風と光と大地の詩

気まぐれ日記と日々のつぶやき

小説(ささやかな奇跡)

2019年07月26日 | 小説
   太田さんの家では、新学期を前に、二台目の子供用自転車を購入した。   
  前もって見当をつけておいた自転車屋さんの店先には、スパナやレンチなどが置いてあって、つい先ほどまで誰かが作業をしていたらしかったが、まわりに人は見あたらなかった。 
  どうしたものか、出直そうかと迷ったが、とりあえず見るだけでもと、おずおずと敷居をまたぎ店の中に入った。奥さんと二人の子供があとに続いた。来客を知らせるチャイムが店の奥で繰り返し鳴った。 
  店の中を見回すと、赤や青の蛍光色に塗られた車体に、突起の多い太いタイヤをつけたマウンテンバイクや、何段変速か数えられないほどギヤのたくさんついた高価そうな自転車が誇らしげに壁にかかっていた。学生が通学に使う自転車も立派な装備のものが所狭しと並んでいた。 太田さんは自転車屋さんに入るのも、こんなにたくさんの種類の自転車を見るのも久しぶりだったので、知らない間にこの世界も長足の進歩を遂げていたことに驚かされた。ゴムのチェーンというものを初めて見たし、スピードメーターも液晶のデジタルに変わっていた。 太田さんの家にある子供の自転車は幼児用で、近くのホームセンターで購入したものだった。長男が幼稚園に通っているとき乗り始め、補助輪をはずして最近まで乗っていたものだった。
 「いらっしゃい」 
  しばらくして、店の奥から主人が出てきた。短く刈った髪が白く、顔は見事に日焼けした愛想の良さそうな主人だった。油染みたデニムの前掛けをして茶色くなった軍手をしていた。 
「自転車をお探しですか」 
「子供が乗る自転車なんですけど」 
「子供さん用ね。あっちにあるけど、あんまり数はないんだけどね」 
  子供用の小さな自転車は、主人の案内する店の奥の方に置いてあった。大人や学生向けほど種類はなかったが、それでも太田さんが選択に迷うには十分な数と種類だった。 
「どう?適当なのがあるかい」 
  太田さんは奥さんに聞いた。 
「そうね。いろいろあって迷うわね。また、中学に行くようになればもっと大きいのを買うんだから、そんなに高級なものでなくてもいいわよ」
 当事者である長男の浩介君は、他人事のように興味なさそうだった。後ろを振り向いては壁にかかったマウンテンバイクの方にちらちら視線をやっていた。 
「これがいいよ、浩介。値段も手頃だし。ほら、これ。こっちだよ」 
  太田さんは小学校高学年まで乗れそうな二十四インチの自転車を指さした。浩介君が返事をする代わりに裕介君が答えた。 
「僕はこれでいいよ」 
  次男の祐介君の方が兄よりも乗り気だった。一番奥にあるパステルカラーの幼児用自転車のサドルを軽く手の平でたたきながら言った。
 「今日は祐介の自転車を買いに来たんじゃないよ。お兄ちゃんの自転車を買いに来たんだよ」 
  それまで目を輝かして自転車を見ていた祐介君はがっかりして泣きだしそうな顔になった。 太田さんと奥さんは目と目を見合わせ、どちらが説得するか譲り合っているようだった。奥さんが渋々、説得を始めた。
 「祐ちゃんにはね、いまお兄ちゃんが乗ってるのを上げるからね。いい?祐ちゃんがもっと大きくなったら、いいのを買ってあげるから。それまでお兄ちゃんので我慢してて。ね、分かった?」
 「うん。分かった」
  祐介君が意外に聞き分けがよかったので、奥さんはほっとした。店の人がいる前で愚図られて、大きな声を出したくなかったし、かといってここで自転車二台分のお金を出すことは、太田家にとって無理な相談というものだった。 まだ小学校入学前の祐介君に深い魂胆などあるはずもなく、ただ単純に兄のお下がりの自転車がもらえるのを喜んでいるのだろうと太田さんは勝手に解釈し、自転車選びに戻った。他の店も見て値段を比較したいとも思ったが、出入口の所に店の主人が立っていて、外に出づらい雰囲気だった。面倒になって、初めに選んだもので決めてしまおうと太田さんは覚悟を決めた。
「やっぱり、これでいいよ。これにしよう」
 太田さんが珍しく決断力を発揮して、奥さんも浩介君もあえて異論を唱えなかったので、すんなり決まった。自分の新しい自転車を買ってもらったのに、浩介君があまり嬉しそうにしないので、太田さんは少しがっかりした。かえって祐介君の方が嬉しそうだった。 
 代金を支払い、登録のための手続きを済ませると、主人は愛想良く言った。
「雨が降らない限り、今日の夕方にはお届けしますから。お住まいはどちらですか」
 広げた住宅地図で家の位置を主人に指し示すと、太いマジックで無造作に太田さんの家のまわりを丸く囲んだ。だいぶはみ出して、周囲の家の名前が消えて分からなくなったが、主人は頓着しない様子だった。

