小生の故郷にいる友人が大人の休日倶楽部主催の「男はつらいよ お帰り寅さん」の特別試写会のペアチケットが当たったという連絡を受けた。平日の昼間に有楽町に来れるのはお前ぐらいしかいないだろう・・・ということで、ご一緒させていただくことになった。
しかも、当日は舞台挨拶で、山田洋次監督と立川志らくが出るという。楽しみにしながら会場に着くと、いただいたチケットは前から2列目。しかも1列目は使用しない・・・
つまり舞台挨拶にはいいが、スクリーンは見上げるような形で、最初はとても見にくかった。
さて、二人の挨拶はそれぞれとてもよかったが、志らくは「男はつらいよ」シリーズ全作をなんども順番に見たという。
そして二人とも、「今は寅さんみたいな人がいない」ということで一致。確かに、都会のみならず、地方でも、今時はこんなおせっかいで正義感が強く、義理人情に厚い人なんかめったにいない。むしろ政治家にいてほしいくらいだが・・・
さてストーリーだが、寅さんの甥っ子にあたる満男(吉岡秀隆)を中心に展開していく。彼はサラリーマンを辞め、小説家になったという設定だが・・・既視感が。
そう、always 三丁目の夕日の茶川先生にどことなく被るのだ。それはともかく、そのストーリーの中で回想よろしく寅さんが登場する。
最初に顔が出た瞬間、もう涙腺が緩んでしまった小生であった。理屈ではない・・・ほんの一瞬の表情に、いろんなセリフが込められている・・・やはり渥美清ってすげえって。
若いころは彼の不自然なくらいの声のトーンが鼻につき、そこまで感じなかったが、セリフだけではない、表情ひとつがこんなに多言なのかと・・・
脇を固めるさくらをはじめとする俳優陣も、そのまんま歳を重ねた形で正常進化。これまたいつもの・・・という安心感に包まれる。
落語通でもある山田洋次監督ならではの、ストーリーは人情噺ながらもしっかり笑わせてくれるツボはさすがの一言。
このシリーズは50年前にスタート、1969年のことだが、それを映画の中で仕込んでくれるシーンもあったり、随所に仕込みが見つけられた。
ガキの頃の記憶だが、山田洋次監督がこの作品について、「悲しいことを悲しく演じられる俳優はいくらでもいるが、悲しいことを笑いながらやれるのは渥美清だけだ」と何かに書いていたことを思い出す。
今更ながらに、この言葉の意味を噛みしめたことは言うまでもない。この映画自体はオムニバス的なものだが、それでもなお、主演は渥美清だ・・・と感じた。
かつてバス旅行の帰り道の定番は「男はつらいよ」だった。ワンパターンという向きも少なくなかったが、老若男女誰もが楽しめて、泣かせてくれる映画って、考えてみればそうそうない。
改めて渥美清と山田洋次監督の偉大さを感じて会場を後にした。
舞台挨拶で志らくが言っていた「どうか、今日この作品を見たら、シリーズを1から見直してもらいたい」という言葉がよみがえってきた。
全49作、一日1作として49日・・・始めてみようかしらん
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