インタビュー、文字のページの2ページ目のちょっと途中あたりからです。
“一度何かを胸に抱えたら、近づくように努力する 誰かを好きになるように。その過程で失敗や恥は特に気にしない”
アイドルから心にゆとりがある大人になったね
20代序盤まではストレスを感じて、すごく多血質(快活、楽天的、社交的で、気が変わりやすい気質)だった。気に入らないとベッドも叩き壊した(笑)だけど、一度我慢し、2度我慢して、笑いながら自分が先に謝ると会話がほどけて。そんなふうに性格がすごく変わった。亡くなった父の影響もある。僕は父がうちの家族5人を食べさせ生かすのに、ストレスをすごくたくさん受けたせいで亡くなったと思うから。お金がないがまたあったりもするものだし、すでに過ぎたことはあえて思い出さないようにする。演技しながらもまだ負担になるシーンも多く、ちゃんとできなくて気に障る時もあるが、心はすっきり“次にうまくやればいいし”と考える。すごくシンプルになった。
時間があると何する?お酒も飲まずクラブも行かないって
音楽を作って、運動して、美術やインテリアを見に出かけたりする。あと、写真を撮るのも趣味だ。この間の秋には、写真を撮りに一人でニューヨークへ旅行にも行ってきた。ニューヨークのクリスマスにロマンがあったから。
写真?撮るより撮られるのに慣れてる立場だろうに
カメラを持ってみると、自分だけの感性を込めた写真が撮りたくなって。父と一緒に撮った写真があまりないことも大きな理由だった。母をたくさん撮ってあげるようにして、後で家庭を作ったら家族にたくさんしてあげられるお父さんになりたい。普段もプレゼントをするとき、買ってあげることより、真心込めて作ってあげることが好きだ。その方がロマンティックでしょ。
この春‘ドンヘ&ウニョク’ユニット活動で日本単独ツアーまで経験した
全部で22回公演したが、最後の公演でファンに書いた手紙を読んでたくさん泣いた。コンサートで個人パフォーマンスとして面白いから曲を作ったら、正式ユニットとして活動し、日本でCDまで出すことになった。実際、ウニョギや僕はSJで歌が驚くほどうまいメンバーではない。ファンにも冗談みたく言う。正直、僕らの‘歌’を聞きに来たんじゃないんじゃないかって。パフォーマンスとトーク、二人が一緒にやる姿を見にいらした方達だ。ありがたくないわけがない。
国外でSJの人気は想像以上だと
‘初’という記録も多く、賞もものすごくもらった。行く場所ごとにいっぱいにしてくれるファンがいるので、疲れていてもステージに上がれば力が出る。現場で受けるエネルギーといったら!ものすごいことを自分の目で見て感じたが、どんなに説明しても直接見てない人にはわからないことだ。僕は生まれ変わりたいとは思わない。背がちょっと小さいことくらいは全く気にならない(笑)
近頃第一時代のアイドルの先輩のカムバックを願う思いは
あ、涙が出るほどうれしい。日本にいる時、GODのカムバックの知らせを聞いて、SNSに‘戻って来てくださってありがたい’と上げた。Fly to the skyだと、SMの先輩ではあるが、個人的には知らなかった。今回、知人を通して携帯の番号をもらって、メールで挨拶した。これからもたくさんいい音楽を聞かせてくださることを願い、親しくなる機会があったらいいなと。現在最高だろうが、そうでなかろうが、自分たちだけの歴史を続けて行くんだというのが本当にかっこいい。
童顔だからなのかわからないが、いつの間にか29歳だ。20代に必ずしなきゃいけないことを聞かれたら
‘愛’じゃないか?10代にも誰かを好きになれるけど、20代だと本当に狂おしいほど誰かを愛して、苦しむこと。愛をあげることもするし、もらうこともして、愛のために傷ついて初めて、治す方法も学んで。そんな経験を積み重ね、もっと成熟するはずだから。
意外な返答だ。アイドルに恋愛はタブーの一つだろうに
十分に経験できてないからこそ、そんなことを思う。誰もが愛を夢見るんじゃないか。そして、僕は本当にいい夫、いいお父さんになりたいから。妻にロマンティックな夫になり、子どもたちには友達のようなお父さんにになること。それがいつなのかはわからないけれど、今から楽しみだ。
今、この地位、自分の姿は気に入っている?
