かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

女医はお呼びでない?あるいは?

2018-09-30 08:49:45 | ブログ記事
いささか旧聞に属しますが、

ブロ友さんの記事に女医について書かれてありましたから私も書いてみます。

ブロ友さんは、

「外科にしても女性の方が手先が器用だと思うのですが、
頭の回転だって同じだと思いますね。
女性の方が冷静さがあるのかも知れません。」


と書かれてありましたが、

どうなんでしょ?

手先が器用なのは必ずしも女性とは限らないのでは?

少なくとも我が家は夫のほうが器用です。

というか、何をやっても玄人はだしです。

料理は私のほうが上手ですが、これは数をこなしているからです。

頭の回転はどうでしょう?

あるところで、女性より男性のほうが脳みそが多い分、頭がよいと聞いたことがあります。

学校の勉強が女性のほうがよくできるのは、女性は概ねガリベンだからではないかしら?

我が家を例にとっても、

知能指数は長男のほうが高かったけれど、学校の勉強は長女のほうがよくできました。

冷静さにいたっては、

これは女性のほうが、子宮という得体の知れないものを抱えているがゆゑに

不利なのではと思いますが・・・。

とはいえ、私の亡従弟の娘は呼吸器科の外科医になり、ばりばり肺癌の手術などをこなしています。

この娘は冷静さもあるんでしょうね。余計なことですが、美人でもあります。(笑)

が、6歳も年下の医師と結婚していますから、結婚生活のストレスがあまりないから?

が、一般的に、女性のほうが感情的であるとはいえるのでは?

なぜなら子宮があるから。(苦笑)

私が行動的?

2018-09-29 15:31:02 | ブログ記事
筋ジストロフィーで寝たきりの歌人さんとメール交換をしているのだが、

彼女は、私が行動的と驚かれている。

そうかしら?

私は引きこもり主婦のつもりなんだけど・・・。

月曜日に帰宅してから、買い物以外にお出かけはしていない。

お出かけする体力がないのだ。

毎日のご飯づくりと洗濯で精いっぱい。

季節が移り替わっているから、しなければいけない家事はいっぱあるけれども・・・。

何よりも本の整理をしないといけない。

その前に積読の本を読み上げなければならない。

が、それは一生できないかもしれない。

読むスピードより買うスピードのほうが速いから溜まる一方だ。

じゃ買わなければいいのだが、読みたい本が見つかると思わずクリックしてしまう。

最近は、ワンクリックなんて機能ができているから、余計簡単に買ってしまう。

が、ほとんど読む時間がとれない。

昔は家事を終えてからベッドで読んだものだが、最近はベッドに横になるとそのまま眠ってしまう。

これじゃ永遠に積読は減らないと思う。

もう本を買うのはやめなければ。

雑誌を購読することはやめなければ。

私が死んだあと、残された夫か子供が苦労するだろう。

いや、母のときのように、見ないで捨てれば、それほどの苦労でもないか。

夫は、母が亡くなったときの兄嫁たちの捨て方に感心していた。

あんな、見ないで捨てるというやり方を初めて見た。

あれだったら、すぐ片付くと。

私の本も、そうなる運命かもしれない。

あ、だんだんタイトルと内容がずれてきた。

何を書きたかったかというと、

行動的だから、本を読む時間がとれないのかと。

じゃ、本当に動けなくなったら、本を読めるかもしれない?

が、そのころは、読む知力も体力も失せていることだろう。

そうして、その後、此の世に心を残したまま死ぬ?

*

★わたくしを行動的と言ひくるる歌人のゐれば行動的か

★本を読む時間とれぬは何ゆゑか応へよそこの金木犀は

★沈黙をして隠れゐる金木犀かくれてゐても匂ひは届く

★寝たきりの歌人のメールに添付され咲ける匂はぬ金木犀よ

★難聴を嘆くわたしをうらやむは筋ジストロフィー病む有名歌人

★寝たきりであれば昔の恋人のこと忘られず思ひ続ける

★歩けざる人は私の歩けるをうらやみそれを書き来るメール

★歩けざることと聞こえぬこといづれ不幸まさるか比べるわれは

★結婚もできず子供も持てぬ人なんと慰めやらむと悩む

おお怖っ!ハロウィンって生贄のお祭り?

