かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

5月29日大連中山広場〜旅順日帰り観光

2019-05-31 21:30:46 | ブログ記事
大連で3泊したホテル日航大連です。
ホテルの前の建物を撮影しました。
今回、「口腔」という看板が目につくのでガイド氏に聞くと「歯科医院」とのこと。
20年以上前に上海に行ったとき、気づかなかったので夫に言うと、
そのころは中国もまだ貧しかったから歯医者に行ける人が少なかったのかもと言います。
が、実際のところはどうなんでしょうね。
二日目の今日は、朝いちばんに日本統治時代、満鉄病院だった病院へ。
現在も病院として使用されています。すごい!
病院の名前は「大連大学付属中山医院」というものらしいです。
「医院」という呼び名は中国では病院のことみたいですね。
中山地区というのは、大連市の一番の中心地で、
日本が占領していたころは、ここに中山広場という円形の大きな広場があり、
周辺には銀行が林立していました。
大和ホテル(=大和旅館)という立派なホテルもあり、現在も建物が残されています。
迎賓館として利用されていたようです。
離れて建物全体を撮影しました。
中山広場の中心部です。↓
旧満鉄本社にも案内してもらいました。
中は撮影禁止だったから、写真はありません。
その後、旅順に向かいましたが、大連から旅順に向かうのに、
黄海に架かる長大な大連星海湾跨海大橋を渡ります。
これは橋を渡っているときに黄海のほうを撮影した写真です。↓
この橋は、この夜のオプショナルツアーで訪れた星海公園から撮影しましたから、
このあとアップする「5月29日」その2の写真を楽しみにしてください。(笑)
ということで、大連から1時間あまり走って旅順に到着です。
旅順では日露戦争で日本軍死傷者のたくさん出たhttps://ja.wikipedia.org/wiki/東鶏冠山北堡塁へ。
「旅順口日俄戦争遺址」と書かれてありますね。
28日の記事にも書きましたが、「俄」というのはロシアのことのようですから、
「日俄戦争」というのは日本とロシアの戦争ということですね。
この戦争で日本兵8000人の戦死者を出し、その慰霊碑が建てられました。↓
大砲がおかれてありますが、ほんものではないようです。↓
これがロシアが泥とコンクリートで中国人に作らせた堡塁の一部です。
この堡塁の中に司令部、兵舎、弾薬庫、治療室、台所などが作られていたそうです。
ロシアは、たった9か月間で、この堡塁を作ったらしいのでしたが、
日本軍は、それを知らず、山を越えて攻撃しようとした日本兵が大勢、
この堡塁の横に作られてあった穴に落ちて、大砲で撃たれたそうです。
中国人のガイドさんの説明によると、
この堡塁のことを知った一部の日本軍の兵士がこのことを上官に伝えたのに
取り合ってもらえなくて日本軍は多くの兵士を失ってしまったとか。
昔も今も情報を確かめることは大事ですね。
こちらに「東鶏冠山北堡塁」と書かれてありますね。
ここから夫の写した写真で堡塁の写真2枚追加です。 堡塁の中です。
このあと、同じ旅順の日露戦争の戦跡地である水師営会見所に行きました。
この会見所は、その後、日露戦争に勝った日本軍が敗れたロシア軍将校と会見した場所です。
水師営会見所https://ja.wikipedia.org/wiki/水師営
昼食は、この会見所の横のレストランへ。
レストランの入口に魚介類があったから↓
海鮮料理かと思ったけれど、そうでもなかったです。
中国の田舎の家庭料理という趣の料理でした。↓
旅順はまだ続きますが、長くなるので、その2に分けました。

5月28日関空〜大連国際空港〜金州区大国山ふもとの響水寺~総督府~南山古戦場

2019-05-31 17:47:38 | ブログ記事

5月28日(火)、関空12時5分発の飛行機に乗りました。

大連国際空港には13時25分(日本時間14時25分)着の予定でしたが、少し遅れて到着。

大連国際空港は560万人都市のわりには、それほど大きい空港でもなかったです。
が、待合室の横に大連警察のものと思しきバイクが並べられてあるのは、ちょっと異様な雰囲気でした。

