応神天皇は古事記では大鞆和気命(おおともわけのみこと)、またの名を品陀和気命(ほんだわけのみこと)、
日本書記においては誉田別尊(ほむたわけのみこと)と記されています。
生れたときに、腕に鞆のような筋肉が備わっていたのでそう名付けられたとあります。
鞆とは弓射の際に左手首内側につける皮製の武具であり、この誕生譚は胎内に居ながらにして国の統治者となるような神聖な生まれであることを表していると解されています。
応神天皇を祀る八幡神社の神紋は巴紋です。巴の起こりは鞆を図案化したもので、元々は鞆絵であるという説があります。巴紋は応神を祀る八幡神社にふさわしい神紋でしょう。
また巴の形は勾玉にも似ています。勾玉を図案化したものが巴であるとの説もあります。
この応神天皇が鞆のような筋肉を持って生まれたという誕生譚は、応神天皇が勾玉と繋がりの深い一族の生まれてあることの暗喩ではないでしょうか。
敦賀の気比大神・去来沙別神(いざさわけのかみ)と名を交換したというエピソードを持つ応神天皇、越の国との繋がりを強く感じます。
そういえば応神の母、神功皇后にも鞆に纏わる話が残されていますね。
広島県福山市の名勝地 鞆の浦は、神功皇后が鞆の地を訪れ、身につけていた武具の高鞆を社に奉納されたから「鞆」と呼ばれるようになったといいます。
鞆の浦に沼名前(ぬなくま、或いは ぬなさき) 神社があることを考えると、ヌナはイコール翡翠であり、「鞆」とは勾玉の形からついた地名なのかもしれません。
応神の父であろう武内宿禰の後継氏族である蘇我氏も翡翠と関わりが深いようですし、やはり神功皇后も応神天皇も、「ヌナ」と関わりが深いように思います。