 郊外の分譲地の一区画にある太田さんの家は分かりづらい。自分でも引っ越してきた当初は何度も迷子になってしまった。曲がるところを間違えて、違う並びを探していることがよくあった。似たような家が同じ間隔で何列も並んでいるのが問題だと太田さんはつくづく思った。しかし子供達は迷わないらしいのが不思議だった。結構遠い小学校からもちゃんと帰ってくるし、暗くなるまで近所の公園で遊んでいても、間違えずにわが家に帰ってきた。帰巣本能のようなものが小さな体に備わっているのかと太田さんは思った。
 太田さんの家がある団地と農業地域との境にある大きな農家の庭先にハクモクレンが白い花をつけているのが生け垣越しに見え、桜もちらほらほころび始めていた。太田さんもいつか自分の家の狭くて殺風景な庭にも季節の花や樹木を植えたいと考えていた。
 家に帰ると、早速、太田さんは裏の小さな物置の中を探して、二年前に外した子供の自転車の補助輪を二つ見つけ出して、スパナで取り付けた。それからサドルの位置を一番低くした。空気入れでタイヤの空気を一杯にし、雑巾で車体の汚れと泥をぬぐい、ブレーキの利き具合を確かめ、かごのへこみを直してやれば、立派なお下がり自転車の出来上がりだった。祐介君は太田さんの脇で一部始終を見ていた。
「ほら、これで祐介も乗れるだろ。どうだ、乗ってみな」
 祐介君は新しく自分のものになった自転車にまたがると、狭い庭から表の道路へ元気よく出ていった。ペダルを踏む足も意外にしっかりしていた。補助輪が右、左と勢いよく回転した。
「おい、祐介。車に気をつけろよ。遠くへ行くんじゃないよ」
 お下がりで我慢している祐介君のことが、太田さんは少しかわいそうになったが、本人があまり気にしていないようだし、それじゃ新しい自転車を買ってと言われても困るので、深く追及するのはやめた。
「ねえ、祐介をひとりで放っておいたら危ないわよ。ちゃんと見ててあげたら」
 家の南側のサッシが開いて奥さんが顔をのぞかせて言った。
 太田さんが庭から出てみると、祐介君は家の前の道をまっすぐ走って、T字路のつきあたりでくるっと回ってこちらに引き返して来るところだった。左右に少し傾いて蛇行しているが、だいたい真っ直ぐ走って来る。補助輪のこすれる音がだんだん大きくなった。
 この分なら、一年するかしないかのうちに補助輪が取れるかな、浩介のときより早く取れるかな。そう思ったのは、太田さんの誤算だった。実際には二年がかりで、しかも最後の仕上げがこれまた難航したのだった。

「浩介だけでなく、祐介まで自転車に乗るようになって、事故に遭わないか心配ね。ここは家の周りをしょっちゅう車が通って危いし。角の所で止まらないで勢いよく曲がってくる車があるでしょ。朝なんか抜け道に使う人もいるし、ほんとにいやね。住宅街の人の家の前をわざわざ通らないで欲しいわね」
「この前の道だって一応、公共の道路なんだし、通せんぼするわけにもいかないじゃないか」
「それじゃ、せめて歩道を作ってもらいたいわね」
「こんな狭い道で歩道なんてできるわけないよ。車がやっとすれ違える道幅なんだから。この団地の中なんかまだいいほうで、昔からの道は区画整理がされてなくて、車一台通るのがやっとの道だって多いんだから」
 太田さんは息子に新車の感想を聞いてみた。
「浩介、どうだ、新しい自転車の乗り心地は」
「べつにフツーだよ」
「あ、そう。普通なら結構でしたね。祐介はどうだ。一人で自転車に乗っちゃだめだぞ、車が危ないから」
「うん。乗らないよ」
 太田さんの家の食卓を囲んでの会話はいつものようにぶっきら棒で途切れがちだった。

