太田さんの家では、新学期を前に、二台目の子供用自転車を購入した。
前もって見当をつけておいた自転車屋さんの店先には、スパナやレンチなどが置いてあって、つい先ほどまで誰かが作業をしていたらしかったが、まわりに人は見あたらなかった。
どうしたものか、出直そうかと迷ったが、とりあえず見るだけでもと、おずおずと敷居をまたぎ店の中に入った。奥さんと二人の子供があとに続いた。来客を知らせるチャイムが店の奥で繰り返し鳴った。
店の中を見回すと、赤や青の蛍光色に塗られた車体に、突起の多い太いタイヤをつけたマウンテンバイクや、何段変速か数えられないほどギヤのたくさんついた高価そうな自転車が誇らしげに壁にかかっていた。学生が通学に使う自転車も立派な装備のものが所狭しと並んでいた。 太田さんは自転車屋さんに入るのも、こんなにたくさんの種類の自転車を見るのも久しぶりだったので、知らない間にこの世界も長足の進歩を遂げていたことに驚かされた。ゴムのチェーンというものを初めて見たし、スピードメーターも液晶のデジタルに変わっていた。 太田さんの家にある子供の自転車は幼児用で、近くのホームセンターで購入したものだった。長男が幼稚園に通っているとき乗り始め、補助輪をはずして最近まで乗っていたものだった。
「いらっしゃい」
しばらくして、店の奥から主人が出てきた。短く刈った髪が白く、顔は見事に日焼けした愛想の良さそうな主人だった。油染みたデニムの前掛けをして茶色くなった軍手をしていた。
「自転車をお探しですか」
「子供が乗る自転車なんですけど」
「子供さん用ね。あっちにあるけど、あんまり数はないんだけどね」
子供用の小さな自転車は、主人の案内する店の奥の方に置いてあった。大人や学生向けほど種類はなかったが、それでも太田さんが選択に迷うには十分な数と種類だった。
「どう?適当なのがあるかい」
太田さんは奥さんに聞いた。
「そうね。いろいろあって迷うわね。また、中学に行くようになればもっと大きいのを買うんだから、そんなに高級なものでなくてもいいわよ」
当事者である長男の浩介君は、他人事のように興味なさそうだった。後ろを振り向いては壁にかかったマウンテンバイクの方にちらちら視線をやっていた。
「これがいいよ、浩介。値段も手頃だし。ほら、これ。こっちだよ」
太田さんは小学校高学年まで乗れそうな二十四インチの自転車を指さした。浩介君が返事をする代わりに裕介君が答えた。
「僕はこれでいいよ」
次男の祐介君の方が兄よりも乗り気だった。一番奥にあるパステルカラーの幼児用自転車のサドルを軽く手の平でたたきながら言った。
「今日は祐介の自転車を買いに来たんじゃないよ。お兄ちゃんの自転車を買いに来たんだよ」
それまで目を輝かして自転車を見ていた祐介君はがっかりして泣きだしそうな顔になった。 太田さんと奥さんは目と目を見合わせ、どちらが説得するか譲り合っているようだった。奥さんが渋々、説得を始めた。
「祐ちゃんにはね、いまお兄ちゃんが乗ってるのを上げるからね。いい?祐ちゃんがもっと大きくなったら、いいのを買ってあげるから。それまでお兄ちゃんので我慢してて。ね、分かった?」
「うん。分かった」
祐介君が意外に聞き分けがよかったので、奥さんはほっとした。店の人がいる前で愚図られて、大きな声を出したくなかったし、かといってここで自転車二台分のお金を出すことは、太田家にとって無理な相談というものだった。 まだ小学校入学前の祐介君に深い魂胆などあるはずもなく、ただ単純に兄のお下がりの自転車がもらえるのを喜んでいるのだろうと太田さんは勝手に解釈し、自転車選びに戻った。他の店も見て値段を比較したいとも思ったが、出入口の所に店の主人が立っていて、外に出づらい雰囲気だった。面倒になって、初めに選んだもので決めてしまおうと太田さんは覚悟を決めた。
「やっぱり、これでいいよ。これにしよう」
太田さんが珍しく決断力を発揮して、奥さんも浩介君もあえて異論を唱えなかったので、すんなり決まった。自分の新しい自転車を買ってもらったのに、浩介君があまり嬉しそうにしないので、太田さんは少しがっかりした。かえって祐介君の方が嬉しそうだった。
代金を支払い、登録のための手続きを済ませると、主人は愛想良く言った。
「雨が降らない限り、今日の夕方にはお届けしますから。お住まいはどちらですか」
