年に一度くらいしか帰らせてもらえないから、泣きながらオムツを洗いました。

今は、紙おむつがあるし、父親もイクメンの人が多いから、だいぶん楽にはなっているとは思いますが、
それでも同時に三人はキツイと思います。

育児というのは休みなしですから。

このお母さんは鬱になっていたというから、健康な人の何倍ものしんどさだったと思います。

私も自分がしばしば鬱になる人なので、鬱のときの子供の世話の辛さはよくわかります。

可愛くてたまらないわが子であるのに、自分の感情を抑えられなくて、つい叱ってしまうんですね。

このお母さんは睡眠時間が1,2時間だったというから、それだけでも鬱になります。

私も子育て中は眠くて眠くてたまらなかったことを思い出します。

が、うっかり転寝すると、
その間に子供が外に出て交通事故に遭ったりする危険があったから、一時も目が離せませんでした。

そういう状態になってくると、
どんなにかわいいわが子であっても突発的に子を殺したく気持ちは理解できます。

今回、このお母さんには実刑判決が下りましたが、
私は、この若いお母さんが哀れでたまりません。

それは私であったかもしれないですから。



★生み終えて体力果たしし母親はそのまま乳をやらねばならぬ

★上に子がゐれば乳やる合間には飯を作りてやらねばならぬ

★お勤めのほうが何倍楽かとも思(も)ひつつ育て大きくしたり

★新生児一人育てることさへや新米母には大仕事なり、

★三人(みたり)子に時間差でミルクやりながら襁褓を替へる服も着せ替ふ

★泣かれたら新米ママはパニックになりて泣きたき心地ぞすらむ

★泣いたとて誰も助けてくれざれば思はず叩いてしまふおのが愛児を

★気が付けばおのが産みたるみどりごが変はり果てたる姿になりて

★責めるのはたやすけれども助けなく育児せし母ただに憐れむ

自分が必要とされていないと思うとき

2019-09-25 04:47:58 | ブログ記事
私は50歳までは子育てに専念した。

が、50歳になる前に、まず長女が結婚して家を出た。

翌々年に長男が結婚して家を出た。

が、まだ次男がいたから、それほど寂しくはなかった。

が、次男が大学に入って、
一年間は家から通学したが、二年目から下宿生活を始めたから急に寂しくなった。

当時、夫は東京に単身赴任していた。

5人で暮らしていたのに急に一人になったから、戸惑った。

毎日せっせとご飯づくりに明け暮れていたのに、急に食べてくれる人がいなくなることの寂しさ。

何といえばいいのだろう。

喪失感というか、置いてきぼり感というか。

もう私は要らない人間になったかと思った。

そんなことを考えていると、身体の調子までおかしくなった。

少しでも食べ物を口にすると咳き込む。

しまいには一口も食べられなくなった。

鬱かもしれないと、病院で鬱薬を出してもらったのもこのころだった。

が、四六時中心臓がどきどきするし、脚まで痛くなって歩けなくなった。

体中に蕁麻疹が出た。

毎日大きな病院に行って診てもらうのだが、各科をたらいまわしにされた。

3月から通い始めて心臓の弁が閉じていないということが判明したのは7月9日だった。

病名が判明してホッとした。

病名が判明すると、皆が心配してくれて、入れ替わり立ち代わりお見舞いに来てくれた。

ああ、私も一人じゃないんだと嬉しく思った。

手術が終わっても、家族が交代で詰めてくれた。

これは私の母が日程表を作って当番制にしていたことが後で判明したが、
そのときは、そこまでしてくれなくてもいいのにとさえ思った。

が、あのころが、私の人生の花だったかもしれない。

55歳だった。

その後、おかげ様で手術も成功して健康になれたが、
辛いことはその後もいっぱい勃発した。

だから、あのとき死ねていたらと思うことは多い。

今も、ここには書けないが、死にたいくらい嫌なことがある。

これから私は何年生きるのだろう。

不謹慎かもしれないが、早くお迎えがこないかと思う今日この頃である。

今年行けても来年は行けなくなりそうな場所が目白押し

2019-09-24 15:04:09 | ブログ記事
昨日は夫の車で長男の家に行き、帰途比叡山に行ったことを書いた。

今は夫が運転してくれるから、こういう行きにくい場所にも行けるが、
夫が運転免許証を返納したら、たちまち行けなくなる。

長男のところも駅から遠いから迎えに来てもらわなければならなくなる。

それだけじゃなく、電車、バスで出かけるのは年々大儀になってきていることも確かだ。

八月のお盆のときに行った奈良県天川村も電車とバスを乗り継いて行ったが、
道中の乗り換えが暑くて大変だった。

それと比べれば、同じ8月に行った岩手県は夜行バスで仙台まで行ったから大丈夫だった。

早朝に仙台に着いて、
またバスを乗り換えて盛岡まで行ったが、関西の暑さと比べれば天国だった。

目的の三陸鉄道に乗って、また夜行のバスで大阪まで戻ったが、早朝に到着だから大丈夫だった。

夏は夜行バスで涼しいところに逃げるに限る。

涼しい場所を目指しても、昼間移動したら地獄である。

体力も、乗り物に乗っているだけだから、それほど必要としない。

むしろ近場でも、電車での京都観光とか奈良の寺社巡りなどのほうが難しい。

タクシーを使えばいいのだが、それは、もう少し年取るまでおいておこう。

今は、せっせと安上りの夜行バスを利用した旅を続けようと思う。

この夜行バスの旅も認知症が始まったら無理と思うから今の間に行けるだけ行こうと思う。

7月は、これもぎりぎり限界だと思ったから、
徳島県の剣山の頂上に行くツアーに申し込んであったが、台風でツアーが中止になった。

せっかく読者のハイジさんと一緒にいこうと申し込んだのに・・・。

しかし誘っておきながら私のほうが途中で歩けなくなる可能性大だった?

