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伊達政宗愛を貫いた男❤️❤️🐬

2023年05月16日 14時50分00秒 | 歴史に学ぶ

こんにちは♪東京都東大和市の学習塾、感謝教育グループ、あすか会教育研究所東大和教室、個別指導光ヶ丘教室、個別指導アユモ教室の佐藤民子です♪

今回は学院長先生が担当します。

2023年5月16日火曜

【伊達政宗愛を貫いた男】

 先日、両親の23回忌を栗原市の山間部にある菩提寺の普門山洞泉院というお寺で取り行いました。

 実は、このお寺は、伊達政宗の重臣であった茂庭綱元(もにわつなもと)が400年前に建立したものです。

 茂庭綱元は、誤解から伊達政宗に蟄居を命じられたこともありましたが、ひたすら伊達政宗に忠誠を尽くしました。

 茂庭綱元の父は、人鳥橋の戦いで、伊達政宗を助けるため殿軍をつとめ討死にしています。

 茂庭家は、代々伊達家の忠臣でした。

 茂庭綱元は、伊達政宗と豊臣秀吉の仲がギクシャクした時に、伊達藩側の豊臣秀吉との交渉役に抜擢されました。

 豊臣秀吉は交渉の過程で、茂庭綱元の優秀さを見抜き、茂庭綱元が欲しくなりました。

 そして、秀吉は茂庭綱元は元々、鬼庭(おにわ)綱元と名のっていたのを、縁起が悪いということで、茂庭に名前を変えさせました。

 さらに、秀吉は、茂庭綱元が秀吉側に寝返ったという噂を流しました。

 その噂に激怒した伊達政宗は、綱元に蟄居を命じました。

 蟄居中に、家康などが茂庭綱元に触手を伸ばしましたが、ひたすら政宗を信じて許される日を待ちました。

 やがて許され、また大いに活躍し、晩年、栗原市の栗駒山の麓の文字地区に領地をもらいました。

 そこで、晩年、普門山洞泉院というお寺を建立しました。

 このお寺が我が家の菩提寺でもあります。

 徳川幕府ができた時は、東北の藩は外様大名となり、明治維新の時は、幕府派となりました。

 いつも負ける側ではないかと思う人もいるかも知れませんが、打算よりも恩と義を大事にするある意味要領が悪いとも言える日本人の原点が東北にはまだまだ残っているのでしょう。

 










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