かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

合意に至らなかったことは妥当だと思うけれども

2019-02-28 20:45:29 | ブログ記事
経済制裁を受ける国の国民のことが心配です。

それ以上に、拉致されている日本人の行方が。

彼の国は解体することはできないのでしょうか?

今のままだと、罪もない彼の国の国民の大勢が餓死してしまうのでは?

それは人道上、問題だと思います。

日本人も、拉致された人たち以外にも、彼の国の人と結婚した日本人妻もいることですし。

何とかならないかと、日本国民の一人として、祈るような気持ちでいます。

これも試練なのでしょうか?

2019-02-28 03:51:30 | ブログ記事
夫はずっと真面目人間でした。

今も基本的にはそうだと思うけれど、変わってきたのは遊ぶようになったことかな?

子育てのころは、お金が足りなくて必死でした。

そのころも、夫は、子育ては私に任せて、適当に遊んでいました。

が、お金のかからない遊びでした。

今も、お金のかかる遊びというほどではありませんが、
それでも、毎日のように出かけて、誰彼なく一緒に食事をしたりしたら、
お金はかかりますね。

昨夜は、高校時代の歌手をしている友人(女性)から歌のレッスンを受けると、
昼過ぎから出かけました。

この友人は未亡人だから、ときどき歌のレッスンのお誘いをしてくるのです。

歌のレッスンを口実に、デートですね。

だって、カラオケで二人きりになって何時間も過ごすのですから。

昨日も、帰宅したのは、午後9時くらいだったでしょうか?

「楽しかった?」と聞くと、「とても」と夫。

母親であれば、「よかったね」ということになるのでしょうが、
妻であれば、手放しで一緒に喜んであげるわけにはいきません。

夫も、もう歳ですから、いわゆる男女関係ではありませんが、
しかし、これも浮気の一種ではないかと私は思うのですが、考えすぎでしょうか?

昨日のお向かいの娘さんに異常に優しいところなども、妻からみると、面白くありません。

夫が優しくするから、お向かいの娘さんにいいように使われていると私には見えるのですが、
そんなことを思う私は性格が悪いのでしょうか?

お向かいの娘さんも、確かに二度も自殺未遂を企てていますから、ご両親は心配だと思います。

が、昨日の自転車の修理を私の夫に頼む頼み方などは
自分の「女」を武器にした頼み方に見えて、私には意外と強かに見えます。

夫も男ですから、甘えてこられて悪い気はしません。

お向かいの娘さんは特に美人ではありませんが上背があって痩せているからスタイルはいいです。

夫の好みのタイプだと思います。だから夫は大甘になるのです。

痩せているのは拒食症だったからです。

精神を病んでいたから、誰彼には笑わない人ですが、私の夫には甘えているのか、
満面の笑みで話しかけてきます。

だから、夫も可愛く思うのだと思います。

彼女も学校では苛めにあったかもしれませんが、彼女のお父さんは彼女のことが可愛くて、
「目の中に入れても痛くない」と言われますから家では大事にされていたと思います。

