かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

いい人の反動は怖い?

2019-08-31 11:09:58 | ブログ記事
さきほどのコメント返しにも書いたが、夫は子供の頃から優等生で通っていた。

そのせいか、人から批判的なことを書かれたら逆上する。

今回も、私が帰宅したあとの夫の様子を書いたのが夫の逆鱗に触れたようである。

褒められるのに慣れているから、
人から少しでも批判的に書かれることには耐えられないのだろう。

だから、私も、夫を褒めるだけに徹すれば問題は起こらないだろう。

が、私も人間だから、つい本当のことを書いてしまう。

また、それを書きたいからブログを書いているとも言える。

また、私には、いいことばかり書いているblogは胡散臭く思える。

人間、いくらいい人でも、見方を変えれば、そうでない部分もあるはずだから。

それにしても、夫婦不和でいると、身体も変になってくる。

ということで、いま、旅行から帰宅した直後に書いた記事は保留にした。

また夫が読んで、夫が<思いだし怒り>を催したら困るから。

娘が来たときに書いた記事で、娘の逆鱗に触れた記事も探して保留にしようと思う。

とにかく家族には読みに来られたくない。

全然悪口でもないことでも怒ったりされるのだから。



★悪口を書いたわけではあらざるにわたしの家族の過剰反応

★読まないでと頼んでゐるのに読んでゐる証拠に怒るわが夫

★読まれたくなき最右翼家族なり書きつつ読むなと念じてをりぬ

外ではいい人なのに、なぜ?

2019-08-31 04:58:06 | ブログ記事
私には、これほど高圧的になるのでしょう。

他所の女性には、そこまで親切にしてあげることもないと思うほど、親切です。

また気も使います。

その反動のように、私には厳しいのです。

前も書きましたが、
お向かいの娘さん(といっても50歳くらい)には頼まれたら灯油とかも買ってきたりしてあげます。

それなのに、私が病院に行くときに車で送ってくれたりしたことはありません。

私が大腸癌の手術を受けて退院したときは、
テニスの約束があるからと迎えに来てくれませんでした。

私は前日に海外旅行用の大型トランクをもってきてもらって、
それに荷物をまとめて一人で退院しました。

心臓に人工弁を入れている私は血液を固まりにくくするワーファリンという薬を常用しています。

大腸癌の手術をした翌月、そのワーファリンの作用だったと思うのですが、
数日、血尿が出ていて、次の診察日が近いからと様子見しているうちに、
トイレで気を失ったことがありました。

幸い意識を回復することができたので、仕事中だった夫にメール連絡をすると、
夫からは「仕事中だから帰れない」と返信がありました。

が、そのころ夫は、私の義叔父の会社に勤めていましたから、
それを聞いた義叔父が「すぐ帰ってやれ」と言ってくれて帰ってきてくれました。

病院に行くと出血多量で危うく死ぬところだったと言われて即入院になりました。

すぐに輸血をしていただいて一命を取り留めましたが、
今となれば、あのとき死んでいたらと思います。

59歳でした。

まだ母も兄も生きていました。

私が死んでいたら、ひょっとしたら、兄は神様がもっと長生きさせてくれたかもしれません。

あの時死ねていたら、
その後、うつ病になり、
そのとき服用した精神薬でまた死ぬ思いをすることもありませんでした。

しかし、死ななくてよかったこともありました。

そのとき生還したから、その後、先日来ていた娘の二番目の子も産まれましたし、
次男も結婚をして、その子(4番目の孫)にも会えました。

最近は、貧乏旅行ですが、旅行もできています。

若いころは帰省すら許してもらえず、旅行などはご法度でした。

その意味では、今は幸せかもしれません。

が、もういつ死んでもいいという気持ちではいます。



★いい人と思はれるため努力する夫よ妻にいい人であれ

★認知症なりし義理母看取らせて今よそのひと大事にするや

★退院のお迎へ来ずにお向かひの灯油を運ぶ人がわが夫(つま)