 太田さんも自分に子供ができて初めて、子供に注意して車を運転するようになったのだから、決して偉そうなことは言えないはずだった。それまでは小さな子供が道路の端をチョロチョロ歩いていると、迷惑そうな顔をして運転していたのである。それが自分の子供ができて外を歩くようになると、自分の子が道路を歩いているかのように、車のスピードをゆるめ、子供が道路に飛び出しはしないかとか、よろけて転びはしないかとか心配しながら、大きくよけてゆっくり通り過ぎるようになった。
 子供が交通事故にあったというニュースをテレビで見たりすると、肝がつぶれる思いがするようになったのも子供が外歩きをするようになってからだった。朝、通勤途中に救急車とすれ違うと、自分の子供が登校中に事故に遭ったのでないかと不安になって、携帯電話の呼び出し音が鳴らないかと取り越し苦労をした。
 そうしてつくづく太田さんが思ったのは、日本は「くるま社会」、自動車優先の社会だということだった。太田さんの家から勤め先まで、歩道がある道は少なく、あっても狭い。自転車の場合、狭い道路を車とすれすれになって、ぶつけられないかと心配しながら運転しなければならない。
 歩道橋なるものが、まさに車優先、歩行者二の次の考え方の象徴といってよかった。特に学校の周辺に多い。たった五メートルの道路を横断するのに、階段を何十段も上り下りして歩道橋を渡らなければならない。学校の児童以外、歩道橋を使う者はいなかった。しかし、太田さんもくるま優先社会の便利さを自分でも享受しているのだから、文句は言えなかった。通勤も車、買い物も車、遊びに行くのも車で、車なしには一日も過ごせないと言ってよかった。ただ、もう少し歩行者や自転車に配慮してもいいのではないかと思うようになった。
   *
   *
   次の年の夏が過ぎ、秋になっても、祐介君はまだ補助輪をつけたお下がりの自転車に乗っていた。親は二人の子を比較する気はなくてもついつい比べてしまうので、下の子が「遅れて」いるように思えてしまうのだった。
 上の子のときには、小学校一年のとき、自分から補助輪を外して欲しいと言い出しただけあって、補助輪を外してから、二度ばかり公園で練習したらすぐに乗れるようになり、あとは何度か一緒に道路に出て、交通ルールや乗り方を教えておしまいだった。けれども下の子はいつまでたっても、補助輪に頼っていて、一向に「自立」する気がないように見えた。
「三年生になると、学校で交通教室があるから、そのときまでには絶対乗れるようになってないと困るわよ」
「おい、祐介。補助輪はもう取るぞ。いつまでもそれに頼ってたら、乗れないからな」
「エー、取っちゃうの。ぼくまだ乗れないよ」
「よし、じゃあ、あした公園で特訓しよう」
「エー、トックン?」
 団地の中にある児童公園は、狭くて自転車の練習にはあまり向かないので、小学校の校庭まで出かけることにした。それ以外に広い場所は近くになかった。ところが学校に着いてみると、校庭ではサッカークラブが練習をしていて、空いている場所がなかった。
「場所を替えるか、それとも午後にするか」
 児童公園へ回ってみると、小さな子供達が遊んでいた。しかたなく出直すことになった。せっかくやる気になって張り切った気持が、栓のゆるんだ風船のようにいっぺんにしぼんでいくようであった。太田さんと祐介君は補助輪のない自転車を代わる代わる押しながら、重い足取りで団地までもどってきた。
 午後はまた空振りになると困るので、自転車をバンの後ろの荷台に積んで出かけた。学校の校庭は今度は野球クラブが使っていた。児童公園もふさがっていた。隣のゲートボール場が空いていたが、きれいに整地されたコート内に自転車を乗り付けるわけにいかなかった。またしても空振りになった。他にすることもないので、車で郊外の本屋へ行って、二人で立ち読みをしていたら、一日が終わってしまった。
「そんなことなら、この家の前の道路で練習したらどう?あなたが見ていれば大丈夫でしょう。車が来たらよければいいんだから」
「だって、祐介はまだ真っ直ぐ進めないんだぜ。右に行ったり左に行ったりふらふらして、塀にぶつかるか、その前に転んじゃうよ。この幅じゃ危なくて練習にならないんだよ」
「だって、真っ直ぐに進めなければ自転車に乗れたことにならないじゃないの。こんなに道幅があるのよ。この道で狭いなんて言ったら、どうするの」
「それは、乗れるようになってからの話だよ。コツさえ体で覚えればすぐに乗れるようになるんだけどな」
 そのコツは自分で身をもって覚えるしかないものだった。いくら口で説明しても、手本を見せても、本人が実際にできるようにならなければ意味がないのだった。それは頭の中で暗記するものではなく、擦り傷や切り傷をこしらえながら体で覚える種類のものだった。