空港には現地のガイド氏が出迎えてくれました。

ガイド氏は日本に少し暮らしたことがあり、通算5回来日していると言われていました。

すぐに待機していたバスに乗って大連市内の金州区へ。

私は難聴のため、せっかく流暢な日本語を話すガイド氏でしたが、
いつも通り、説明はよく聞きとることができなかったので、
わかったことだけ書いています。

ですから、あとから、夫に聞いたり、自分で調べたことも書き足すつもりです。

まず最初に行ったのは響水寺。道教のお寺です。



こちらの線香は長くて大きい。



こちらは↓赤い布で男女、家族のご縁を結ぶおまじないみたいなもののようです。

その後、提督府へ

ここには日清戦争時、従軍記者だった正岡子規の句碑がありました。
   ☆行く春に酒をたまはる陣屋かな  正岡子規

この句碑は文化大革命時、壊されないように近くの住宅の庭に穴を掘って埋めておいたそう。

提督府の庭のバラが見頃だったから撮影。








中国でも消防署の電話番号は119番のようですね。↓


その後、南山古戦場へ。

石碑に書かれてある「日俄戦争」というのは日本とロシアの戦争という意味らしいです。その遺跡ですね。
日本ではロシアのことは「露」と書かれることが多いですが、中国では「俄」と書くようです。

ツアー仲間と戦跡地を踏んでいます。↓

ご参考「南山の戦い」=https://ja.wikipedia.org/wiki/南山の戦い

南山古戦場から降りるとき金州の街が見えたから撮影。近代高層ビルに驚かされます。

このとき、四日間乗せてもらった観光バスも撮影しておきました。

一日目の夕食は中国東北地方名物「春餅」でした。

春巻きのような皮に、めいめいがいろいろ包んでいただきます。
撮影するタイミングがずれたから、包んでいただくお料理がうまく写せませんでした。

これは大連のビールです。

地元では有名らしい「大地食府」という名のお店でした。

泊まったホテルは3日間ともホテル日航大連でした。

ゴージャスな広い部屋でした。


旅行記事は人気がないのは承知ですが

2019-05-27 19:44:47 | ブログ記事
明日から旅に出ますから、数日お休みするか旅行記事になります。

人気がなくても記事にするのは、
このblogを書く目的が自分の記録であるとともに、
子供たちには、親の私の動向を知らせる目的があるからです。

旅行記も、日本人未踏のような場所への旅行なら読みたい人もいるかもしれませんが、
私などの行くところはありふれた場所ばかりですから、
読まれる方も食指が動かないことは理解できます。

私も、同様ですから。

旅行記というものは、
よほどの視点で書かれたものでないとつまらないということは言えるかもしれません。

その意味では、旅に出る前の事前の準備も必要ですが、
今回の旅は、夫の希望で行く旅ですから、あまり下準備もしていません。

せめて若いころに読んだ芥川賞作家、清岡卓之の『アカシアの大連』を読み直そうと
買ったのでしたが、これも読んでいません。

昨日も書いた通り、最近、寝てばかりなので、読書も捗らないのです。

まあ最近の私は、パソコン中毒ですから、
たまに旅に出て、パソコンから離れる必要もあります。

運動嫌いでもありますから、強制的に歩かされるツアーは、
私に打ってつけでもあるのです。

*

☆『アカシアの大連』読まむと買ひしまま読まずに行かむその大連に

☆大連は今アカシアの季節とぞ知りて旅立つその大連に

☆義理祖父がかつて従軍せしといふ大連の地をしかと見てこむ

☆亡き義母の父なる義祖父書き残す戦さの記録我が家に残る

☆綿密に書かれし義祖父の従軍記家宝となしてゐるこの婚家

☆三人(みたり)ゐし義母の男の兄弟は二人戦死でその家は絶ゆ

☆義理祖父は人格者とぞ聞きゐしがその長男が財産なくす

☆人よりも真面目な人でありにしに或る日よからぬ女に狂ふ

☆義理伯母がわれに言ひしは真面目なる人ほど怖い狂ひしときは

☆一途とふ美点が逆に作用して狂ひに狂ふ真面目な人は

☆なにごともほどほどがよし人を恋ふことも例外ならぬ理(ことはり)

☆小説や歌舞伎に多き話なり事実であればそれより奇なり

Amazonのフィッシングメールは何とかできないか

2019-05-27 06:38:23 | ブログ記事
最初届いたときは危うくひっかかりそうになったが、
知人からひっかかってしまった話を聞いていたので、かろうじて難を逃れた。

