万葉集巻第一は大和朝廷草創期の歴代天皇とその周辺の人々にまつわる歌で始まる。
「大君は神にしませば」という定型のような詩句が至るところに響きあい、全巻の通奏低音ともなっている。「万葉の精神」の精華として喧伝された時代はそんな昔ではない。
「日本書紀」の掉尾巻第三十は、その「神にしませば」と詠まれた代表とも言える持統天皇の巻だが、書紀の平板で硬質な漢文脈のどこを探しても、万葉集にうたわれたような神々しい影は見出せない。
天皇の伊勢行幸を、農繁期を理由に見合わせるよう、一官僚が職を賭して諫める話が万葉集の左注にも記録されている。万葉集の若々しい天皇制国家を讃える伸びやかな歌の群れの中で、その注は、何か無粋で場違いな余談のような印象を受ける。
万葉集に引用された元の文章では、書紀巻第三十の筆録者(中国からの渡来人か)の現実主義に溢れた冷静な歴史叙述によって、リアルな時代の姿が浮かび上がる。
命を賭して諫めた忠臣と、それを無視して強行された伊勢行幸。少なからず損害を蒙ったであろう人民に施された事後補償ともいうべき施しについても、書紀はリアルに記述する。
人麻呂はじめ名だたる歌人が、神話的な修辞と言霊の発露を競い合った吉野行幸や伊勢行幸も、書紀筆録者の手にかかると、イマジネーションのあらゆるヴェールを剥がされ、裸の事実の羅列となる。いわく、いついつ、天皇、吉野に行幸。いついつ天皇、吉野より帰る。誰それに褒賞を与える。この無味乾燥な字句の繰り返し。その中で、先の諫言の話はユニークなエピソードたり得ている。
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