だから50歳になっても、子供がいないこともあって、お嬢さん然としたところがあります。

私の夫にも、
自分の親がしてくれるのと同じことがしてもらえると甘えているのだと思います。

が、私は自分が50歳のころは娘を嫁がせて、そんな娘気分などは微塵もありませんでした。

私も娘さんのお父さんや夫と同じ気持ちになれれば問題ないのですが、そんなわけで、
そこまでは可愛く思えないから複雑なのです。

私が可愛いと思うには彼女は歳をとりすぎているのです。性格も決して無邪気ではないし。

溺愛と言えば、私も父に溺愛されて育ちました。

が、父は私が29歳のときに亡くなりましたから、以後、守ってくれるのは母と兄でした。

まあ祖父母、叔母、大叔母たちも援護射撃はしてくれましたが・・・。

私の若いころの嫁ぎ先での義母、義妹の苛めは壮絶でした。

そのころは、夫が盾になって私を護ってくれました。

が、現在、その必要がなくなると、
夫は私が過去のことを少し話しただけで猛然と怒るようになりました。

昨年、イギリスに旅行したときも、
夫が一昨年私を裏切ったことを言っただけで、私を殴りました。

現在、夫は、少し狂っているように見えます。

ずっと真面目にしてきたことの反動がきているような感じです。

結婚したころ、夫の伯母さんの一人が言ったことが思い出されます。

「こんな真面目な男が遊び出したら手が付けられなくなる」と。

手が付けられなくなるほどではありませんが、確かに最近の夫の行動は常軌を逸しています。

私は、とても辛い毎日ですが、

しかし、嵐は収まるまで待つしかないのでしょうね。

これも私の試練の一つなのでしょう。

嵐に巻き込まれることだけは避けなければと思います。

*

★いつのまにこんなに遊び人になりしかと見つめる帰宅せしとき

★自らがモテることにぞ目覚めたる老いは狂ふや女遊びに

★奥さんを喜ばせずに他所の人よろこばせてゐる夫バカなり

★奥さんは怒りてゐるぞサービスをさせてサービス返すは他人

★奥さんを大事にせぬバカ罰当たりそのうちきつと倍返しある

★嵐なら過ぎるを待たむ過ぎ去ればまた平穏な日々もどるらむ

★山風の吹き荒れる間は抗(あがら)はずわたしはわたしの家にゐるのみ

★荒れてゐる夫にわたしの辛さなどわかるはずなく月日は過ぎる

*

未亡人の友人に食事をご馳走するのなら、それの10倍奥さんにもご馳走したら?

お向かいの娘さんの自転車を直しに行く時間があるのなら、
私の誕生日にショートケーキの一つでも買ってきてほしかったです。

私は、夫の誕生日には、そうしてあげています。

私は、自分で旅行を献立て、誕生日の翌日に一人旅の誕生祝をしてきました。

ええ、いまさら誕生祝いをする年齢でもないのですが、歳を重ねることの区切りとして。

昨年の今日は母の納骨式だった

2019-02-27 19:21:22 | ブログ記事
と、Gooブログが知らせてきてくれた。

本当は、昨年の2月25日の母の四十九日に皆で納骨もする予定だったが、
その日は午後雨になる予報だったので、延期したのだった。

で、納骨に参列したのは、私と兄嫁と父方の従姉の三人だけだった。

華やかなことの好きだった母にしては寂しい納骨だった。

これも、跡取りの兄が母より先に亡くなったのが、その原因だ。

せめて私が生きて納骨に参列できたことが、母への供養になった。

私は、幼いころから何度も死にかけて、母には苦労をかけた。

55歳で心臓弁膜症の手術を受けたあとは、
母は、仕事を人に頼んで、手術後、半月の間、入院中の私の傍に付きっきりでいてくれた。

あのときの母の年齢は78歳だった。

母は、その半年後に脳梗塞で倒れたから、
今度は、心臓手術後、半年の私が母に付き添った。

私も、もう少しで死ぬところだったが、母も、そうだった。

母は、その後、14年生きた。

脳梗塞の後遺症を持った身体での14年は辛い年月だったと思う。

しっかり者の母は、おくびにも見せなかったが・・・。

私は、母のようには頑張れないから、倒れたら即死したい。

*

★納骨は坊さん以外三人で寂しき母の野辺の送りよ

★みどりごのころより何度も死にかけて死なざりし吾(あ)が野辺の送りを

★いくたびも死にかけしわが幼な日の寝返りのたび目覚めしとふ母

★わが横で死にし亡母に気づかずに熟睡してゐし昨年睦月

★納骨は二か月後なり三か月かけてはならぬといふ法ありて

★葬式も四十九日も納骨も一年過ぎて遠くなる母


え、自転車のパンクを直してきてほしい?

2019-02-27 12:40:46 | ブログ記事
今までも何度か書いてきたが、
我が家のお向かいの家主さんは鳥取在住であられる。

以前は時々川西に帰ってこられたが、ご主人が80歳になられてからは、
川西まで帰ってくるのがしんどいのと、会社が儲かっていないから、お金もないと
帰ってこられなくなった。

その代わり、同じ阪急沿線に嫁がれている娘さん(といっても50歳くらい)が
週に一度、泊りがけで帰ってこられる。

帰ってこられても、家に閉じこもりで、食事も何か買ってきて食べられているようだ。

今日、夫がお昼ごはんを食べているときに来られたので、夫を呼ぶと、
「自転車がパンクしたから直してきてほしい」と。

夫は「いいよ」と。

え、夫は、私の自転車がパンクしても、「自分で直してこい」って言うのに?

確かに向かいの鳥取にお住まいのご両親には、「娘のことを頼みます」とは頼まれている。

しかし、70歳を超えた私も、自転車の修理くらいは自分で自転車屋さんまで押していく。

なぜ、まだ50歳くらいなのに、自分で行かないかと思うのは、間違っているのだろうか。

冬は、石油ストーブの灯油を夫が車で買ってきてやっている。

最近は人手不足なのか、灯油の配達をしてくれないのだそう。

私は、なぜお向かいの娘さんのご主人がしないのかと思うけれども・・・。

ちなみに我が家は灯油を買いに行く手間を省くため、家中ガスファンヒーターである。

それから、これは、お向かいの娘さんは知らないことだろうけれど、

昨年の秋は、
お向かいの裏の家のお爺さんに、
「お向かいの庭に植えてある木の落ち葉がひどいからなんとかしてくれ」と言われて、
夫ははしごで上がって、枝を伐ってあげただけでなく、
大量の落ち葉を三つの大判のゴミ袋に入れて始末してあげた。

そのゴミをゴミの日に出したのは私だ。

夫に、「そのくらいはしてやれ」と言われて・・・。

まあ、お向かいさんが90歳くらいのお婆さんなら、私も喜んでさせていただくが、
なぜ、私よりずっと若い人のゴミを70歳を超えた私が出さなければならないのだろう。

こんなことを思ってしまう私はケチなのだろうか?