それにしても
届くたびに迷惑メールにしているのに、
また届くのである。

たぶん迷惑メールにしたのとは、また別の形で送ってきているのであろう。

Amazonとは関係ない輩が送ってきていて、Amazonも被害者なのかもしれないが、
しかし、自社名を騙られているAmazonは何か対策はとれないだろうか。

ひとつ不思議に思うのは、
偶然かもしれないが、
このフィッシングメールが送られてくるのは、
私がAmazonで買い物をした数日後に送られてくることが多いことである。

しばらくAmazonで買い物をしなかったら、しばらくフィッシングメールも届かない。

これは本当に偶然なのだろうか?

とにかく、こういう悪質なフィッシングメールは
Amazonでなくても、関係省庁に何等かの対策を講じていただきたい。

でないと、今後とも善良な国民が泣き寝入りをすることになるから。

これから採用する公務員には、ぜひITに強い人材を確保してくださるよう
併せてお願いする次第である。

眠い

2019-05-26 16:14:44 | ブログ記事
先週の土日に墓参り帰省して、その後、帰宅してから眠いのである。

それで暇を見つけては眠っている。

夜も眠るのに、昼も眠るのである。

もちろん、三度の食事作りはしているが、それ以外は、眠っている。

昨日は夫がカルチャースクール、
今日は、小学校の同窓会とかで昼前から出かけたから、ふだん以上によく寝ている。

まあ数年前に精神薬の離脱症状で一睡もできなくなっていたことを思えば、
眠れるのは天国である。

病気も辛いが、眠れないのがあれほど辛いものだとは、それまで知らなかった。

何でも体験である。

あの体験も無駄ではなかったと思う。

夫は、最近出かけてばかりだから機嫌がいい。

仕事で忙しいときは八つ当たりされるから、有難い。

夫は自分ばかり楽しんで申し訳ないと思うのか、
私にもどこかに出かけたらどうかと、しきりに言う。

ありがとう。
行きたいところはいっぱいあるけれど、
来週の大連行きに体力を温存しておかないといけないから。

いま行きたいところは、愛媛県の佐田岬。

これはblog友さんがよかったと言われていたから私も行ってみたいなと。

それ以外には能登半島。

北海道の根室とか釧路とかも行ってみたい。
こちらは行くだけじゃなく、しばらく滞在したい。

それから東北も、
また岩手県とか秋田県とか青森県には行っていないから行きたい。

外国は、現在は、それほど行きたいところはない。

よく外国に行っていた50歳ころは、すごく感動したが、
最近は日本のほうがいいと思う。

と同時に、日本ほど素晴らしい国はないと思う。

こんな素晴らしい国に生まれた幸せを噛みしめている。

*

☆日本ほど素敵な国は世界中どこにもあらぬと思ふこのごろ

☆この国の国語は素敵この国の国語で作る短歌は素敵

☆定型に収めるだけで歌になる和歌はわたしを若返らせる

☆眠たくば眠り目覚めて食べたくば食べて楽しくあらむ死ぬまで

☆眠ること少し死ぬにも似てゐれば眠りつつ死ぬことを恋ふわれ

今日の暑さは本物

2019-05-25 18:22:31 | ブログ記事
昨日までは暑い暑いとニュースで言われても、
家にいる私的には全然暑くなかった。

夕方散歩に出たときに少し暑いかなと思ったくらいだったけれど、
今日は朝から暑い。

午後になるとクーラーを入れたいくらいになった。

が、まだ屋内は29度未満だ。

ああ、またこれからあの炎暑が来ると思うと、それだけで憂鬱になる。

どこか涼しいところに逃れる計画を立てなければ!

