泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

ふたりのロッテ

2024-08-10 18:12:41 | 読書
 ケストナーの作品は「どうぶつ会議」「飛ぶ教室」「人生処方詩集」を読んだことがあります。没後50年ということで、また注目を集めています。
「ふたりのロッテ」は初読み。二人の少女が主人公というところと、ケストナーの代表作の一つに挙げられることも多いので読んでみたくなりました。
 なんでこんなに子どものことがわかるのでしょう?
 子どもは親のために病気にもなりますが、そのことが実によく描かれています。
「訳者あとがき」でわかったことですが、この作品は第二次世界大戦中に書かれています。著者のケストナーはドイツ人で、その時代ナチスが政権を握っていました。ケストナーは「危険思想の持ち主(政権に反対していたので)」とされ、ナチスから発禁処分を受け、命すら危ない状態でしたが、国内に留まり、この作品の完成に集中していました。外圧が強いだけに純度が高いと言うか、何を書くべきなのか明確になっていたのかもしれませんが、並のことではありません。現在にまで残る作品の生命力の強さを刻んでいたことに違いはありません。
 夏の、日本で言ったら林間学校でしょうか、湖のほとりにある子ども学校から物語は始まります。見た目がそっくりの女の子が出会います。一人はロッテ、一人はルイーゼ。ルイーゼは明るく陽気ですが気性が荒く、すぐに手が出るタイプ。一方のロッテは計算や料理が得意ですが感情表現は苦手。ルイーゼは、私とそっくりなロッテを見て腹を立てます。ロッテはルイーゼを見て怯えてしまいます。ロッテは夜、一人ベッドでしくしく泣くのでした。その手をルイーゼはそっと握ります。そこから二人の親密さが増していきます。
 表紙にもある二人の作戦会議。二人は何を一生懸命にノートに書いているのでしょうか?
 夏の子ども学校が終わり、それぞれが家に帰っていきます。ロッテは母と、ルイーゼは父と暮らしていました。父と母は離婚していて父母ともに、自分の子どもに姉妹がいることは黙っていました。
 そうです、ロッテとルイーゼは双子でした。そして綿密な情報交換と作戦会議の末に、ロッテはルイーゼとなって父のところへ、ルイーゼはロッテとなって母のところへ帰ったのです。
 なぜそうしたのかは、最後に明かされます。父母が子どもたちに黙っていたように、子どもたちもまた父母に入れ替わったことは決して言いません。やがて子どもたちの秘密は明かされるのですが、それは作家の構成の妙。忘れた頃にしっかりと伏線は回収されます。無駄な挿話は一切ありません。
 子どもたちは鋭い感性を持ち、人として何が間違っているのかを大人たちに全身で教えます。言語化能力はまだ発達していませんが、危険察知能力は大人よりも優れています。
 どれだけ子どもたちの訴えを感じて寄り添えるのか。ときに誤る大人の考えと行動を変えていけるのか。ロッテとルイーゼの果敢な挑戦に、父母はついに動かされました。考えを改め、家族4人のしあわせを引き寄せることができました。
 ケストナーは自分の思いを子どもに託したのではないかと思います。人殺しばかりする大人たちよりも子どもや動物の方がよっぽど信頼できる、と思ったのかもしれません。ケストナーの生きた時代に、確かに大人のヒーローは描きづらかったでしょうから。
 だからこそ胸に迫り、残るものがあります。異変は細部から起こるのだと。
 必要なのは敬意です。子どもだからといって軽視していい理由はどこにもありません。
 小さかろうが大きかろうが、一人の人間であることに違いはありません。
 夏休み、子どもたちが本屋にあふれています。敬意を持って接することができているでしょうか? 危ないとき、この本を思い出せ自分!

 エーリッヒ・ケストナー 作/池田香代子 訳/岩波少年文庫/2006

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