 よくよく考えてみると、補助輪があるときの乗り方と、それがないときの乗り方は、根本的に違うのだと太田さんは思った。ペダルを踏むと踏んだ方向に車体が傾き、自然にハンドルが切れる。切れた方向に自転車は曲がろうとする。補助輪があればその力を受け止めて傾きを直して真っ直ぐに走ってくれるが、補助輪がないとそのままその方向に倒れてしまう。倒れないためには、ペダルを踏む力に対抗する力を、ハンドルや体のバランスをとって反対方向に働かせなくてはならないのだった。
 それからハンドルの切り方がまったく違った。補助輪のときは手先だけで軽く左右に振れば自転車は曲がってくれるが、補助輪がないときに同じような調子で切ると、急ハンドルになり、すぐに転んでしまう。この場合、ハンドルを切るというより、むしろ自転車と体を一体にして、進みたい方向に傾けながら、ハンドルをその方向に導いていくといった方がよかった。その感覚を体で覚えさせなければならないのだ。どうすればそれができるのか。
 補助輪のついた自転車ではその練習はできない。補助輪をとってしまったら、まったなしでその技術が必要になる。目指すところの結果を前提にしているのだから、これは矛盾と言ってよかった。卵なしには生まれない鶏と、鶏なしでは生まれないはずの卵を、一挙に出現させなければならないようなものだ。
 それは太田さんには奇跡のように思えた。ヘレンケラーのあの奇跡ほどではないかもしれないけれど、まったく比較にならないくらいささやかな奇跡だけれど、それでも奇跡には違いないと思えた。そうして、誰でもその奇跡を起こしているのだ。上の子にしても、よその子にしても。それから太田さん自身も、何十年か前に。
 考えてみれば、そうした小さな、ささやかな奇跡をいくつも積み重ねながら、人は成長していくのかもしれなかった。言葉だってそうだし、立って歩くこともそうだ。泳ぐこともそうかもしれない。もっと言えば、ひとつの生命が宿り、この世に生を受け、人として生まれてきて、独りぼっちの存在が社会の中でともに生きていく存在になることもそうなのかもしれなかった。
 それはさておき、自転車に乗ることがとりあえずの課題だった。まず、真っ直ぐに走れるようになることが先決だった。そして思ったところで確実に止まれるようにブレーキのかけ方を覚えること。曲がるのを覚えるのはそれからだった。
  次の土曜日は、運良く学校の校庭が空いていた。しかし、秋とはいっても残暑の日が照りつけ、真夏のような暑さだった。
 野球で使ったときのファウルの白線が校庭に残っていたので、太田さんは祐介君にそれに沿って走るように指示した。
 少し前に進んでは止まり、進んでは止まりで、一向に埒があかない。ペダルを半回転させるのがやっとで、ペダルを踏んだ方向に車体が傾いたのを立て直せないから、真っ直ぐにこぎ続けることができないのだった。
 しばらくして、太田さんは祐介君に自分でペダルこぐのをやめさせ、ただ乗ってハンドルをしっかりつかんでいるように言った。太田さんが、後ろのタイヤのカバーのところを手で押さえてやり、そろそろと前に押してやった。しかし、人の力で動かされるのが恐怖感を起こさせるのか、すぐにブレーキをかけ足をついてしまう。
「押さないで。自分でこぐから」
 自分でこぐと、結局少しずつしか進まない。太田さんは、どうどうめぐりで少しも進歩がないので、もどかしくなって、やめて帰りたくなった。
 要するに、まっすぐ走ることにこだわっていたのが誤りだと気がついたのは、秋の日が傾いてからだった。
「おい、祐介、好きなように走っていいぞ」
 線に沿って走らないので楽になったように見えたが、結局同じことだった。ちょっと進んでは右に行き、ちょっと進んでは左に行き、ジグザグの蛇行をしながら、半回転ずつのペダルこぎをやっているだけだった。
 太田さんは少し考えた末、祐介君に、ペダルをこぐのではなく、直接、足で地面を蹴って進ませてみた。そうして、まっすぐ車体を維持する練習をしばらくやってみた。慣れたところで、うしろを押してやって、スピードが少し出るようにした。
 その練習に慣れた頃、次にペダルをこがせてみた。勢いがついて惰性がついていればいやでもまっすぐ走るから、その中でペダルをこぐ感覚とバランスをとる感覚が分かればいい。スピードが出ると、回転が速くなり、ペダルを踏む足も急いで回転させなければならない。それは小さな足には大変だったが、かといって、遅いスピードではよろよろして、惰性がついていないので、傾いて転んでしまう。自転車を追いかけていっては、何度も祐介君の背中を押して加速してやった。
