新しい元号令和の出典となった大伴旅人の梅花の歌の序は、中国の詩文の知識に基づく格調高い気品のある文章だが、素人目には、今でいうハイカラ趣味、宣長のいう「からごころ」臭がやや気になるところだ。
とはいえ、梅花の宴の主催者で、筑紫歌壇の中心であった大伴旅人は、飲酒を讃える機知と諧謔にあふれた歌や、亡妻へのこまやかな感情に満ちた挽歌、中国伝奇小説に取材した松浦河の仙女の歌などヴァラエティに富んだ歌群を残し、このジャンルの文学の豊かさと幅を広げたのは間違いないと思われる。
しかし、万葉集が中央貴族のコロニアルでサロン的な自足の世界とは異質な歌群を、それらに続けて載せているのは驚くべきことと思われる。それは、中国留学経験をもち漢籍仏典の知識にくわしい筑前国司山上憶良の歌群だ。
官人でありながら、貧しく病に苦しむ人からさらに苛烈に税を取り立てる役人を糾弾するかのような貧窮問答歌。いい着物を着られる人とそうでない人の間に厳と存在する律令国家の格差を告発する社会派の歌。子どもは金銀に勝る宝と、人としての素直な感情をまっすぐに歌い上げる歌。その子どもを親より早く亡くす辛さを断腸の思いで歌った鎮魂歌。自らの病と死を見つめる歌。
これらの歌が射程にしている世界の深さと広さは、自らの上部機関であり故郷でもある「あをによしならの都」を太宰府にいながら讃える旅人やその下僚たちには目に触れない世界、また、たとえ見えていても、歌に詠もうと思わない歌の世界だろう。(続く)