泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

高知へ

2024-02-21 18:59:11 | 
 高知に行ってきました。
 写真は高知城です。
 初めての四国でもありました。
 行きは新幹線とバスで。
 岡山から「龍馬エクスプレス」という高速バスに乗り換えます。
 今かな今かなと地図を見ながら、お目当ての一つであるものがついに現れました。



 瀬戸大橋です。
 写真は瀬戸大橋から見た瀬戸内海。
 不思議ですよね。
 山なのです。なのに海。
 後日少し調べました。
 今から約1400万年前、「瀬戸内火山活動」と呼ばれる短期間の激しい火山活動がありました。そのとき噴火したものが山となって残っている。
 さらに約300万年前、四国を南北に分ける中央構造線が横に動いたため、横ずれの「しわ」として隆起したところが後で島になった。
 今の瀬戸内海となったのは約1万年前と言われています。
 瀬戸大橋を渡っていよいよ四国の香川県へ。
 山々を縫うように西へ。
 愛媛県に入って、大きく左折。それが高知自動車道です。
 その道も、よくぞ拓いた、というような山道の連続。四国の山々は険しいのです。
 これも後日調べました。
 南東からフィリピン海プレートが、ユーラシアプレートの下に沈み込んでいるのですね。そのための隆起と言われています。
 南海トラフ地震が懸念されている所以です。
 険しい山々を越えると、ぱっと開けます。
 山が山だけに、開放感も大きい。そこが高知でした。



 高知駅から路面電車に乗ってはりまや橋へ。そこから歩いてすぐ中央公園があり、「高知龍馬マラソン」の受付をし、ホテルも近くにあったのでチェックイン。
 路面電車だけでなく街のあちこちにアンパンマンがいました。
 作者のやなせたかしさんのご両親が高知県の香美市出身ということで香美市立アンパンマンミュージアムがあります。
 来年春のNHK連続テレビ小説「あんぱん」も決まっています。バイキンマンとドキンちゃんの銅像もありました。
 で、商店街を少し歩けばもう高知城。



 こちらは天守閣から見た高知駅方面です。
 遠くには山。
 川が3本流れて浦戸湾で合流しています。そして海に流れる。
 太平洋に広く面して、そのへそに当たる場所が高知市。
 古くからカツオとクジラの漁が盛んでした。それに材木。
 海と山に恵まれていたから。行ってみて納得です。
 その日は「ひろめ市場」という屋台村で夕食。
 カツオのたたき丼は外せません。ニンニクはおろさず、スライスしたものをつけるのが高知流でした。それとネギとミョウガ。薬味との相性が抜群でおいしかった。
 あとはクジラハム、ウツボのたたきもいただきました。そんなにうまい! というものでもありませんでしたが、話のネタに。
 翌日はフルマラソンです。温泉に入ってから早めに就寝。
 フルマラソンの話は、また後日。
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シェイクスピアの記憶

2024-02-10 19:02:47 | 読書
「ボルヘスは旅に値する」と言われます。
 最晩年の作品を読み、訳者の丁寧な解説と著者の言葉を聞いて、その意味が私なりにわかってきました。
 著者は常々こう言っていたそうです。「書いたものよりも読んだものを誇りたい」
 さらにはこんなことも。
「私も書くことでだいぶ救われました。惨めな気持ちが癒やされました。ですから、私の書いた作品は全然文学的価値がなくても、私には大いに役に立ったんです」
 この言葉を聞いて、私も救われました。
 そうだ、そうだ。書いたものより読んだものを誇りに思う。まるでイチローみたいじゃないか。3割のヒットより7割のミスを誇りたい、というような発言を思い出して。
 ボルヘス自身、自分の降りかかった不幸を嘆いてもいます。政治的なことだったり、目が不自由になったことだったり。
 それでも彼はそれらの不幸を「人間ならだれもが経験する」ものとして受け止め、何世代にもわたって受け継がれる作品へと移し替えることができた。
 ボルヘスの作品はどれも短いですが、ものすごく濃いです。そして一目で、これは彼しか書けない作品だとわかる。誰かに似ているなんてことは全くない。
 この本に収められた最晩年の4つの作品は、初期の作品に比べてだいぶ読みやすくなったように感じました。本人も言っているように、過剰な装飾を必要としなくなったためなのでしょう。
 それでも持ち味は変わっていません。むしろ装飾が落とされた分だけ作品に入っていきやすいかもしれません。
 一つ目は「1983年8月25日」というタイトル。お気に入りのホテルでチェックインしようとすると、すでに本人が部屋に入っていた、というもの。
「本人」は、死を目前にした老いた自分。老いた自分と自分が対話し、お互いにお前は自分じゃないと言い張ったり、一番の過ちを言い合ったり。
 俺がお前を夢見ているのだと言えば、いや俺がお前を夢見ていると言い返したり。
 二つ目は「青い虎」。
「青い虎」を探してある村に来ている主人公。彼は住民たちの世話になりながら、来る日も来る日も青い虎を探している。
 ある日、彼は「青い虎」とそっくりな色の小石を見つける。高い場所にある大地の裂け目で。
 青い小石は増殖する。消えたと思ったら、また戻ってくる。
 最初は喜んでいた彼も、やがて不気味に思うようになる。今まで信じていたものすべてが青い小石には通用しないので。
 彼は乞食に青い小石を譲る。その替わり、彼が乞食から渡されたのは、恐ろしい世間だった。
 三つ目は「バラケルススの薔薇」。
 彼は灰になった薔薇を元に戻すことのできる錬金術師。一方で詐欺師呼ばわりもされていた。
 彼の元に弟子入りを志望する者が現れる。袋にたくさんの金貨と、もう一方の手には薔薇を持って。
 金貨を差し出し、さらにこの薔薇を灰にして元に戻してくれ、今見せてくれとせがむ。それを見せてくれたら弟子になると図々しい。
 バラケルススもまた弟子を求めていた。確かな信念こそが道なのだ、とか言って諭すが、弟子には伝わっていない様子。
 彼は薔薇を暖炉に投げ入れ、灰になった薔薇はもう元には戻らず、私は皆が言っているようにただの詐欺師なのだよと言う。
 弟子志望者はがっかりして失礼を詫びて、差し出した金貨を回収してすごすご退散。
 一人になったバラケルススは、おもむろに灰になった薔薇を手に取り、小さな声である言葉を唱えると薔薇は蘇る。
 最後が「シェイクスピアの記憶」。
 これは何だろうと思いますよね。
 読んでみるとそのまま、「シェイクスピアの記憶」を保持している人がいて、その人から「シェイクスピアの記憶」を譲り受ける話。
 彼はシェイクスピアの学者であり、シェイクスピアの記憶が自分に入ってきて、まるで自分がシェイクスピアになったようで興奮する。
 しかし彼は、彼だった。今、自分がどこにいるのかさえわからなくなり、自ら望んだ「シェイクスピアの記憶」を誰かに譲りたくなる。
 電話をかけまくって、これぞという人に譲ることはできた。
 それでも、「シェイクスピアの記憶」が思い浮かばなくなるまでには時間がかかり、バッハの音楽に救われることを見つける。
「我にすぎないものこそが、我が身を生かしていくのだ」と繰り返し言う彼に、私は深く共感しました。
 以上ざっくりと要約してみましたが、先にも書いたように、一行ずつが濃いので、読んだ人の今によって、様々な受け取りが開けてくると思います。
 その「開け」こそが「救い」につながっていくのではないでしょうか。
 私は、いつの間にか私ではなくなっており、やっぱり私が恋しくなって、私に還り、私を再発見する。
 不幸である私から抜け出し、だれのものでもないけど確かにある存在に触れ、私自身が夢となり、人生の主導権を投げ捨て、永遠とも言える世界とつながって、私はいつの間にか癒やされていた。
 日本のアニメにも通じるものがありそうです。パラレルワールドをリアルに感じるというか。
 だからこそ「ボルヘスは旅に値する」のです。
 彼の魅力、少しは伝わったでしょうか?
 気になった方はぜひ読んでみてください。
 きっと、今まで体験したことのない斬新な読書体験ができますよ。

 J.L.ボルヘス 作/内田兆史・鼓直 訳/岩波文庫/2023
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変化は痛みを伴う

2024-02-06 14:04:47 | フォトエッセイ
 昨日は関東も大雪でした。
 仕事で、帰りの電車は少しずつしか進みません。通常の2倍はかかったでしょうか。
 今日は、もうずいぶん雪も溶けています。車を出すのも問題はなさそうです。
 写真は先日の晴れの日のものです。

