瀬戸内海に浮かぶ小豆島は古代には「あずきしま」と呼ばれたといいます。
「あずき」といえば、出雲の「阿須伎(あずき)神社」にアジスキタカヒコネは祀られています。
出雲国風土記には三十九社もの阿須伎神社があったと記されています。
アジスキが訛りアズキになるのであれば、妄想は膨らみます。
小豆島はアジスキタカヒコネと関係しているのではないでしょうか。
しかし現在の小豆島にはアジスキタカヒコネとの関連は見当たりません。
小豆島の阿豆枳(あずき)神社は、島の祖神・大野手姫を祀っています。
古事記の国産みの段で、伊邪那岐命と伊邪那美命により「小豆島」(あずきしま)、亦の名を「大野手比売」(おおのてひめ)が生まれたと記述されています。
大野手姫とは「大鐸姫」(おおぬてひめ)でしょう。島の中には大鐸という地域もあります。
小豆島は大きな鐸を司る姫神が統べる島だったと思われます。
鐸は「さなき」あるいは「さなぎ」ともいいます。現在の小豆島が属するうどん県・讃岐は「さなき」からの地名でしょうし、同じく香川県の瀬戸内海に浮かぶ猫の島・佐柳(さなぎ)島も鐸からの地名でしょう。
応神紀において小豆島と「いや二並び」と歌われた淡路島からは松帆銅鐸など、銅鐸が多数出土しています。
小豆島からも銅鐸が出土しており、大野手姫とは大きな銅鐸のお姫様だったと考えらえます。
もし鐸が鉄鐸であるならば、諏訪との繋がりが生じてきます。諏訪大社の神宝「さなぎの鈴」は鉄鐸です。
大野手姫が島外で唯一祀られているのが福井県の「須波阿須疑神社」であり、タケミナカタとともに祀られていることは偶然にしては面白いと思います。
大野手姫が鉄鐸の姫というのも、有りなのかなと感じます。