お金があれば、北海道に長期滞在したいところだが・・・。

子供の頃は、今ほど夏が暑くなかったし、
午後になると川に泳ぎに行ったり、プールに泳ぎに行ったりして、
それほど夏の暑さに悩まされなかった。

今のように各家がエアコンをつかわないせいで、
夕方打ち水をしておいて、
夕食後、縁台を出して涼めば十分やり過ごせた。

何度も書いているが、
高松に暮らしていたころの夏は、広島の大叔母の家に逗留させてもらったりもした。

大叔母の家は山の中にあったから、朝晩は、ほんと涼しかった。

昼間は目の前にある川で泳ぐこともあったが、寒いくらいだった。

懐かしいなあ。

令和の代になって、昭和は遥かかなたになってしまった。

*

☆夕方は打ち水をして縁台を出して涼みし昭和は遠し

☆蚊遣り炊き蚊帳(かや)を吊るせる八畳に祖父母とともに寝ねし八月

☆寝入るまで団扇であおぎくれし祖母見つつ眠りにつきし孫たち

☆蚊帳はづし蚊帳を畳める祖母を見し昭和の夏の朝が懐かし

☆祖父母死に父母死に兄も死にわれが独り残れる令和の夏よ

メイさん、大変でしたね

2019-05-25 03:58:24 | ブログ記事
政治のことは、まして国際政治のことはわからない私ですが、
イギリスのメイ首相が頑張っておられたことだけは
ニュースを見ていて感じました。