広げた住宅地図で家の位置を主人に指し示すと、太いマジックで無造作に太田さんの家のまわりを丸く囲んだ。だいぶはみ出して、周囲の家の名前が消えて分からなくなったが、主人は頓着しない様子だった。
郊外の分譲地の一区画にある太田さんの家は分かりづらい。自分でも引っ越してきた当初は何度も迷子になってしまった。曲がるところを間違えて、違う並びを探していることがよくあった。似たような家が同じ間隔で何列も並んでいるのが問題だと太田さんはつくづく思った。しかし子供達は迷わないらしいのが不思議だった。結構遠い小学校からもちゃんと帰ってくるし、暗くなるまで近所の公園で遊んでいても、間違えずにわが家に帰ってきた。帰巣本能のようなものが小さな体に備わっているのかと太田さんは思った。
太田さんの家がある団地と農業地域との境にある大きな農家の庭先にハクモクレンが白い花をつけているのが生け垣越しに見え、桜もちらほらほころび始めていた。太田さんもいつか自分の家の狭くて殺風景な庭にも季節の花や樹木を植えたいと考えていた。
家に帰ると、早速、太田さんは裏の小さな物置の中を探して、二年前に外した子供の自転車の補助輪を二つ見つけ出して、スパナで取り付けた。それからサドルの位置を一番低くした。空気入れでタイヤの空気を一杯にし、雑巾で車体の汚れと泥をぬぐい、ブレーキの利き具合を確かめ、かごのへこみを直してやれば、立派なお下がり自転車の出来上がりだった。祐介君は太田さんの脇で一部始終を見ていた。
「ほら、これで祐介も乗れるだろ。どうだ、乗ってみな」
祐介君は新しく自分のものになった自転車にまたがると、狭い庭から表の道路へ元気よく出ていった。ペダルを踏む足も意外にしっかりしていた。補助輪が右、左と勢いよく回転した。
「おい、祐介。車に気をつけろよ。遠くへ行くんじゃないよ」
お下がりで我慢している祐介君のことが、太田さんは少しかわいそうになったが、本人があまり気にしていないようだし、それじゃ新しい自転車を買ってと言われても困るので、深く追及するのはやめた。
「ねえ、祐介をひとりで放っておいたら危ないわよ。ちゃんと見ててあげたら」
家の南側のサッシが開いて奥さんが顔をのぞかせて言った。
太田さんが庭から出てみると、祐介君は家の前の道をまっすぐ走って、T字路のつきあたりでくるっと回ってこちらに引き返して来るところだった。左右に少し傾いて蛇行しているが、だいたい真っ直ぐ走って来る。補助輪のこすれる音がだんだん大きくなった。
この分なら、一年するかしないかのうちに補助輪が取れるかな、浩介のときより早く取れるかな。そう思ったのは、太田さんの誤算だった。実際には二年がかりで、しかも最後の仕上げがこれまた難航したのだった。
「浩介だけでなく、祐介まで自転車に乗るようになって、事故に遭わないか心配ね。ここは家の周りをしょっちゅう車が通って危いし。角の所で止まらないで勢いよく曲がってくる車があるでしょ。朝なんか抜け道に使う人もいるし、ほんとにいやね。住宅街の人の家の前をわざわざ通らないで欲しいわね」
「この前の道だって一応、公共の道路なんだし、通せんぼするわけにもいかないじゃないか」
「それじゃ、せめて歩道を作ってもらいたいわね」
「こんな狭い道で歩道なんてできるわけないよ。車がやっとすれ違える道幅なんだから。この団地の中なんかまだいいほうで、昔からの道は区画整理がされてなくて、車一台通るのがやっとの道だって多いんだから」
太田さんは息子に新車の感想を聞いてみた。
「浩介、どうだ、新しい自転車の乗り心地は」
「べつにフツーだよ」
「あ、そう。普通なら結構でしたね。祐介はどうだ。一人で自転車に乗っちゃだめだぞ、車が危ないから」
「うん。乗らないよ」
太田さんの家の食卓を囲んでの会話はいつものようにぶっきら棒で途切れがちだった。
太田さんも自分に子供ができて初めて、子供に注意して車を運転するようになったのだから、決して偉そうなことは言えないはずだった。それまでは小さな子供が道路の端をチョロチョロ歩いていると、迷惑そうな顔をして運転していたのである。それが自分の子供ができて外を歩くようになると、自分の子が道路を歩いているかのように、車のスピードをゆるめ、子供が道路に飛び出しはしないかとか、よろけて転びはしないかとか心配しながら、大きくよけてゆっくり通り過ぎるようになった。
子供が交通事故にあったというニュースをテレビで見たりすると、肝がつぶれる思いがするようになったのも子供が外歩きをするようになってからだった。朝、通勤途中に救急車とすれ違うと、自分の子供が登校中に事故に遭ったのでないかと不安になって、携帯電話の呼び出し音が鳴らないかと取り越し苦労をした。