2018-09-28 09:31:01 | ブログ記事
このごろ、ハロウィンってお祭りが流行っていますが、

このお祭りは「生贄のお祭り」なんですってね。

かぼちゃを人の顔に見立ててはしゃいでいる人たちは、そんなことは知らずにはしゃいでいるんでしょうね。

知らないって怖いですね。

恥ずかしいですね。

キリスト教でもないのにクリスマスを祝うのも恥ずかしいことですが、

これは、私も子供のころからの習慣でケーキを食べる日と位置付けて祝っています。

でも、本当は恥ずかしいことですよね。クリスチャンでもないのだから。

バレンタインデイも恥ずかしいですね。

この日は女性から告白していい日だなんて、お菓子メーカーの作戦にまんまとひっかかって、

無駄にチョコレートを贈りあう。

最近は、女性同士でも贈りあったりするらしいですね。

ああ、なんてばかばかしい。

チョコレートを食べたければ、自分で買って食べればいいのだし、

ケーキを食べたければ、別にクリスマスでなくても、

買ってきたり、自分で焼いたりして食べればいいだけのこと。

クリスマスプレゼントなどもやめたほうがいいですね。

プレゼントは誕生日だけにしたほうがいいと思います。

クリスマスの行事をやめて、お正月の行事を復活させて、日本の神様を思い出させるようにしたほうが

この国のためになります。

全国の神社の大半はさびれていますから。

とにかく訳も分からない外国の風習をまねるのはやめたほうがよさそうです。

*

★ハロウィンが血のお祭りとは知らざりき髑髏(どくろ)かたどるカボチャのお化け

★幼子(おさなご)を生贄にするハロウィンに大人うかれて踊るこの国

★生きたまま生贄として殺される人の悲鳴が聞こえるハロウィン

★ハロウィンは悪魔の祭りと知らざれば遥か遠くの日本の国も

★人を食ふ儀式ハロウィンたのしげに踊る人らは火あぶり知らず

★生きた人つめて火を付け生け贄にせしお祭りを知らずハロウィン

★真似をすることを好めるこの国の国民真似をするなハロウィン

★新宿で渋谷で今年も浮かれるやハロウィン起源しらぬ人らが

お風呂に長湯しただけで立ち上がれない

2018-09-27 16:01:09 | ブログ記事
最近は疲れが日を置いてから出る。

今回もそうだ。

今日は、朝すずしかったから、久しぶりに、シャワーでなく、お風呂に入った。

久しぶりだったので、長湯した。

すると、お風呂から出てから身体から力が出ない。

椅子に座ると立ち上がれない。

夫が封筒をもってきて、至急投函してきてくれというが、動けないのである。

これは何のせい?

年のせい?

それとも。

三日前に帰宅してから、一昨日は長い昼寝をした。夜も寝た。

昨日もそうだった。

今日は久しぶりに雨が上がったから、洗濯もしようと、その前にお風呂に入ると、

この体たらく。

怠けているのとも違う。

もうこのまま頑張れないのかと弱気にもなる。

*

★七十を超えてこのまま老いはつるわれかと今朝はなぜか思へて

★風呂に入り出でてそのまま死にたりし兄と母とを思ひだす今日

★われもまた風呂から出でて死ぬ人か風呂から出でて裸のままに

★心臓の悪しき私も起こすらむ心筋梗塞長湯のあとに

これも遺産争い?

