身体って意識のカタマリなんです
【からはだふくらか】では、自分の身体の面倒は自分で見られるようになることを目標としています。
ですので、なるべく来なくて済むようにと、身体の使い方の指導をするんですが、そういう時にほとんどの場合「難しい」と言われます。
私自身も今、米澤先生に学んでいて、今までと違う身体の使い方を提示されるのですが、その時に「難しい」と思うんですね。
じゃあ、何が難しいのか? 同じ身体の構造を持っていて、実際に目の前で出来てる人がいるんだから、自分が出来ても何一つ不思議でも何でもないのに、「難しい」と感じるのは何でなのか?
そりゃあ、多少は個体差がありますけども、別に、今スグに100mを10秒で走れとか、60㎏の米俵を3俵担げとか、そういう極限の話じゃなくて、足の裏の重心の位置を変えてみて、とか、立つ時に力を抜いて、とか、その程度の話なんですよ。
もちろん、やり慣れていない動きが、しにくいっていうことはありますが、それよりも、ここで制限をかけているのは、意識なんです。
慣れないこと、今まで気にしなかったことを、初めて気にしてみると、よく分からない。
「それを難しい」と言ってるわけですが、これを、「難しいから、出来ない」と考えると、まあ出来なくなります。
「難しい、でもなんか出来そう」とか「面白い」とか、あとは別にそういうもんだと思ってしまえば、早い遅いの差はあったとしても出来るようになります。
100m走だって、3俵だって、やってる人がいるんだから、別に出来るんじゃん、と思って取り組めば、実際に出来るようになるかどうかは別として、今より遙かに上達はするはずです。
100m走の方は分かりませんが、米俵60㎏っていうのは、“女性でも、誰でも担げる”という基準で決まっているわけですから、担げて当たり前なわけです。
それを当たり前と思っているか、そんなの無理でしょう、と思っているかで、全く結果は変わるっていうことです。
ちょっと前に「ビリギャル」っていう人が有名になりましたが、あの人だって「出来ない」とは考えなかったから出来たワケですよ。
「出来る」「出来ない」を決めてるのは自分自身です。
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