 調子が出たと思って油断すると、転んでひざを擦りむいた。足が汗と泥で真っ黒になった。泣き声さえ上げなかったが、今にも泣き出しそうな顔をしている。太田さんも泣きたくなってきた。帽子を脱いでハンカチで汗を拭った。気を取り直して、また何度もやってみる。祐介君も意地になってきたらしかった。
 次の課題は、止まっている状態から自分でペダルをこぎ、倒れないようバランスをとりながら、まっすぐ走れる一定のスピードまで達すること。この限界点を越えてしまえば、もう自転車は走ってくれるのだ。
 何度目かの挑戦の後、ついにその時がやってきた。生まれて初めて、転ぶことなく、祐介君が自分でこぎ出した自転車がまっすぐ走り続けることができたのだ。
 走る、走る、自転車が走る。よろけそうになりながらも、前輪を少し動かして体勢を立て直し、まっすぐに走っていく。祐介君の前髪が風を受けて巻き上がり、小さな額が見えた。太田さんは奇跡を目の当たりにし、うれしくなって、暑さも忘れ、小走りに追いかけた。
「走れ走れ、もっと走れ。真っ直ぐに、どこまでも。あ?」
 どこまでも真っ直ぐ行くことは不可能だった。たとえ北海道の大地でも。まして小学校の校庭では、百メートルがいいところだった。
「曲がれ。左に曲がれ。おーい」
 自転車は曲がることなく、特攻隊のようにまっすぐ突き進み、鉄棒の前で急停車した。
 太田さんはほっとした。祐介君は方向転換し、こちらへまっすぐ進んでくる。もう大丈夫。まっすぐ走る感覚は体でつかんだようだった。まっすぐ走れるようになれば、曲がれるようになるのはすぐだろう。どこまでも太田さんは楽天的ないし呑気だった。
 練習をしばらく続けると、秋の日が暮れて、二人は意気揚々と自宅に戻ってきた。
「おい、祐介が自転車に乗れるようになったぞ」
「ぼく、自転車に乗れるようになったよ」
「まあ、よかったわね。やっとね。今度は、実際に道路に出て走ってみたら」
「いや、まだ曲がることができないから、道路に出るのはもう少し練習してからだ」
「なんだ。それって乗れたことになるの?」
「何を言ってるんだ、大きな進歩なんだぞ。あともう少しだ」 
 祐介君は、家の周りでも練習するようになった。家の前の道をまっすぐ行ってT字路で引き返してくる。今度は補助輪なしであったが。
 車が危ないから一人では練習しないようにという言いつけに祐介君は忠実だったから、練習は土日に限られ、雨が降ったりすると、次の週に延期になった。
  *
  *
 冬の間、寒さと北風のため、オフだった太田さんの家の自転車の練習も、春になって再開した。課題だった曲がることもできるようになって、道路を何とか走れるようになった祐介君は、いよいよ実地訓練に出ることになった。季節はあわただしく過ぎて、桜が散り、ハナミズキがそこここの街路に赤や白やピンクの花を開くようになった頃であった。
 太田さんは車の通りの少ない道を選んだ。団地から近い小さな川沿いにできたサイクリングロードを走ることにした。車でそばを通り過ぎることはあっても、自転車でサイクリングロードを走るのは太田さん自身初めてだった。工場や家並み、看板、道ばたの木々や草花。いつも車の窓越しに見る景色も違う角度から見ると新鮮な風景に映った。ゆっくりしたスピードで走ると今までたくさんのものを見過ごしていたことが分かった。
 浩介君は弟に合わせてゆっくり走るのがもどかしく、一人で勝手にどんどん先に行ってしまい途中で待っていた。祐介君ははじめ緊張して硬い面持ちだったが、まわりの景色を見る余裕がでてくると、明るい笑顔に変わった。
 川は、走るにつれいろいろな表情を見せた。穏やかな流れ、きれいなせせらぎ、排水のような泡の浮かんだ流れ。ゆるやかな淵では水鳥の一家がゆったり浮かんでいた。農業地域では、春になって麦の苗がぐんぐん成長し、土が黒みを増し、菜の花畑では黄色いあかりが灯ったように輝いた。
 川辺を渡る風が、子供達の後ろについて自転車をこぐ太田さんの汗ばんだ額を吹き抜けていった。
     *
     *
 それからまた新しい春が来て、太田さんの家の裏には、錆び付き色あせた小さな幼児用自転車が置かれていた。いつかは処分しなければと思いながら、「奇跡」を起こした自転車を太田さんはなかなか捨てる気になれないのだった。
 裕介君は相変わらずお兄ちゃんのお下がりの自転車に乗っていた。今度はもう一回り以上大きくなったあの二十四インチの自転車であったが。
 太田さんの家の小さな庭に植えたハナミズキは三年たってようやく白い花をつけるようになった。(おわり)