2018-09-26 03:40:26 | ブログ記事
母が亡くなるまでは、母に優しくしてもらいたくて、

せっせと義姉たちにお土産をもって実家に帰った。

が、いっこうに優しくしてくれるわけでなく、

世話はまったくと言っていいくらいしてくれていなかった。

母が2階で一人で死んでいても、気づかなかったと思う。

私は、心の中に不満がいっぱいだったけれど、言わずに我慢していた。

で、母が亡くなると、その日のうちに母のものは勢いよく捨てられて、あっという間に母の部屋は空っぽになった。

そうしないと、人を家の中に入れられない状態だったことは否めない。

が、私が直後に「母の持ち物を確かめに帰ります」というと、

義姉は「決算の時期なので帰ってこないでください」と。

それで仕方なく、四十九日まで帰省しなかった。

四十九日に帰省すると、ものの見事に母のものは消えていた。

母の寝ていた部屋には甥のベッドが置かれてあった。

母の使っていた机は義姉が使っていた。

義姉の住んでいる3階は、そのまま義姉たちの物がいっぱいのままで・・・。

大工さんが入って、部屋は見違えるようにきれいにはなっていた。

が、私にすれば、母の思い出の品を仕分けしたかった。

義姉には私の母のものはすべてゴミだったかもしれないが、娘の私にはそうではなかった。

それで、私も少し意地になった。

義姉は私が簡単に遺産放棄すると思っていたようだったが、

私は税理士さんに、放棄してしまうと実家がなくなるから、放棄したくないと述べた。

兄嫁の雇っている税理士さんは、「だから遺産相続は難しくなる」と言われた。

私からすれば、

母の生きていたころ、三食とも外食の義姉に、母はご飯も作ってもらえず、

母が入院しても、まったく病院に来てももらえなかった。

そんな人に、

母が亡くなったからと言って、そうやすやすと明け渡しくないという気持ちがわいた。

これも遺産争いというのだろうか?

母が亡くなってからも、

私が帰省しても、泊まらせてもらうわけでなし、

食事の心配をしてもらうでなしである。

私は義弟(夫の弟)が家族連れで帰省してきたら、泊めて食事をふるまうし、お土産の準備もする。

はるばる帰省してきた義理の家族には、それが当然だと思って、そうしてきた。

が、義姉には、その気は全然ない。

実家の屋上というか4階には私が娘時代に使っていた部屋があるが、義姉たちの物置化してしまっている。

兄が生きていたころは、兄が帰省した私を高知で一番おいしいレストランとか居酒屋さんに連れて行ってくれていた。

今の時代は、この兄嫁のやり方が普通なのだろうか?