が、いかんせん、彼女は貧乏くじを引いたような役回りだった。

彼女自身は英国EU残留派だったと記憶しているが、
悪い時期に首相になったために、
自分の主義主張とは逆のEU離脱の推進をしないといけない羽目に陥った。

が、事はスムーズにいかなくて、
国民は離脱の選択をしたはずなのに、
いざ離脱しようとすると反対をする。

実際に離脱してしまうと不都合なこともいっぱいあるからだ。

そういうイギリスのジレンマにメイさんは苦しめられた。

首相を辞めるにやめられず蛇の生殺しの状態におかれた。

が、やっと来月7日に辞任されるようだ。

昨日辞任を決めた挨拶の最後に涙ぐまれていたのが印象的であった。

涙ぐみながらも、
「愛する国に奉仕する機会を得られ、絶大な感謝を胸に私は間もなくこの栄誉ある職を離れる」
と挨拶したメイ首相は立派だった。

同じ女性として、メイさんに盛大な拍手を送らせていただきたい。

これからは、
テレビで、あの大きな珠のネックレス姿のメイさんが拝見できなくなるのが残念です。

*

☆メイさんの太き珠もて繋ぎたるネックレスこそ目に残さなむ

☆またニュース画面に出てくる日もあるや紳士の国の淑女メイ氏は

☆後釜は紳士の国の紳士ではなき可能性かんがへらるる

夫にはもっと落ち着いてほしい

2019-05-24 07:10:31 | ブログ記事
夫も今年の誕生日がくれば後期高齢者の仲間入りをする。

が、相変わらず多忙で年中バタバタしている。

暇な時間を持つことが悪であるかのように・・・。

仕事は現在ほとんどないらしい。

が、テニスに週3回は行くし、
また新たなカルチャーの申し込みもして行き始めた。

運動をするのは身体にいいし、
年取っても向学心を失わないのは立派なことだ。

が、常に家にいる私は、もう少し夫にも家にいてほしいと思うこともある。

夫が家にいるのは、仕事をしているときだけだから、

たまには話もゆっくりしたい。

勢い話をするのは車の中だけということになる。

が、これは高齢ドライバーにはしてはいけないことだろう。

ただでさえ認知能力が衰えてきているのだから。

こうしてすれ違いの生活をしているが、
私の難聴が進んだため、夫が苛立つことも多くなったような気がしている。

夫も、もう少し気持ちを落ち着かせてくれたら、
私が難聴でも、もっと私と向き合うことができると思うのだが、
これは贅沢な悩みであろうか。

私も夫がいればいるで、食事の支度の休み時がない。

ゆっくりできるのは夫の留守のときだけである。

だから「亭主達者で留守が良い」なのであるが、

しかし、あと何年こうして一緒に暮らせるかわからないのだから、
もう少し落ち着いてほしいと思う。

食事も、ただ慌ただしく食べるだけでなく、
もう少し食事や料理に関心を持ってほしいし、
願わくば、毎回作っている私の労もねぎらってほしい。

*

☆降りてきて直ちに食べて飛び出せる夫に妻のわれは何者

☆気が立てば突如怒鳴れる夫かな妻は怒鳴られ心を壊す

☆心では愛してくれてゐるらむと心なだめて皿洗ふ妻

☆勉強が好きで仕事の好きな人テニスも好きで女も好きで

昔も今も女の幸せは男次第

2019-05-23 16:33:29 | ブログ記事
いくら女が強くなったと言っても、今も女の幸せは男次第と言える。

逆も真なりで、男の幸せも女次第とは言えるが、
しかし、子供を産み、育てる性の女性は、どうしても経済的に男に依存することになる。

であるから、
一番大事な鍵は男の甲斐性であるが、
しかし、それだけではない。

いくら甲斐性があっても、産む性である女性を大事にしない男はクズである。

今朝読ませていただいたblogは、
現在離婚されていられるが、元夫さんの要望に応えて週末は一緒に過ごされていた。

が、元夫さんの、その時の気分に振り回される話であった。

女性は感情の生き物だから、もともと気分屋である。

が、それは女性の魅力と表裏一体をなすものでもある。

が、男の気分屋は始末に負えない。

なぜなら、男は身体も大きいし腕力もある。

その男の気分によって、弱い立場の女性は振り回される。

経済的にも男が実権を握っている場合は猶更である。

それが嫌で経済力をつける女性もいるが、
そういう女性は、一部の例外を除いて、しばしば女性らしさを欠く。

女性らしさと経済力は本来相いれないからだ。

原始時代、男は外で狩りをして、女はそれを料理するという生活を送ってきた名残が
現代にも続いているのである。

だから今でも獲物を得るのは男のほうが得意とする。

女はその分け前をもらって子供を育てるのである。

男は分け前を与えて自分の子供を産んでもらって育ててもらうという
ギブアンドテイクの関係である。

どちらが偉いとかいう問題ではなく、
それぞれの性差を活かした協力関係が夫婦という形になって
現代にいたっているのである。

それなのに、獲物を得る男が家庭を守る女を粗末にするのは許しがたい。

以上は今日読ませていただいたblog記事に対する感想である。

私自身、夫の機嫌に振り回されることの多い毎日を送っているから、
余計、身につまされたのかもしれない。

安心して長生きできる国造りが先決

2019-05-23 13:00:39 | ブログ記事

近年、少子高齢化少子高齢化と長生きをすることがよくないかのような報道が多い。

が、古来、長生きは寿ぐものであった。

どんな人でも年を取る。

夭折する人もいるが、長生きする人もいる。

長生きをすると悪いことのように言われる国がよい国であるはずがない。

こういう考え方が主流になれば、

結果、

じゃ、なぜ生まれてきた?

