風と光と大地の詩

気まぐれ日記と日々のつぶやき

万葉集覚書11

2020年11月08日 | 万葉集覚書
 大伴家持は国司として五年間、越中国に暮らした。旧国府にほど近い二上山のふもとに高岡市万葉歴史館がある。




 家持は、二上山や立山、射水川、奈呉の海、渋谿など、越中の自然風土を読み込んだ長短の歌を多く残した。都から遠い地に、家族や友人から離れて住み、国司としての仕事にいそしむかたわら、ふと独り言を洩らすように、孤独感をにじませた翳りのある歌を日記のように詠んだ。家持の秀歌として残る「春の苑」の歌や「いささ群竹」の歌などもそのように記録された歌だ。



 二上山のふもと万葉歴史館の屋上庭園から、遠く晩秋の新雪をかぶった立山連峰が霞んで見える。今日の富山県の経済を支える工場の煙もなびいている。



 家持が弟・書持の訃報に接し、こうなると知っていたら「見せましものを」と詠んだ渋谿の有磯の海、今日、雨晴海岸と呼ばれる海は、後世、義経の陸奥への逃避行の経由地ともなり、芭蕉の風雅の旅の歌枕ともなった。




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