それで、義姉は、私には財産放棄を迫るのに、

義姉は、もっと年取ったら、その実家に戻って義姉のお姉さんと暮らすという。

それで、私は言った。

「それじゃ私も自分の実家に帰ってこられるように不動産も放棄しません」と。

すると、今回帰省したときに、義姉は、

「私の実家は、嫁いだ者は嫁いだ先の人間になるのだから、何も分けないという考え方です」という。

私は、内心「あら、前回とまったく逆のことを言って」と思ったが黙っていた。

今回の言葉は、私に対する当てつけなのである。

私も、義姉が母の世話をしっかりしてくれていたなら、黙って放棄しただろう。

が、母の世話は、母が雇ったお掃除のおばちゃんに丸投げして、

母が家にいるときも母の食事の心配をしてくれたことはまったくなかったし、

お風呂は、兄嫁は自分が毎日水泳に行くので、そこで入るから沸かしたくないと

母がデイサービスに行くようになるまで、90歳の母を遠い銭湯に行かせていた。

お風呂の掃除が面倒だからと。

母が入院しても、まったく行かないで、洗濯物は毎日お掃除のおばちゃんが持ち帰って洗濯して届けてくれていた。

私が、「もう少し母に優しくしてくれない?」と頼むと、「できません」と。

母もわがままな人だったから、義姉も不満がたまっていたのだろう。

が、仮にも嫁いできて、別所帯とはいっても、

同じ建物に住んでいるのなら、もう少しなんとかしてくれないかと私は不満に思っていた。

父の法事のときも私たちが大阪から早めに帰って仏間の片付けをした。

法事が済むと、兄嫁は自分たちの食べた食器を一枚も洗わず3階に上がった。

山のような洗い物は大阪から帰省した私がした。

兄嫁にすれば、会ったこともない私の父は自分に関係ない人だったのだろう。

父は兄が結婚する少し前に亡くなっていたから、兄嫁は自分に法事の責任はないと考えたのだろう。

兄が気を使って、高級なワインをいっぱいお土産に持たせてくれたけれど、

私はなぜ一緒に住んでいる人がしてくれないのかとずっと思っていた。

それでいて、母が亡くなれば、遺産はすべて自分たちのものだと思うなんて。

それで、私もちょっと踏ん張ってみている。

世間では、これを遺産争いというのだろう。

*

★税理士にだから遺産の争ひは起こると言はれ起こしゐる吾(あ)か

★母の世話してくれざりし人になぜすべてを渡す必要ありや

★これがまあ遺産あらそひなのだらう嫁ぎしわれが譲らぬゆゑに

★平等は名のみで平等ならざるが日本の遺産相続らしき

★兄が今生きていませば妹のわれに気遣ひあらむと思ふ

★血を分けてゐぬ義妹(いもうと)は兄嫁に異物と思はれゐむとぞ思ふ

★親消えて実家も消えてゆくさだめありて女に家なき此の世

★実家とふ居心地のよき家消えることを気づかすその親の死は

★肉親は子と孫になりあんなにも愛してくれし父母兄彼の世

つかの間の晴れ間だった?

2018-09-25 12:48:58 | ブログ記事
22日の帰省直前まで長雨だった。

が、向こうでは快晴で、暑さの中の墓参りであった。

一昨日も晴れで、土佐お城下の日曜市で買い物を楽しめた。

昨日は曇ってはいたが、

広島の福山で少し雨が降ったくらいで、なんとか帰宅するまで持ちこたえた。

が、帰宅するのを待ちかねていたかのように、夜は大雨になった。

なんだか、私たちの帰省の間の晴れ間という感じだ。

今日は、現在、晴れ間が見えてきたから旅行中に溜まった洗濯物を洗っているが、

また、今度は超大型台風が近づいている模様。

夏の間は、雨も降らないで酷暑であったが、

雨もこう続くと、「もう結構」と言いたくなる。

秋雨前線を大型台風が刺激すると、どうなることやら。

「神様、日本を痛めつけるのもいい加減にしてください」

と言いたくなる。


松山~しまなみ海道~神戸

2018-09-24 20:26:34 | ブログ記事
朝、松山のホテルを出て、しまなみ海道経由で帰ることに。

今治から「しまなみ海道」へ。

今日は曇っているから、景色が鮮明でない。



島々が山のように見えて、

島並みというより[やまなみハイウェイ]と思える[しまなみ海道]。



尾道から少し下道を走る。

おこのみやき屋さんが多い。

カーナビに神戸を目的地にすると淡路へ案内するから目的地を福山にしたら福山駅まで来てしまった。(@_@)

鳥居があったので写す。


[福の山神社]と書かれてあった。

福山東から高速道路に戻る。

高速道路が混んできたから、加古川からまた下道を走る。

途中、次男のお嫁さんの実家のそばを通るので、寄ってお土産を渡してお茶をごちそうになる。

やっと神戸の次男の住むマンションまで来て夕食をごちそうになる。



旬のサンマがおいしかったです。

ごちそう様!

*

★島々が山のやうにも見えるとき島並みすなはち山並み街道

★尾道にお好み焼き屋おおければ食べずに通り過ぎがたきかな

★下道を走れば信号ばかりゆゑまた戻りたり高速道に

★海沿ひの山陽自動車道はしる車は福山、岡山すぎて神戸に/div>


高知から松山へ

2018-09-23 12:58:06 | ブログ記事
朝、日曜市で買い物をしてから義姉の実家へ。

亡くなられたばかりの義姉のお父さんを拝ませてもらってから愛媛県に向かう。

途中、[道の駅みかわ]でトイレ休憩。

[みかわ]は美川。



面河渓が望める。

美川とは面河渓のことを指しているのだろう。



ずいきが売られていた。

くりまんじゅうさんのブログで、県外の人が[りゅうきゅう]のことを[ずいき]のこと?と質問されていたが、なるほど似ている。

が、ぜんぜん別物であるらしい。

[りゅうきゅう]は[ハスイモ]のことで、[ずいき]は[芋茎]のこと。
(by くりまんじゅうさん)




