●この特設サイトに、ジャック・ダニエル=ジャスパー・ニュートン・ダニエルの生年月日が不明とあるのは、それで正しいのかも知れないが、『ケンタッキー・バーボン紀行』(東 理夫著/東京書籍)とWikiには「1846年9月5日生まれ」とあり、『JACK DANIEL'S BOOK』(サントリー株式会社輸入酒部刊)にも「1846年生まれ」とあるので、僕はずっとそういうことにしてきた。「1846年」のニッポンは江戸時代後期、向こうでは南北戦争開戦の15年前、とはざっくり過ぎるが、この南北戦争が鍵になる。『ケンタッキー・バーボン紀行』によると、ジャスパーくんは10人兄弟姉妹の末っ子。多産の疲れなどで妻を亡くした父親が後妻を迎えると、そのママハハと上手く行かず7歳で家出。丁稚奉公同然で転がり込んだ食料雑貨店が、ウィスキーの醸造施設を持っていたのが不幸中の幸いだった。そこでウィスキーの売り方を学ぶうち、造り方にも関心を及ばせた15歳の頃、1861年に南北戦争が開戦。本来、酒を軍に直売りしてはいけない規則をかいくぐり、在庫一掃の大手がらを上げた。そして終戦後の1866年、成人するかしないかで、親しくしてきた北軍大佐の手を借り、自分の醸造所を起業する。これがジャック・ダニエルズ創業150年の起点だ。
●今はもうジャックのような強い酒はやらないけれど、浴びるように呑めた若い頃、この酒は一体何なんだろうと適当に調べを入れると、ますます美味しくなってきた末に胃をおかしくした。以下、もう一度『ケンタッキー・バーボン紀行』から。
●「ジャック・ダニエルは、いつも膝丈のフロック・コートを着、巨大な口髭をたくわえ、広く白いつばのハットを離さなかった、人目につく、際だった人物だった。音楽を愛し、パーティーを愛し、独身を通し、そして彼が気にもとめなかった爪先の怪我がもとで死んだ」。
●亡くなったとされる年月日は、1911年10月9日。一方、この年に生誕のジャズ系音楽家は、ロイ・エルドリッジ(tp)、フレディ・グリーン(g)、マキシン・サリヴァン(vo)、マヘリア・ジャクソン(vo)、バック・クレイトン(tp)ほか。あと、どうでもいいけれど、ジャックの酒類はバーボン・ウィスキーではなく、テネシー・ウィスキー。昔、湯島の行きつけのバーで、ひょいと入ってきた若者の「今夜はバーボンを呑みたいので、ジャックをロックで下さい」は間違いで、ただ、そこの店主はいきなり突っ込まず、長い時間差講釈でやんわり諭したのに心和んだ。たとえば、「バーボン=Bourbon」名の由来は、フランスの「ブルボン王朝=Bourbons」から来ているんですよ、など。