ここまでは年齢相応に成長してきているようだ。僕という人間が、30、40歳にはどうなっているのか、かなり楽しみだ。現在、僕がすごいから満足だというのではなくて、ただ、今、このままでありがたいし過分だという意味だ。仕事のせいで疲れてしんどい時なら、こんな機会を得るために今も血と汗を流しながら努力している人がいるということを思い浮かべる。スケジュールが忙しくて、眠れなくて過敏になる時は、化粧室に行き、鏡を見ながら“このくらいのことでダメになるのか、これで倒れるならお前にはなんだってできない”と気を引き締める。
何年か前に会った時、心の中で描いたことを実現させると言っていた言葉が思い出された
歌手になりたかったこと、演技をしたかったこと、みんなやれることになったから。一度何かを心に抱いたら、近づけるよう努力する。誰かを好きなら、近くに行けばその人の心を動かせるように。その過程での失敗や恥じらいはあまり気にしない。練習生時代、カン・ジェギュ監督が会社にいらして、みんな挨拶をする席ができたんだけど、あらかじめモノローグを準備して行った。演技はうまく出来ないけど、僕がいつか監督に会えるかと準備してきたことを一度お見せしようとした。結果に関わらず、そうやって勇気を出したら、自分で胸がいっぱいになった。
それなら今描いている夢は
演技をちょっともっとたくさんしたい。そしてこれは単に‘思い’でしかないけど、放浪生活をしてみたい。一番好きな映画の一つが〈タイタニック〉だ。レオナルド・ディカプリオ役が演じた主人公がスケッチブック一つ持って世界をさまよい歩くでしょ。僕も一度そんなふうに生きてみたい。
映画だから素敵に見えるんじゃ。スターがいつも幸せに見えるように
そう?僕の人生は芸能活動しかない。後悔はないけれど、よく残念にも思う。それでこれからはもっといろんな経験をしたい。もっとたくさんフラれて苦しんでみるのもいい。うちの家は貧しかったから似た境遇に置かれた人を理解できるようになったみたいに。そうすれば後でこれとは違う、もっと大きな共感できるところとなって、もっとたくさんの話を聞いてあげられるはずだから。
---------------
インタビュー、読んでてわくわくしました。
普段から言っていることやふるまいとブレないのは当たり前なのかもしれないけど、でも、そういう性格を自分の努力で変えてきたということに、本当にびっくり
そこに、どんへが愛される理由があるのかなと思ったし、ますます大好きになりました
てか、天然記念物のような人だよ…
芸能界で、よくやってるね
すじゅでほんとによかったね
“一度何かを胸に抱えたら、近づくように努力する 誰かを好きになるように。その過程で失敗や恥は特に気にしない”
アイドルから心にゆとりがある大人になったね
20代序盤まではストレスを感じて、すごく多血質(快活、楽天的、社交的で、気が変わりやすい気質)だった。気に入らないとベッドも叩き壊した(笑)だけど、一度我慢し、2度我慢して、笑いながら自分が先に謝ると会話がほどけて。そんなふうに性格がすごく変わった。亡くなった父の影響もある。僕は父がうちの家族5人を食べさせ生かすのに、ストレスをすごくたくさん受けたせいで亡くなったと思うから。お金がないがまたあったりもするものだし、すでに過ぎたことはあえて思い出さないようにする。演技しながらもまだ負担になるシーンも多く、ちゃんとできなくて気に障る時もあるが、心はすっきり“次にうまくやればいいし”と考える。すごくシンプルになった。
時間があると何する?お酒も飲まずクラブも行かないって
音楽を作って、運動して、美術やインテリアを見に出かけたりする。あと、写真を撮るのも趣味だ。この間の秋には、写真を撮りに一人でニューヨークへ旅行にも行ってきた。ニューヨークのクリスマスにロマンがあったから。
写真?撮るより撮られるのに慣れてる立場だろうに
カメラを持ってみると、自分だけの感性を込めた写真が撮りたくなって。父と一緒に撮った写真があまりないことも大きな理由だった。母をたくさん撮ってあげるようにして、後で家庭を作ったら家族にたくさんしてあげられるお父さんになりたい。普段もプレゼントをするとき、買ってあげることより、真心込めて作ってあげることが好きだ。その方がロマンティックでしょ。
この春‘ドンヘ&ウニョク’ユニット活動で日本単独ツアーまで経験した
全部で22回公演したが、最後の公演でファンに書いた手紙を読んでたくさん泣いた。コンサートで個人パフォーマンスとして面白いから曲を作ったら、正式ユニットとして活動し、日本でCDまで出すことになった。実際、ウニョギや僕はSJで歌が驚くほどうまいメンバーではない。ファンにも冗談みたく言う。正直、僕らの‘歌’を聞きに来たんじゃないんじゃないかって。パフォーマンスとトーク、二人が一緒にやる姿を見にいらした方達だ。ありがたくないわけがない。
国外でSJの人気は想像以上だと
