アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

三善英史のこと

2024-03-22 06:00:00 | ノスタルジー

最近、突然昔のことが思い出される小生、こうなるとそろそろお迎えが来るか・・・なんて予感すらするが、そんな中で突然頭の中に流れてきた曲がある

 

 それが三善英史の曲なんだが・・・歌詞は浮かぶのだが、曲名がわからない・・・調べてみてたどり着いたのが、「すきま風」という曲だ。こちらでお聞きになれる

 おそらく、このブログの読者の中でご存じの方はいらっしゃらないと思う。いたら手を挙げて・・・はい、いないですね(苦笑)

 

 個人的な思いで言うと、この曲は彼のデビューからの流れでみると、あれっ? こんな曲歌うの? って感じだったからだ。

 残念ながら、ヒットにはならなかったが、そんなことで記憶に残っていたという・・・あ、忘れていた。そもそも三善英史って? という方も多いかと。

 

 彼は、小生より少し上の年齢だが、中学生まで伊東に住んでいたということで小生の地元では話題になっていた演歌歌手。

 そして高校時代に東京に転居する予定があり、伊東からでも東京からでも通える小田原の相洋高校に入学していたことも話題になった。

 

 たまたま、中学までの同級生に相洋高校に入学した者がおり、そんなことでなぜか親近感があったという・・・

 そのデビュー曲「雨」は衝撃的だった1972年(昭和47年)リリースのこの曲は、大変なヒットになった。そのビジュアルといい声といい、中性的で・・・なんとも光っていた。

 

 その彼は、芸者さんの子であった。このことを曲に重ねたのが、こちらの「円山・花街・母の町」だったが、記憶にも強く残っている。

 歌詞の内容とともに、なんとも悲しい歌に聞こえた。ある種皮肉にもこの曲で、彼は紅白歌合戦に出場する。

 

 だが、その後、大ヒットとはいかず推移する中で、1976年にリリースしたのが冒頭の「すきま風」だった。

 正確な記憶はなかったが、1976年の2月のリリースだから、大学受験の真っ只中だったわけで、記憶にあるのは、いろいろ多感な時期だったという証拠かも。

 

 現在も、地方での営業活動を続けているようだが、実は頭の中でそういえば三善英史って、羽生結弦に似てね? とも。

 調べたら、そういう記事もある様子。もちろん血縁はないはずだが・・・写真を見てると、親子では? といってもおかしくないような・・・

 

 なんという、生産性のない記事になったのだろうか・・・って、生産性は誰も期待していないか(苦笑)

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