というところにまで行きつく。

自分が年取ってきたから言うわけではないが、

誰だって歳をとるのである。

そのとき、

少子高齢化、少子高齢化と叫ばれたら気持ちのいいものではない。

赤ん坊の誕生を喜ぶのと同様に、長生きも本来は喜ぶべきものである。

それが喜べなくなったのは、極論すれば、国の施策の失敗の結果である。

今からでも国は猛反省して、こうなった原因を取り除いていかなければならない。

年取ることが不幸な国に若者が希望を持てるはずがないのだから。

今こそ舵取りをする政治家は真剣に取り組まなければならない。

われわれも、私利私欲の政治家を見極める目を磨いて、

しかるべき政治家を選ぶ義務がある。

いま本気にならないで、いつ本気になるというのだ。


グレーヘヤーは必ずしもよくない

2019-05-23 09:33:05 | ブログ記事
ずっと前から70歳になったらグレーヘヤーにしようと目論んでいた。

それで、69歳になった一昨年の8月から毛染めをやめていた。

母がなくなった昨年の1月ごろは、
末端のほうにはまだ色が残っていたが、
ほぼグレーヘヤーになれていた。

が、あまり見た目がよくない。

毛染めを止めても真っ白にはならないのだ。

それで、母のお葬式も、その後の四十九日も、皇族の真似をして?帽子をかぶって胡麻化した。

6月ごろになると、毛染めした部分は完全になくなったから、
自分で毛染めしてみようと、
ドラッグストアで一番色の薄い毛染め剤を買ってきて自分で染めてみた。

すると金髪になった。

夫は驚いていたが、私は悪くないと思った。

それで、そのままイギリスを旅行した

夫は、イギリスで私を探すのに苦労したという。

というのが、彼の国は基本金髪の国なので、
私のような白髪交じりの金髪は掃いて捨てるほどいる。

私は身長が160センチあるから、
日本では同年齢の人たちの中に入ると高身長の部類になる。

が、彼の国では、私と同年配の女性たちは私くらいの身長なのである。

それで日本にいるときよりも私を探すのに苦労したというわけだった。

それ以後は、ずっと金髪を続けている。

金髪でいいことは、毛染めをさぼっても白髪が目立たないということである。

それと、黒とか茶色に染めるときは
綺麗に染まらないと汚く見えるから美容院に行かないといけなかったが、
金髪だと適当に染めても、それほど汚く見えない。

それで気が向いたときに自分で染めるようになった。

全体染めをするのではなく、クリームタイプの毛染め剤で表面をさっと染めるのである。

金髪の場合は、まだらであっても、それはそれで趣がある。

毛染めも美容院でやってもらうと結構な金額がかかるから助かる。

その代わり、止めていたパーマを復活した。

全体染めをするわけでないから髪の毛もそれほど傷まない。

だから、パーマをかけても髪にそれほど負担がかからない。

金髪にはカールがかかっているほうが似合う。

私は、しばらくはこのやり方でいこうと思っている。

*

☆憧れのグレーヘヤーにしてみたが大地真央にはなれず諦む

☆真つ白にならずに哀れ灰色の老婆となれることを知りたり

☆見た目まで老婆になりたくなきわれはしばし金髪女でをらむ

☆まだ女捨てきれざれば灰色は八十歳になり受け入れむ

本当に幸せな人は自慢話はしない

2019-05-22 20:49:58 | ブログ記事
昨日の記事「来るものは拒まず去る者は追わず」の続きになります。

昨日は自慢話は控えよと書きましたが、
考えてみれば、本当に幸せな人は自慢話をしませんね。

自分が満たされていれば、自慢の必要がないからです。

自慢するのは、自分の幸せに自信を持てない人がすると気づきました。

本当の幸せをつかんでいないから、
人に吹聴することで、自己満足しているのかもしれません。

だから、聞かせてもらうほうも不快な気分になるのだと思います。

が、自慢話でも、あまり不快にならないのもありますね。

それは人に嫌がらせをしようとする気持ちのない自慢話かもしれません。

今から書くことは私の自慢話ですので、自慢話を聞くのが嫌な方はスルーしてください。

私の父方祖父は、学歴のない人でした。

学歴はなかったけれど、がんばって大きなお店の主になりました。

が、ある程度の成功は収めたけれど、役人には頭が上がらなかったので、
自分の三人の息子には大学教育を受けさせて公務員にしました。

それが祖父には自慢でした。

ですから、祖父は、人がくれば、三人の息子の自慢をしていたらしいです。

が、そのことを、人からあまり悪く思われなかったのは、
人々は祖父がどれだけ努力する人だったか見ていたし、
成功を収めてからは、赤の他人の苦学生何人かに資金援助して大学に行かせたからでした。

祖父が死の床に就いたときは、
祖父が資金援助をして医師になった人が駆けつけてくれたらしいです。

そういう生き様でしたから、
自分の息子の自慢をしても、人から悪く言われることがなかったのだと思います。

祖父は、自分は学歴がなかったのでしたが、
高知一の秀才の集まる土佐中学という旧制中学の校長先生とも親友でしたから、
私の父の在校時はPTA会長などもしていたそうです。

長年町内会長もして高知市に貢献したからか、名誉市民の表彰も受けています。

町内の人たちからの人望も厚く、
私が子供の頃は、街の人たちからそれなりに遇されたのも祖父のおかげでした。

どこの親戚の家に行っても歓待されたのも、祖父のおかげだったと思います。

祖父は田舎から親戚が訪ねてくると、
ご飯時でなくても必ず「飯は食ったか」と聞いていたそうです。

そしてお腹を空かせている人がいたら、
すぐに祖母に命じて食事の支度をさせたと聞いていますから、
親戚の人たちにも慕われていたんだと思います。

これは父方だけでなく、母方の祖母も同様でした。

叔父(母の弟)の奥さんはサラリーマン家庭の娘でしたから、
ご飯はきっちりしか炊きません。

すると祖母が叱るのです。

いつどんな状態の人が訪ねてくるかもわからないから、
ご飯は常に多めに炊いておくようにと。

そのせいか、父方の祖父の家も、母方の実家も来客の絶えない家でした。

以上、私の自慢話でした。

そう、私は自分に自信が持てないから、
祖父母たちのことを書いて自慢して自己満足しているのです。

来るものは拒まず去る者は追わず

2019-05-21 21:41:01 | ブログ記事
今日は新たに読者登録してくださった方がいました。
ありがとうございます。
私も読者登録させていただきました。

