イスラエルとアラブ人の対立に関しては、様々なことが言われている。(そもそも「アラブ人」の定義も難しい)
宗教的対立は言わずもがな、ポイントは2000年も諍いなしに暮らしていたという点だろう。
そもそも「復讐」が絶えない地である。
だから「目には目を」だったのだし、「汝の敵を愛せ」だったのだ。
倍返しの世界。「目には目を」は、復讐を制限したもの。何でもそうだが、実現していないから叫ばれる。ユダヤ=キリスト教然り、日本国憲法もそう。
簡単にいえば、土地が豊かではない。
それに尽きると思う。
けれども、2000年も諍いなしに暮らしていたのだ。
その間イスラム教が興り、十字軍もあった(こいつも怪しい)。
イスラエル建国の狙いは、この地に争いの種を蒔くこと。
そして、産油国の近くに仲間(西欧の)の拠点を作ること。
宗教的対立や聖書は隠れ蓑。
シンプルに考えれば、そんなに面倒ではない。
人間は、全員が同じことをしている。
飯を食べて、子どもを養う。
自分も他人も同じことを求めている。
人間は一人では生きていけない動物なので、協力しなければならない。
なぜ助け合い、分かち合うことができないのだろう。
欲しいものが限られていれば、争うしかないのか。
あえて「違う人達」が作られているのではないか。
人種、民族、宗教、経済格差、・・・。
少しのケーキをどうやって分けるか。
全くない場合はどうするのか。
宗教や民族の対立。それに絡むのが差別。今まで、誹謗中傷や戦争について考えてきたのはこのため。一人の人間として見れば、全然関係ないことなんだけどね。
我々が問われているのは上記のことである。
東アジアは大丈夫ですか。
ハザール王国について目にするようになった。世界史でもほとんど出てこない国が、ウクライナ戦争が始まってから俄かに。ゼレンスキーもユダヤ系らしい(民族的には何人でも一向にかまわないんだけど、アノ方達が裏で動いていたということになると…)。領土的にはウクライナと重なる。白いユダヤ人とも言われる。
ユダヤ=キリスト教を「宗教」だと思っている限り、新しい時代は来ない。ユダヤ=キリスト教は支配のための「装置」である。特にユダヤ教は、ずっと恨み続けるという困った側面も持っている。問題の原因はそんなに複雑ではないのだが、現実に解決するとなると難しい。