喜んでしてあげる夫は親切な人なのだろうか?

私は、なにかうまく利用されているような気がしてならないが・・・。

*

★おつちやんと甘えた声で頼み来る女の頼みは断らぬ夫

★妻よりも他所の女が大事かと思(も)ひつつ文句言はねば苦し

★心臓の悪きわたしの通院に車で送りてくれしことなし

★タクシーで行けと宣ふわが夫(つま)は他所の人には灯油を運ぶ

★大腸癌手術後退院するときもテニスがあると病院に来ず

★お向かいの自殺未遂をせし人は心配だからと優しき夫

★鬱勝ちのわたしのことはと聞きたれば全く心配あらぬと夫は

★心配は赤の他人のことばかりわたしが死にても心配せぬや

★今日もまた夜は要らぬと出かけたり歌のレッスン受けむがために

★ブログには書くなと言はれて書かざれば家居のわれは鬱になるのみ


*

お向かいの娘さんも、今は、まだ50歳で若い部類に入るかもしれませんが、
10年、20年なんて、すぐです。

そのときも、まだ現在のように、誰彼が甘えさせてくれると思っていても、
そうはいかないと思います。

そのころになれば、現在の私の悔しさが、少しはわかるかもしれませんね。

そして、自分が厚かましかったと少しは反省する?

しないかもですね。

今でも想像力があれば、私の気持ちはわかると思うから。

年取って夫婦そろっていることは理想ですが

2019-02-27 11:45:04 | ブログ記事
食事の支度等、負担を感じるのは妻のほうになりますか。

夫も夫なりに協力しても、食事の支度は朝、昼、晩ですから、
妻は、夫がいる限り、自由にはなれません。

私の夫も私に、「どんどん出ていけばいい」とは言ってくれますが、
しかし、実際問題、夫がいれば、食事の用意をしないといけないから、身体は拘束されます。

夫は、お誘いがあれば、時間にかかわらず、いつでも出かけられます。

食事というのは、楽しみでもあるのですが、生きていく上で足かせになりますね。

そういうことからも、その食事を担う女性は、旅行すると、二重、三重に羽を伸ばせます。

違う場所に行けるという歓びとともに、
食事の支度から解放される歓びがあるわけです。

できたら、残生は、お金の続く限り旅行していたいと思う私です。

私の場合は、趣味の短歌も、旅行すれば、巧拙はともかくとして、どんどん湧きます。

むかし松尾芭蕉などは、
「旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」と吟じて亡くなりましたが、

旅は、主婦の食事作りの解放からの願望であるだけでなく、

人間一般の究極の願望なのでしょうね。

*

★自由とは旅に出ること自由とは食事の支度からの解放

★食べるのは楽しみなれど作るのはしばしば苦行義務であるゆゑ

★食べさせてもらふと食べる支度することには天と地ほどの違ひ

私は書くことが生きがいで、夫は人と会うことが生きがい

2019-02-26 06:22:35 | ブログ記事
私は、いつも書いているように、
書くことで自分を保っている。

が、私の夫は、人と会うことがご飯より好き?で、機会があれば出かける。

同窓会はたいがい出席するし、誘われれば、それ以外の集まりもたいがい出ていると思う。

夫の場合は、卒園した幼稚園から卒業した大学まで、比較的近くであることから、
友人達と会う、会える機会は普通の人より多い、と思う。

一方の私は、高校卒業まで、ほとんど郷里の高知市であったし、
関西の短大を卒業後、お勤めをしたのも高知市であったから、
近辺に友人が少ない。

だから、夫のように出かける機会がない。

というのは、実は口実で、
実際は、難聴が進んだため、人と会いたくても会うことが困難になったという事情がある。

本当は、私も、夫に負けないくらい社交家であったと思う。

私も、現在ほど難聴が進んでいなかった頃は、積極的に集まりに出るほうだった。

が、出ても聞こえない、聞こえないと話せないということが度重なるようになって、
集まりに出なくなった。

出ると、返って辛い気持ちになるから。

それで、その心の空洞を埋めるために本を読むようになっていた。

その後、
独学でパソコンの操作を覚えたのは、54歳のときであった。

パソコンでは、読むことはもちろん、こちらから発信できることに興奮した。(笑)

それで参加させてもらったメーリングリストにはたくさん書かせてもらった。

すると、

当然反発する人も出てきて、虐められた?