 年末年始の書店は大忙しでした。
 それだけお客さんが来てくれたので良かった。
 とは言え、疲れます。
 冬休みが終わってひと段落したころ、やっと温泉だ! と喜んでいつものところに行きました。
 温泉と岩盤浴と。美味しいものもいただいて、ゆっくりと心身を温めてほぐして伸ばして。
 はあー疲れとれたー。でも次の日、右ふくらはぎが痛いのです。
 それは秋からの古傷でした。
 11月5日の東北・みやぎ復興マラソン。その前の練習から右ふくらはぎを痛めており、レース当日、20キロ手前の陸橋を登っているとき、「ブチッ」と言いました。
 あの恐ろしい音は今でも耳に残っています。
 それから右ふくらはぎには力が入らなくなっていました。
 歩き歩き、いちおう「完走」はできたわけですが、負傷箇所の痛みは相当なものでした。
 ホテル近くで湿布を買って貼りまくる。
 そして温泉に入って温めて、揉んで、ストレッチで伸ばす。
 12月も累計で100キロ走っていました。痛みは引いてはいなかったのですが、軽く、無理のない範囲で。
 で、お楽しみの温泉の後、走れないほどの痛みが再発しました。
 さすがにこれはおかしい、と思い、ネットで調べました。
 そしてやっとわかったのでした。
 その痛みは「肉離れ」であるということが。


 


 温泉・岩盤浴に行けば、今までの疲れや痛みは治っていました。
 しかし、「肉離れ」には有効じゃなかった。
 ネットの先人いわく「患部を冷やし、固定して安静にすること」。
「温めると傷口から流れる血が増え、固まってしこりとなり長期化するリスクが高まる」
 さらに「ストレッチは傷口を広げることになり逆効果」。
「ブチッ」と言ってから、かれこれ2カ月以上も「肉離れ」であると認識できず、症状にとって「逆効果」である対処法をしていたのでした。
 足だけでなく、胸も痛かった。冷やして欲しかったのに温めてしまって。
 静かに固定していて欲しかったのに、しつこく伸ばしてしまって。
 すまん。
 それからはすぐに湿布とサポーターを買い、使用しました。
 そして丸2週間走らなかった。
 2週間走らないって、走り始めてからなかなかない。最近では記憶にないくらい。
 今までとは違う方法をしないと、右ふくらはぎの痛みは取れなかった。
 痛みが、私に変化することを求めていました。




 痛みが引き、ランニング用のサポーターをつけて、おそるおそる走り始めました。
 ゆっくりゆっくりと。
 幸いなことに、今のところ再発はしていません。
 再スタートできて、そのランニング中に出会ったのが、ここに載せた花々です(蝋梅、水仙、白梅)。
 今月の18日には初参加となる「高知龍馬マラソン」が待っています。
 先日の3日には、32キロ走ることもできました。油断は禁物ですが、完走できる自信は持つことができました。

 変化と言えば、もう一つ。
 年始でしたか、通勤電車はがらがらでした。
 で、ふと思ったのです。ここでも原稿は書けるのではないか、と。
 ノートパソコンですから、混雑してない車内なら、本を読むだけでなく書くこともできそうだ、と。
 すぐ試すと、書けました!
 出勤前の朝は、一番体調も良いところ。集中力もあって、本屋で働き始めてからずっと(もう23年になります)続けてきたこと。
 その習慣を変えるというのは、なかなか思いつかなかった。
 冬休みが終わり、学生たちが戻ってくると、車内も混雑してきてノートパソコンを開くのも気が引けてくる。
 ならば、一番後ろに行けばいい。
 今までは、一番前の車両に乗っていました。降りる駅は終点で、改札は一番前にあるから。
 そんなことは多くの人が考えている。だから乗っている人も多い。
 案の定、一番後ろの車両は、同じ電車とは思えないほどがらがら。気兼ねなく書けるだけでなく、歩く距離も増えるという一石二鳥なのでした。
 今では一番後ろまで歩き、書き、一番後ろから歩いて前の人たちをどんどん抜いていく。それでも十分に次の電車には間に合っています。
 そうさせたのは、「もっと書きたい」という欲求でしょうか。
「家でないと書けない」という思い込みもありました。それを打ち破ったのは、昨年の熊本城マラソン。
 長い新幹線タイムで「書けるのではないか」という予感があり、実際に書けました。その経験が、通勤時間や仕事の休憩時間にまで及んだということでしょうか。
 家にいるとどうしても休みます。その中で小説を書く時間を作るのはなかなか大変です。
 休むことも必要なのに、休んだだけで書けないと、次の書店勤務の日、なんかもやっとしてしまう。
 朝の集中できる車内の時間は20分くらいでしょうか。休憩時間中も、せいぜい10分。
 でも、5日✖️30分=150分=2時間30分です。
 大事な2時間30分。集中できる2時間30分。
 この1カ月、朝電車で書くことはできた。これからも続けたいと思います。
 読むことは、帰りの電車でもいいし、ちょっとしたバスや待ち時間でもできます。
 ただ、23年間読む時間があったからこそ書く時間へ移ったことは確かでしょう。「十分読んだ」自信がなければ書けない。慎重な私はそう思ってもいました。
 
 書く背後には、無数の読みの支えがあってこそやっと成り立ちます。
 今年も、大学の先生から、一番最後に年賀状が来ました。
 大学卒業してから23年。先生に賀状を出したくて続けてきました。そして必ず、遅れて、友人知人たちの後、一番最後にやってくる。まさにラスボスという風格で。
 最初の10年くらいでしょうか、いつも先生は書かれていました。
「賀状ありがとうございます。お元気そうで何よりです。一歩一歩、着実に進んでください」
 焦って不安に駆られて、あるいは夢が先立ってしまって、宙吊りになってしまった私を知っている先生だからこその助言。
 一歩一歩、着実に。それは私のモットーになりました。走るときも読むときも書くときも、いつも先生の言葉は私の中にあります。
 最近は「お元気そうで何よりです。より一層の御活躍を祈ります」から「お元気で御活躍の様子何よりです。御健勝を祈ります」へ微妙に変化。
 そして今年。「お元気で御活躍の様子何よりです。御健勝と御健筆を祈ります」
「御健筆」……。
 今まで、あえてでしょうか、「書くこと」には触れてこなかった先生。
 その先生が「御健筆を祈る」だなんて。
 泣けてきます。
 やっぱり先生は、ずっと見守ってくれている。そう思えます。
 たった一枚の年賀状でも、私の現状を鋭く読み解いておられる。
 私の拙い文章を、作品とも言えない落書きを、最初に見てくれたのも先生でした。
 がんばろう。がんばれます。
 私は、私にできる最大限の仕事をしていく。それが、お世話になった方々への恩返しになるから。
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いちばん長い夜に