が、一方、数日前に読者登録してくださった方が
読者登録の解除をされていました。

われながら毎日つまらぬことを書いていますから、
解除された方のお気持ちはよくわかります。

が、ただ困るのは、私は、その方の記事を読ませていただきたいから、
そのまま読者登録を続けさせていただきたいことです。

こういうときは、どうすればいいのでしょうね。

実は1か月くらい前にも解除された方がおられました。

その方は、私が夫と別居した辺りから読者登録してくださいましたが、
私が別居を解除したのと同時に読者登録も解除されましたので、
解除された理由もわかりやすかったし、私も解除させていただいたのでしたが、
そうでないケースのときは、少し考えてしまうときもあります。

が、そういうことがあっても、
このblogは自分のblogですから、自分の書きたいことを書き続けるのみです。

私も多少は読んでくださる方々のことも意識していますが、
しかし、迎合するような書き方はしたくないです。

私は人間ができていないから、悩みもいっぱい書きます。

こんな暗い記事を読みたくないと思われる方は
明るい前向きの記事を書くblogを読まれたらと思います。

私が書きたいように書くのと同様に、
読まれる方も読みたいblogを読まれたほうが、その人のためだと思います。

だけど、おもしろいですね。

私が別居して苦しんで?いるときに、
その暗い記事をお読みになりたくて読者登録される方もいられるのですから。

ここらあたりも、広い意味で、blogの醍醐味かもしれませんね。

人の不幸は蜜の味って言葉がありますが、
blogは、不幸な目に遭っているblogも、それなりに需要?があるし、

明るいblogも、もちろん需要があります。

私は、自分のほうから読者登録を解除したことはありませんが、
しかし、前のblogで読者登録させていただいていたブロガーさんの記事が、
いつもご自分のご家族の幸せな場面ばかり載せられるので、
少し鼻白んだことはありました。

いつも奥様を最大限に褒められて、お嬢さん、お孫さんのことも自慢されるのが、
面白くなくなったと書くと、私の僻み根性だとお叱りを受けるでしょうか。

その方は、とってもいい方でしたから、
ご家族に対してもそうであられて、
それで奥様にもお嬢様にもお孫さん達にも信頼されていて、
自慢したくなるようなご家族関係であられたとは思います。

でも、そのことをぬけぬけ記事にされると、
読ませていただくほうは、ちょっと鼻白んでしまうのですね。

blogって、深いですね。

自分が記事を書くことも自分を顧みるよすがになりますが、
人様の記事を読ませていただくことでも、
自分を顧みることができます。

もちろん、ただ単に読ませていただくだけの楽しみもありますが、
生の人間関係と同じく、
人生勉強もさせていただけるのがblogのありがたみです。

ということで、blogの読者登録は、
今後とも、
来るものは拒まず、去る者は追わずで運営してまいりたいと思います。

*

☆幸せであらぬ家族もゐることを考へ書くな自(し)の幸せを

☆世間には不幸な家の多ければ己の幸せばかりを書くな

☆嫁さんの自慢は少し控へめにするがよろしく多すぎは悪し

☆己の子おのれの孫の可愛さは人に言ふべきものにはあらず

☆わがふりは人のふりみて直さむと人の自慢を聞きつつ思ふ

☆blogとは自慢するためあるものであらずば自慢すこし控えよ

高知で買ってきた淡竹と鶏肉の炊合せ

2019-05-20 17:13:47 | ブログ記事
blog友さんの記事を拝見すると、
「鰹のアラ。」と題して、
鰹のアラと淡竹とえんどう豆を炊いたものをアップされていたから、
私の作ったのは鶏もも肉と淡竹の炊き合わせですが、アップします。