書きたい人は私だけではなかったから。

その後、ブログに転じた。

ブログは、基本個人のものだから、書いても咎める人はいない。

いや、いないこともないが、しかし、あくまで個人専用のサイトであるから、
咎めるほうがお門違いということになる。

私の書くものを読みたくない人は、読みにこなければいいだけのことだ。

というわけで、ブログに安住の場を見つけた私である?(笑)

本当は、私も夫のように、人の中に入り、人生を謳歌したいのだが・・・。

*

★本来は社交的なるわたくしであるから書けり人より多く

★次々と書きても声は出さぬゆゑ人には迷惑かからぬはずで

★書かざれば裡に籠りて鬱になるわたくしなれば書くこと癒し


ドナルド・キーンさんの本を借りてきました

2019-02-25 19:26:22 | ブログ記事
ドナルド・キーンさんの書かれたものは、
以前、朝日新聞を購読していた頃に、その記事を読ませていただいていましたが、
ご著書は読ませていただいたことはありません。

朝日新聞で読ませていただいていた頃は、その日本理解の深さに驚嘆したものでした。

浅学菲才の私など、
アメリカ人のキーンさんから、
その記事を通して日本の古典の欠片を教わったような気がしています。

それで、昨日亡くなられたというニュースを聞いてから、
すぐに川西図書館のサイトでキーンさんのご著書を検索しました。

なんと101冊もありました。

貸し出し中のものは2冊のみで、あとは選り取り見取りでしたから、
短詩系の短歌、俳句関係の
正岡子規、石川啄木について書かれたものを予約しました。

さきほど予約した本を借りてきたのですが、この分厚さ!



はたして、どの程度読めるかはわかりませんが、
亡くなられたことに哀悼の意を表して、少しでも読ませていただきたいと思います。

*

★アメリカはニューヨーク市のブルックリン生まれの人の本を借りたり

★日本人われも読みたることのなき古典読み込み教へたる人

★尊敬を通り越したる人の著書借りて少しは日本古典を

★日本を極めし人は東北の大震災後日本人に

★日本の国籍取得せし人はニューヨークより越しユダヤ人で

★国籍を取得せしのち日本人養子にしてから日本で死にき

★日本名鬼(キーン)怒鳴門(ドナルド)なりし人亡くなる平成最後の二月

★亡母より三歳上のアメリカ人ドナルド・キーン氏昨日(きぞ)死にたりき

★わが父の享年五十七なればわれは羨む九十七を

ブログランキングなんか

2019-02-25 10:52:21 | ブログ記事
気にしなくてもいいと思う。

と書いている私も気にならないわけではないけれど、

別にランキングが上位だから、書かれてある記事が優れているわけでもないし、
逆もありうる。

と、なぜ私が書いているかというと、

ブロ友さんが、「そろそろ潮時かなぁ~」と書かれている記事を読んだから。

たしかにランキング上位の記事は面白いものが多いかもしれないし、

それより、目新しさがあるのだと思う。

それと読みやすさ、わかりやすさ。

が、自分の備忘録にするのだったら、別に面白くなくてもいいし、目新しさも必要ない。

が、世の中はよくしたもので、自分では面白いはずがないと思って書いたものが、
意外と多くの読者を獲得したり、人気があったりするのは、
これは短歌でも同様である。

今朝、産経新聞で、歌人であり、小説家であった長塚節の記事を読んだが、

彼の小説は、読みにくくて、面白くもないので不評だったそう。

夏目漱石も、

「面白いから読めとは言えないし、読みづらい。泥の中を引きづられるような気がする」

と評するような代物であったらしい。

しかし、小説としての価値がなかったわけではなかったらしい。

すなわち、長塚節以外には書けない小説であったことが、彼の書く小説の価値であったと。

ブログも同様だと思う。

別に人に媚びへつらって書く必要はない。

自分の書きたいように書き、それが結果的に、その人しか書けないものだったら、
それで十分なのではないだろうか?

読者なんて、いい加減なものだ。

自分が納得して書いたものだったら、誰か見てくれている人がいるかもしれないし、
見てくれる人がいなくても、それはそれで、十分ではないだろうか?

