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上半期に取り組んだ仕事の中に、
精神科領域の、とあるテーマでの書籍制作がありました。
内容はまだここには書けませんが、
その道のフロンティアとも言える、エキスパートの方々に
取材をしてきた中で、
とても印象に残っているエピソードがあります。
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これは、先だってマライア・キャリーが告白した
双極性Ⅱ型についての、ある医師のコメント。
双極性障害とはそううつ病とも呼ばれ、
平たく言えば気分がアップダウンを繰り返し、生活に支障をきたす病気。
Ⅰ型とⅡ型があり、Ⅱ型は「小さくて短期間のアップと、長いダウン」のパターンをとります。
傍目から見ると「別人みたいにハイテンションだね」とは思うものの
期間が短く、半日で終わってしまうことも珍しくないことから、
本人も周囲も、病気とはなかなか気づけない、
またはうつ病と間違えてしまいやすいのが問題です。
(双極性障害と、うつ病では、治療に用いられる薬剤が違います。)
本人にしてみれば、ハイテンションのときは、
明るく饒舌、活動的になり
新しいアイデアが次々生まれるような「キラキラした自分」でいられます。
(上記は典型例です。イライラと怒りっぽくなることも)
なので、
ハイテンションのとき=本来の私! と思いたくなります。
これが落とし穴で、
この状態をもっと! キラキラした自分をもっと!と張り切ると、
その分大きな揺り戻しがきます。
そうではなく、ここで
「今の私は105%、110%くらいいっているから、抑え目にしよう」と
心がけると、揺り戻しも小さくなります。
「上がらないから、下がらない」わけです。
このことは、病気の取材で伺ったとはいえ、
病気ではない場合にも当てはめることが可能ではと思います。
はしゃぎ過ぎれば、翌日ぐったりするとか、
怒った後に、なぜか落ち込むとか。
別の識者の取材で
「現代社会は軽躁状態である」という話もあって、
企業にしろ、テレビのお笑い番組にしろ、女子会にしろ
ハイテンションを求められたり、ハイテンションに慣らされたり、
知らず知らずのうちに、「上がる」ことがいいことみたいに
なっている風潮は否定できません。
でも、「上がるから、下がるんです」。
「自分は今、105%、110%かも」と気づけること、
モニタリングできることは、
ストレス社会を冷静に、そして穏やかに生きる一つの術になるのではと
今回の取材を通して思いました。
もう一つ、
世の中で華々しく活躍している人、
我こそはと前へ前へ出ていこうとする人、
以前ほどには、羨ましいとは思わなくなりました。
そうした人のすべてがそう、と思っているわけでは決してありませんが、
そうした人の中には、揺り戻しのために人知れず、生きづらさを抱えている人も
いるのかも知れないな、と思えるようになってきたからです。
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ここで思い出されるのは
このトルファン綿の布を見ていて自然に頭に浮かんできた言葉
雨の日も翳らず、晴れの日も驕らず です。
悲しいときに悲しがり、嬉しいときに嬉しがるのはごく当然ですが、
人と比べて落ち込んだり、人を下に見て自分を誇示したりするのは
まさに「上がるから、下がるんです」の状況を、自分でつくり出しているようなもの。
それは社会の役に立つよう生きていく上でも
自分自身が心地よく生きていく上でも
妨げになってしまうのではないかな、と思います。