えんどう豆も買ってきたのですが、
それは昨夜の夕食に鰹節と昆布の出汁で上品に味付けました。

昨夜は疲れていましたが、
私達の年代になると、
外で食べて帰るより、家に直行して、食べたらすぐに寝られるほうを選びます。

昨夜は、
出発する前に、おにぎりを作ってラップに包んで冷蔵庫に入れてあったものを電子レンジで温めて、
同じく冷蔵庫に入れてあった味噌汁を温めて、
あと、生協で買ってあった冷凍の餃子を焼いておかずにして夕食にしました。

餃子を焼いている隣で、
高知の南国市の道の駅で買ってきたえんどう豆を煮て、これも食卓に。

昨夜、夫は山盛りのえんどう豆を食べました。

今朝は、これも南国市の道の駅で買ってきた淡竹を湯がいて、
鶏もも肉と甘辛く炊いたのでした。

昨夜も今日も、高知で買ってきた野菜を食べられる幸せを噛みしめています。

blog友さんの記事には、よく土佐独特の料理が出てくるので、
それを見せてもらうだけでも元気がもらえます。

これもblogのおまけというか、お楽しみです。

買ってきた土佐小夏は、まだ食べていませんが、
これは、冷蔵庫に冷やして、ぼちぼち食べることにします。

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☆楽しみは故郷高知で買(こ)ふてこし野菜料理をして食べること

☆土佐小夏冷やしてのちに食はむかな義母の好物なりし小夏は

☆土佐小夏五箱買ひきて届けたり夫の従姉と夫の妹(いもと)に

☆母の日の贈り物へのお返しに娘の家には宅急便で

☆近在に離れて住める息子らに後日とどけてやらむ小夏は

☆八十を六つ超えたる義従姉はアルツハイマー患ひてをり

☆昨年の春にその夫うしなひて未亡人になりゐし義妹

☆年取れば相手見送り未亡人あるひは相手に見送られ死ぬ

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昨日炊いたえんどう豆の残りは卵とじにしました。 

雑草も花の季節

2019-05-20 12:19:04 | ブログ記事
私は雑草の花が好きである。

手入れしないでも勝手に咲いているのが好もしく思えるから。

それなのに、人は雑草と蔑んで、すぐに抜く。

それでいて、高山に咲く花々は「お花畑」などと呼んで珍重する。

それなら、私達の住んでいる傍にひっそり咲いている雑草の花も愛でてやればいいのにと私は思う。

お隣と我が家の間に咲いているカタバミの花。↓

これは名前を知らないが、広範囲に咲いている。

もうすぐドクダミの花も咲く。

これは昨年、娘が母の日に送ってくれた寄せ植えの中の一つで、一つ咲いた。
これから梅雨のシーズンに紫色の花をいっぱい咲かせてくれるだろう。
雨の日には紫色とか白色の花が映える。

↓こちらは葵の花で、草ではないが、
ほったらかしにしておいても勝手に咲いてくれるところは草のようだ。

これはマーガレットだが、私が植えたわけではなく、勝手に咲いているから、やはり草?(笑)

同じくほったらかしの葵の花。こちらは赤色。

草の花ではないが、
おまけで、昨日、高知の道の駅で買って仏壇に飾ったカーネイションの花。↓
お花があると、暗い仏間がぐっと華やぐ。

             *

☆自己主張しない小さな雑草の花が好きなり抜かずに咲かす

☆名も知らぬ花が蔓延る隣家と我が家の境は雑草の領

☆カタバミの薄桃色の花が好きカタバミ漢字で書けば酢漿草

☆桃色に咲く酢漿草の正式の名称ムラサキカタバミらしき

☆咲く花が黄色であれば簡単にカタバミと呼び酢漿草と書く

☆酢漿草の葉は人の歯で噛まるれば酸ゆき汁出すゆゑに酢漿草

☆梅雨入りのやうな五月の二十日なりドクダミ、アジサイともに蕾を

☆ドクダミは毒出す薬になるゆゑにドクダミといふ名を付けられし

☆ドクダミが蕾を付けるころ裏のアジサイの額むらさき色に

☆アジサイの花と呼ばれるアジサイの額ももうすぐ紫に咲く

☆酢漿草のむらさき裏のアジサイとともに雨降る季節彩る

☆仏壇に買ひこしカーネイションの花あか桃色とその混ざりし色

☆母の日は過ぎて母の日色をした赤色カーネイション買ひて帰れり