必要なことは、自分が納得することだと思う。

と、これは自戒を込めて書いている。

私も、しばしばランキングには悩まされるから。


*

★ランキングなんぼのものと思ひつつ気にしてゐるはわれかもしれぬ

★ランキング下がつたからとランキング参加やめるも本末転倒

★人気とはすなはち人の気でありて人の気などは当てにはならぬ

*

私自身は、書くことが好きで、書くことで癒されているから、それで必要十分である。

ランキングをあまり気にすると、人のブログをやっかむ遠因にもなるかもしれない?

それから、これはやっかみで書くのだが、ランキング上位のブログでも、つまらぬものも多い。


認知症になったか、わたしは!

2019-02-24 10:50:02 | ブログ記事
先日、71歳の誕生日を迎えるにあたって、
70歳と書いてあった部分を71歳と直さなければならない必要が生じて、
ブログ紹介の文面の手直しをした。

が、生来面倒くさがりの私なので、この際、生年月日で紹介したほうが、
以後、手直しの必要がないとそうした。つもりだった。

が、さきほどコメントくださった方がいて、

「『昭和48年』の部分は『1948年』ではありませんか?」と。

おー、その通り。

昭和48年生まれだと私は自分の娘と同い年になる。

自分が生まれながら同時に出産をするなんて芸当ができるはずもない。

「昭和23年生まれ」の間違いでした。

ああ、70歳を超えて、私も、いよいよ認知症になったか。

指摘してもらわなかったら、このままずっとおいておくところだった。

読みに来てくれた方は、
昭和48生まれにしては、ずいぶん婆くさいことを書く人だと思ったかもしれない。

まだ71歳なのに、いや、もう71歳だから、こんなこともあるだろう。

*

★生年を昭和四十八年と紹介をして昭和の二十三年生まれ

★子を産みし昭和四十八年に親のわたしが生まれるはずは

★間違ひは誰にもあるが間違ひてゐても気づかずゐるは老人

★七十を超ゆれば老人 自慢にはならぬがわれは立派な老人

*

Kさん、教えてくださり、ありがとうございました。m(_)m

壮絶な人生

2019-02-24 05:42:15 | ブログ記事

「スチュワーデス物語」に出演していた頃の堀ちえみさんは可愛かったですね。

娘が視聴していたこのドラマで堀ちえみさんを知ることができました。

その後、ご結婚されて幸せな奥様でいられると思っていたら、DVで離婚。

またテレビに出てこられるようになって、うれしく拝見していました。

が、この度は驚きました。

癌にかかられたことだけでも驚きますが、舌癌とは。

場所が場所だけに、どんなに大変な闘病生活になるか想像もつきません。

簡単に「頑張って」などとは言えません。

が、まだ成人していないお子さんもおられるようですから、今は死にたくないでしょうね。

母親としてのお気持ちはよくわかります。

それにしても、なぜ彼女の人生は、こんなに過酷なのでしょうね。

神様は、あえて、こういう試練を堀ちえみさんに与えられたのでしょうか?

そうとしか思えません。

しかし、聞くところによると、堀さんは7人ものお子さんのお母様だそうで、
そのうち、5人は堀さんがお産みになったお子さんだとか。

そして、現在成人している上のお子さんたちは、立派な社会人になられているとか。

それだけでも、生きてこられた甲斐がありましたね。

病には誰も勝つことはできません。

が、こうしたお子さんを育てられてこられたことは此の世に残ります。

その意味では、堀さんはお幸せだったと思います。

下のお子さんたちのために、ぜひ治っていただきたくはありますが、
しかし、もしダメであっても、
上のお子さんたちが下のお子さんたちの面倒を見てくれると思いますから、
あまり心配なさらずにと申し上げたいです。