★ロケットを飛ばすと日夜二階にて作業してゐる人がわが夫

★熱中をしてゐる夫を後目にしblogを書けば書くなと言へり

★妻であるわれの楽しみblogにてblog書くなと言ふてはならぬ

★ロケットを打ち上げることblog書きアップすることどこか似てゐる



落ち着いて考えてみれば夫の言いがかり

2019-08-30 17:45:39 | ブログ記事
私のblogのどこに夫に殴られなければならないような記事があるのだろう。

夫は、ひょっとして、今仕事がうまくいっていないのかもしれない。

一昨年の秋も、
まだ実家の母が生きていたころ、定期的に帰省しようとしていたときに

いきなり理由もなく殴りかかってきて、

幸い殴られはしなかったが、私は胸がどきどきした。

が、帰省することになっていたから、そのまま帰省した。

母とホテルで2泊したが、とてもそのまま家に帰る気になれなかった。

それで高知から夜行バスで東京の娘のところに行った。

が、娘も孫のことで悩み事がいっぱいみたいだったから、泊まらず、
そのまま電車に乗って熱海まで行って、熱海で泊まった。

熱海で一泊しても、まだ帰宅する気が起きなかったから、
今度は近江八幡の長男のところに泊めてもらった。

その次の日にやっと帰宅した。

そうすると、夫はケロッとしていて、
「仕事をトラブったから気が立っていた」という。

それで事情がわかったが、しかし、そのたびに殴られてはたまらない。

今日も仕事がうまくいっていないから私に難癖をつけたのかもしれない。

そうとしか考えられない。

しかし、現在、夫はお金儲けになる仕事はしていないはずだ。

ロケットを飛ばすとかいって2階の部屋には工作物みたいなもの作りかけておいてある。

その工作物が2階の廊下も占領しているから、
私が昨日、「家の中でこういう作業をしないでほしい」と頼むと、夫は猛烈に怒った。

自分の家で何をしようが勝手ではないかと。

そのときも、なぜ夫はこんなに怒るのかといぶかしく思った。

私は、あれは夫の楽しみみたいなものではないかと思っているが、
楽しみなら、うまくいかなくても、私に鬱憤を吐き出すことはやめてほしい。

義母もそうだったが、夫は、機嫌のいいときは、無駄にはしゃいだりするが、
突然、理由もなく怒るときがある。

そんなときに何か言うと余計逆上するから黙っているが、
しかし、暴力を振るわれることだけは勘弁願いたい。

ものすごく稼いでくれるとかなら、まだ我慢のしようもあるが・・・。



今日の最初の不機嫌は、
私が昼食の時に、
「今度一緒に東北に行きましょう。あなたも金色堂とか行きたいと言ってたでしょ」と
夫を喜ばせてやろうと言ったときのことだ。

夫は、「ブログにあんなことを書かれて、どうして一緒に行けるかっ」と怒鳴ったのだ。

それで私が、「そんな怒られるようなことは書いていませんよ」と言うと、
いきなり私を殴ろうしたのだった。

ほんと、わけわからんわ



★怒られることは書いてはをらざるに突然おこる人がわが夫

★書くことが妻のわたしの楽しみであれば書かせるべしblog記事

★八つ当たりされるがために傍にゐる妻ではあらぬ朝顔の花

★殴る真似されて殴られなけれども殴らるるに似た憎しみは湧く

★暴力を使ふ素振りを見せられて妻は黙せり文句も言へず

「心は自由でありたい」

2019-08-30 14:29:42 | ブログ記事
というblog記事を読ませていただいた。

今も夫は私を殴ろうとした。

が、夫が殴っても私の心までは束縛できない。

私の思うことを止めることはできない。

私の書くことも止めることはできない。

私自身、自分の書くことを自分で止められない。

心は死ぬまで自由でいたい。

たとえ、明日死ぬとしても。



★暴力で止めざりえざりしわが自由わが書くこともわが息の根も

★書かざればすでに死にたる心地して書きて命を紡ぐわれかも

★書くことは書く自らも止めえざることにてわれのこの手は書けり

blogをやめるか、離婚するか

2019-08-30 13:40:54 | ブログ記事
というのが、
私はblogを書かなかったら生きていられないくらいblogが大切なのです。

が、家族にすれば、自分のことが書かれることが耐えられないらしいのです。

特に悪口を書いているわけでなく、思ったことを書いているんですけどね。

今も、また殴りたくなったと言われました。

どうして、そんなふうに思うんでしょう。

じゃ、嘘でもいいから褒めればいい?