2024-01-27 18:44:58 | 読書
 仙台の3・11メモリアル交流館で出会った3冊目。
 前科があり、刑務所での刑期を終え、出所後、再会してはいけない規則を破って再会し、東京の根津でひっそり身を寄せ合って暮らす芭子(はこ)と綾香の物語。
 連作の短編集で、シリーズとしては三作目のようですが、この本だけでも十分楽しめました。
 綾香は40代後半、芭子は30代入ったばかり。綾香はパン職人として自立するために街のパン屋で朝早くから働いている。芭子は、なかなか進路が定まらなかったけど、祖母の残した古民家で、あそこ(刑務所)で身につけた裁縫の技術を生かし、ペットショップで働きつつ、ペット用の服をオーダーメードで作る仕事を始めていた。
 世間知らずの芭子に、元主婦でもあった綾香は料理や身の回りのことや銀杏のことなど、教えられることはなんでも教えていた。綾香があっての芭子で、綾香もまた芭子を誰よりも大事にしていた。
 些細な事件はあっても、過去がばれることもなく、根津で仕事も順調に増え、夢も描けるようになっていた。
 そんな日々を描いた前半では、どこに3.11と関連があるのだろうと思っていました。まあなくとも、前科持ちの主人公の物語は初めてで、とても興味深く読んでいたのですが。
 二人が動き出すのは、綾香に言い寄る男性が現れてから。
 その男性は綾香の働くパン屋に通い詰め、手紙を渡すようになる。その母親が綾香に直談判する。なんとか息子の願いを聞き入れてはくれないか、と。
 その場面に芭子は居合わせてしまう。そして綾香が、今まで見たこともない暗さで断る。私は幸せになってはいけない人間であり、一人で死んでいくべきだと。
 芭子はショックだった。綾香の本心を知らなかったこと、私に本当のことを言ってくれていなかったこと。綾香は表面的にはいつもにぎやかで、笑って過ごしていた。
 綾香の罪は殺人でした。元夫の暴力に耐えられず、生まれたばかりの息子まで殺されると追い詰められて。
 芭子の罪は昏睡強盗でした。ホストに入れ込み、貢ぐために。
 芭子は、綾香の故郷である仙台に行き、綾香の息子を探そうと思ったのでした。自分で稼いだお金で、綾香への恩返しも込めて。
 その芭子にとって初めての遠出で、あの東日本大震災を体験する。
 この展開は、さすがに出来すぎかと一瞬思った。でも、そうではないとすぐ思い直す。
 というのも、描写がリアルだったから。それだけでなくて、その後の展開も納得のいくものだったから。
 これは著者による後書きで知ったのですが、実際に著者が、芭子を追うように綾香の出身地である仙台を訪ねたとき、東日本大震災が起きていました。
 なので仙台での芭子の体験は、ほとんどそのまま著者が体験したことでもあった。タクシーを3台乗り継いで、翌朝には東京まで戻ったことも。
 芭子は、南くんという男性と知り合う。仙台行きの新幹線で隣に座り、やっとのことで見つかった夜のホテルでも隣にいて。芭子は南とともに東京に戻る。その後も連絡を取り合って、会うようになる。
 芭子は、彼が弁護士であることを知る。そして彼から逃げようとする、自分の過去を知りうる人だから、自分の過去を知られたくなかったから。
 でも彼は逃さなかった。出会ったときから、彼女と付き合うことになると直感しており、好きだったから。
 彼女は彼に全て話す。彼と彼女は、ゆっくりと受け入れあっていく。変わっていく。
 綾香は、東北の被災地へのボランティアを始めた。働いているパン屋で、無知な若いものに福島の放射能を持って帰るなと心無いことを言われ、喧嘩して辞める。そして東北にほとんど泊まって、たまにしか帰らなくなった。表情は暗く、むっつりしてほとんどしゃべらない。
 一年経った、二度目の3.11。芭子の家で、南くんは当たり前のようにこたつに入って仕事をしており、そこに連絡もないまま綾香が帰ってきた。被災地で、たくさんの死に触れてきた綾香は、自分は人を殺すべきではなかったのだと初めて言う。逃げればよかったのだし、強盗と殺人では全く違うのだと、やっとまとまった本音を芭子と南へ告げる。
 やっと言語化できた綾香は、次へ行く。気仙沼で再建するパン屋で働くことになる。そこのご夫婦はボランティア活動で知り合い、意を決して己の罪を語った綾香を泣いて受け入れていた。
 芭子も綾香も、震災を通じて新たな出会いをした。そのご縁で、次の道へ進むことになる。
 二人とも、もう嘘は付きたくなかった。本当のことを言える相手が必要で、その要求が満たされて初めて自分を受け入れることもできるようになりつつある。
 この一連の流れが本当に自然で、長い時間に渡っているので、私自身、振り返りつつ、共感して没入できました。
 震災は正月にも起きるし、これからも起きます。
 人は、大して変わらない。また同じように間違うし、大事なことも忘れる。
 だから人は書いてきたのかもしれません。
 記憶し、言語化し、見えるようにし、物語る。
 私のように、また必要とする人の元へ、届けるために。

 乃南アサ 著/新潮文庫/2015

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また次の春へ

2024-01-03 18:53:07 | 読書
 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 と、言っておきながら、気持ちは沈みます。
「明けなければよかった」と、思っている人たちもいるでしょう。
 正月の16時に震度7とは。
 翌日に羽田空港での事故。
 震災がなかったら。
 なぜ、私が?
 こんなとき、田村隆一の詩の一節を思い出します。
「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(「帰途」の冒頭です)
 人は言葉を覚えたから、意味を探す。
 でも、その地震は言葉を持っていない。
 人は、物語っていくしかない。
 語って語って、やっと受け入れ難いものを少しずつ消化していく。
 言葉があるからこそ苦しみ、言葉があるからこそ救われる。
 実際には、言葉にできないことの方が多いかもしれません。
 それでもアートやスポーツや、あらゆる手仕事に、気持ちを託すこともできます。

 この本は、年末に少しずつ読んでいたものです。
 この本も、仙台の3・11メモリアル交流館で出会ったもの。
 重松さんの作品は、これで何作目かわからないほど。敬愛している作家の一人。
 その人が、東日本大震災の被災地を度々訪問し、作品にしていたことは知りませんでした。
 まさに今読むべき、私に必要な本でした。
 一度読んだだけでは読み飛ばしたところがあるかもと思い、続けてもう一度読みました。
 著者は言います。「想像力の乏しさは本書にも及んでいるかもしれない」と。
「読んでくださったひとの胸になにかを浮かび上がらせるよすがになってくれたなら、と願って、祈ってもいる」と。
 私の中に思い浮かんだのは、取り組んでいる小説の主人公たちのこと。より具体的になって、描写が深化しました。

「トン汁」「おまじない」「しおり」「記念日」「帰郷」「五百羅漢」「また次の春へ」の7つお話が入っています。
 どのお話にも印象に残る場面がありました。
 どのお話も、どこかで震災が関連していて、喪失があります。
 喪失の中で、それでも継続している何かがある。それがこの短編集のテーマとなっているのかなと思いました。
 失われた世界で、何が残っているのだろう? 何が私たちをこの世界に繋ぎ止めているのだろう?
 母が急に亡くなって、父が作ったもやしだけが入った「トン汁」。小学生の頃、一番の仲良しと交わした再会するための「おまじない」。津波にさらわれた同級生に貸していた本に挟まっていた手作りの「しおり」。被災地に送ったカレンダーに書き込んでいた「記念日」を修正液で消した跡。
「帰郷」には、お寺さんの一角にある絵馬堂が出てきます。そこに納められているのは、幼くして亡くなった子たちがせめてあの世で幸せな結婚生活を送れるようにと祈って作られた結婚式の絵や人形たち。中には合成写真を使っているものもある。「冥婚」というのだそうです。知りませんでした。
「五百羅漢」もまた未知の世界でした。釈迦の没後一年に集まった聖人たち五百人をモデルに作った仏像たちのこと。私の住んでいる近くで言うと、川越の喜多院にあるそうです。幼い頃、母を亡くした主人公は、継母が来たあと、実の母を探すようになった。そんなとき、おばさんが五百羅漢に連れて行ってくれた。この中にお母さんがいるから探してきなさい、と。そして彼は見つけました。母は、優しい笑顔で見守っていました。それ以後、継母を母と呼べるようになった。その記憶を、津波で亡くなった教え子のお父さんから、その子の子供の描いたお父さんの似顔絵を見せられて思い出す。
「また次の春へ」では、行方不明となった両親が密かに残していたメモリアルベンチが主人公を受け入れてくれる。その人は、どうしても死亡届を出せないでいました。自身に悪性腫瘍も見つかっていた。メモリアルベンチは、北海道のある町が、間伐材を使ったベンチを購入してもらうことで永く関わってもらおうと企画したもの。両親は名前しか入れていなかった。もっと言葉を入れられたのに、変に遠慮してしまって、それが親らしくて。ただそこは河原沿いで、春になるとサケが帰ってくる。桜も咲く。その場所を訪れ、気に入った両親と、主人公は確かにまた会うことができた。
 どのお話にも血が通っていて、たくさん、浮かび上がってくるものがありました。
 今、また必要とされることが増えるかもしれません。
 私としては、どうしてこんなにしみる小説が書けるんだろうと、感嘆ばかりしてしまいます。
「想像力の貧しさ」を自覚することからでしょうか。

「帰途」にも触れたので、そんなに長い作品ではありませんので書き写しておきます。
 出典は「戦後名詩選①」(思潮社、2000年発行)の87ページです。

 帰途  田村隆一

 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 言葉のない世界
 意味が意味にならない世界に生きていたら
 どんなによかったか

 あなたが美しい言葉に復讐されても
 そいつは ぼくとは無関係だ
 きみが静かな意味に血を流したところで
 そいつも無関係だ

 あなたのやさしい眼のなかにある涙
 きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
 ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
 ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう

 あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
 きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
 ふるえるような夕焼けのひびきがあるか

 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
 ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
 ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