ちえみさんは神様になって、天国からお子さんたちをお守りになられたらよろしいかと。

生きていても、あまり役に立たない母親である私など、今でもそうしたい気持ちで生きています。


*

★病には病の意味があるならむ意味があるならそを受け入れむ

★借りてゐる身体を神に返しかばあとはお任せせむ神様に

★難聴になれるも何か意味ありて生かされてゐるらむわたくしは

夫と仲直りできてホッとしている

2019-02-23 16:02:26 | ブログ記事
やはり夫と仲が悪いままだと精神的に不安定になる。

だから、仲直りできて、私も精神的に落ち着いたかもしれない。

夫婦の仲が悪いと、子供たちにも心配をかける、と思う。

子供たちは、三人とも結婚して別所帯であるが、

両親が仲が悪いと、どちらの味方をしていいかわからず、戸惑うと思うし、

私たちも、子供たちに尊敬されなくなる恐れもある。

いや、もともと人間のできていない私たちだから、
子供たちは、今までも、これからも、私たち親を尊敬することはないと思うが、

しかし、少なくとも軽蔑はされないように努めなければならない。

娘婿や、お嫁さん達にも・・・。

それにしても、子供たちは、私たちに似合わず、いい子たちである。

その連れ合いになってくれた人たちは、その私たちの子供たちに勿体ないような人たちである。

このことだけを考えても、私たち夫婦は、もっと人間的にも成長する必要がある、と思う。

人間、いくつになっても成長だから、
私も夫も、今後は、もっと子供たちの手本になるような生き方をしないといけないと思う。

とは言っても、無理は禁物である。

夫は、今でも好きなことを好きなようにしているが、たぶん今後もそうするだろう。

私も、最近は、ずいぶん好きなようにさせてもらっている。

以前のように、自分を縛り付けないでいようと思う。

自分を縛り付けていると、家族である夫をも縛り付け勝ちになるから。

*

★あと何年生きるわれらか知らざるが好きに生きやう死ぬまでしばし

★喧嘩して共にゐるのは苦痛にて喧嘩せぬやう怒らせぬやう

★夫(つま)のすること認めねばわたくしのすること認めざれぬを認む

★ブログ書き短歌を作りその合間ご飯作れば上等とせむ

★よく出かけ社交的なる人なれば出かけることは止めざれしかな

★外に出ることを好める人といふことを認めてをれば穏やか

阪急電車・・・伊丹線を宝塚線につなげてほしい

2019-02-23 04:18:27 | ブログ記事
昨夜、午後8時からNHKで、
「鉄オタ選手権 阪急編」というのをやっていた。

阪急電車は我が家の最寄り駅を走る電車だ。

番組では、いろいろ面白い企画を立てて、放映されていたが、

私は、
そんなお楽しみ番組に興じるより、この際、まじめに阪急電車にお願いしたいことがある。

それは、現在、われわれ阪急宝塚線沿線の人間が神戸に行くときに、
遠回りをしていかなければならないことを解消してほしいということである。

現在、我が家の最寄り駅である川西能勢口駅から神戸の三宮に行こうとすれば、
宝塚線で宝塚駅まで行き、宝塚駅で今津線に乗り換えて、今津線で西宮北口に着くと、
また今度は神戸線に乗り換えて三宮まで行かなければならない。

あるいは大阪の十三まで行って、そこで神戸線に乗り換えるという行き方をするかになる。

いずれの行き方にも欠陥がある。

今津線を使って神戸に行く行き方には、乗り換えを2度しないといけないうえに、
今津線を走る電車は各停だから時間がかかる。(各停でないのもありますか?)

大阪の十三に戻って神戸線に乗り換える行き方は、
宝塚市や川西市の住民にしたら、
「同じ兵庫県の神戸市に行くのに、なんで、わざわざ大阪に戻らないといけないか」
という不満がある。

そこで、現在、神戸線の塚口駅から分枝している伊丹線を延伸して、
川西能勢口駅まで走らせてくれないかということを思う。

阪急伊丹駅から川西能勢口駅までは距離的にも大したことはない。

実際、過去には、そういう計画があったと聞いている。

その計画が、なぜ頓挫したのかはしらないが、
その計画を現在遂行してほしいと思うのである。

川西市も宝塚市も伊丹市も兵庫県でありながら、
その県都である神戸市の三宮に行くのに、交通の便がよくない。

一度の乗り換えもなしに行ける大阪の梅田に出るほうが、ずっと便利である。

それが、いつも私の、宝塚、川西、伊丹、尼崎を大阪都にという論になるのだが、
しかし、それが叶わないのであれば、
せめて、県都である神戸市三宮に便利に行けるように取り計らってほしい。

これは阪急電鉄にお願いするより、

大阪都の件に関しては大阪府に、

阪急電車の延伸については、兵庫県にお願いしたほうがいいかもしれないが、

考えてほしいことである。

もし、そうしてもらえるようなら、

さらに、

川西能勢口駅に延伸した伊丹線は、

塚口駅で乗り換えなしで、直接、神戸三宮に行けるようにしていただきたい。

そうすれば、

現在、兵庫県である宝塚市や川西市、伊丹市の住民の県都神戸市行きが便利になるだけでなく、

宝塚沿線の大阪府側の池田市、豊中市なども便利になる。

阪急電鉄自体も営業利益に繋がるのではないだろうか?

