「課題図書」小学校高学年の部の中の一冊です。
今まで課題図書を読んだことはありませんでした。もう70回になるのですね。私が学生の頃もあったはずですが、学校で取り組むことはなかったと思います。最近は店頭に出したら瞬く間に売り切れるほどなのですが。自分が学生のとき、学校からの宿題として出されていたらどうしただろう? 読み書きは好きですが、強制されたら反発したかもしれません。
今回読む気になったのは、3・11が主題だということと、児童書を担当している同僚が「号泣した」ということで買う気になりました。
岩手県の山田町にあった大沢小学校が舞台です。
山田町は、釜石と宮古の間にある太平洋に面した港町。山田湾は突き出した半島に囲まれて穏やかなので養殖業が盛んでした。
大沢小学校には二つの「海よ光れ」がありました。一つは演劇、もう一つは新聞。
学校新聞というのがありました。内閣総理大臣賞を受賞するような細やかな配慮に満ちた、でも力強い手書きの新聞です。もちろん小学生たちが作っています。
演劇の方は津波から逃げる話。明治の三陸大津波の教訓を後世に伝えることが主な目的のようです。
大津波に襲われた山田町で、大沢小学校は地域の避難所となります。高台にあったので直接津波の被害は受けませんでした。大人たちが食糧を持ち寄って食事の用意をしてくれました。その姿を見て、子どもたちも何か自分たちにもできるはずだと思い、新聞を作り、学校以外の家にも配達に行きます。その他の子たちはトイレ掃除を始める。その姿を見て、低学年の子たちは「肩もみ隊」を結成し、お年寄りたちをほぐしていきます。そしてお年寄りたちも何かできることをと思い、ボロ切れを集めて雑巾を縫い上げます。その雑巾は掃除する子たちに渡されます。
今まで当たり前にできていたことができなくなった中で、初めて自分と出会うかのように今できることの連鎖が生まれた。そんな好循環の空気を作る土台となっていたのだろうなと思うのが、先にあげた二つの「海よ光れ」でした。
大沢小学校は廃校になりました。当時の卒業生たちはもう成人し、警察官になったり自衛官になったり看護師になったりと活躍している様子。その卒業生たちが作った「海よ光れ 号外」がこの本に挟まっています。
「感謝を忘れない」「無理ではなく難しいと言い直す」「楽しく生きる」
それぞれが学んだことを書かれています。立派です。
正直、立派すぎて、私は感動できませんでした。
大沢と比べてもしょうがないのですが、それはよくわかっているのですが、犠牲者の出た地域を肌でわかっているのでどうしても。
劇の「海よ光れ」は3・11後も実演されたそうですが、津波のシーンはカットされたそうです。「思い出させてはいけない」からと。
重松清さんの『また次の春へ』(文春文庫)に『カレンダー』というタイトルの短編が収められています。その中で、被災地に都市部から不足しているカレンダーをボランティアで送ることになります。そこで、3月から前のカレンダーは破棄した上で送ったところ、3月から前の方が欲しかったという声が返ってきます。なぜでしょうか?
「先だけを見てがんばれ!」というメッセージを暗に送っていたからです。言い換えれば「3月から前はなかったことにしよう」と。
過去がなくてどうして今、これからを歩いていけるでしょうか。
耐えられないような傷にあえて塩を塗る必要はありません。だけど、その傷があればこそ、悔しくて仕方ないからこそ、乗り越えていくばねにもなります。傷にはいい面も悪い面もある。どちらか一方だけから物事を見ると、見えなくなるものがある。私は、自分の経験から、そう思っています。
津波で、思い出の品や人々や場所を、ある日突然ごっそりと持っていかれてしまったのです。せめてカレンダーだけは、「あの日」以前も当たり前についているものが欲しかった。そうすれば、あんなこともあった、こんなこともあったと思い出せるから。
「思い出させてしまってごめんなさい」と言われ、むかっとした、という話も聞いたことがあります。思い出して当然です。何が悪いのでしょうか。むしろ、今だって一緒に生きてますから。
そんなこんな、きれいにまとめられた「感動のノンフィクション」だからこそ、そこからこぼれ落ちるであろう様々を逆に想起させられました。私の役目は、そういう一つ一つを拾って言葉で構築していくことでもあると、改めて思わされました。
弱音をもっと聞きたかったかな。
そうだと子供向けにならないのでしょうか?
田沢五月 文/国土社/2023
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