 重松清 著/文春文庫/2016



 
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小さな幸せ

2023-12-23 18:00:36 | フォトエッセイ
 先週の土曜日、朝7時半くらいでしょうか、起きると世界が回っていました。
 左から右へ、エンドレス。
 何とかトイレは済ませましたが、立っていられません。
 気持ち悪くもなり、また横になる。
 気持ち悪さがすぎると、冷や汗が。
 それもすぎて落ち着くと、無性に眠くなって眠る。
 それを5回くらい繰り返したのでしょうか。
 やっと起きて歩けるようになったのは13時を過ぎていました。
 お腹は減っているのですが、ほとんど食べられず(トマトとりんごは食べられました)、14時過ぎに病院へ。
 めまいでした。
 月曜の午前に耳鼻科にも行き、いくつか検査してもらいました。
 結果、「良性発作性頭位めまい症」とのこと。
 耳にある「耳石」というカルシウムの小さな粒が剥がれ落ち、三半規管に迷い込むことで生じます。
 原因はよくわかっていませんが、年のせいとも、ストレスのせいとも。
 めまいを抑える薬を飲むだけで再発はしていません。今は元気です。
 思えば、先週は6日連続で予定が入っていました。
 さらにこの時期の書店は、通常の2倍以上の回転率。おまけに、熱を出して欠勤した仲間がいたりもしました。
 4連勤で次の日は朝から父の手術に付き添い。まぶたが下がって見えずらいので、切って上げてもらうというものでした。術後の経過は良好です。
 その後も遅番があり、やっと休みだという朝、めまい。きつかったのだろうと思う。
 連勤もきついですが、通常のシフトではないことも強いストレスになっていました。



 右ふくらはぎの怪我はもうほとんど治ったと言っていいでしょう。
 こちらの原因は、新しいランニングシューズが足にぴったり装着されていなかったから。
 初めてのカーボンシューズで、クッションもアッパーも固い。そして滑りやすいのでした。
 解決策は、意外と簡単でしたが、見つけるまでに2ヶ月はかかったのでしょうか。足まで痛めて。
 それは、通常は通さない一番上の穴にまで靴紐を通す、ということでした。
 一番上でしばると、足首が痛くなることが多いのですが、新しいランニングシューズ(アシックスのマジックスピード3です)では、あくまでも私の場合ですが、必須でした。
 それで走ってやっと「あっ、これ!」という感じ。
 やっと靴と足が正しく結ばれて、靴の潜在能力が目覚めました。
 ポテンシャルが高いほど弊害も大きいのかもしれません。ただ、正しく身につければその力はいかんなく発揮されます。
 プロ野球の「現役ドラフト」みたいなものでしょうか。その球団では芽が出なくても、必要とされる新しい球団では能力が開花することも多い。
 この経験を活かして、ミスマッチの芽というものは早く摘めるようになりたいものです。




 で、今日、9日振りに走れました。クリスマスだからじゃないけど25キロほど。
 気温は8度ほど。風はなくお日様も出ていたので「やっとランニングシーズンが来た!」という感じで気持ちよく、ゆったりと長く走れました。
 雪国の方たちには申し訳ないほど。雪かきだけでも大変なことです。
 私のしたいことができるのは本当に幸せだなとしみじみしました。
 走り終えて、デザートに昨日買ったクリスマスケーキを食べ(明日から3連勤なので)、コーヒーをすすりながら。
 古びたラジオからは、雑音も入りながらベートーヴェンの「第九」が。
 めまいも経験し、書店の多忙もあればこそ。
 私のしたいことが私の道になる。それもまたますます感じることです。
 次の小説の主人公というものも、先日ふと現れました(頭の中に)。
 支えてくれる、応援してくれる、ともに生きている、今年出会った人たちのことを思います。
 今度の休日には年賀状を書きます。もうそんな時期なのですね。
 冒頭の写真は「南天」です。難を転ずる縁起物。その花言葉は「私の愛は増すばかり」。
 創作は愛です。本当に。
 小さな幸せを創作で増やす手伝いができる。そう信じています。
 ミスマッチが大きくなればなるほど、その人の不幸も大きくなります。
 人と人の間に生まれたミスマッチなら、紛争にもなる。
 人は幸せになりたいもの。でなければ、どうして怒るのでしょう、恨むのでしょう、嘆くのでしょう、復讐するのでしょう、固執するのでしょう、自責するのでしょう、やる気を失うのでしょう。
 小説が万能ではありません。私が万能ではないように。
 ただ、私にできることをしたいから。私にできることを最大にしていきたいから。
 そして、それぞれの人が、持った能力を最大に発揮できたなら、この世界はもっとマシになると思うから。
 2度目の荒浜に行って、私も更新されました。小説も、一から見直して細部の書き換えが始まっています。
 どうかみなさまお元気で。
 よいお年を。
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潮の音、空の青、海の詩

2023-12-09 21:04:02 | 読書
 この本は、「せんだい3.11メモリアル交流館」で出会った一冊です。




「せんだいメモリアル交流館」は、地下鉄東西線荒井駅と隣接しています。
 2度目の訪問でしたが、早朝に出発していた今回は時間に余裕があり、館内を見回すことができ、この本棚を発見することができました。
 その後、仙台の大学の先輩が営業している古本とコヒーのお店「マゼラン」で上の写真を見せると、「潮の音、空の青、海の詩」はあるとのこと。
 ただし、仙台の老舗の書店「金港堂」で開催されている古本市に、売れてなければ。
 で、歩いて金港堂へ。
 ありました。
 そんな流れで出会って、手に入れた本。旅に出たからこそ出会えたと言えます。
 たぶん、まだ文庫になってないから、その存在自体を知りませんでした。熊谷さんの作品はよく読んでいるのに。
 仙台から帰って、読みかけの本を読み終えてからすぐに読み始めました。

 ああ、やっぱり熊谷さん。
 3.11の日から物語は始まり、次に50年後が描かれます。そしてまた震災後に戻って未来へつながっていく。
 主人公の聡太は気仙沼の出身。
 大学進学のため東京に出て、就職も東京で、でも訳あって仙台まで戻って、仙台での生活を送る中で被災した。
 仙台で2度目の失業を味わう。幼馴染と仙台で再会したこともあり、何より気仙沼の両親と連絡がつかないままで、車に集められるだけ集めた支援物資を積んで気仙沼へ帰郷。
 変わり果てたふるさとの姿。けんか別れをしていた同級生の思いがけない優しさ。
 避難所と化した母校を包む静寂。その静寂は、亡くなった人、また遺族たちへの思いの表れでした。
 また、どんな言葉を持ってしても、目の前のことをつかむことができないのでした。
 この本を読み進めていくうちに、今自分が書いている小説のあちこちに手を入れました。
 決定的な事実誤認がいくつかあったので。
 読むことによって、自分が書いた前のページが変わっていく。
 そして当然未来も変わっていきます。
 やっぱり、行ってよかった。行きたいところに行って、出会いたい場所や人や作品と出会う。そうすることで自分もより充実する方に変わっていける。
 そんなことを思いました。
 小説に戻ると、「空の青」の部分が50年後で、最初は「あれ、違う作品かな」と思った。
 でも、読み進めると、50年後に重要な出会いがあり、そのことで過去が変わる可能性が示されます。
 50年後の気仙沼が出てくる(作品では、あくまでも「仙河海」です)のですが、かなり衝撃的な姿になっています。
 巨大な防潮堤が立ち並び、大島には核の処分場が作られ、唐桑も含めて無人化されている。
 遠洋漁業は衰退し、マグロの養殖が行われている。
 内陸では長大な中性子の加速装置が稼働している。そして、理論的に過去への介入が可能になっている。
 おじいちゃんとなった聡太が、呼人(よひと)という少年と、巨大な防潮堤の上で出会う。
 その出会いが、過去を変え、未来を変えていく。
「変えたい現実」があるということ。聡太が人生をかけて開発した知識や技術も、家族を失った痛みが起点となっている。
 聡太の試みは、作者の企みでもあります。
 ただ事実を描いていくだけが小説じゃない。そこにはやはり何か伝えたいことがある。
 伝えたいことが作品を描かせるとも言えます。
 熊谷さんの仙河海シリーズは、本当に私のアイデンティティーに近寄ってくれる。
 私の奥深くにある大事なものと触れる。
 それを「救う」というのかもしれません。
 作品は愛であり、創作は救いだと、よりよく感じます。
 有難い、私を変えてくれた一冊になりました。