さつまいも2種を買う。


ニンニクも。

 
栗と柚子も。


と、道の駅で買い物をして、松山市へ。

松山市では、連歌の先生として有名な光田和伸先生の家を探した。

運良く探し当てることができただけでなく、お宅に上がらせていただけて、お話まで聞かせていただくことができた。

近所の方に先生はほとんど京都にいて、めったに松山に帰られないと聞いた直後だったから、非常に運がよかったことになる。

さらに運がよかったと言うか、不思議なことに、光田先生のお話は難聴の私にもよく聞こえた。

たぶん先生の話し方が上手なせいだろう。

しばらくお話を伺ってから退去した。

明るい時間に松山市内のホテルに到着。


土佐の高知の日曜市

2018-09-23 09:09:49 | ブログ記事
泊まったホテルが高知追手前高校の隣だつたので、

朝一番に追手筋で日曜ごとに開催される日曜市に行った。

写真の建物は新しくできた高知県立図書館のようである。↓


道路を渡ってから写した

こちらの建物は、イジーさんの母校、旧一中こと、高知県立追手前高校である。↓



日曜市もいっぱいの人出であった。

 
これは、一昨日、くりまんじゅうさんのブログ記事になった「りゅうきゅう」

魚を加えて酢の物にすると美味です。

こちらは安いですね。

今日帰宅するなら買いますが。

高知特産の生姜。

これも今日帰宅するなら買いますが。

こちらの建物は私とくりまんじゅうさんの母校、土佐女子中、高校です。↓

追手前高校と隣り合っています。

一応、高知県一のお嬢様学校ということになっていますが、

中には私のような例外もいます。

それにしても、学校案内の垂れ幕が下品!

私立だから生徒集めの必要もあるでしょうが、高知県男子の憧れの的?の母校を貶めないでください。
 
ここで左に曲がると、大橋通りという、かつては新鮮な魚や野菜の店で賑わった商店街に。


また、左折れすると、昨晩、鰹のたたきを求めてさまよった帯屋町へ。




昨夜、長蛇の列だった明神水産おびやまち支店。

今朝は嘘みたいに静まっています。

夫が菓子パンを食べたいというので、手作りのパン屋さんへ。


餡バターパンと苺バターパンをゲット。

一個250円は、ちと高いかな?

消費税がついて、二個540円。

ここでまた左に曲がって、県立図書館の正面に。


図書館はオーテピアという愛称らしい。

科学館も併設されている模様。

計三回左折れしたから、また元の日曜市に戻ってきた。

向こうの時計台は追手前高校の時計台。

こんどは日曜市で買う。

まず、ふかしいも200円。(^^♪

消費税がつかないのが嬉しい(^^♪

とうもろこし二個300円。

「もちとうもろこし」という名の通り、お餅みたいな食感だった。

私はおいしいと思ったが、夫は、今夏、軽井沢で生で食べた甘いトウモロコシと比べて不味いと。

あと私が日曜市にきた一番の目的の田舎寿司も買って撮影したが、手違いで消してしまったよう。

高知県もインバウンド?

2018-09-23 07:08:31 | ブログ記事
きのうの記事にいただいたコメントで、高知市も韓国、中国の観光客で賑わっていることを知った。

道理でホテルの予約がとれないわけだ。

私は三連休のせいかと思っていたが、

韓国、中国から直接船で来ると知り、

それなら本四連絡橋のない高知も不利ではないと思った。

昨日は目指した鰹たたき専門店が長蛇の列であったのみならず、

観光客御用達の「ひろめ市場」が、

一人分の座席も確保できないほど混んでいたことが納得できる。

高知県は食べ物がおいしいから、これから爆発的に人気が出るかもしれない。

既存の観光地に飽きた海外客が押し寄せてきて、

さびれかけている高知市中心地に昔の賑わいが戻ればと夢想する。

いや夢ではないだろう。

船で訪れる観光客には、太平洋に面した高知県は観光銀座になりうる。

室戸岬、足摺岬、龍河洞などの観光資源にも事欠かない。

考えただけで何だか嬉しくなってくるわたくし。(笑)

高知に来たら鰹たたき 

2018-09-22 19:43:02 | ブログ記事
と思って、近年人気のある明神水産に来たが、長蛇の列。

あきらめて ひろめ市場に来たが、座る場所もないほどいっぱいの人。

三連休だからかなと思ったが、夫が外国語が聞こえるというので、中国か韓国の団体さんがいたからいっぱいだったみたい。

でも「高知まで?」とも思ったが、はたして?