‘初’という記録も多く、賞もものすごくもらった。行く場所ごとにいっぱいにしてくれるファンがいるので、疲れていてもステージに上がれば力が出る。現場で受けるエネルギーといったら!ものすごいことを自分の目で見て感じたが、どんなに説明しても直接見てない人にはわからないことだ。僕は生まれ変わりたいとは思わない。背がちょっと小さいことくらいは全く気にならない(笑)
近頃第一時代のアイドルの先輩のカムバックを願う思いは
あ、涙が出るほどうれしい。日本にいる時、GODのカムバックの知らせを聞いて、SNSに‘戻って来てくださってありがたい’と上げた。Fly to the skyだと、SMの先輩ではあるが、個人的には知らなかった。今回、知人を通して携帯の番号をもらって、メールで挨拶した。これからもたくさんいい音楽を聞かせてくださることを願い、親しくなる機会があったらいいなと。現在最高だろうが、そうでなかろうが、自分たちだけの歴史を続けて行くんだというのが本当にかっこいい。
童顔だからなのかわからないが、いつの間にか29歳だ。20代に必ずしなきゃいけないことを聞かれたら
‘愛’じゃないか?10代にも誰かを好きになれるけど、20代だと本当に狂おしいほど誰かを愛して、苦しむこと。愛をあげることもするし、もらうこともして、愛のために傷ついて初めて、治す方法も学んで。そんな経験を積み重ね、もっと成熟するはずだから。
意外な返答だ。アイドルに恋愛はタブーの一つだろうに
十分に経験できてないからこそ、そんなことを思う。誰もが愛を夢見るんじゃないか。そして、僕は本当にいい夫、いいお父さんになりたいから。妻にロマンティックな夫になり、子どもたちには友達のようなお父さんにになること。それがいつなのかはわからないけれど、今から楽しみだ。
今、この地位、自分の姿は気に入っている?
ここまでは年齢相応に成長してきているようだ。僕という人間が、30、40歳にはどうなっているのか、かなり楽しみだ。現在、僕がすごいから満足だというのではなくて、ただ、今、このままでありがたいし過分だという意味だ。仕事のせいで疲れてしんどい時なら、こんな機会を得るために今も血と汗を流しながら努力している人がいるということを思い浮かべる。スケジュールが忙しくて、眠れなくて過敏になる時は、化粧室に行き、鏡を見ながら“このくらいのことでダメになるのか、これで倒れるならお前にはなんだってできない”と気を引き締める。
何年か前に会った時、心の中で描いたことを実現させると言っていた言葉が思い出された
歌手になりたかったこと、演技をしたかったこと、みんなやれることになったから。一度何かを心に抱いたら、近づけるよう努力する。誰かを好きなら、近くに行けばその人の心を動かせるように。その過程での失敗や恥じらいはあまり気にしない。練習生時代、カン・ジェギュ監督が会社にいらして、みんな挨拶をする席ができたんだけど、あらかじめモノローグを準備して行った。演技はうまく出来ないけど、僕がいつか監督に会えるかと準備してきたことを一度お見せしようとした。結果に関わらず、そうやって勇気を出したら、自分で胸がいっぱいになった。
それなら今描いている夢は
演技をちょっともっとたくさんしたい。そしてこれは単に‘思い’でしかないけど、放浪生活をしてみたい。一番好きな映画の一つが〈タイタニック〉だ。レオナルド・ディカプリオ役が演じた主人公がスケッチブック一つ持って世界をさまよい歩くでしょ。僕も一度そんなふうに生きてみたい。
映画だから素敵に見えるんじゃ。スターがいつも幸せに見えるように
そう?僕の人生は芸能活動しかない。後悔はないけれど、よく残念にも思う。それでこれからはもっといろんな経験をしたい。もっとたくさんフラれて苦しんでみるのもいい。うちの家は貧しかったから似た境遇に置かれた人を理解できるようになったみたいに。そうすれば後でこれとは違う、もっと大きな共感できるところとなって、もっとたくさんの話を聞いてあげられるはずだから。
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インタビュー、読んでてわくわくしました。
普段から言っていることやふるまいとブレないのは当たり前なのかもしれないけど、でも、そういう性格を自分の努力で変えてきたということに、本当にびっくり
そこに、どんへが愛される理由があるのかなと思ったし、ますます大好きになりました
てか、天然記念物のような人だよ…
芸能界で、よくやってるね
すじゅでほんとによかったね
ありがとうございました。
私もぬなぺんなので、なんか、愛おしくってたまりません(笑)
どんへはほんとに穢れを知らない、まっすぐな人なんだなと思います。長いこと芸能界にいてもそのままでいられるのは、あったかく育った環境やすじゅにいるお蔭かなとも(U+A0´艸`)
どんなふうに歳を重ねていくのかほんとに楽しみです~