  


小説(春の彼岸)

2019年07月15日 | 小説
   春の彼岸

  春の彼岸は、いくらか暖かくなってきたとはいえ、まだまだ春だからといって気を許すことのできない肌寒さだった。
  圭一は車から降りると、真冬と同じ厚いダウンのコートを着た。妻も白いダウンのコートを羽織った。空っ風が多少おさまってきたのがせめてもの救いだった。
  寺の門の両脇に仁王様が怖い形相をして昔から立っていた。丹塗りの色が褪せてところどころわずかに残った木肌に深いヒビが入っている。
  この像は、圭一が寺に隣接する保育園に通っている時、怖くて正視することができず目をつぶって走り過ぎたものだと、かつて母に口癖のようにからかわれたけれども、圭一はそのときのことをよく覚えていなかった。妻にはこの仁王像のことについて何も話していなかった。
  去年、それまで長く父一人の名前だけだった墓碑銘に母の名前が加わった。享年五十五歳と八十二歳。
  三十年前、本人にとっても家族にとっても突然訪れた働き盛りの父の死は、誰にとっても容易に受け入れられるものではなかった。自分が父の死期を早めたのではないかと圭一の罪責の念はいつまでも消えなかった。
  口数が少なく働きづめでつましい暮らしをしながら、若い頃は自分の親兄弟や後には子供達にも仕送りを欠かさず、圭一を東京の私学にも出してくれた。いくばくかその父の恩に報いる機会は永久に失われた。
  そして、母がほどなくして脳溢血で倒れ、その後遺症で長らく不如意の生活が続き、「早くお父さんのところに行きたい」という母の繰り言に、圭一は慰めの言葉ひとつ持ち合わせず、ただ施設のベッドの脇に立ち尽くしているしかなかった。
  圭一はただ申し訳ない気持ちで、二人が眠る墓の前にたたずんだ。
  線香を手向け、手を合わせて暝目した後、立ち上がって墓石の先に目をやった。
  田畑の広がった向こうに新幹線のコンクリートの高架橋が長く続いている。その高架橋の上を今しも白い列車が、金属質の音を立てて滑るように走り過ぎて行く。
「ほら、新幹線が行くよ」
  圭一は墓の前にしゃがんでいる妻の背中に声をかけた。
  たまに圭一が新幹線で東京に出張する際、運良く左側の窓際の席に座れた時は、今見ている景色をちょうど反対から見ることになった。
  列車が音もなく駅をゆっくり離れ、緩いカーブを車体を傾斜させながら曲がり終わると、徐々にスピードを上げていく。
  近くの席の乗客や車内に時々気を配りながら、車窓の向こうを過ぎて行く景色に圭一は眼を凝らした。
  烏川と鏑川の二つの川を渡り、左手に赤城山の裾野が大きく広がって見える頃、田畑の先にお寺のこんもりした木立ちと豆粒のような墓石の群れが近づいてくる。一瞬で過ぎ去るその墓石群に向かって心の中でそっと手を合わせると、上京する圭一を父と母がしずかに見送ってくれるような気がするのだった・・・あの日と同じように。
  そうこうする間もなく、新幹線は早くも最高速度に達して東に向かってひた走りに走った・・・。
  圭一が寺を訪れるたび、古い大木が切られ、真新しい木株の色と新しい墓石が目についた。
  北に赤城の長い裾野が張り出し、西に榛名の峰がやわらかな曲線を描いて、浅間、妙義、荒船、御荷鉾といった特徴ある山々の稜線が、田畑や家々を囲うように続いていた。
  稲を刈ったあと植えられた麦の丈はまだ短く、土の色が目立った。伸びるのはこれから陽射しがもっと強くなってからだ。
  五月の風が吹く頃にはぐんぐん伸びて、若々しい緑の色で畑一面埋め尽くされるだろう。故郷の変わらぬ風景を二人また一緒になって墓の中から見ているのだろうか。
  この寺の近くの田んぼに母と圭一が芹摘みに来たのはもう五十年も前のことになる。
  保育園からの帰り道だったのか、それとも別の日に摘みに来たのか。
  母は田んぼの畦に生えた芹をしゃがんで摘んだ。名も知らない他の草と選り分け包丁で切っては、普段持ち歩いていた籐の買い物籠の中に入れていった。
  籠はすぐいっぱいになった。
  春の空からせわしなく雲雀の声が降ってきた。道端にレンゲソウの花が咲き、小川が音もなく小さな丸い草を浮かべて流れていた。
  その日の食卓に茹でた芹が出た。圭一は苦くて一口食べただけで二度と芹には手を出さなかった。
  卓袱台の上に並べられた皿は、他にはほうれん草とたくあんと焦がした味噌があるだけだった。父の給料日前の食卓は特におかずの数が少なくなった。
  卵焼きでもコロッケでもウィンナーでも、好きな物をいつか腹一杯食べてみたいと圭一は思った・・・。
  五十年の月日は過ぎてみれば一瞬の出来事のように感じられた。
  新幹線が街から街を抜けて、広い平野を走り過ぎて行くように、人生の時間が過ぎ去った気がした。
  圭一も父の亡くなった年齢を二年前に過ぎていた。

   



小説(夢の中の逃走)

2019年07月14日 | 小説
   夢の中の逃走

  暗闇の中を走っていた。
  いつから走っているのか分からなかった。
  どこを走っているのか、どこまで走り続けなければならないのか、それも分からなかった。
 息が切れて苦しい。すぐにでも立ち止まりたかった。
  しかし、何か得体の知れないものが後ろから執拗に迫ってきた。
  それが何なのか、振り返ってみることができなかった。
 暗くて足元が見えない。道の先も見えなかった。
  どこへ向かって走っているのか、今、何時で、今日がいつなのかも分からなかった。
 足が空回りして思ったように進まない。足がもつれて転んでしまいそうだった。
  気ばかり焦り、追いつかれるのではないかと気が気でなかった。
  冷たい汗が幾筋も額を流れた。いっそ転んで、なるようになれと思っても、次の瞬間、何が起こるか分からない恐ろしさに、身の毛がよだつほどだった。
 足元が見えないのに不思議と道はまっすぐにどこまでも続いていた。
 ふと、何も見えない暗闇の中で何かに足をとられた。
  前に倒れこむ身体を支えようと足を前に出そうとしても、罠にかかった獲物のように足が動かなかった。
  倒れる身体を支えようと手を前に出したくても、両手が縛られたように自由にならなかった。
 頭から前のめりに崩れ落ちる。
  そう観念して固く目を閉じ、顔を横にそむけて歯を食いしばった。
  しかし、予想した衝撃はなく、ただ深い穴の中にすっぽり包まれるように落ち込んだみたいだった。
  身動きがとれないので、そのまま息を殺して追って来るものを待った。
 やがて、遠くから風の吹き過ぎるような音が聞こえてきた。
  それが段々大きくなって、風の音ではなく大勢の人間が叫んでいる声だということが分かった。
  声はますます大きくなっていった。無数の人間が死に物狂いで身体の奥底から発しているような声だった。
  その声が外でしているのか、それとも自分の身体の中でしているのか分からなかった。
  自分自身叫んでいたのかもしれない。走っている時より心臓が高鳴り張り裂けそうだった。
 その声は大地を揺るがすような最高潮に達した後、潮が引くように遠のいて行った。
  あとには深い闇と沈黙があるばかりだった。自分の心臓の鼓動だけが余韻のように響いていた。