そうしてつくづく太田さんが思ったのは、日本は「くるま社会」、自動車優先の社会だということだった。太田さんの家から勤め先まで、歩道がある道は少なく、あっても狭い。自転車の場合、狭い道路を車とすれすれになって、ぶつけられないかと心配しながら運転しなければならない。
歩道橋なるものが、まさに車優先、歩行者二の次の考え方の象徴といってよかった。特に学校の周辺に多い。たった五メートルの道路を横断するのに、階段を何十段も上り下りして歩道橋を渡らなければならない。学校の児童以外、歩道橋を使う者はいなかった。しかし、太田さんもくるま優先社会の便利さを自分でも享受しているのだから、文句は言えなかった。通勤も車、買い物も車、遊びに行くのも車で、車なしには一日も過ごせないと言ってよかった。ただ、もう少し歩行者や自転車に配慮してもいいのではないかと思うようになった。
*
*
次の年の夏が過ぎ、秋になっても、祐介君はまだ補助輪をつけたお下がりの自転車に乗っていた。親は二人の子を比較する気はなくてもついつい比べてしまうので、下の子が「遅れて」いるように思えてしまうのだった。
上の子のときには、小学校一年のとき、自分から補助輪を外して欲しいと言い出しただけあって、補助輪を外してから、二度ばかり公園で練習したらすぐに乗れるようになり、あとは何度か一緒に道路に出て、交通ルールや乗り方を教えておしまいだった。けれども下の子はいつまでたっても、補助輪に頼っていて、一向に「自立」する気がないように見えた。
「三年生になると、学校で交通教室があるから、そのときまでには絶対乗れるようになってないと困るわよ」
「おい、祐介。補助輪はもう取るぞ。いつまでもそれに頼ってたら、乗れないからな」
「エー、取っちゃうの。ぼくまだ乗れないよ」
「よし、じゃあ、あした公園で特訓しよう」
「エー、トックン?」
団地の中にある児童公園は、狭くて自転車の練習にはあまり向かないので、小学校の校庭まで出かけることにした。それ以外に広い場所は近くになかった。ところが学校に着いてみると、校庭ではサッカークラブが練習をしていて、空いている場所がなかった。
「場所を替えるか、それとも午後にするか」
児童公園へ回ってみると、小さな子供達が遊んでいた。しかたなく出直すことになった。せっかくやる気になって張り切った気持が、栓のゆるんだ風船のようにいっぺんにしぼんでいくようであった。太田さんと祐介君は補助輪のない自転車を代わる代わる押しながら、重い足取りで団地までもどってきた。
午後はまた空振りになると困るので、自転車をバンの後ろの荷台に積んで出かけた。学校の校庭は今度は野球クラブが使っていた。児童公園もふさがっていた。隣のゲートボール場が空いていたが、きれいに整地されたコート内に自転車を乗り付けるわけにいかなかった。またしても空振りになった。他にすることもないので、車で郊外の本屋へ行って、二人で立ち読みをしていたら、一日が終わってしまった。
「そんなことなら、この家の前の道路で練習したらどう?あなたが見ていれば大丈夫でしょう。車が来たらよければいいんだから」
「だって、祐介はまだ真っ直ぐ進めないんだぜ。右に行ったり左に行ったりふらふらして、塀にぶつかるか、その前に転んじゃうよ。この幅じゃ危なくて練習にならないんだよ」
「だって、真っ直ぐに進めなければ自転車に乗れたことにならないじゃないの。こんなに道幅があるのよ。この道で狭いなんて言ったら、どうするの」
「それは、乗れるようになってからの話だよ。コツさえ体で覚えればすぐに乗れるようになるんだけどな」
そのコツは自分で身をもって覚えるしかないものだった。いくら口で説明しても、手本を見せても、本人が実際にできるようにならなければ意味がないのだった。それは頭の中で暗記するものではなく、擦り傷や切り傷をこしらえながら体で覚える種類のものだった。
よくよく考えてみると、補助輪があるときの乗り方と、それがないときの乗り方は、根本的に違うのだと太田さんは思った。ペダルを踏むと踏んだ方向に車体が傾き、自然にハンドルが切れる。切れた方向に自転車は曲がろうとする。補助輪があればその力を受け止めて傾きを直して真っ直ぐに走ってくれるが、補助輪がないとそのままその方向に倒れてしまう。倒れないためには、ペダルを踏む力に対抗する力を、ハンドルや体のバランスをとって反対方向に働かせなくてはならないのだった。
