泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

共同執筆者

2024-09-28 13:55:20 | フォトエッセイ
 先日、忘れ難い夢を見ました。
 私は少し賑やかな出版社らしきホールにいて、そこの人から紹介されたのでした。
「共同執筆者のヘルマン・ヘッセさんです」と。
 ああ、ついにヘッセに会えたのだという喜びで、私はうれし涙が止まらなかった。
 ただ会えたのではなく、「共同執筆者」として。
 しかも、ヘッセは後ろ姿しか見せてくれませんでした。
 髪の薄くなったご年配の男性で、意外と小柄でした。
 それが何を意味するのか?
 ヘッセ最後の小説「ガラス玉遊戯」を読了したのが2011年の8月17日でした。それから先、私はランナーとなり、小説家見習いとなりました。あれから13年経ったことになります。ヘッセ最後の小説を読んだからには「私が書かなければ」と思ったことを覚えています。
 さかのぼれば仙台の学生時代。私はいつどこでヘッセと出会ったのか覚えていません。が、一人で不安で寂しいとき、枕元にはヘッセの詩集を置いて横になったことを覚えています。
 いつの間にか、ヘッセは私と共生していた。私の大事なときにはヘッセがいつもそばにいてくれた。そんな魂の友情とでも言うべきでしょうか、ああそうかヘッセがいたと、改めて認識を深めた夢でした。
 それは私の創作物が一通り書けた後の夢でもありました。ヘッセが後ろ姿だったのは「やっと追いついたか」というメッセージなのでしょうか。「さっさと追い抜けよ」と言ってもいるのでしょうか。
 創作物というものは、このように本当に心の奥深くで、その人の生き様の伴走者となりうる。私にとって、それは言葉であり詩であり小説だったわけですが、人によって心の奥深くまで入るものに違いはあるでしょう。どれ一つとして同じ心はないのですから。
 書き抜くことによって自分のより大事なものが見えてくる、ということもあったのかもしれません。
 そのように、読んだ人の支えに少しでもなれたらうれしいなあと思います。
 今は、文章の精度を上げているところです。構成はもうほとんど変えられないだろうけど、もっと具体的に文章を開けるところを開いているという感じです。
 そして来週あたりから、協力者に原稿を託していきます。いよいよ他者の目も入ってきます。私はもうまな板の上の鯉。「来い!」という開き直りしかありません。
 でも絶対に必要なことです。提出までまだ半年あります。十分に他者の感想や意見やご指摘を受け止めて、さらに改良したいと思います。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、その言い伝えはまだ生きているようです。こちらも23日からは冷房なしで眠れるようになりました。「暑くない」それだけでホッとしてストレスが減ります。それだけ夏の厳しさは増してしまいました。
 今日は朝から20キロ走りました。涼しくなったのでまずは20キロ。神戸マラソンは11月17日。気づけばもう二ヶ月を切っています。しっかりと準備を。
 近くの公園で彼岸花が咲いていました。

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