久しぶりにコロナの話。
それにしても、皆さんコロナのこと覚えてますか。ウクライナはどうなってますか。人間は嫌なことは忘れたがるものとはいえ、ほとんど話題に上らない。コロナはこの前5類になっただけで、実態は何も変わってないと思うんだけど。
コロナは、我々に何を教えてくれたのか。
これについて言いたいことは山ほどあるのだが、今回は1つだけ。
非常事態では、あることが最優先され
そこに同調圧力が絡んでくる
非常事態とは、今はコロナ。
かつては戦争。(次は何?)
軍国主義といわれた戦前の話ではない。
民主主義といわれている今の時代に、世の中は一つの方向に大きく動いた。
命に係わる感染症が蔓延すると、人々の動きは大きく変わる。
そのことがよくわかったし、それが怖かった。
同調圧力はある程度予想できた。
しかし、その前に人々は、まるで人が変わったかのように一つの方向に向かった。
これが、もっとひどいパンデミックだったらどうなるのだろう。
その時に、ワクチンは強制されるのだろうか。
ボクは、その時にどう振舞うだろうか。
ボクは、この「怖さ」を内包した世の中で、これからも生きていかなければならないのだろうか。(村上春樹風に)
今までは、コロナのおかしな部分を問題視してきました。大したことがないのに、何でこんなに大騒ぎしているのかと。今回、そのおかしさ抜きで考えてみると、もっと本質的な「怖さ」が潜んでいることに気づきました。非常時の集団心理の「怖さ」です。が、うまく伝わってるかどうかわかりません。
そこで視点は異なりますが、上手にまとめてらっしゃる加藤和さんの記事を紹介して逃げます。
https://note.com/katonodoka/n/n34951ab3aac1
渋滞にハマってしまって、目的地に着くことよりも渋滞を抜け出すことが近視眼的に最優先された、とおっしゃっている。
目的地は、当然人々の「幸福」ね。
当ブログでは、一連の動きは壮大な(悪意に満ちた)実験だと思っている。
禁煙もヒトラーもWWⅡも。
今回の記事は、言いたいことをうまく表現することができなかった気がする。「街と、その不確かな壁」(国会図書館でコピーしてもらった)を書いた時の村上春樹氏の心境か(んなわきゃぁない)。新刊の「街とその不確かな壁」は、3通りの結末を用意したんだろう(第三部の終わり方は問題だと思う)。「街と、~」と合わせると4通り。「世界の終わりと~」も久しぶりに読みました。「壁の街」にどっぷり漬かっちまいましたよ。