風と光と大地の詩

気まぐれ日記と日々のつぶやき

信州上田、軽井沢に行ってきた

2019年09月14日 | 旅行
上田といえば真田。真田といえば六文銭。六文銭といえば幸村。

時代小説や大河ドラマでも人気の高い戦国武将真田の物語の第1章は、徳川の圧倒的軍勢を2度に渡って知略と天然の要害上田城に拠って退けたこと。これは市民の誇りとして受け継がれている。

  

真田の物語の第2章は、大坂の陣で強引に豊臣を滅ぼそうとする徳川方に、真田丸に拠って一矢を報いたこと。
徳川方に付いていた信之は、徳川にとって忌まわしい記憶しかない上田城が破却されたため、新たに外側に築かれた平城のような藩主館に入ったが、その後松代に移封され、上田は仙石氏、松平氏の治世となる。
 藩主館跡地には、現在、長野県立上田高校が立っている。その校歌にも真田の武勇伝が謳われている。仙石氏の代に再建された上田城の櫓を明治維新後、再整備したのは上田市民の尽力によるものだという。
再整備された櫓からの眺め。狭間から見える百日紅の赤が鮮やか。
大河の真田と言えば草刈正雄。朝ドラでも存在感を発揮。
手形が二ノ丸の上田市立博物館内にある。

第三セクターしなの鉄道で軽井沢に移動。
矢ヶ崎公園の池と離山と浅間山。右に少し見えるのは大賀ホール。

ホールでは本日、千住真理子のコンサートがあったが、チケットは2か月前に売り切れ。

軽井沢を避暑地として著名にするのに文人たちも一役買っている。

中でも堀辰雄「風立ちぬ」、「美しい村」はバイブル的存在。ハッピーバレー(幸福の谷)は緑深い。

宮崎駿の映画「風立ちぬ」の舞台万平ホテル。室生犀星旧居の美しい苔は手入れが行き届いている。

昭和の文人たちにとっても軽井沢は憧れの地。堀辰雄は隣の追分に終の住処を建てる。

軽井沢のブランドを決定的にしたのはロイヤルウェディング。

旧軽井沢銀座は9月でも賑やか。外国人も多かった。

歩き疲れて腹ごしらえをした後、新幹線で帰る(高崎まであっという間)。
軽井沢の旧駅舎。峠越えで釜飯など食べた昔の旅の方が風情があったか。

島根京都旅行アルバム拾遺

2019年09月01日 | 旅行
長野道姥捨SAからの眺め

島根玉造湯神社と名の由来の玉造りの遺跡

出雲大社に近い稲佐の浜(海の向こうは外つ国)

出雲大社と隣の神楽殿の巨大なしめ縄

和気清麻呂を祀る京都護王神社の守り神はイノシシ

京都御所建春門と蛤御門

紫宸殿(右近の橘と左近の桜)

清涼殿
  

御内庭と御池庭
  

嵯峨野の竹林
  

落柿舎と遠景

室内と庭

芭蕉句碑





京都は外国人旅行客で溢れていた

2019年08月28日 | 旅行
早朝の京都御苑(御所)。犬の散歩をする人、ジョギングをする人、出勤を急ぐ人。普通の日本の街の朝の風景。



開門後の御所は、外国人旅行客が目立ち、京都が国際観光都市であることを感じさせた。


北野天満宮では中国語を話す人が多かった。この時代の文化のオリジナル、モードは中国だ。


嵯峨野では様々な国の人が溢れていた。ただ韓国語を耳にすることはほとんどなかった。

  

昼食に湯葉を食べ漬物をお土産に買い、駐車場の車に乗り込んだ頃、雨脚が強くなり、高速道路に乗ると、土砂降りの雨に見舞われた。ともかく無事に行って来れて何より。

出雲大社が広島にもあるとは知らず

2019年08月27日 | 旅行
  朝、玉造温泉を出発するとき、慌ててナビを操作して目的地を入力し、よく確認しなかったのがいけなかった。間違うのは人間であって機械ではない。事象としてはヒヤリハットではなく、少なくともインシデント、あるいは事故というレベルかもしれない。SA、PAのない高速道路上で確認、修正が簡単にできない。西に向かって走っていた車が南に向かい、まさかナビが嘘を教えるわけはない、それにしてもおかしいと思いつつ、最終的にICを降りて確認できたのは島根と広島の県境を越えてだった。ナビは広島の出雲大社を案内し、そう設定したのはいい加減に設定した自分であった。時間とガソリンの浪費。反省することしきり。今日はくたびれた。無事に予定通りお詣りを済ませ、京都に着いたのは結局午後6時過ぎだった。


  




島根玉造温泉に来た

2019年08月26日 | 旅行
  玉造温泉まで約800km、休憩時間を含めて10時間と踏んだところ、家を8時に出たので、予定通り夕方6時に着いた。ほとんど一日中、高速道路で車を運転していた弾丸ツアーだが、帰りは京都で一泊するのでもう少し余裕がありそう。先ずは無事に旅行できたことを感謝。夕食前に温泉街を少し散策し、メノウを埋め込んだ大きな風呂の中で疲れた手足を伸ばした。