世の中には褒め殺しという言葉があって、あまり褒められるとスポイルされることもあります。

私は、本当のことを言ってもらえるのが、一番その人のためになると思うんですけどね。

夫と娘には先月も「読まないで」と頼んだところですが、その後も読んでいたんでしょうね。

私が若い頃に苦労したことを書けば、
それがそのまま義母とか義妹の悪口のようになることは、これは仕方ないと思います。

ええ、お世話にもなりましたよ。

しかし、元気だった頃の義母は問答無用のところがありましたから、
本当につらかったです。

年に一度の帰省すら、私が泣き始めるまで私を責めました。

のちに、義母は、
自分に実家がなくなっていたから嫁の私の帰省が許せなかったと謝ってくれましたが、
「時すでに遅し」でした。

謝ってくれたときには、
私を溺愛してくれていた祖父母も亡くなっていましたし、
私を娘のようにかわいがってくれていた叔母も亡くなっていました。

お正月などは、みな私が帰省させてもらえないことを祖父母も叔母も悲しみました。

私の実家の両親は言うに及ばずでした。

とにかく結婚して10年くらいは実家に帰りたくて帰りたくて泣きました。

両親、祖父母に会いたいのと同じくらい友達にも会いたかったです。

10年くらい経って、やっと私より1歳年上の義妹が車で1時間くらい場所に嫁ぎましたが、
義妹は実家に入り浸りでした。

子供ができたら、子連れで入り浸っていました。

私は羨ましくてたまりませんでした。

どうしてあんなに意地悪されたのか、今もって不思議です。

私が難聴だったから、どんなに虐めても構わないと思ったんでしょうか。

今思い出しても涙が出てきます。

団塊の世代だった私達は、
適齢期のころは適齢期の男性一人に適齢期の女性はトラックいっぱいと言われていました。

義妹も団塊の世代でしたから嫁ぎ遅れていたのでしたが、
私は、難聴であったにも関わらず嫁いできたから目障りだったのでしょう。

私は結婚するまでは比較的大事にされて育ちましたから、
そんなふうに虐められても、どうすればいいかわかりませんでした。

それで余計虐めやすかったかもしれません。

そのころは、夫が私をかばってくれていましたが、
今は、私が、そのころのことを言っただけで怒ります。

昔のことを言うなと言われますが、私にとっては昔のことでありながら今に繋がっています。

私の過去を否定されるのなら、離婚しかないかと考えます。

離婚すれば、それはそれで大変だと思うけれど、しかし、なんとかなるかもしれないし。



★離婚して得られるならば離婚せむ今ほしいのは自由であれば

★過去のこと言ふなと言へる夫には過去のわたしの悲しみ見えず

★過去はまだ消えたわけではあらざれば君には言はむ過去の哀しみ

★消えざるは君の母への悔しさと君の妹(いもと)の意地悪な口

★難聴の難儀を知らず難聴のわれを蔑み苛めし人ら

短歌は一度はじめたらやめられないと言いますが

2019-08-30 12:55:19 | ブログ記事
blogもそうみたいですね。

私も、一度やめてみたけれど、すぐにまた書き始めました。

私がblogを始めたころ、
ずっと前に、とあるメーリングリストで知り合った人のブロ友さんだった人のblogを
読ませていただくようになっていたのでしたが、
あるとき、そのブロガーさんは止められました。

すごく残念に思っていたのでしたが、
しかし、最近、偶然また復活されたblogを見つけたのです。

これって、やはりご縁があったということなんでしょうかね。

やはり思い続けていたら、神様が引き合わせてくださるのでしょうか?

世の中には、blogの数も、無限と言ってもいいくらいたくさんありますが、
やはり年代とか、趣味とかで、また繋がるのかもしれませんね。


こういうふうに、
blogという交流サイトができたこと自体、既に神様の仕業のような気もします。

でも、blogを続けることの一番のネックになるのは家族ですね。

実は、今も夫にひどく叱られてしまいました。

夫の悪口を書いてあったから、また私を殴りたくなったそうです。

そんな悪口を書いた覚えはないんですけどね。

やっぱり、私も、またblog作り変えるかな。



★やめられし人のblogを見つけたりかつて愛読してゐし人の

★匿名でありてもわかる特徴があれば特定blogをフォロー

★つくりかへ逃げても逃げても追ひかけて読みにくるなり夫とむすめは

★その記事に文句をつけて怒るのは夫と娘ふたりは親子

★殴りたくなつたと言ひて殴る真似するわが夫われをにらみて

眞子様が手話でご挨拶

2019-08-29 23:13:34 | ブログ記事

という動画を見つけたから、ご紹介させてください。

眞子さま 手話であいさつ

私は聴覚障碍者ですが、手話はできません。

が、この眞子さまの手話が素晴らしいものであることはわかります。

こんな素晴らしい手話のできるお姫様は日本の宝です。

国民のわがままを言わせていただければ、

眞子様には降嫁されずに、ずっと皇室にとどまっていただき、

悠仁様の御代を支えていただきたく存じます。

話は変わりますが、

今朝、BSテレビで「戦艦大和」を見ていたのでしたが、

戦艦大和は二重構造になっていたから、撃たれても沈まないのが特徴でした。

しかし、

そうなったとき、乗組員に盲腸の手術を受ける者が続出したそう。

なぜなら、撃ち込まれた時、乗組員は船の中に缶詰になり、

外の音を聞くことができなくなることでストレスを感じて盲腸になったのだそう。

盲腸にはストレスも関係していたのですね。

それを聞いて、

人間は外の音を聞いていないと不安に駆られてストレスを感じるものだと知り、

私が鬱病になりやすい原因がわかりました。

聞こえないと、いろんな場面で不安に駆られます。

せめて私も手話ができればいいのですが・・・。


「古典和歌の生命力」・・・2019年「塔」全国大会より

2019-08-29 14:51:08 | ブログ記事

旅日記以上に読者を減らすのが趣味の短歌の記事であることは承知しています

が、 

自分の備忘のために書きますから、興味のある方に読んでいただければと思います。

8月24日の短歌結社「塔」の全国大会の2部の対談の記録になりますが、

2部になると、

聞かせていただくほうも集中力が切れて、聞き流しがちでした。

ですから、不完全な記録です。

今回の対談は「コスモス」の小島ゆかりさんと「塔」主宰の吉川宏志さんでした。

題して『古典和歌の生命力』

昨日の記事「2019年「塔」全国大会備忘録」と同様に、

要約筆記したものを読ませていただいての記事になることを予めお断りしておきます。

レジュメは最初に配られていたから、

その写真(どういうわけか横向きになってしまった)を再掲載させていただきます。

【恋の荷物】

昔は歌を詠むということは大事なことだったから、

次のように、

叔母さんである坂上郎女が甥の大伴家持に次のような歌を贈って、

〇片思(かたおもひ)をふつまに負(お)ほせ持て越部に遣らば人かたはむか

坂上郎女

甥の大友家持に次のような返歌をさせて、歌の贈答の練習をさせている?