 熊谷達也 著/NHK出版/2015
 
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水深五尋

2023-11-15 18:47:56 | 読書
 第二次世界大戦下のイギリスの小さな港町が舞台。
 16歳のチャスは、港で行われている戦闘に興味津々。港には大砲とサーチライト。湾には護衛船団にタグボート。それに、重要な貨物を積んだ船を狙い撃ちにするドイツのUボートと呼ばれる潜水艦が潜んでいる。
 そのUボートがくせもので、なかなか捕まえることができず、貨物船を沈めらているイギリス側は頭を悩ませていました。
 あるとき、チャスは川岸に打ち上げられた不審なボウルを発見する。自宅に持ち帰って調べると、暗号らしきメモとバッテリーと時計と発信機が入っていました。
 チャスは、この発信機の入ったボウルは、スパイが川に流して、Uボートに機密情報を伝えていたのだと推測します。
 チャスは、まだ16歳だけど、だからこそなのか、対ドイツの戦いに勝つために貢献したくて仕方ない。だから彼は、スパイ探しに奔走します。
 幼馴染のセムとオードリと、同級生のシーラも巻き込んで。というか、他の三人も乗り気になって。
 この物語がただのスパイ探しだけだったら、そこまで広がりはなかったのかもしれません。
 というのは、権力者(ボス)たちが描かれているから。
 チャスの父さんは工場で働いている労働者です。シーラは、チャスが好意を寄せている女子ですが、北の小高い丘の上に住んでいる。そこに住めるのはごく一部の人たち。シーラの父は市議会議員で治安判事。ボスの中のボス。
 もう一つ、階級がある。海沿いに組み立てられた連なる家々。もはや大地の上に家はない。はみ出した海の上に、身を寄せ合っている。ロウ・ストリートと呼ばれる貧民街。そこには売春宿もあり、外国人(マルタ人)も住んでいる。とにかく治安が悪い。だけど、チャスたちは行ってみたい場所でもある。
 チャスたちは、手作りの筏に乗ってロウ・ストリートの下を潜り、どこからボウルを流したのか手がかりをつかもうともする。その中で、川を航行する船の波にもまれ、スクリューに危うく飲み込まれそうにもなる。
 タグボートの「ヘンドン号」に助けられる。その船長バーリーは、チャスの両親の知り合いでもありました。
 チャスはそんな感じで、こうと思ったら突っ走ります。母さんはハラハラしてしょうがない。なんとかチャスを管理しようと口責め。父さんはチャスへの理解があり、妻への配慮もあって、いい父親だなあと思います。
 チャスが行動するたびに、一つずつ、手がかりがつかめる。一気にスパイまでは辿り着かない。だけど、ついにスパイが誰なのか、分かるときがきます。
 そこに至るには、ロウ・ストリートで知らない人はいないネリーの協力まで取り付ける。ネリーは、売春宿の女主人。ネリーを逮捕しようと長年追いかけている警察署長も絡んできて、警察署長が威張ることのできないシーラの父スマイソンにもつながっていく。風が吹けば桶屋が儲かるじゃないけど、小さな町だから、少年たちの行動がロウ・ストリートからボスたちまでをも動かしていく様子はなるほどと思わせます。全体が有機的に関連していて、無駄がないのは優れた作品の特徴の一つでもあります。
 で、スパイは誰だったのか? 私も、最後の最後までわかりませんでした。
 でも、捕まってみると、その人もまたただの人。普段は善良な市民が、大きな罠にはまっただけのようで。
 スパイであったことがばれれば死刑。恐怖に震え、チャスと目を合わせることもできず、失禁してしまう。
 そんな元スパイを見て、チャスは何を思い、どうしたのか?
 ぜひ読んでみてください。
 ただ、チャスは、このスパイ探しという物語を通じて、一つ大人になったと言えるのではないでしょうか。
 立場の違う人間への想像力が、嫌でも身に付く。その力は、例えばガールフレンドへの思いやりにもつながっていく。
「ドイツ」という「敵国」への思いも、微妙に変化していくはずです。
 物語は、人の認識を変える力を持っている。そう改めて気づかせてもらいました。
 宮崎駿監督の挿絵もまた「これしかない!」と思わせる的確さです。物語の具体化に大いに役立っています。見どころの一つでもあります。

 ロバート・ウェストール 作/金原瑞人・野沢佳織 訳/宮崎駿 絵/岩波書店/2009
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東北・みやぎ復興マラソン2023

2023-11-08 16:55:09 | マラソン
 記念すべき、10回目のフルマラソンでした。
 ちょっとおさらいしてみたら、実は11回目の参加でした。
 というのは、一度だけ、完走できなかった大会があります。2015年の「さいたま」でした。
 埼玉から世界へ、と大会は高らかにうたっており、関門の制限時間が厳しかったのです。
 私は確か、35キロ付近でしたか、突如現れたバリケードによって、人生初、無念の強制DNF(DO NOT FINISH)。
 屈辱的な出来事は、思い出したくないのかもしれません……。

 さて、当日は曇り、気温は15度くらいで湿度が80%。北西の風が2メートルくらい。
 走りやすかったけど、湿度が高かったのですぐに汗をかきました。
 汗をかいたのは、湿度のためだけじゃありません。
 実は、足を痛めていたのです。
 いつ痛くなるか、ヒヤヒヤしていました。
 右のふくらはぎ。当日は痛みはなかったけど、走って5キロくらいでしょうか、痛みが再発。
 痛みがあると、その患部は十分に使えません。ランニングは全身のバランスで前に進みます。なので、他の箇所に負担がかかっていったのでしょう。
 自分でも変な走りになっている自覚はありました。
 それでも痛みは、走れないほどではありませんでした。
 我慢して、20キロまでは何とか、当初の予定通り、1キロ5分ペースをキープできました。
 余裕は全然なかった。橋のアップダウンで、普段なら大したことはないのですが、消耗していきました。

 ラップを見ていると明らかですね。
 ハーフを過ぎてからは、ずるずると後退。
 25キロ付近では、ついに右足の太ももがつりました。
 つってしまうと止まらざるを得ません。手で叩いて、足を伸ばしたりもして、何とかまた走り出せるようにはなりますが、またいつつるかわかりません。
 30キロも行ってないのに、もうつるのか。自発的DNFも頭をよぎりました。
 記録はもうあきらめていました。仕方ない、切り替えて、とにかく最後まで行こうと。
 足がつりそうになったら歩き、休めたらまた小走り。そんなことを繰り返して、少しずつ前へ。
 助けになったのは、応援の数々。
 地元の名産をたくさん提供していただきました。
 笹かまに牛タン、岩手は高田のおにぎり、荒浜のりんご、ずんだのお菓子、パッションサイダー、バウムクーヘン、他にもたくさん。
 ゆっくりだったから、歩きもしたから、そこにいる人たちの顔が見えた。声が届いた。
 辛いのは足だけだった。顔は笑ってた。気持ちは軽やかだった。
 ゴールタイムは、歴代下から3番目の4時間11分1秒。
 でも、記憶という意味では、一番上かもしれません。
 フィニッシュして、振り返って、帽子をとって一礼するのですが、毎回込み上げますが、今回は溢れる涙を堪えられませんでした。
 完走メダルは、石巻市の雄勝石。小さな子供にかけてもらうのですが、今回ほどうれしかったこともありません。

 本番を終えてみないとわからないことがあります。
 今回は、足の痛みのこと。
 振り返れば、暑くて、十分に長距離走を積むことができていませんでした。
 合わせて、使い慣れていたランニングシューズが累積走行距離1200キロを超えて、さすがに消耗していたので買い替えていました。
 新しいシューズは初めてのカーボンシューズ。反発が強くて硬い印象でした。
 その靴を初めて履いて、いきなり30キロ走ったのでした。そして右足を痛めた。それが10月の始めくらい。
 たったのひと月では、新しい靴を履きならすこともできず、足の治癒も完了できなかった。
 疲れを取るために通っている温泉施設が臨時休業というアクシデントもありました。
 他のランナーたちも、ずいぶん足がつっていたようでした。
 暑さによる練習不足、これが一番大きかったのでしょう。
 暑さには勝てません。
 でも、私は私にできることを積み重ねた。
 だからこそ涙は溢れた。
 応援を受けて、初めてフルマラソンは完走することができます。
 絶対に、一人では走り切ることはできません。
 私が一人で走っているのは事実ですが、たくさんの人たちに支えられていることを実感できるのがマラソンの醍醐味です。
 かの地で、完走できたこと。
 地元の人たちと、ささやかだけども確かに交流できたこと。
 また一つ、宝物ができました。
 あと、写真のアスリートビブス。
 せっかく思いを書いたのに、前につけて走ってました。
 腹じゃなかなか見てもらえないよね。背中につけておけばよかった。
 二人のランナーには声をかけてもらえましたが、もっと増えていたかも。反省……。
 
