古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

褐鉄鉱製鉄①

2020-08-12 10:38:06 | 歴史

真弓常忠氏の著作「古代の鉄と神々」によると、褐鉄鉱を原料とした製鉄が弥生時代に始まったといいます。

みすずかるは信濃にかかる枕詞です。

「みすず」とは鉄の原料であるすずの美称であり、すずとは湿地帯に生える葦や茅などの根に付着した褐鉄鉱のことです。

根に付着した褐鉄鉱が成長し、中が空洞になると同時に中に小さな塊が残り振ると音がするようになる、これが「すず」であり、

このすずがたくさん根に付着した様子が「すずなり」の語源だそうです。

諏訪湖は鉄分含有率が高く、諏訪湖畔では褐鉄鉱がたくさん産出されるようです。

すずがたくさん採れる地であるから信濃の枕詞が「みすずかる」になったといいます。

 

この葦の根などに付着した褐鉄鉱、かならず鈴の形状になるわけではありません。

形状が筒状のものであれば鉄鐸とそっくりです。

諏訪大社のシンボルの鉄鐸は、褐鉄鉱がたくさん採れますようにとの願いを込めて、褐鉄鉱をまねて作られたものなのでしょう。

 

百瀬高子氏著「御柱祭 火と鉄と神と」によると諏訪は縄文鉄器時代の製鉄王国だったといいます。

褐鉄鉱による製鉄が縄文時代から行われていたなら、銅鐸より鉄鐸が先に作られていたと考えられます。

長野県でも柳沢遺跡から銅鐸が出土しています。

銅鐸も鉄鐸も祭祀に用いられるものです。祭祀具には品格が必要だと考えます。

きらびやかな銅鐸の後に、褐鉄鉱を真似たとはいえ鉄板を丸めただけの鉄鐸(言い方が悪くてすみません)を作ろうとは思わないのではないでしょうか。

 

さなぎ鈴は青銅器が伝わる以前からあるもので、銅鐸の末裔ではないと思えてなりません。