〇常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来(こひこ)ば担(にな)ひあへむかも

大伴家持

「ふつまに」というのはどっさりという意味。漢字で書けば「太馬」か。

「かたはむか」は「詐はむか」。

歌意は、

(坂上郎女)片思いの気持ちをいっぱい馬に載せて越の国に遣れば、人はどのように答えるか。

(大伴家持)常の恋で手いっぱいなのに、都から馬で恋を寄こされたら担いあぐねます。

というあたりか。

この万葉集の歌を下敷きにして、

馬場あき子さんは次のような歌を詠われている。

〇父といふ恋の重荷に似たるもの失ひて菊は咲くべくなりぬ

馬場あき子

また、高校生万葉短歌バトルでは、

高校生は次のような歌にしている。

〇片思ひいつも寂しい風が吹くときに熱(ほめ)きて球体となり

 高3生

この高校生の歌には、あまりの上手さに驚かされる。(びこの感想)

和歌は目に見えない恋とか心を実体にするのが面白い。

古今集などは行儀のよい歌ばかりだが、個人の歌集にはエロチックな歌もあったりする。(by小島ゆかりさん)

 

【韻律の妙】

〇あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月

明恵『明恵上人集』

レッドでなく、明るいことを詠っている。

身体は言葉を持たない。月を見たときの身体の言葉。

「本当に月は明るいなあ」

華厳宗 月輪

〇あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

斎藤茂吉『あらたま』

〇年たけてまた越ゆべしと思ひきやいのちなりけり小夜の中山

西行『新古今集』

 

【俗世の力】

〇行きなやむ牛のあゆみに立つ塵の風さへ暑き夏の小車(をぐるま)

藤原定家『玉葉集』

昔もこんなに暑かったんだ。

俗世に力点を置いた歌。

〇寒き夜肉焼きて食ひ酒のめり生まれて、食ひて、生きて、老いて、去る

高野公彦『地中銀河』

ロマンチック、シュールも好きだけど、一方で俗に満ちたものを作る気持ち

(by、小島ゆかりさん)

【あはれ(身にしむ)】

〇月をこそながめなれしか星の夜の深きあはれをこよひ知りぬる

建礼門院右京大夫『玉葉集』

月夜のように月がきれいだと飽くまで主役は月。星の美しさを発見した歌。

〇さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり

河野裕子『歩く』

この世の他を見た人でないとできない歌。(by、小島ゆかりさん)