それからハンドルの切り方がまったく違った。補助輪のときは手先だけで軽く左右に振れば自転車は曲がってくれるが、補助輪がないときに同じような調子で切ると、急ハンドルになり、すぐに転んでしまう。この場合、ハンドルを切るというより、むしろ自転車と体を一体にして、進みたい方向に傾けながら、ハンドルをその方向に導いていくといった方がよかった。その感覚を体で覚えさせなければならないのだ。どうすればそれができるのか。
補助輪のついた自転車ではその練習はできない。補助輪をとってしまったら、まったなしでその技術が必要になる。目指すところの結果を前提にしているのだから、これは矛盾と言ってよかった。卵なしには生まれない鶏と、鶏なしでは生まれないはずの卵を、一挙に出現させなければならないようなものだ。
それは太田さんには奇跡のように思えた。ヘレンケラーのあの奇跡ほどではないかもしれないけれど、まったく比較にならないくらいささやかな奇跡だけれど、それでも奇跡には違いないと思えた。そうして、誰でもその奇跡を起こしているのだ。上の子にしても、よその子にしても。それから太田さん自身も、何十年か前に。
考えてみれば、そうした小さな、ささやかな奇跡をいくつも積み重ねながら、人は成長していくのかもしれなかった。言葉だってそうだし、立って歩くこともそうだ。泳ぐこともそうかもしれない。もっと言えば、ひとつの生命が宿り、この世に生を受け、人として生まれてきて、独りぼっちの存在が社会の中でともに生きていく存在になることもそうなのかもしれなかった。
それはさておき、自転車に乗ることがとりあえずの課題だった。まず、真っ直ぐに走れるようになることが先決だった。そして思ったところで確実に止まれるようにブレーキのかけ方を覚えること。曲がるのを覚えるのはそれからだった。
次の土曜日は、運良く学校の校庭が空いていた。しかし、秋とはいっても残暑の日が照りつけ、真夏のような暑さだった。
野球で使ったときのファウルの白線が校庭に残っていたので、太田さんは祐介君にそれに沿って走るように指示した。
少し前に進んでは止まり、進んでは止まりで、一向に埒があかない。ペダルを半回転させるのがやっとで、ペダルを踏んだ方向に車体が傾いたのを立て直せないから、真っ直ぐにこぎ続けることができないのだった。
しばらくして、太田さんは祐介君に自分でペダルこぐのをやめさせ、ただ乗ってハンドルをしっかりつかんでいるように言った。太田さんが、後ろのタイヤのカバーのところを手で押さえてやり、そろそろと前に押してやった。しかし、人の力で動かされるのが恐怖感を起こさせるのか、すぐにブレーキをかけ足をついてしまう。
「押さないで。自分でこぐから」
自分でこぐと、結局少しずつしか進まない。太田さんは、どうどうめぐりで少しも進歩がないので、もどかしくなって、やめて帰りたくなった。
要するに、まっすぐ走ることにこだわっていたのが誤りだと気がついたのは、秋の日が傾いてからだった。
「おい、祐介、好きなように走っていいぞ」
線に沿って走らないので楽になったように見えたが、結局同じことだった。ちょっと進んでは右に行き、ちょっと進んでは左に行き、ジグザグの蛇行をしながら、半回転ずつのペダルこぎをやっているだけだった。
太田さんは少し考えた末、祐介君に、ペダルをこぐのではなく、直接、足で地面を蹴って進ませてみた。そうして、まっすぐ車体を維持する練習をしばらくやってみた。慣れたところで、うしろを押してやって、スピードが少し出るようにした。
その練習に慣れた頃、次にペダルをこがせてみた。勢いがついて惰性がついていればいやでもまっすぐ走るから、その中でペダルをこぐ感覚とバランスをとる感覚が分かればいい。スピードが出ると、回転が速くなり、ペダルを踏む足も急いで回転させなければならない。それは小さな足には大変だったが、かといって、遅いスピードではよろよろして、惰性がついていないので、傾いて転んでしまう。自転車を追いかけていっては、何度も祐介君の背中を押して加速してやった。
調子が出たと思って油断すると、転んでひざを擦りむいた。足が汗と泥で真っ黒になった。泣き声さえ上げなかったが、今にも泣き出しそうな顔をしている。太田さんも泣きたくなってきた。帽子を脱いでハンカチで汗を拭った。気を取り直して、また何度もやってみる。祐介君も意地になってきたらしかった。
