午後から晴れるという予報を信じ、桜で染めたロートン織の着物に、
仁平さんのコンサート帯を締めてお出かけした。
秋雨が通っていった後の、独特のひんやりした湿気を感じ、
亀田恭子さんのショールを羽織る。
ピンぼけしてしまい、残念…
この日は日本橋三越で開かれた伝統工芸展にも行って、
たくさんの素晴らしい作品を観てきたのだけど、その話は後日に譲り、
さて、ここは港区・外苑前。
ブログを通して知り合った
岡田知子さんの個展を観に行った。
きもの雑誌でもお馴染みのイラストレーターさんだ。
(画像をクリックすると岡田さんのブログへとび、より大きな画像で
案内ハガキを見ることができます。)
「こんにちはー」
「わぁ~、いらっしゃい」
岡田さんはとても気さくで、ぱっとその懐へ入っていける方。
ブログでやりとりしている分、心の距離も近い。
傍から見れば、あまり初対面と思えぬ挨拶を交わして。
カフェで働く人、通う人、何気なく入った人。
街角のカフェを舞台に、さまざまな人が描かれている。
水彩と、専門用語は忘れてしまったが、まるで着物の染めの技法に使われる
糊糸目のような手法その他で、ウォームな人となりや人間関係を
さりげなくあらわしている。
ここ数年、描かれた人が「語る」、そんな絵を…というのが
岡田さんのテーマだったそう。
絵心のまったくない私からすれば、小中学生時の「写生」のように、
目に見えるものを描くだけでもたいへんだし、それで十分、と思ってしまうが…。
確かに、彼女の作品を見ていると、
描かれている人が、どんな人なのかということをはじめ、
舞台となるカフェを訪れるまでに、
何をしていたのか、とか、
今、何を考えながら一杯のコーヒーを口にしているのか、とか
カフェを出て、これからどこへ行くのか、とか、
何かしらのストーリーやメッセージがじんわり、浮き出てくるような気がする。
逆に、絵が何も語らないと、アーチストとしては「まだまだ」ということらしい。
語るか、語らないか。
それは絵だけでなく、着物や帯にも同じことが言えるかも知れないな、と思った。
それぞれの図柄もそうだけど、
すべてを纏った人自身が、「何かを語っている」のか
単に、「人に見てもらっている」のかでは、
着物の愉しみも違ってくるような気がする。
…と、文字で書くのは簡単だけど、
ではどうしたら「語る」のか…
岡田さんも仕事において何年も、そして今も、課題だという。
単純に考えて、これだけメディアが発達し、
誰でもブログや掲示板、ツイッターなどで「語る」ことができる時代、
「非言語で語る」ことの奥深さやそれを感じ取ることの大切さには
果たして目が向いているのだろうか。
何となく、そんなことまで考えてしまった。
コメント一覧
神奈川絵美
神奈川絵美
すいれん
おさよ
Unknown
神奈川絵美
運動会の足袋
最新の画像もっと見る
最近の「着物deオフタイム」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2009年
2008年
人気記事