「身に沁みる」とか「しみじみ」とかという言葉が現代短歌では忘れられている。

 ①梅の花にほひをうつす袖の上に軒漏る月の影ぞあらそふ

藤原定家『新古今和歌集』

梅の香りと月光を競わせている。

「ふせろう」=お香を炊いた上に籠を伏せて、その上に着物を置いて匂いをつける。

体臭消し、防虫の目的以外に、男が忍んできたとき間違えないようにするため。

昔の夜は月の明かりだけで暗かったから、そうしていた。

当時の嗅覚を想像しないと読めない。

今の感覚で読んではいけない。

一度自分の感覚を消して読む必要がある。

②夜昼と人はこのごろたづねきて夏に知られぬ宿の真清水

藤原定家『拾遺愚集』

③こととなく君恋ひわたる橋の上にあらそふものは月の影のみ

西行『山家集』

友人と別れるときの歌。

物思いに更けているのは月とわれ。

④墓石と竹藪照らししづかなり月を離れし月の光は

伊藤一彦『月の夜声』

⑤ひきかへて花見る春は夜はなく月見る秋は昼なからなん

西行『山家集』

⑥うれしやと待つ人ごとに思ふらん山の端出づる秋の夜の月

西行『山家集』

同時刻に都の人も嬉しいと思っているんだろうなあ。

 ⑦うき世とやあだに契りし山桜まがふも峰に消ゆる白雪

『俊成卿女集』

 ⑧都鳥沖へ去りゆく夕暮れをみておりわれと昔男と

馬場あき子『ふぶき浜』

馬場さんの女歌。

古典和歌を読むことで現代和歌とは違うリズムが身に付く。

⑨山里のあはれをそふる夕霧に立ち出でん空もなき心地して

紫式部『源氏物語』夕霧

 『源氏物語』は物語が面白いから物語の中の歌は鑑賞あまりされないが、

もっと鑑賞しないともったいない。

⑩雲払う風のコスモス街道に母の手をひく母はわが母

小高賢『本所両国』

母の手をひいて「この人は本当にかけがえのない人なんだ」と。

以上です。


「俳句は叙事より写生」というタイトルを見たが

2019-08-29 09:14:25 | ブログ記事

短歌もそういうふうに言われている。

が、私に言わせれば、

「別に叙事であっても写生であってもいいんじゃない?」

である。

叙事であっても優れたものは優れているし、

写生であってもつまらないものはつまらない。

大体が、こんなふうに「叙事より写生」と決めつけることが間違っている。

もっと言わせてもらえれば、

私は、

短歌に選者という歌を撰する人間がいるのが間違っていると思っている。

短歌は詠む人もさまざまであるが、同時に読む人もさまざまである。

ある人を感動させる歌も、別の人には感動を催させないということは当然ありうる。

それなのに、選者と呼ばれて崇められている先生たちに選などされたくない。

殊に人生経験の乏しい若い選者には選を受けたくない。

世の中のことが十分わかっていない人に年寄りの気持ちがわかるとはとても思えないから。

たとえ歌歴が長くても、若さは未熟である。

若さゆえの輝きはあっても人様の歌を選別するほどの懐の深さは持ちえない。

もっとはっきり言わせてもらえれば、

未熟な人が人生経験豊富な人の歌の選をすることは傲慢であるとさえいえる。

「若輩」という言葉はそのことを端的に示している。

が、

それを短歌界は許している。

おそらく俳句界も同様であろう。

なぜこういうふうになっているのか、

誰も疑問に思わないところが疑問だ。

いや、疑問に思っていても言えない風潮が疑問なのだ。

こういうところは、未だに旧態依然としているところがある。

短歌は伝統の文芸ではあるが、

しかし、現代は、口語短歌も隆盛を極めているのだから、

結社等の運営も、もう少し柔軟にしたほうがいいと思う。

若い選者を起用することの是非はともかく、

運営自体が旧態依然としているのだ。

もとのタイトルに戻るが、

短歌は写生の文芸だという決めつけ方も思い込みが過ぎる。

ほかにも、こういう思い込みによる決めつけはあるが、

また気づいたときに書きたいと思う。


2019年「塔」全国大会備忘録

2019-08-28 10:38:12 | ブログ記事

また結社誌に発表されると思いますが、

自分なりにまとめておきたいと思って書きました。

まず最初は、高橋源一郎氏の講演。

題して、『日本文学盛衰史・平成後半』

私は、要約筆記されたものを読ませていただいての記録になります。

韓国のことについてのお話は個人的に宜えない話ではありましたし、

戦時の原爆の話も初めて聞いた話なので、にわかには信じがたいですが、

しかし、

全体的に非常に興味深い面白い話でありました。

この面白さの源は高橋氏の膨大な読書量ということも話の中でわかりました。

聞き間違い、読み間違いもあると思うから、文責はもてませんが、

お読みになりたい方は、どうぞ。

箇条書きで書きます。

最初の出だしは、高橋氏のごく近辺の話題から始まったが、

これが話功者の話し方なのかもしれない。

登山のように、裾野から始めるのである。

まず高橋氏はダイエットのため朝食を摂らない話から始められた。

朝食を食べないにも関わらず、

今日は駅弁を買い忘れて昼食も食べていないから、

途中で燃料切れを起こすかもしれないと笑わせておいてから、

自分の話し方の特徴を紹介された。

高橋氏は大学の先生もされているが、

授業では歩き回りながら話をされるそう。

マグロのように動き回らないと話ができない。

それで、一回あたり1万3千キロカロリーくらい消費すると。

ADHD(注意欠陥多重性障害?)だと言われる。

得意技は、その場の人達の平均年齢がわかること。

今日のこの場所の平均年齢は69、8歳プラスマイナス0,5歳くらい。

全体の色でわかる。

講演は枕が大事で、軽い話や土地の話とか、その日にあったこととかから始める。

西日本には読売ジャイアンツの嫌いな人が多い。

弟は長年肉体労働に従事してきたから膝が悪い。

膝をかばっているうちに筋肉も悪くなった。

人工関節を入れているが手術しても15年くらいしかもたない。

弟はスマホデビューしたが、私はパソコンとガラケー。

いま会っておかないと会えなくなるかもしれないから、

お母さんのお骨はまだ納骨していないが、

戦争で亡くなった叔父さん達のため、お墓の話し合いをしようと会った。

お母さん方の叔父さん二人が戦死している。

上の叔父さんはシベリアで亡くなっている。

中国戦線で捕まってシベリアに送られたことが靖国神社のデータベースでわかった。

シベリアの奥地の収容所で亡くなったことがわかった。