仕方なく実家の近くの店に入ると、こちらはふだんより少し混んでいるくらいだった。

私達は迷わず鰹たたき定食を注文して、おいしくいただいた。



それにしても、今夜は帯屋町も昔のような人出があって、ふだんの週末もこんなだったらと思った。

明日は、朝、日曜市を見てから、義姉の実家に行き、16日に亡くなられた義姉のお父さんを拝ませてもらってから松山に行く。

ほんとうは高知でもう一泊したかったけれど、ホテルがとれなかったから。

お墓参り

2018-09-22 14:37:36 | ブログ記事
まず安芸市にある私の実家のお墓に。

ここは実家一族が高知在住なので草もなく管理されている。

今年1月に亡くなった母の御墓参りを済ませたあと、



夫のというより私の嫁ぎ先である我が家のお墓へ。

こちらは、われわれ以外だれも来ないので、春の墓参以来の草が生い茂っている。

夫が鍬で草の処理をしてくれて、やっとここまでになったお墓。



これからお花を生けて、お米、お菓子をお供えして、線香を手向けます。



風が強くて線香に火を着けるのに難行苦行。

明日はまた雨の予報なので、晴れの今日御墓参りができたのは良かったのですが、暑かった!

これから高知市の実家に向かいます。

今日は一日寝てしまった&聴障者お助けアプリ

2018-09-21 17:59:39 | ブログ記事
やはり疲れをとるには寝るのが一番である。

夕方まで寝て、なんとか元気になった。

朝は少し鬱気分になって、我知らず涙まで流してしまった。

普段は、難聴でも、それなりに工夫して暮らしているから、

それほどダメージは受けないのだが、

人に会ったりしたときは、どうしても疲れが後に残る。

昼食のときに、

夫にこのことを話したのだが、

夫は、

それなら、しっかり手話の勉強をせよという。

それはそうだけど、

手話を覚えても、周囲に誰も手話をする人がいなければ、宝の持ち腐れになる。

そのことを夫に言うと、

覚えて夫に教えろという。

夫は覚えてくれる気があるのだろうか?