まあ、とにかく最近は、ぎりぎり大丈夫かなと思いながらの旅行が多い。

そのうち行けなくなると思うから焦っていると言えるかも?

*

★限界と思(も)ひつつ旅をしてをりぬ足腰弱る御歳であれば

★遠くても乗り物に乗る旅ならばできると思ひ恐れずに行く

★高山の登山もケーブルあるならば申し込むなり何とかなると


今日は半年ぶりに近江八幡へ~帰途、比叡山へ

2019-09-23 20:12:31 | ブログ記事
今日は約半年ぶりに近江八幡市の長男の家に。

お土産は近江八幡の日牟礼八幡宮の傍のクラブハリエのケーキを買いました。


クラブハリエはバウムクーヘンで有名なお店ですが、もちろんショートケーキもおいしいです。

買ったのは、こんなケーキです。


赤い、イチジクの載っているのが540円、丸いほうのケーキは560円だったかな。

お値段も一流です。

もちろん、お味も一流です。

長男家族とおいしいケーキをいただきながら、半年ぶりの話の花を咲かせました。

帰途、昨日のNHKブラタモリで取り上げられていた比叡山へ。

夕方5時頃だったから琵琶湖は何とか写っていますが、手前の風景がイマイチです。

肉眼では、もっといい景色だったんですけどね。

場所を変えて、もう一枚


さらに、もう一枚。撮影するのにぎりぎりの明るさでした。

このハイウエイも一流の料金で2300円だったかな。

その後、京都市内に降りて、京都市内を見ながら京都南インターで高速に乗り帰りました。

京都の八坂神社あたりは、相変わらず大勢の人でした。


*

★番組で紹介されれば帰途きたり日暮れる前の比叡山に

★暮れなづむ琵琶湖にかかる雲のありその白雲のみ暮れ残りたり

★暮れ残る雲の手前に暮れ終えし木立は黒き影となりたり

★右側に京都市みえて左には琵琶湖の見ゆる比叡山頂

★ブラタモリ真似て車で来たりしがブラブラするほど時間はあらず

★比叡山ドライブウエイの道はしり通り抜けたり京都の町も


食べすぎは万病のもと

2019-09-22 16:12:15 | ブログ記事
今日は朝から体調がよくないのである。

だから午前中は寝ていた。

お昼ごはんも夫の分は作ったが、私は食べなかった。

原因は何だろう?

台風が近づいているから低気圧のせい?

それとも、昨日食べ過ぎた?

朝食をたくさん食べる人である私は、お昼のランチのことが頭にありながら、朝大きな好み焼きを食べた。

なので、ランチ会場に行っても全然おなかが空いていなかった。

が、せっかくだからと無理して食べた。

そして帰宅してから、何も食べなければよかったのに、夕飯は残っていたカレーを食べた。

そのまま寝て、夜中に少し起きて、その後二度寝をして、目を覚ますと吐き気がする。

熱もあるようである。

それで、またベッドに戻って寝ていた。

昔から腹八分目という諺通り、食べすぎは身体によくない。

が、昨日みたいなときはどうすればよかったんだろう?

お腹がすいていなかったのだから、何も食べないで座っているだけにする?

年取ると、そうしたほうがよさそうだ。

やはり私には外食はあまり向いていないようだ。

家だと、そのとき食べられなくても、おなかがすいてから食べればいいのだから。

本当は、料理は、
自分が食べたくなってから作ればいいのだが、同居人がいる限りそれはできない。

が、家だとおいておけるから、貧乏性の私には好都合だ。

現在もお腹がすいていないが、そろそろ夕食の支度にとりかかるか。


日本の避難所って遅れているんですね

2019-09-22 06:08:24 | ブログ記事
さきほどイタリアの避難所というのを観ました。

ここ

これを見せてもらうと、日本の避難所がいかに遅れているかわかります。

経済大国だった日本の避難所は、なぜこんなに遅れているのでしょうか?

また避難所では性被害が深刻だとか?

先進国のはずの日本で?

信じられないです。

いったいぜんたい、日本の国税は何に使われているのでしょうか。

ただでさえ災害に遭って意気消沈している人達をこんな目に遭わせる国って?

現在の日本は、いつどこで、どんな災害が起こるかわからない状態です。

おりしも、台風17号が、また近づいています。

被害に遭うのは、今日は私であるかもしれないし、明日はあなたであるかもしれない。

私達は、この日本の災害時の体たらくに、もっと怒らないといけない。

昨年も難聴だと疲れると書いている私

2019-09-22 00:07:33 | ブログ記事
が、昨日は、難聴者は私一人ではなかった。

が、私が特に疲れるように感じた。

会には75歳を超えたと言われる方も出席されていたが、
昨日のイタリア料理も、もりもり食べておられたから、私より元気と拝察した。

私は、昨日帰宅して、簡単に夕食を摂ったら、そのまま眠ってしまった。

さっき目覚めて、これを書いているが、まだ昼間食べたイタリア料理がおなかに残っている感じ。


難聴のため、人の何倍も疲れる私
きのう、おとといの記事にも書いたが、私は、大勢の人の集まる場所にでかけるのは苦手だ。それは難聴だから。私の難聴は昔よりずっと進んでいる。最近の私は、人のしゃべったこ......


昨年の一昨日と昨日は義叔父のお通夜とお葬式に行った模様。