靖国神社のデータベースは厚労省にも直結している。

シベリアの収容所では寒い日に大量に亡くなった。

下の叔父さんはフィリピンで亡くなる。

お母さんの遺族年金の日付と死亡場所が二つずつなのを不審に思っていたら、

その日付はフィリッピン戦争の始まった日とフィリッピンでの最後の戦闘地と日付。

フィリッピン戦争の戦死率80%。

小隊ごと、部隊ごと、だいたいがゼロ。

従軍していた看護婦さんも亡くなる。

一番死んだのがフィリッピン人で百万人くらい死んだ。

大岡正平の『野火』は小説の世界の話ではなく事実で、生き延びた人は人肉を食った人達。

小説家として書くためには、考えるためには、過去を知る必要がある。

大正文学篇は書けなかった。書く気が湧いてこない。

新潮に書いた昭和篇として「ヒロヒト」を書いた。

それまでは天皇廃止論者であったが、

何か言うのなら、100倍勉強しないといけない。

3日間くらいぶっとうして話すなら、1万2千冊くらいの文献が必要。

奥さんの実家に、そのための本棚を作った。

最近やっと自分が無知であることがわかる程度に進化した。

過去を探ると未来が見えてくる。

日本は原爆を落とされたことばかり言うが、

実は日本でも原爆は作っていた。

陸軍、海軍が別々に作っていた。

陸軍は東大。海軍は京大というふうに。

が、金がかかる。

ドイツとアメリカと日本で競争。

日本でも作るのは可能だったが、金がかかるから不可能だった。

放射能で被爆することもわかっていた。

日本も作ったら落とす気まんまんだった。

一方的に被害を受けたと言っているが、

作って落としたら万々歳だった。

「そうであったろう過去」

その過去まで戻ると今の世界が違って見える。

庶民は原爆を作っていたことを知っていた。

歴史学者は調べる。

僕らは、その上に、よりよい未来を。

最近の日韓関係はヤバい。

この3か月間、450冊の本を買って、ずっと読んでいる。

同時に世界の教科書を読んでいる。

教科書関係を180冊くらい買った。

教科書は面白い。

教科書は退屈なものだが、字が書いてあったら何でも読む。

一年生、「みんなのせかい」「みんなともだち」

これは日本だけ。

よその国の教科書は違う。

韓国の教科書が一番おもしろい。

日本のはつまらない。

韓国の高校歴史教科書は魂があって、生きる意味を探せる。

歴史なくして魂はない。

歴史は、過去を探索ではなく、未来。

過去と関わり合いのないものは存在しない。

書いてあるもので一番大切なことは「声」である。

文体ではなく、ヴォイス、これが大事。

小説にも、評論にも、エッセイにも、まともなものには「声」がある。

ただの文章ではなく、ヴォイスになっているかどうか。

教科書には各国のヴォイスがある。

最近さかんなSNSは文の生産量は上がったが、読まれていない。

過去の声に耳を傾けると、自分のためのものがある。

韓国のはヒューマン。

小沢一郎は嫌いだったが、本を読んで好きになった。

安倍さんの本は可哀そう。

読まれたら困るから、ほとんどが絶版になっている。

短歌なんて、この声そのもの。

短歌は歌だからオールヴォイスである。

声を受けて送り届けることがDNA。

短歌は2000年つづいている。

小説は何百年。

比較にならない。

国家にも声がある。

教科書は検討に検討を重ねて作ってある。

韓国の場合は日本の植民地について書かれてある。

日本は、いつまで謝罪すればいいかというが、

ドイツの教科書は、700ページずつの教科書2冊にナチスのことを書いている。

自虐史はドイツには敵わない。

ドイツは加害国。

なにかをやったら、繰り返す。

だから何度も思い出さなければならない。

永遠に謝罪はしないといけない。

フランスの教科書は600ページ。

フランスは被害者で勝った国。負けてはいない。

二重人格としてのフランス。

加害者なのか、被害者なのか、記録の偽造。

シラク大統領がしたことを忘れてはいけない。

声というのはナショナルなアイデンティティを所有している。

声は他者と分かつためにある。

21世紀は多様な時代。むずかしい。

移民問題。

他者の声は不快だ。

受け取る者が聴こうとしないと聞こえない。

以上が、高橋源一郎氏の講演の私の備忘録ですが、

コスモスの小島ゆかりさんと吉川主宰の対談は、

また書くかもしれないし、書かないかもしれません。

いまたまたま、私のフォロワーさんのblogにこういう記事を見つけました。

貼っておきますので、関心ある方は、どうぞ。

天皇まんざーい 原爆特許所有者は天皇にほぼ間違いなし<>追記

高橋源一郎さんの「日本の開発していた原爆の話」は、まさかと思いましたが、

案外、本当の話だったかもしれません。

さらに、☟

広島・長崎原爆の真犯人は天皇


旅日記は人気がないようである

2019-08-28 03:14:14 | ブログ記事

私は備忘のために書いているから別に問題はないが、

しかし旅日記を書くとランキングの順位が下がる。

これは旅日記は好まれないということだろう。

他人が旅をした自慢話など聞きたくない?

私のは貧乏旅行だから自慢ではないけれどと私は思うのだが、

とにかく順位は下がる。

アップするのにタイムラグが生じるのも理由にあるかな。

というのが、道中スマホで、

朝いちばんに記事を書き起こして夕方まで書き続けて夕方アップしたら、

記事がアップされるのは遡って朝の書き起こした時間帯の記事群に紛れ込む。

そうすると、そのときには既発表の他の記事群の後塵を拝してしまって

読まれないかもしれない。

まあそんなことも考えられるが、

スマホの場合は書き起こした時間しか選べないようなので仕方ないか。

それに順位のために書いているわけではないから、気にするほうがおかしい。

自分の備忘のために書いているblogだから読んでいただけることはおまけなのだ。

 

★他の人の旅日記など読みたくはなしと思ふや読者の減るは

★ブログとはわが備忘録ならばよし読者増ゆるもまた減ることも

★読みくるる読者がゐるは余禄にて有難けれどもあまり気にせず

★気にすれば記事に読者へ忖度が見え隠れして清からずなる

 

忖度といえば、最近、このGooblogは私の書くことを忖度しすぎて、

勝手に書きかけたことに余分な文言が加わったり、または突然消えたりすることもある。

これは私のblogのみの傾向であるだろうか?

それとも私のパソコンにウイルスでも入っているのだろうか?