次の課題は、止まっている状態から自分でペダルをこぎ、倒れないようバランスをとりながら、まっすぐ走れる一定のスピードまで達すること。この限界点を越えてしまえば、もう自転車は走ってくれるのだ。
何度目かの挑戦の後、ついにその時がやってきた。生まれて初めて、転ぶことなく、祐介君が自分でこぎ出した自転車がまっすぐ走り続けることができたのだ。
走る、走る、自転車が走る。よろけそうになりながらも、前輪を少し動かして体勢を立て直し、まっすぐに走っていく。祐介君の前髪が風を受けて巻き上がり、小さな額が見えた。太田さんは奇跡を目の当たりにし、うれしくなって、暑さも忘れ、小走りに追いかけた。
「走れ走れ、もっと走れ。真っ直ぐに、どこまでも。あ?」
どこまでも真っ直ぐ行くことは不可能だった。たとえ北海道の大地でも。まして小学校の校庭では、百メートルがいいところだった。
「曲がれ。左に曲がれ。おーい」
自転車は曲がることなく、特攻隊のようにまっすぐ突き進み、鉄棒の前で急停車した。
太田さんはほっとした。祐介君は方向転換し、こちらへまっすぐ進んでくる。もう大丈夫。まっすぐ走る感覚は体でつかんだようだった。まっすぐ走れるようになれば、曲がれるようになるのはすぐだろう。どこまでも太田さんは楽天的ないし呑気だった。
練習をしばらく続けると、秋の日が暮れて、二人は意気揚々と自宅に戻ってきた。
「おい、祐介が自転車に乗れるようになったぞ」
「ぼく、自転車に乗れるようになったよ」
「まあ、よかったわね。やっとね。今度は、実際に道路に出て走ってみたら」
「いや、まだ曲がることができないから、道路に出るのはもう少し練習してからだ」
「なんだ。それって乗れたことになるの?」
「何を言ってるんだ、大きな進歩なんだぞ。あともう少しだ」
祐介君は、家の周りでも練習するようになった。家の前の道をまっすぐ行ってT字路で引き返してくる。今度は補助輪なしであったが。
車が危ないから一人では練習しないようにという言いつけに祐介君は忠実だったから、練習は土日に限られ、雨が降ったりすると、次の週に延期になった。
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冬の間、寒さと北風のため、オフだった太田さんの家の自転車の練習も、春になって再開した。課題だった曲がることもできるようになって、道路を何とか走れるようになった祐介君は、いよいよ実地訓練に出ることになった。季節はあわただしく過ぎて、桜が散り、ハナミズキがそこここの街路に赤や白やピンクの花を開くようになった頃であった。
太田さんは車の通りの少ない道を選んだ。団地から近い小さな川沿いにできたサイクリングロードを走ることにした。車でそばを通り過ぎることはあっても、自転車でサイクリングロードを走るのは太田さん自身初めてだった。工場や家並み、看板、道ばたの木々や草花。いつも車の窓越しに見る景色も違う角度から見ると新鮮な風景に映った。ゆっくりしたスピードで走ると今までたくさんのものを見過ごしていたことが分かった。
浩介君は弟に合わせてゆっくり走るのがもどかしく、一人で勝手にどんどん先に行ってしまい途中で待っていた。祐介君ははじめ緊張して硬い面持ちだったが、まわりの景色を見る余裕がでてくると、明るい笑顔に変わった。
川は、走るにつれいろいろな表情を見せた。穏やかな流れ、きれいなせせらぎ、排水のような泡の浮かんだ流れ。ゆるやかな淵では水鳥の一家がゆったり浮かんでいた。農業地域では、春になって麦の苗がぐんぐん成長し、土が黒みを増し、菜の花畑では黄色いあかりが灯ったように輝いた。
川辺を渡る風が、子供達の後ろについて自転車をこぐ太田さんの汗ばんだ額を吹き抜けていった。
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*
それからまた新しい春が来て、太田さんの家の裏には、錆び付き色あせた小さな幼児用自転車が置かれていた。いつかは処分しなければと思いながら、「奇跡」を起こした自転車を太田さんはなかなか捨てる気になれないのだった。
裕介君は相変わらずお兄ちゃんのお下がりの自転車に乗っていた。今度はもう一回り以上大きくなったあの二十四インチの自転車であったが。
太田さんの家の小さな庭に植えたハナミズキは三年たってようやく白い花をつけるようになった。(おわり)