 どれくらい時間がたっただろう。いつの間にか眠っていたようだった。
  目がさめると暗闇の奥に一筋の光が射していた。戸の隙間から居間の明かりが漏れているようだった。
  いつの間にか家に帰って来ていたのだ。
  深い安堵から大きく息を吐いて目を閉じた。
 頭といわず手足といわず全身が熱っぽく、意識が朦朧としていた。
  身体の芯で熱のかたまりが沸騰し、頭の中に過去のあらゆる時代の映像や音がこま切れにめまぐるしく入れ替わった。
 白衣を着た人が鋭く光る金属製の器具を握って何かをしていた。耳元で金属の触れ合う音が高く響いた。
  自分の胸から漏れる息が蒸気のように熱く湿っていた。意識の細い糸がもつれるように絡まった。 
  隙間の向こうで人の話し声がしたようだった。聞きなれたなつかしい家族の声だった。
  しかし、聞こえるのは途切れ途切れのつぶやきのような声で、何を話しているのか分からなかった。
 やがて、話し声が大きくなって、激しく言い争う声がしたと思うと、何かが壊れる音がした。食器やガラスの割れる音のようだった。
  暗澹たる気持ちで隙間から向こうを覗くと、家族だと思った二人はまったく知らない他人だった。
  自分がいつの間にか間違った場所に来てしまったことに気が付いた。
  しかし、ここへ来た道も方法も分からないように、ここから出て行く道も方法も分からなかった。
  どこへ行くという当てもなかった。

 身体の熱はいつの間にかすっかり下がっていた。まるで冬の大地のように冷たく凍りついたようだった。
 雨が静かに降っているようだった。いつから降っているのか分からなかった。
  ほんのり白んだ闇の中で、雨は永遠に降り続いているように思われた。
  夜が明けようとしているのか、それとも日が暮れようとしているのか分からなかった。
 狭いところに押し込められたように身動きができず息苦しかった。
  湿った土と枯葉のにおいがした。
  時間が静かに地層のように積み重なっていった。
 何か月たったのか、何年たったのか分からなかった。
  長い年月が過ぎて、ふと明るい光が頭の上に射したので見上げると、からりと晴れた青空が天まで突き抜けるように広がっていた。   (了)

   


小説(夏の小さな贅沢)