とにかくあまり忖度されるのは有難迷惑でしかない。


私の貧乏旅行

2019-08-27 19:02:26 | ブログ記事

今回の私の貧乏旅行を心配するコメントをいただいた。

そうですよね。この歳になって夜行バスを利用して旅行するなんて。

でも、貧乏旅行は楽しいですよ。

この貧乏旅行は、亡くなった私の畏友、村形明子さんを見習っているところもあります。

彼女も好奇心の旺盛な人でしたから、年中あちこち旅行されていました。

が、いくら肩書は京大名誉教授という立派なものであっても、

国家公務員でしたから恩給にも限りがありました。

それで彼女もよく夜行バスとか利用していました。

泊るところも、学生の利用するゲストハウスなども利用していました。

肩書を知れば、人は丁重に扱ってくれますが、

実際は、そんなに豪勢な旅はできません。

自費での旅行は切り詰めたものでした。

その代わり、年中旅行していられたのです。

特に、ご両親の亡くなられた春先になると、

家でじっといられなくなると言われていました。

それは私にもよくわかります。

私も昨年母を亡くしてから、

家にじっとしていられなくて、あちこち行きまくっています。

旅に出ると母に会えるような気がするのです。

長距離バスに乗っているとき、

遠い地のホテルに泊まっているとき、

などに母と一緒にいるような気持ちになれるのです。

飛行機や新幹線を使う旅行より、

貧乏旅行こそ、そういう気持ちに浸れるのです。

そうそう、読者のハイジさんの娘さんが見つけてくれた村形さんのご学友の白象さんも、

そのblogを拝見していると、よくご旅行なさいます。

これは、やはり村形さんと同じく、

人一倍好奇心が旺盛ということであられるのでしょうか。

さすが学者さんであられるから、

そのblogの記事も高尚な視点で書かれたものが多く、

私などは大いに学ばせていただいていますが、

年老いても、学びの心を失わないところなど、

村形さんとそっくりと思いながら読ませていただいています。

村形さん亡きあと、

村形さんを偲べるものは何でもいいから読ませていただきたく思っている私です。

思い出せば、

黒幕子さんのお世話されている会にも村形さんに講演をお願いしたことがありましたね。

しかし、学者然とした村形さんの講演は少し硬すぎましたか?

その節には、黒幕子さんにもお世話になりました。

 

 

★肩書はすごかりけれども贅沢な旅せず質素でありし歌友

★好奇心衰へるなく晩年も愛媛高知と旅して死にき

★入院をして死ぬまでの短さよ二週間前メールをくれて

★教へ子が振り向き見れば死にてゐしほどにその死はあつけなかりし

★来週が三回忌なりまだ暑き九月五日が命日なりき

★旅好きでありし学者の真似をしてよく旅をするわれになりしか

★旅すれば母と村形明子さん思ひ出すなりホテルの部屋で

★旅好きでありし私の母の旅やはり貧乏旅でありしか

★贅沢な旅をするよりたくさんの旅することを母も選びて

★貧乏な旅をしながら供養せむ母と歌友なりし学者を


帰宅しました

2019-08-27 12:01:34 | ブログ記事

昨夜、仙台を7時40分発の高速バスに乗って、

今朝、午前7時頃、大阪に着きました。

京都を出発した24日(土)は、まだまだ暑かったのでしたが、

今朝は暑くなかったです。

帰宅して夫に聞くと、

関西は雨が多かったそうですね。

出発前に屋内に干していった洗濯物がすっきり乾いていませんでした。

帰宅そうそう、また洗濯しました。

今日は外干ししましたが、また夕方から雨が降るそうですね。

梅雨みたいですね。

岩手県では最初の25日(日)のみ夕方すこし降りましたが、

あとは雨知らずで快適な旅でした。

やはり私は晴れ女のようです。

私は今朝8時頃帰宅したのですが、夫は玄関に迎えにも出てきてくれませんでした。

いないのかと思うと、食堂に座っていました。

どうしたのかと聞くと「眠い」と。

私は留守中に夫が食べるものを冷蔵庫に入れていったのですが、

あまり食べていませんでした。

私がいなかったから?

それとも夏バテかしら。

いつも私に「もっと出かけよ」という夫ですが、

やはり私がいないと調子が狂うのでしょうか。

私がいるから安心して、夫は、あちこち出歩けるのかもしれません。

そんなことは本人は言わないのですけどね。

私は強行軍の旅の割には疲れていません。

が、これから疲れが出るかもしれませんね。

それにしても、

私達の年代になったら、やはりツアーに参加したほうが楽でしょうね。

自分で時間を調べながら行くのは旅の大きな楽しみですが、

大変なことも確かです。

下調べはしてあっても、

乗り物も乗り場も、その都度確かめなければいけませんし。

私は、出かける前は歌をいっぱい作ろうと思っていたのでしたが、

道中、いろんな予定外のことが起きたので、それどころじゃありませんでした。

ツアーだったら、ただ従いていくだけなので、歌作りに熱中することもできますが・・・。

でも、いろいろあったから、地元の方々のお世話にもなれたし、

旅で観たこと触れたことが、全て自分の身に付くような気もします。

今回は、リアス鉄道全線乗車のつもりで行ったのでしたが、

昨日も書いたように、北半分しか乗車できなかったから、

またリベンジを果たさなければなりません。

乗り換えのバスの時間を調べてくださった三陸鉄道宮古駅の駅長さんと思しき方にも、

「また来てください」と言われましたから、また行きます。

次回は夫と一緒に行くかな。

夫は前から平泉の金色堂とかを見たいと言っていますから、

次回は三陸鉄道の南半分と平泉などに行く計画を立てようと思います。

そのためには最低2泊はしないといけませんね。

1泊だけでは慌ただしすぎます。

三陸鉄道乗車リベンジは、すぐになるか、またずっと先になるか、乞うご期待。(笑)