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2度目の荒浜へ

2023-11-06 08:18:06 | 
 昨年の5月に続いて、2度目の宮城県仙台市、荒浜へ。
 昨年は海からの風がものすごくて、時間もあまりなく、急足になってしまっていました。今回は昼には入って、じっくりと見て、聞いて、感じ取ることができました。風は穏やかで、ほんの少しの小雨程度。写真は、荒浜の海です。とても美しかった。
 荒浜小学校の中も、改めて、じっくりと。

 明治時代から、140年以上もの歴史がある荒浜小学校。荒れる海は豊かな漁場。松林にはキノコがたくさん生え、貞山堀と呼ばれる運河にはシジミがいっぱい。江戸時代、侍たちが開拓した農地にはコメも実った。先祖への感謝の思いを新たにし、未来への希望を込めた祈りを捧げる灯籠流し。深沼海水浴場には多くの客たちであふれた。独特の文化を築き上げ、活気と人情に満ちた町。

 7メートルの津波。やっぱり信じられませんが、この震災遺構に生まれ変わった荒浜小学校に行けば、記憶も新たに生まれます。
 地元の人たちでさえ、津波が来るって言っても、1メートルくらいだろう、とか、そもそも津波は来ないと思っていた人もいました。
 荒浜小学校の屋上に避難した人たち(およそ320名)は全員助かりましたが、荒浜小学校に通う児童1名を含む、およそ200名が津波に飲み込まれました。
 

 小学校の体育館にあった時計です。津波に襲われた時間で止まったまま。
 図書室があった場所で、長く時間を過ごしました。NHKの録画番組を視聴することができ、津波被害から4年経ってやっと稲作を再開した農家たちの姿を見聞きしました。

本もたくさんあり、いくつか読みました。

 なかでも、「はしれ、上へ! つなみでんでんこ」(ポプラ社)のラストは印象的でした。

 本当に、私たちは、海との付き合い方を忘れてしまったのかもしれません。恵をもらうばっかりで。
 荒浜小学校にある小さな椅子に座って、お尻を痛くしながら、吸収すべきことはまだまだあった。
 そして、私たちが伝えていくこと。その地に立って、感じて、初めて形になるものたちがありました。
 翌日は、東北・みやぎ復興マラソンを走るのですが、そこでも共通していたのが、この地で見て聞いて感じたことを、ぜひ持ち帰って今度はあなたから伝えていって欲しい、という現地の願いです。
 そう、私は、昨年荒浜を訪ねてから、小説の構想が一気に膨らんだ。そしてちょうど一年前の気仙沼大島のつばきマラソンを走って戻ってから書き始めています。
 荒浜という地が、今書いている小説にとってとても大事なものになっています。それは、私なりの伝え方。
 どうぞお書きになってください。そうおおらかに託されたような感じです。
 主人公たちの今を感じながら、改めて、大きく呼吸ができた。そして背を押されました。
 多くの命を救い、風化に抗う拠点としてあり続ける荒浜小学校。私からも、ありがとう。
 また会いに行きます。
 
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思考の取引 書物と書店と

2023-10-28 18:39:23 | 読書
 昨日の10月27日から読書週間が始まりました(11月9日までの2週間)。合わせて神田古本まつりも開催されています(11月3日までの1週間)。
 読書週間は、1947年から始まっているそうです。戦後の混乱の中、「読書の力によって平和な文化国家を作ろう!」と、出版社、取次、書店、図書館、新聞に放送も協力して始まりました。今では文化の日を中心として前後2週間となっています。神田古本まつりも、今年で63回を数えます。
「読書の力によって平和な文化国家」は、作られてきたのでしょうか?
 少なくとも、日本で戦争は起きていません。でも、平和を作るのも保つのも発展させるのも、多くの人たちが汗をかいて働かないことには実現しません。油断していれば、あちこちで紛争は起きます。
 ヘルマン・ヘッセという作家。この人は私にとって、夏目漱石とともに双璧を成す作家なのですが、ナチスドイツの国にいて、自著を発禁処分にされながら、木箱に本を詰めて戦地に送っていました。彼もまた本屋で働いていました。
 本って、そもそも何なのでしょう? 本に、そんな力はあるのでしょうか?
 今回紹介する本は、あるフランスの書店の創業20周年記念品として、お客さんたちに配るために限定50部で作られた本。日本での翻訳版は、もちろん限定品ではありませんが、挿絵と文章はそのまま。文は、フランスの哲学者、ジャン=リュック・ナンシーによって書かれています。
 続けて2回読みました。一度で「わかった!」とか「すっきり!」とかいうものではないので。噛めば噛むほど味が出るタイプ。
 本って、「木」に「一」が加えられて「本」になっています。原文はフランス語だから漢字の説明はありませんが、ローマ字でも漢字でも、共通していると感じました。というのは、本は、木の皮の内側に書かれることによって生まれた。だから、「木」に「一」が加わって「本」になる。
 木の皮の内側、というのがまたミソ。外にあるのだけど内側で、でも、木の幹からしたら外側にある。もうこの時点で、本はめくられる運命にあったのではないでしょうか。
 本は、閉じているものです。読者が開かない限りはずっと閉じている。だから本は、永遠に未刊とも言える。本は、本自体で墓碑銘にもなっている。
 でも、聞こえてくるでしょう。「読んで、私を読んで。ねえ、そこのあなた。あなたには私が必要なはずよ!」
 人によって聞こえ方は違うでしょう。でも、本は、本自体で、「伝えたい!」と願っています。「自ずから伝わるもの」が本のイデアであると、著者は言っています。「イデア」とは、ギリシャの哲学者プラトンの造語ですが、「本質」とでも言えばいいのでしょうか。
 本が開かれ、聞かれる場所を作るのが本屋です。だから本屋とは、本の運び屋。本が、どのようにあれば、一番本らしくあれるのか、常に考え、本を思って持っています。
 そして読者と本をつなぐ。読者の求める本が手に入るために仕事をする。
 さらに、本とは思考であると著者は言う。
 考えたこと、思ったこと、想像したこと、描いたこと、願ったこと。「思考」と一言に言ってもその広がりは果てしない。ただ、「取扱説明書」のようなものは本ではないとも指摘しています。
 ある文学賞の選考委員が、「小説とは、頭の中から出てきたいもの」というように言っていたことを覚えています。「小説」もまた「思考」の一つでしょう。ならば小説もまた、自ずから伝わりたいものなのでしょう。著者にできることは、そんな「小説に宿る命」の勢いの邪魔をしないことだけだとも言えます。
 余計なことはしなくてよかった。その必要性は、もうだいぶわかってはきていましたが。
 本を読むことが楽しいのは、思考の取引が楽しいことになります。
「思考の取引」と言うとわかりにくいですが、要するにみんなが楽しんでいることと同じ。「おしゃべり」が楽しいのと根は同じだと言えるのではないでしょうか。
「おしゃべり」がなんで楽しいのかと言えば、もう人はそれがないと生きていけないから。生きることに必要なことが満たされれば、人は楽しくなれるようにできている。「おしゃべり」して、情報交換をし、最新の自分をも交換する。「おしゃべり」は言葉だけとは限らない。絵だったり彫刻だったり踊りだったり。
 もう、だから本って、ほとんど人間と同じなんじゃないかと思えてきます。人間の本質が詰まったもの。そしてその本質は、自ずから伝えたがっている。
 声なき声を拾える人が本好きになる。「私を読んで!」という本の声は、「私を聞いて!」と密かに求めている人の声にも似てくる。
 たくさんの本を読んで、その声を聞いて、何になるのか?
 私が思うに、「私」とは何か? がわかってくるのではないでしょうか?
「私」とは何か? は、私にとって人生最大の謎でした。わからないがために、散々苦しんで放浪して、人との出会いを切望し、本を貪り読んでもきました。「私」が嫌いでしょうがなく、捨てようともした。自暴自棄にもなった。その都度その都度、そこに本があったことで、どれだけ自分は救われてきたのか、本を開くたびに、大嫌いな自分を捨てられて自由になれたか、どれだけドキドキハラハラして生きた心地がしたことか、そして書く人を信じ、自らもそうなりたいと希求するようになったか、本なくして今の私はいません。数えきれない本たちも売って食ってきたし、食えない本を返品もしてきました。
 本の魅力、伝わりましたでしょうか?
 楽しく読書している人に戦争は必要ないということです。
 そこには人への信頼があり、明日への希望があるから。
 本には力がある。本を開けば、すぐに動き出します。
 生き始めます。本と、私とが。