が、今日は、少し明るいニュースが入った。

けいさんというブロ友さんが、

スマホに難聴者と健聴者のコミュニケーションを助けるアプリがあると教えてくださった。

で、さっそく探してインストールした。

これだと、書いてもらうよりは敷居が低そうである。

なんとか私のお助けマンになってほしい。

*

★疲れ果て一日寝たるわたくしに吉報ありぬ聴障者アプリ

★寝て待てと言はれる果報寝て待てば聴障者アプリ教えられたり

★聞こえぬは辛い切ないことなれど人の親切受ける機会も

★世の中に意地悪おおくゐるけれどそれに負けずに親切もゐる

★明日はまた帰省の予定あるからにアプリを入れしスマホをしまふ

★落ち込みて復活をして落ち込みて復活をしてわれの人生

難聴のため、人の何倍も疲れる私

2018-09-21 07:09:19 | ブログ記事
きのう、おとといの記事にも書いたが、

私は、大勢の人の集まる場所にでかけるのは苦手だ。

それは難聴だから。

私の難聴は昔よりずっと進んでいる。

最近の私は、人のしゃべったことは2割くらいしか聞こえない。

それであらかじめそのことを言うのだが、

皆さん、私に話しかけないのはエチケット違反のように思われるようで、

話しかけてきてくださる。

その気持ちは有難い。

だから、私も聞こえないけれど、にこにこしている。

が、聞こえていないから相槌が打てない。

聞き返すと話の腰を折るし、

夫はいつも「書いてもらえ」というのだが、

事務的な要件ならともかく、

ああいうパーティのような場所では、

話は自然発生するものだから、

書いてもらうと話のニュアンスが異なってくる。

だから「書いてください」とお願いはしない。

もうこれは長年難聴であった体験から得た処世訓である。

が、聞こえなくても聞こうと務めているから、非常に疲れる。

こういう場所に行って帰宅すると、いつもぐったり疲れてしまっている。

疲れていながら、神経は高ぶっている。

それでなかなか寝付けない。

寝ても悪夢を見ることが多い。

今朝もそうだった。

金縛りにあったように動けない夢を見る。

激しい動悸で目覚めて、動けなくなっていたのは夢だったということがよくある。

そして異常に疲れている自分に気づく。

精神的にぎりぎりの状態になっている。

こういう状態に何かが加わればうつ病を併発する。

いくつになっても難聴には馴れることができない。

こうならないためには、今後はこういう公の場には出ないという選択肢しかない。

*

★通夜葬儀つづけて出ればわたくしの疲れピークになりて眠れず

★なつかしき人らは話しかけてくるそれが私の苦しみになる

★人好きのわれに聞こえぬ罰与へたまひし神よわれは悲しむ

★極限の疲れは兆し神経は高まり眠れぬわれとはなりぬ

★日頃から脈拍はやきわが心臓さらに脈拍はやめて激し

★まう死んだやうに静かに暮らすしか術なかりしと思ふ難聴

★難聴の国があるなら移り住みたしと思ふが現(うつつ)のわれで

★年取りて夫も私をフォローすることに疲れしやうなこの頃


義叔父のお葬式

2018-09-20 20:57:19 | ブログ記事
今日は義叔父のお葬式であった。

私の長男も、義叔父さんには世話になったからと会社を休んできてくれた。

近年の風潮として、お通夜よりお葬式のほうが列席者が少なくなるが、

今回の義叔父のお葬式もそうだった。

が、そうは言っても、世間一般のお葬式よりは、かなりの列席者がいた。



お葬式が終わってから、マイクロバス2台を連ねて火葬場に。

火葬の儀式を終えてから、いったん葬祭会館に戻り、昼食を摂った。


昨日と同様に、さまざまな人が私に声をかけてきてくださる。

親戚関係の人以外にも、義叔父さんの会社の事務をしてくれていた人とか、
義叔父さんの信仰していた宗教関係の人とか。

が、私は聞き取れない。

夫や長男に通訳してもらいながら会話するのだが、

これが神経を使うので、食事もままならない。

時間ばかりが経って、食べたかったデザートとか果物は食べられないまま残して、

後ろ髪を引かれる思いで、また火葬場に戻った。

(なにしろ食い意地が張っているもので)

お骨を拾う人は、従弟一家プラス義叔父さんの姪御さんたちである。

叔父さんの兄弟の子供は女性ばかりで、男性は私の従弟だけだった。

私の従弟には今時珍しく子供が四人もいるので、

それに連れ合いとか孫とかを入れると

それだけでも、かなりの人数になる。

そのうえ、姪御さんたちも子供連れで来ているから、

お骨を拾う人の人数だけでもかなりであった。

義叔父さんは、皆に尽くしたから、

従弟の長女は涙ながらに弔辞を読んだ。

従弟の長女以外の子も、みな涙をぬぐっていた。

その孫たちだけでなく、姪御さんたちも、みな泣いていた。

そのくらい人望があったということだ。

今時めずらしいことかもしれない。

義理の姪の私にも、ずいぶんよくしてくれた。

亡叔母が私をかわいがるのはわかるが、この義叔父さんもかわいがってくれた。

私だけでなく、私の子供たちまでかわいがってくれた。

だから、今日、私の長男は会社を休んでまでお葬式に参列したのだ。

先日も書いた言葉だが、

「人の一生はその棺の蓋を覆って定まる」と言われているが、

この義叔父さんの一生は、

今日のお葬式を見る限りでは、立派だったということになるのであろう。

*

★孫は泣き姪たちも泣き義理叔父の棺(ひつぎ)の蓋は今し覆はる

★覚悟せし死とはいへども人の死はその肉親をかく悲します

★食べられずなりてそののち二か月を点滴のみで生きし義理叔父

★十分に生きたと言へる齢にて死にても家族ならば泣くなり

★大正の最後の年に生まれたる人は平成最後の年に亡くなる

★昭和生き平成生きて大正の男は逝きぬ九十一で

★叔母逝きてのちを生きたり義理叔父は二十八年やもめのままに

★夏果てて涙のやうに降る雨の中を義理叔父火葬されたり

*

今日は朝9時に家を出て、帰宅したのが午後7時だったので、

まる一日がかりのお葬式参列だったことになる。