神奈川絵美の「えみごのみ」

春の扉を開けて

外は日増しに暖かくなり、
コートは日増しに軽くなる。
こんな時期には、とびきり可愛らしいこの歌を・・・。






えっ? 聖子ちゃんが毎朝この歌聴いているって、ホント!?


ハラシン1978年の1stアルバム「Feel Happy」。この想い出は旧い・・・。
私が10歳のときだ。

文化放送の歌謡ベストテン番組(司会は確か高島忠夫)、「新譜コーナー」で
流れたこの歌に「一耳惚れ」した私。
何としてもアルバムが欲しいと思ったが、LPレコードは当時、
私の実家F家では結構な「贅沢品」だった。
2500円か、2800円だったか。
ピアノを習っていたのにも関わらず
クラシック音楽のレコードでさえ、なかなかおねだりできなかった。
ましてポピュラー音楽なんて、それまで1枚も買ってもらったことはなかったのだ。
(まあ、そもそも私は親に甘えるのが苦手ではあった)

小さな頭で考えた末、11歳の誕生日&すぐ後にくる小6の進級祝いを抱き合わせて
「欲しいんだけど・・・」おずおずと母に切り出したところ、
「あら・・・、そうね、いいわよ」意外とあっけないOK。

「・・・じゃ、ママも買っちゃおうかな」 えっ
母は、私のアニバーサリーに便乗して、大黒柱である父と交渉し、
ちゃっかり自分が欲しいレコードを一緒にゲットしたのだ。
それが、「アリスⅥ」だった(「冬の稲妻」が入っているアルバム)。



この頃。
もう30年以上前なので具体的には薄れているものの、
原田真二をめぐるメディアのフィーバーぶりは相当なものだったと記憶している。
この歌は本当に好きで、何度も何度も聴いていた。
でも、彼のオリジナルアルバムはこの1枚しか知らない。
1年ほどで聴かなくなってしまったのだ。

たぶん、小6時にはチャック・マンジョーネや渡辺香津美の洗礼を受け、
フュージョン~ジャズの方へ興味が反れたからだと思う。
初期の曲から受ける印象は、抽象的な表現だが「非常にきちんとしたロック」。
スティービー・ワンダーやビートルズの流れを汲んでおり、
当時テンション・コード※に惹かれ始めていた私は、ベクトルの違いを感じたのだろうか。
かなり早い時期から、平和や人生、人類愛をテーマにしていたのも、
11歳の子どもには難しかった。

この歌にしても、
19歳の少年から、「人生は好きかい?」と聞かれてもねえ・・・
今思うと、何だか可笑しい。


それから10数年。
この人の場合、ずーっと忘れていたということはなく、
社会人になったころはたと思い出し、シングルだけを集めた企画物CDを買ったりして
懐かしさに浸ったりもしたけれど・・・・・・。
やっぱり私の中で、原田真二といえば、
シングルカットもされず、J-POP史に名前が残ることもないであろう、この歌なのである。



※Ⅰのルート(1stのこと。Cならド)に対して、9th、11th、13thを加えたコード。
 和音に緊張感があるのでこう呼ばれる。

コメント一覧

神奈川絵美
かんなママさんへ♪
こんにちは ちょうど「冬の稲妻」とか「帰らざる日々」(だったかな。bye,bye,bye・・・って続くの)がヒットしていた頃でした。メンバーそれぞれ、今もご活躍されていますよね。

うろ覚えなんですが、原田真二が人形と一緒に司会しながらピアノを弾く番組が夕方にあって、私はそれを見てからピアノのレッスンに行くのが習慣でした。懐かしいなあ。
かんなママ
http://blogs.yahoo.co.jp/kannaoooo
こんにちは♪

聖子ちゃんとのロマンスも随分経ってからでしたよねぇ。その時は大人っぽくなったなあという印象でした。
10才で聴いていたんですか~~
私はお母様世代、アリスはよく聴いていました。
それも、今は凄く懐かしく感じています。
神奈川絵美
ohaさんへ♪
こんにちは こう言っては本人に失礼かも知れませんが、子どもとも大人ともつかぬ、また男なんだけど中性的なものも感じさせる声でしたよね。
それまで歌謡曲以外では、割とどろっとしたフォークが受けていた時代に、外国の風が来たぞーって感じかな。
もっとも当時の私は、まだクラシック以外の洋楽には触れていなかったと思うのですが・・・
oha
10歳。
私は○歳上でした。
ハナにかかった声で、好きでしたねぇー。
神奈川絵美
はつきさんへ☆
こんにちは おー懐かしいタイムトラベル。歌詞忘れちゃいましたが、途中でスフィンクスが出てきて、最後は「君の手の中」で終わるのだけは憶えています(笑)。