 ジャン=リュック・ナンシー 著/西宮かおり 訳/岩波書店/2014
 
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コメンテーター

2023-10-11 16:46:11 | 読書
 伊良部シリーズは17年ぶりになるのですね。
「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」「町長選挙」(いずれも文春文庫)。「空中ブランコ」で直木賞を射止めています。
 伊良部は精神科医。得意分野はパニック障害や社交不安障害、広場恐怖症などの神経症全般。
 前三作は読みました。電車で笑ってしまった唯一の小説かもしれません。
 新作を見かけるなり「買う」と即決していました。
 伊良部も進化していました。伊良部だけでなく、看護師のマユミも。伊良部は、さらに肥えていたかもしれません。
 行動療法のプログラムを組むと言っては、患者たちと外に出かける。
 喫煙場所ではない場所でタバコをふかす人に注意せよ、とか、狭い場所に長時間いることができない人をヘリコプターに乗せて飛ぶ、とか、特定の人と関わることが怖い人たち(男子たち)にコスプレ(メイドカフェの衣装)させてハロウィンの渋谷をパレードさせる(やらないでね!)とかとか。
 今回はマユミちゃんも大活躍。実はバンド活動をしていて、キーボードがやめちゃったからピアニストの患者に参加してもらったり、テレビのコメンテーターとして伊良部がリモート出演したとき、背後に割り込んでバンドのCDを宣伝したり(マユミが画面に映ったときだけファンが観るので視聴率が上がる)。意識が朦朧の患者にはいきなりビンタ(やらないでね)。怒ることができない患者には噛んでいたガムをおでこに貼る、などなど。
 著者自身、パニック障害になった経験があります。だからこそ、わかる。だからこそ、書ける。自分の弱みを最高の魅力に変えた小説という意味で、私にとってはお手本になるような小説たち。
 この小説を読んでいる間、夢を見ました。
「電気あんま」(わからなければ検索してみてください。ちゃんと出てきました)してくるやつに怒ってビンタして止めさせるというもの。かなりすっきりしてました。深層心理にまで、届いている証かと。
 あっという間に読んでしまって、読み終わるのが惜しくなって、また新作を楽しみにしてしまう。それは稀有であり、しあわせなことだとも思います。
 なんらかの心理的な障害、あるいは壁に悩まされている方にはおすすめです。
「いらっしゃーい」と歓迎され、鼻をほじりながら伊良部に「まじめだなー」と言われるでしょう。
 まじめなことはとても大事なこと。必要なことであり、捨てるべきじゃない美質。
 なのですが、「何に対して」まじめなのか?
 脳内で強化されてしまった結びつきによって発症してしまった患者たち。
 でもその強化は、生きるために必要なことでもありました。
 伊良部は、強すぎる結びつきを解いていく。様々な行動療法にショック療法を交えて。ときには単純な肉体労働も課す。伊良部は楽しんでいるように見えるけど、全ては「治療」。
「外に出て人とともに汗を流す。それが一番必要なこと」
 たまにはいいことを言う。筋は通っている。筋がなかったら、伊良部はただの変態になってしまう。そのバランス感覚が絶妙なのでしょう。
 バランス感覚は、もう著者がつかむしかないものなのでしょう。誰がどう言ったからといって身につくものじゃない。生活をつないできて、自分のものとなった裏付けがないと筋にはならない。
「解決策」もまた、その人だけが見つけられるもの。迷惑行為に対して、「ラジオ体操第2ー。タンタカタン、タンタカタン、タタタタタンタタン」と、ラジオ体操第2で対抗するおじさんの解決策は、もはや発明とでも言えそうです。
「心の病」は、進化のチャンスとも言えます。今までの方法では行き詰まってしまったから症状が出る。薬はいっとき楽にして助けてはくれますが、根本の解決にはなりません。今までとは違った、何か「新しい方法」の誕生が待たれています。その意味で、治療は創造と似ています。
「私の心の病」の根本的な解決策は「ランニング」であったと言えます。この「」に入るものは、人によって違う。前の「」から後ろの「」に至るまでが物語となるのでしょう。
 個々の物語に伴走するもの。それが小説なのでしょう。
「まじめ」であるのは「自分自身の欲求」に対して、です。
「権威」や「言葉」や「知識」や「常識」や「慣習」や「正義」や「親」や「学校」や「会社」や「社長」や、ではなくて。
 今日も走る前、近くの神社にお参りしてきました。
 思い切り手を2回叩きます。「パチン、パチン」といい音が出るようになりました。
 それは、自分の胸の奥にある欲求に集中するため。
 様々な付着物を払い落とし、私自身に還るため。
 頭を下げるのは、頭が一番上にあるから「エライ!」と勘違いしないためなのかもしれません。
 頭もまた体の一部。頭だけでは空回りしてしまいます。
 胸の位置まで頭を下げる。それもまた、私にとっては必要な行動療法なのでしょうね。
 この小説を読んで、自分にはどんな行動療法が必要なのか、想像して試すのも楽しいかもしれません。

 奥田英朗 著/文藝春秋/2023
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踏切の幽霊

2023-10-07 22:01:22 | 読書
「幽霊塔」に続いては、「踏切の幽霊」。先の直木賞候補作。残念ながら受賞には至りませんでした。
 というのは、著者の「幽霊人命救助隊」(文春文庫)を4年半前に読んでおり、感動していたから。その本は、今でも働く本屋で売り続けています。
 今回は、正直、前回よりも「感動」はしなかった。
 感動するのは、おそらく、自分を作る大事な一部と重なるから。その意味で、この作品は、どうも共感できるところが少なかったように感じました。それが直木賞受賞作との差なのかはわかりませんが。
 下北沢付近の踏切内に幽霊が現れ、よく電車が急ブレーキをかけて止まっていました。その原因を探るべく、新聞記者から妻の死をきっかけに女性誌記者へと転職していた松田が担当になる。妻の死への自責の念を持ち、人生にやる気を失っていた松田は、妻が今も自分の近くにいる証を求め彷徨ってもいました。
 松田が、隠されていた事実を、一つずつ明らかにしていきます。それは、幽霊となったものが、松田なら私の存在を明らかにしてくれると信じていたからでもあります。
 踏切の幽霊の声を聴こうとして、霊媒師が現場で仕事をする場面があります。その霊媒師から松田は、妻が今もそこにいて、とても穏やかな顔をしていると告げる。松田が仕事ではあれ、幽霊の存在に近づく中で、自身も救われていく。
 それでも、強い感動に結びつかないのは、幽霊がしょうもないやつらに殺されたから。どうしてもそこが陳腐に感じてしまう。
 父に性虐待をされた挙句、客を取るようにされてしまった少女時代。キャバクラで働くようになっても、娼婦として扱われ、ヤクザに囲われ、悪徳政治家に弄ばれ、バカにされて、死んでもいいやつだと思われ、実際殺されてしまう。死んでも死にきれず、心臓を刺されたにも関わらず、坂の上にある踏切まで歩いていった。なぜ、踏切まで歩いたのか? が最大の謎として最後まで引っ張る力となっています。
 幽霊にさせられた彼女は、次々に復讐を果たしていく。自分の仲間は助けていく。
 だから幽霊話というより復讐話になっています。だからなんだかすっきりしない。
 浮かばれないというのか。浮かばれないからこそ書かれた小説とも言えるのですが。どこまで普遍性があるんだろう。
 幽霊が謎解きに使われてしまった、というような感じもあって。
 うーん、なんだろう。
 幽霊の扱いは難しい、ということでしょうか。
 超自然現象を連発してしまうと白けてしまうというか。
 落とし所が難しい。とてもデリケート。
 なんでもありなようでいて制約がある。その線引きの妙。
 参考にはなりました。
 松田のその後とか、殺された娘さんのお母さんのその後とか、もう少し書かれていたらよかったのかなとも思います。
 陳腐さは個性を消してしまう。没個性の暴力装置に抗う話として読むこともできます。そこまで思い当たって、初めて感動が押し寄せてきました。死なされた一人の人間の悲しみが、うめき声とともに迫ってきます。