2019年07月13日 | 小説
    夏の小さな贅沢

「軽井沢にでも行ってみようか」 
 日曜の遅い朝食をとりながら、その日の予定を話し合っていた妻に、圭一は名案が浮かばないまま苦しまぎれにそう言った。言っておいてから自分でも確かに行きたい気持ちが湧いてくるのが不思議だった。 
 夏になると何となく軽井沢に行きたくなる。別荘があるわけではない。なじみの宿や行きつけの店もない。
  ただ旧軽井沢銀座の通りをぶらぶら歩き、店を冷やかしたり、アイスクリームを食べたり、写真館で昔の軽井沢の風景や町並みを写したモノクロ写真を眺めたりする。
  そして、つるや旅館のところまで行って同じ道を引き返してくる。ときには脇道にそれて、テニスコートで紳士淑女がボールを打ち合う音を聞きながら、木立の深い別荘街に入っていく外車を眺めて、自分とはついに縁のなかった世界にほんの少し妬みと諦めを感じる。
  そんな庶民が背伸びをして普段は入らない洒落たレストランに思い切って入り、よくわからないメニューを眺めて、ナイフとフォークを使って上品な料理を食べる。ほんのいっとき贅沢な気分を味わう。ただそれだけのことだった。 
 妻は以前ショッピングモールで買ってあったサマーセーターにロングスカートを穿いて、それなりのよそ行きの恰好になった。圭一は相変わらずの不調法でボタンダウンのシャツにチノパンという近所のスーパーに出掛けるのと変わらない出立ちで、妻にまた呆れられた。 
 国道一八号を西に向かう。
  安中の市街地を抜けるまでは信号や交差点の多い道で、普段であれば嫌気のさす混雑も旅行となるとそう苦にならない。助手席の妻の話も自ずとはずんだ。 
 松井田あたりから信号が少なくなり、山もぐっと近づいて、カーブや坂が多くなる。妻の口数も自ずと少なくなる。
  横川から碓氷バイパスに入るとすっかり山岳ドライブの趣きだ。長い坂を登りどんどん標高が上がる。大きなカーブが右に左に続く。
  濃い緑の木々に覆われた山の斜面が近づいたかと思うと、ガードレールの先に空が開け、妙義の奇岩が迫って、その向こうにどこかの街並みが白っぽく小さく霞んで見える。
  センターラインをはみ出さんばかりの勢いで対向車線をトラックが下りてくる。バックミラーにスポーツカーの小さな影が映ると、見る見るうちに背後に迫り、あわてて登坂車線によけて先にやり過ごす。
  幸い助手席の妻は居眠りをして連続カーブで車酔いする心配はなさそうだった。 
 碓氷峠の最高点を過ぎ県境を越えて下り坂をエンジンブレーキで降りてゆく。眼下にゆったりした高原が広々と開け、奥にはいつも榛名や妙義の脇で小さく控えている姿とは全く違う堂々とした山容の浅間山が、悠然とここの土地の主人であるかのようにどっしり腰を据えていた。
  道がまっすぐ平らになって、山道の緊張も解け、碓氷バイパスから旧軽井沢に向かう道に曲がると、妻も目を覚ました。
 「あら、もう着いたの。早かったわね」 
 道沿いにレストランやカフェが並び、すっかり下界とは違う避暑地の気分が満ちている。
  周りの車も全国各地のナンバーの高級車が目立つ。平凡な国産車のハンドルを握りながら、肩身の狭い思いをする。
  夏の装いの人々が歩道を闊歩し、テーブルに憩う人、自転車を漕ぐ人、犬を連れた人、老若男女それぞれの流儀で避暑地の時間を楽しんでいる。 
 旧軽井沢銀座は都会の喧噪をそのまま持ってきたような賑やかさだ。
  夏の陽射しは下界と変わらないが、高原の空気は心なしか乾いていて、日陰などひんやりする感じがする。 
 堀辰雄の「美しい村」の面影を追うことは時代錯誤と知りながら、ひとたび脇道に入り、人ごみと喧噪から外れ、深い木立の陰の夏でも湿っているような道を歩くと、苔むした庭、古びた別荘が見え、山の方から清冽な水が流れてくる。室生犀星の住んだ小さな家が深い木立の中にひっそり佇んでいる。 
 旧軽井沢銀座がかつての中山道の通りだとすれば、つるや旅館を過ぎて更に奥へ道をたどれば、昔の碓氷峠に至るはずだった。峠の頂上には神社と茶屋と見晴らしの良い場所があるというのをいつか観光ガイドで読んだ記憶がある。 
 「この道をずっと行くと昔の峠で、見晴らしのいいところがあるらしいんだ。一度行ってみようか」 
「ああそう。いいわよ」 
  妻はどうでもいいという感じで同意した。 
  車で旧軽井沢銀座を走るのは、道幅が狭く歩行者が気ままに歩いているので危ない。横道にそれると人通りは少なくなるが道は一層狭くなる。
  テニスコート、教会、しゃれた店が点在する。さらに奥へ進むと、別荘が林の奥にたたずんでいる。
  木立が深くなり、登り道になってカーブの多い、誰も通らない寂しい道が続く。
 「本当にこの道で間違いないの?」 
  新緑の時期には遅いが、それでも広葉樹の葉は滴るような鮮やかな緑だ。木漏れ日が漏れるが、斜面の下の方は木々に遮られて見えない。
  頂上まで上り詰め、空き地に車を置いて、展望台に続く最後の坂を妻を先に歩いて登る。 
「わあ」と圭一は思わず歓声を上げた。 
「こんなに景色のいい所があったなんて、知らなかったわ」 
  今まで無関心の様子の妻も感嘆の声を漏らした。
 関東平野が遮るものなく目の前に大きく開けている。利根川の流れがうねるように果てまで続いている。
  近くに妙義の奇岩。中ほどに榛名や赤城の山や低い丘陵。その先に野や林や町が霞んでいる。
  展望台にやってきた人々が口々に歓声を上げる。途中の登り道で追い越した自転車の集団も着いた途端、大きな声を出した。 
  江戸時代の旅人もこの雄大な景色を堪能しただろう。山の中の道である中山道を京から信州まではるばる辿ってきて、この碓氷峠を登りつめ、眼下に開ける見たこともない広大な平野を眺めた時の気分はいかばかりだったろう。当時は江戸の町まで見えただろうか。 
  さらに遥かに遡れば、「あづま、はや」とヤマトタケルノミコトが詠嘆したのも、旅路の果てに、この峠から東の野と空を仰いだときではなかったか。
  昔の人たちが大変な苦労をしてやっと味わったこの貴重な眺めを、こんなにたやすく気軽に味わうことができるのだ。お金では買えないこの夏一番の贅沢をした気分だった。