現在は、
阪急宝塚沿線住民は阪急電車で大阪に出るほうが神戸市に出るより便利なことと同様に、
JR宝塚線沿線の住民も、大阪に出るほうが、神戸市に出るより便利になっている。

だから、阪急電鉄が、宝塚、川西、伊丹の住民に便利な路線を開発すれば、
大きな集客力になると思うのだ。

阪急電鉄が、その延伸を今後も実施しないのであれば、

阪急電車と競合するJR西日本にお願いしたい。

現在、JR宝塚線からJR神戸駅に行こうとすれば、
JR尼崎駅で乗り換えないといけないが、JR大阪駅に行くのと同じように、
乗り換えなしで行けるようにしてくれれば、今度は圧倒的にJRに有利になると思う。

とにかく、阪急電鉄でも、JR西日本でもいいから、

兵庫県に組み入れられていながら、
県都の神戸市に行くよりも、どういうわけか大阪に行くほうが便利な地に居住している者の、
今後、検討していただきたい案件である。

今日は福崎の柳田國男の生家を訪ねました

2019-02-21 22:01:47 | ブログ記事


自分の備忘のために、たくさん写真を写しましたが、
関心ない人には退屈な記事かもしれません。

福崎駅から柳田國男の生家は車で10分と書かれてありましたが、
歩くと、これが遠かったです。

市川という川を越えてからは、あえて昔の道であろうと思うところを歩きました。

これが正解でした。

現在の道路と比べると狭い道ですが、これが昔のメーンの道だったようです。

「銀の馬車道」と名付けられています。

その馬車道の途中で福崎の文化の中心地の辻川地区の地図を見つけたので、撮影しました。


もう少し近づいて写します。


馬車道の説明版もありました。


記録のために全部撮影しました。


これもそうです。松岡映丘というのは柳田國男の弟です。


あとでも紹介しますが、柳田國男の兄弟は5人とも天才です。

もともと國男兄弟は、生まれたのは8人だったようですが、3人は夭折したようです。


これは、福崎の大庄屋だった三木家住宅です。

今日は公開日でなかったので、中を見せてもらうことはできませんでした。

子だくさんで貧しかった松岡家の六男であった國男は一時、この三木家の養子になります。

三木家住宅の間取りの変遷です。

現在、辻川地区に建っている柳田國男の生家は、もとはこの三木家の近くだったそうです。

歩いてきた「銀の馬車道」です。

この写真の塀に貼られてあるものを撮影したのが、下の写真群です。

「銀の馬車道」辻川地区の地図です。


「銀の馬車道」辻川地区の地図もありました。

「銀の馬車道」は日本最初の高速産業道路だったそうです。

ここから少し坂道を登って、柳田國男の生家の建つ辻川地区に到着。

柳田國男が民俗学者になったきっかけになったカッパの池の説明です。


肝心の池は改修中とかで、池の水は抜かれていました。



今日の一番見たかった柳田國男の生家です。

もともとここにあったのでなく、上の写真の三木家住宅の近くだったらしいですが、
こちらに移築されたそうです。

四畳半二間、三畳二間の家です。

國男が幼いころ、この家に7人暮らしていたと言いますから、驚きますね。

両親と長男夫婦と國男と弟2人。

他のお兄さんたちは、すでに他所で暮らしていたようです。

國男の長兄の奥さんは、この家の狭さが原因で離婚したのだそう。

身内だけなら、狭いのも我慢できますが、お嫁さんは我慢ができなかったのでしょうね。

↓國男と、その兄弟の詠んだ短歌です。長男以外、4人の歌が並べられています。

兄弟は、みな立派な仕事を持ち、その上、仕事以外の分野でも秀でた才能を見せています。

↓こちらは國男の歌碑です。

★をさな名を人によばるゝふるさとは 昔にかへるこゝちこそすれ

柳田國男・松岡家記念館です。(松岡家というのは國男の実家)

見せてもらって、國男の兄弟が、いかに優れた人物であったかが、よくわかりました。

さらにその建物の上には、「神崎郡歴史民俗資料館」がありました。

昔の神崎郡の役場だった建物のようです。

こちらも、ていねいに見せてもらいました。

そばに「短歌の森」と書かれた石碑がありました。


社のような建物があったから、これがそれかと拝ませてもらいました。


社の前には、このような万葉集の書かれた石碑が何本か建てられていました。


鈴ノ森神社

「短歌の森」というのは、こちらの神社のことかな?

このあと、昨日も書いた岸上大作の生家を探したのですが、
どうしても見つかりませんでした。

上の写真の地図に、岸上大作の家の場所も描かれてあるので、その近辺を探したのですが、
目印になるものが何もなく、行ったり来たりして探しても見つけることはできませんでした。

松岡家兄弟とは比べ物にならなかったということでしょうか?

確かに、短歌は素晴らしいものを残していますが、
松岡家の兄弟のような社会的な名声がなかったから、町の人も顕彰しないのでしょうか?