歌番組に出ていても、浮いていましたよねー。でもあの当時、世良公則&ツイストとか、Charとかと御三家って呼ばれ、すぐ後にサザンが出てきて、だんだん不思議ちゃんが不思議でなくなっていった、そんな時代でしたね・・・。
はつき
タイムトラベル
http://blog.goo.ne.jp/asochan0930
なつかしい…。といっても、彼についてはあまり詳しくはないのですが。私にとっては「原田真二=タイムトラベル」ですねえ。曲がすごーく洗練されているのと弾き語りというスタイルと、キュートな風貌のアンマッチが、当時のどのカテゴリーにも入らず、傍で見ていても不思議ちゃんな印象でした。
今でもけっこう活動されているんですね。
神奈川絵美
すいれんさんへ☆
こんにちは えー「甘エビ」云々って歌っていたんですか 面白いですね
私は1978~80年くらいしか知らなくて。この1stアルバムは他の曲も粒ぞろい
聖子ちゃんとのロマンス報道ももうかなり昔・・・10年くらい前?ですよね。聖子ちゃん、自身のデビュー前は彼のファンクラブに入っていたと聞いたこともあるのですが、本当かな?
すいれん
http://www.tomoko-358.com
絵美さま
キャハハ、な~つかしい、原田真二。 私も好きでしたよ、でもこんなに若い頃のは、あんまり覚えてないな。このかすれた声が好きで・・・。「甘エビみたいに、むいちゃうよ~」なんて歌詞、笑っちゃいますよね。聖子ちゃんの恋人になった時は、ビックリしましたけど。
神奈川絵美
運動会の足袋さんへ♪
こんにちは そうそう、LP高かったですよねー。うちの実家はそれ以上に、レコード=高級品という意識が高かったように思います。これ以降、ポピュラー音楽のLPも買うようになったのですが、「1アーチストにつき1枚限り」という不文律がうちにはあって(笑)、どれを買おうかなあー、といつも迷っていた記憶が

原田真二ってデビューの頃、結構メディアに出ていましたよね? 私、小学館の「小学六年生」に載っているのを見た記憶も。
当時はアイドル全盛でしたから、マネジメント側も売り方や扱いに苦慮したのでしょうね・・・。
神奈川絵美
Tomokoさんへ♪
こんにちは このややハスキーな声は当時新鮮だったような。今思うと、洋楽とのうまい橋渡し役になって、邦楽のブレイクスルーをつくった人だったのかな。近年の活動はまったく知らないのですが・・・。
神奈川絵美
りらさんへ★
こんにちは 長年忘れていた歌をひょんなことから聴いたりすると、ものすごく懐かしいですよね
同じくらいの時期にイルカの青いLP(タイトル失念)も買ってもらって、「サラダの国からきた娘」とか「月下美人の咲く夜に」(だったかな)をよく聴いていたのを思い出しました。
運動会の足袋
LPは高かった!!
この方は童顔でキュートな外見が災いして(?!)、
「アイドル」のくくりで扱われていたのですが、
ご本人としては当時から「アーティスト」志向で
世間とのギャップでイロイロ悩まれていたそうですわぃ★

アタシはシングル・カットされた曲しか知りませんが、
去年だったか、それらが含まれたオムニバスCDをゲットしました♪ (^o^)丿

思えば
「映画の入場料」とか
「レコード(CD)」の値段って、
昔と比べてもそんなに上がってないですよねぇ? (゜o゜)
いかに当時「高価」だったか
分かります。
Tomoko
わ~懐かしい歌声!!改めて聴くと、何年か前にテレビでチラと聴いたときも、今回も、彼の音楽性も声も悪くないなあ~って思ったんですよね。
iTunesで検索してみよっかな~?!
りら
忘れていた・・・・
でも、聞いてみたら思い出しました。
ああ・・・どこかで流れているのを聞いたっけ・・・・
私、原田真二のちょっと鼻にかかったような声が好きでした。

こんな風に、忘れてしまっている懐かしい歌ってもしかするといっぱいあるのかも・・・・
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