 

★歌つくる暇(いとま)もあらず帰宅せりただ乗り物に乗るだけ乗りて

★熟年の夫婦の多き団体に紛れて熟女ひとり旅せり

★まだ夫ゐる身にあれど一人旅ひとりでゐるが好きであるから

★ひとりなら人に気兼ねの要らざれば独りで歩き独りで食べる


宮古から特急バスで盛岡へ、盛岡からは高速バスで仙台へ、今やっと帰途に

2019-08-26 14:26:25 | ブログ記事

来るときは盛岡から宮古までJRだったが、帰途は諸般の事情からバスで盛岡に戻ることになった。

盛岡から宮古への電車は森林鉄道のようであったが、バスは清らかな閉伊川沿いを走るから上高地の梓川のようにも思えて、とても気持ちがいい。

バス席は、また一番前に座れたから、眺めも最高である。



これは儲けものだった。


もしこの閉伊川沿いに旅館があるようなら、来年は予約して泊まりたいくらい。😊



バスは午後4時20分に盛岡駅東口に着き、今度は盛岡駅西口バスターミナルから4時40分発の仙台行きの高速バスに乗るという慌ただしさだった。

だけでなく、盛岡駅が思っていた以上に広く、東口から西口には大分距離があって、しかもわかりにくかった。

困って通りかかった若い男性に聞くと、この人が優しい人で、わざわざ西口まで案内してくれた。

おかげで間に合って乗れた。

その後その仙台行きの高速バスが夕方のラッシュに巻き込まれて、定刻より少し遅れて仙台に着いたから、大阪行き夜行バスにもやっと間に合ったと最後まで波乱に富んでいた。

今回の旅はずっとハプニング続きで、やっと帰途に着けたという感じ。



でも、このスリルも旅の醍醐味なのでしょうね。

そうそうスマホも、もう少しで、また電池切れを起こすところだったから、ネットで買ったチケットが危うく提示できなくなるところでした。

なんとか提示できたから、やっと帰途のバスに乗ることができました。

ホッとしながらも、

明朝は、また暑い大阪と思うと、少し憂鬱です。

早く秋にな〜れ!


久慈駅で三陸鉄道に乗車〜宮古駅〜

2019-08-26 10:33:43 | ブログ記事
あの後、やっぱり道の駅、久慈「土風館」も見ておこうとホテルをチェックアウトしてから道の駅に行ったのまではよかったが、帰途、駅へ戻ってくる道を間違えて、駅に着いたのは、まさに発車間際。😮


危ないところだった!

すでに電車には、近畿ツーリストその他のツアーの団体も乗っていて、なんとか?やっと座れた。

これから、今回の旅の主な目的の三陸鉄道を久慈から盛まで、つまり端から端まで堪能させてもらうことにします。

わかりやすくするために、また、いただいたパンフレットの写真をお借りします。


十府ケ浦海岸駅で写そうと思っていたけれど、あまり海が見えないからやめました。

どうも駅より途中のほうが景色がよいようで、

野田玉川駅の手前の景色のよいところで停車してくれたから撮影。


電車の最後尾から、通り抜けてきたトンネルも撮影。

このトンネルが津波を避難したトンネルのような気がしたが、説明がよく聞こえないから不明。

こんなとき、難聴の悲哀を噛みしめることになる。

堀内駅の海側



譜代駅で団体さんたちが降り車内は少し空いた。

昨日は譜代駅から団体さんが乗り込んてきたから、この駅には何かあるんだろう、きっと。


田野畑駅

この駅も海の見えない駅だが、昔百姓一揆とかがあったみたい。

また別の団体さんが降りたから、車内はがらがらに。


岩泉小本駅を出てトンネルが続きます。


田老駅

光発電のパネルがいっぱい並んでいた。

昨日は盛岡からJR山田線で来て乗り換えた宮古駅。

向こうのホームに派手な電車が停車していますね。

ここで一回送信します。

この電車は釜石行きだから、また続けますが、途中で、また電池切れを起こすかもしれないから一度送信しておくのです。

と書いたところに車掌さんが来て「ここで降りてください」と言われる。

「ん?」と思って聞き返すと、「堀内駅で倒木のため電車が遅れたから次の電車に乗り換えてください」と。

たぶん車内放送があったんでしょうが、私は聞こえないから知らなかった。

で、

「え、そんなことしていたら今夜の大阪行きの高速バスに間に合わない」と言うと、駅の方が調べてくださって、「それじゃ盛岡までバスで行って、盛岡からまた仙台までバスで行けば間に合うでしょう」と言われる。

で、三陸線の南半分は今回諦めて帰らなければならなくなった。

ということで、現在宮古駅の駅前で盛岡行きのバスを待っているのである。

以上、現状のご報告でした。

いただいたコメントには帰宅してからレスさせていただきますね。