せめて岸上大作の生家の近くだと思う橋(布川橋?)から市川を撮影しました。


やっと福崎駅に戻ってきました。

福崎駅周辺は改装中でしたから、次回行ったら見違えていることでしょう。

今日は、ずいぶん歩きました。

疲れたけれど、わざわざ行ってよかったです。

思っていた以上に収穫がありました。


ご参考「福崎ゆかりの人物」←クリックしてご覧ください。

電車に乗り間違えたようで、播磨新宮駅まで来てしまった

2019-02-20 15:04:53 | ブログ記事
今から姫路に戻ります。

播磨新宮の次の駅、東觜崎駅で撮影。



本竜野駅。


姫路駅まで戻ってきました。

姫路駅は新幹線と山陽線と姫新線と播但線の駅になっているから、慣れない私は間違えてしまったのです。

上の写真でわかるように、姫神線と播但線の入り口が同じなので、今日は神姫線に乗ってしまったのです。

前回は運良く播但線のほうに行って乗ったのですが、今回はエスカレータで神姫線のほうに行ってしまったったんですね。

私は車内放送が聞こえませんから、間違えて乗ったことに気づかなかったのです。

姫路駅で降りてホテルまで歩いてきました。


泊まるのは私だけですが、
部屋はツインでした。


写真ではわからにくいと思いますが、窓から少しだけ姫路城が見えています。


この後、一階の温泉に入ってきました。

新しいきれいな温泉で、これだけでも来た甲斐があったというものです。

温泉のあとは夕食です。



ごちそう様でした。

すごくおいしかったというほどではありませんでしたが、お値段もそれなりでしたから。

今夜は今から、持ってきた岸上大作の短歌でも読むことにします。

明日元気になっていたら、福崎行きのリベンジをします。

今日は自分ひとりで71歳の誕生会をしてきます

2019-02-20 04:05:01 | ブログ記事
昨日が誕生日でしたが、
昨日は心臓の定期検診があったことと、けさ歯科の予約が入っていることで、
結局なにも誕生日らしきことをせずに終わりました。

いや71歳にもなるのに、いまさら誕生日でもないのですが、
しかし、それではあまりにも寂しいので、
今日は午前中の歯科の診察が終われば、その後、兵庫県の福崎というところに行きます。

夫は、今日は、中高校時代のお食事会があるとかで、昼食も夕食も要らないというので、
それなら、一人で誕生会をしようと思いついたのです。

家で一人でいますと夫があちこち遊びに出かけることに文句を言いたくなったりもしますし。

自分も出かけたほうが夫と喧嘩することもなくなるでしょうから、これからもそうしようと。

最初は、もっと近辺の温泉宿を探したのですが、たいがいが二人からの申し込みになっていて、
それならと範囲を広げると、姫路の温泉付きのホテルがヒットしたのです。

姫路なら、新装相成った?姫路城もまだ見に行っていませんし、

昨秋、
「かごめかごめの真実とは」というブログに書かれているイエスキリストの墓の見えるという

兵庫県は神崎町の寺前というところに行ったのでしたが、
そのとき乗り換えをした福崎という駅に、民俗学者の柳田國男の生家があったと書かれてあって、
一度見に行きたいと思っていたから、この際、行ってこようかと。

その福崎は、若くして自死した歌人、岸上大作の故郷とも、以前、聞いたこともあるから、
それも見てこようと思います。。

岸上大作と聞いても、短歌をやっている人でないとピンとこないと思いますが、
私は、歌友から岸上大作が自死するきっかけになった彼の片思いの相手の女性のことを
詳しく聴いたことがあるから、岸上大作に興味を持ったのです。

その女性は現在も存命で、歌壇で活躍されています。

岸上大作氏も、なにも失恋したくらい自死することもないと思うのですが、
たぶん岸上大作は、そういう性癖を持っていたのでしょう。

家庭は母子家庭で貧しかったと言いますから、そういう家庭環境も陰を落としたかも
しれませんが、しかし、そういう家庭環境であっても、生きている人は大勢います。

柳田國男の生家も子供がたくさんいて貧しかったらしかったらしいです。

柳田邦夫は、父は儒者で医者の松岡操、母たけの六男だったから養子に出されますが、
実家の松岡家は男の子だけでも8人もいて、(女の子がいたかどうかは知りませんが)
のちに松岡家5兄弟と呼ばれるくらい優秀な人物を輩出しています。

すなわち、

松岡鼎 - 医師
井上通泰(松岡泰蔵) - 国文学者、歌人、医師
柳田國男 - 民俗学者、文化勲章受章
松岡静雄 - 言語学者・民族学者
松岡輝夫(松岡映丘) - 日本画家

です。

一方の歌人岸上大作は、福崎町観光協会のサイトに

「田原村井ノ口(現福崎町西田原)生まれ。福崎高校時代から作歌を始め、21歳で亡くなるまで歌人として活躍しました。」

と書かれています。