 高野和明 著/文藝春秋/2022
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幽霊塔

2023-09-30 18:05:13 | 読書
 江戸川乱歩は、小学生以来でしょうか。
 映画「君たちはどう生きるか」に導かれて。
 表紙の女性、映画に出てくる夏子にそっくりです。幽霊塔とその前の沼も。
 幽霊塔では、この女性、秋子と言います。夏子も出てきますが、この女性とはまるで違うような醜さとなって。
 宮崎監督の漫画が、最初から16ページ載っています。そこに描かれていますが、幽霊塔は、江戸川乱歩の前に黒岩涙香(るいこう)が描いていました。その涙香も、イギリスのウイリアムソンが描いた「灰色の女」を元にして日本に合うようにして紹介していました。この辺りはゲーテの「ファウスト」に似ています。ファウストも、元々はよく舞台で演じられていた演目をゲーテが自分流に料理したものでした。
 宮崎監督の印象的な言葉がありましたので引用しておきます。漫画の最後のページです。
「みたまえ、幽霊塔は19世紀からつづいているのだ。
 19世紀には、まだ人間はつよく正しくあれると信じられていた。
 20世紀は、人間の弱さをあばき出す時代だった。
 21世紀は、もうみんな病気だ。
(中略)
 わしらは、大きな流れの中にいるんだ。
 その流れは、大洪水の中でも、とぎれずに流れているのだ」
 本当にそうだと思いました。
 もう、みんな病気。いかに病気から脱することができるか。予防することができるか。
 そもそも、この住んでいる地球の存続すら、人間の活動によって、危うくなってきています。
 この視点は、どうしても、作品に入ってくる、と私も思います。
 で、この幽霊塔ですが、面白かった。
 小学生のときは、よく図書館に通っていろんな本を読みましたが、「興奮度」という観点からだと、やっぱり乱歩が一番でした。
 ページをめくる楽しさ、次、どうなるんだろうというわくわく。全てが明らかになった後の充足感。
 小説の面白さ。奥深さ。最初の洗礼は乱歩だった。確かに、と、改めて思わされました。
 天性なのか、鍛え抜かれた技なのかわかりませんが、読者を次へ次へと誘う書き方がすごい。少しだけ匂わせたり、先に出しておいて回収したり、無駄はなく、でも読者には親切。文章がとても丁寧です。小学生でも読めるでしょう。
 でも深い。というか暗い。というか、社会的タブーが入っている。
 この作品では「蜘蛛屋敷」が出てきます。家の中が蜘蛛だらけで、誰も近づきたがらない。そうしているのは訳がある。
 秋子さんには、左手にいつも謎の手袋がはめられています。その秘密とは何なのか?
 主人公の光雄には幼馴染で許嫁の栄子がいますが、光雄が秋子と出会って秋子を愛し始めたのを敏感に感じ取り、嫉妬に燃えた栄子はあらゆるトラブルを起こします。栄子が影の主人公とも言えます。その栄子の顛末もまた読みどころ。そこには、人間の浅はかさ、好ましくない感情というものがよく描かれています。
 あとは怪しげな弁護士に医学士も。裏の顔を持ちつつ憎めないのは栄子と似ているかもしれません。
 人物たちが魅力的。それは表だけじゃなく、隠している裏があってこそ。そのことも、乱歩はわかっていたのかどうか、わかりません。
 幽霊塔は、かつての住人が殺され、その人が幽霊となって現れると言われていました。大きな時計塔でもあって、かつて海運で財を成した人物が作りました。そして、その塔のどこかに財宝が隠されているとも言われていました。
 財宝もまた隠されている。幽霊もまた、どこから出るかわからない。あるのかないのか、いるのかいないのか、その不安定さが読む者を先へ先へと進めます。
 大きめな本ですが、読み始めたらあっという間でした。
 様々な謎に裏、そこには真実があった、とだけ言っておきましょうか。
 光雄と秋子はどうなっていくのか? それもまた読みどころで、今の私には納得ができる結末でした。

 江戸川乱歩 著/宮崎駿 口絵/岩波書店/2015

 
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西の魔女は死んだ

2023-09-16 19:08:38 | 読書
 もう少し梨木さんを読みたくなり、定番に手が伸びました。
 今年もですが、毎年夏に展開する「新潮文庫の100冊」の常連。この本が入らなかった年はなかったのではないでしょうか。
 この本には思い出もあります。
 私が池袋の本屋の人文書にいたとき、もう15年くらい前になりますが、そのとき一緒に働いていた同僚の一人に、この本を激推ししていた人がいました。そのときは「ふーん」くらいで読む気にはならなかった。
 15年も経てば、当時の書店のラインナップから消えていく本たちの方が多いかもしれません。でも、この本は生き続けています。
 文庫本として発売されたのは平成13年8月と奥付(本の一番最後のページ)に書いてあります。それからなんと100刷。100回増刷されています。
 平成13年は2001年のことで、今から22年前。当時、私は24歳で、大学を出たばかりで、書店で働き始めた年でもありました。
 そのときからこの本は本屋にあり、同僚の勧めで存在を知っても読まず、それからまた15年も経って自ら手を伸ばすとは。
 辿り着くべき本には辿り着ついてきたんだなあ、という感慨がまずあります。読むべき本とは出会ってきていて、それぞれのタイミングで、それぞれの自分で、吸収すべきものを吸収してきたのだと。
 この本を読み、当時の同僚の姿が浮かびました。懐かしい。元気にしているかなと思う。そしてこんな物語が好きだったんだなと、ほんの少し、その人に近づけた感じもします。
 本は、人に似ているのかもしれません。出会うべき人には出会ってきたこととも似て。
 さて、中学校に入ったばかりの「まい」が主人公です。
 5月、まいは学校に行けなくなってしまいます。
 心配した両親が頼ったのが、母親の母親、まいのおばあちゃんでした。まいとその母親は、その人のことを「西の魔女」と呼んでいました。
 まいはおばあちゃんが大好きでした。そのことをよく口に出してもいました。
「おばあちゃん大好き」と。
 すると、西の魔女はこう言うのでした。
「アイ、ノウ」と。自信たっぷりに。
 まいは、そんなおばあちゃんとの共同生活をすることになります。それは同時に、まいの「魔女修行」をも意味していました。
 魔女といっても、ほうきに跨って飛ぶわけではありません。私がタイトルだけで先入観を抱き、この本を長い間遠ざけてしまったのは「魔女」にまつわるそんな陳腐なイメージでした。
 手垢にまみれたうわさ、先入観による思い込み、本当に願うことではないことに反応してしまうくせ。言ってみれば、それら私にも心当たりがあることを乗り越えていくことが、西の魔女が言うところの魔女修行なのでした。
 そのためにはまず生活のリズムを作ること。一日の行動の予定を立てて実行すること。そして、何より大事なのは、自分が決めること。
 自分が、この自分の生活の主体となること。そのことを、おばあちゃんは、まいと生活をともにする中で、まいに染み込ませていく。
 まいが自分を取り戻していく中で、「まい・サンクチュアリ」とおばあちゃんが名付ける場所が現れます。そこは、まいがとても気に入った場所のことで、その土地をおばあちゃんは法的にもまいに譲るのですが、その存在が、とても印象に残りました。
 まいは、そこにある切り株に座っているだけでしあわせを感じられます。自分が自分であることを丸ごと受け入れられ、受け入れてもらってもいる。自然と、自然でもあった自分とが、深い呼吸を繰り返すことで交流できるような場所。
 ああ、それは私にとって、花との出会いだったんだなと思いました。
 あるとき、突然、道端の花の存在に気づきました。
 その花は、どこから来ていたのか?
 土でした。大地でした。
 私は、そのとき、コンクリートやアスファルトや、あるいは言葉に隠されていた土を発見した。
 土は自然です。生きている地球のかけらである鉱物の破片と、生きていた生物たちの死骸でできています。
 そう、死もまた自然でした。
 まいが恐れていたのも死でした。
 そのことをおばあちゃんに話せた夜、まいは印象的な夢をみます。
 その夢の話も聞いたおばあちゃんは「ありがたい夢ですね」と言う。この言葉もまた私に記憶されました。
 夢をありがたく思うその気持ちがいいなあ、と。
 おばあちゃんとまいの共同生活は2ヶ月ほどで終わり、その後再会できないままおばあちゃんは死んでしまいます。
 まいは、再びおばあちゃんと住んだ家に入る。
 すると、おばあちゃんと話していた約束が果たされていたことを知ります。
 それが何なのかは、読んでご自分で確かめてみてください。
 この本にも、私が知らなかった植物や動物が登場します。
 その一つ一つを知ることもまた楽しいです。

 梨木香歩 著/新潮文庫/2001
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