市川崑監督作品です。絵の連続が映画であることを示している。
ツタヤの更新になったのです。それで一本おまけ。それで借りました。
学生時代は毎週のようにツタヤに行っていたのに。見尽くすなんてことはないのでしょうが、映画を観る機会がめっきり減った。単に暇が少なくなったからなのでしょうか。
あんなに観たはずなのに、必ずと言っていいほど、気づいていない名作がある。市川さんは特に、亡くなったことで知りました。
『鍵』は、原作が谷崎潤一郎です。『陰翳礼賛』は確か高校の授業で出たような。当時はその良さがわからなかった。「変態だ」と一蹴する輩もいますが、僕はそうは思わない。闇には確かに美がある。そこでしか味わえないものが。年を重ねるごとに染みてくるものと言うのでしょうか。谷崎は永井荷風に認められて作家道に入った。その流れ、共通した感性、性や女への親和。そこから人間の深みに入っていく。僕は嫌いじゃありません。
この映画。またしても驚くのがその新しさです。1959年に作られたとは思えない。ほんとに今、触れていた。あっという間でした。市川さんの映画は、ほんと観ているだけでも楽しい。そして奥様である和田夏十の脚本。言葉もまたそぎ落とされ、それでも十分に伝わります。
病を患いながら老い、死に抗おうとする剣持という男が、研修医の若い男木村をわざと誘い、妻と密会させ、そこを覗くことで嫉妬し、興奮し、生命感を保とうとする。そんな父を垣間見てしまう娘は父が嫌いでしかたない。妻は妻で、木村を愛するようになってしまう。娘もまた木村を思い、両親への憎しみを抱えている。剣持は木村と娘を結婚させようとする。木村は剣持の名誉や財産だけを狙っている。死への怯えが強い刺激を増幅させ、剣持は血圧を上げすぎ、死んでしまう。奥さんは「やっと死んだ」というような笑みさえ浮かべる。そして三人になり、木村を母に奪われたくない娘が、母に毒を盛るのですが空振り。そこへ召使の作ったサラダが運ばれてくる・・・。
ラストは、なんとなく複線があったので納得しますが、それにしてもあっけない。でも、そこまで書いて、ああと見えてくるものがある。いかに執着がたわいないものであるか、しかしその執着が人を動かし、安定させもしているか。
そして、観る者をそちらに引っ張る力がある。あなたもそうでしょ、と。
確かに。否定できない。
精錬潔白。そんな人がいるのでしょうか。それは多くの場合、偽装なのではないでしょうか。
谷崎は、誰になんと言われようと、確かに人間の核に触れていた。情欲のない人間がどこにいるでしょうか。
闇を書けてこそ作家です。もちろん、光も。
それにしても「鍵」。人を生かし、人を殺しもする鍵。
鍵が具体的になんだ?と聞かれても答えに窮してしまいますが、谷崎潤一郎は確かに、小説の全体で「鍵」を書いたのだと思います。
まあ、気になったら観てみてください。こんな素晴らしい映画が、ツタヤの片隅に眠っています。
市川崑/中村雁治郎・京マチ子・仲代達也他/1959/角川映画
ツタヤの更新になったのです。それで一本おまけ。それで借りました。
学生時代は毎週のようにツタヤに行っていたのに。見尽くすなんてことはないのでしょうが、映画を観る機会がめっきり減った。単に暇が少なくなったからなのでしょうか。
あんなに観たはずなのに、必ずと言っていいほど、気づいていない名作がある。市川さんは特に、亡くなったことで知りました。
『鍵』は、原作が谷崎潤一郎です。『陰翳礼賛』は確か高校の授業で出たような。当時はその良さがわからなかった。「変態だ」と一蹴する輩もいますが、僕はそうは思わない。闇には確かに美がある。そこでしか味わえないものが。年を重ねるごとに染みてくるものと言うのでしょうか。谷崎は永井荷風に認められて作家道に入った。その流れ、共通した感性、性や女への親和。そこから人間の深みに入っていく。僕は嫌いじゃありません。
この映画。またしても驚くのがその新しさです。1959年に作られたとは思えない。ほんとに今、触れていた。あっという間でした。市川さんの映画は、ほんと観ているだけでも楽しい。そして奥様である和田夏十の脚本。言葉もまたそぎ落とされ、それでも十分に伝わります。
病を患いながら老い、死に抗おうとする剣持という男が、研修医の若い男木村をわざと誘い、妻と密会させ、そこを覗くことで嫉妬し、興奮し、生命感を保とうとする。そんな父を垣間見てしまう娘は父が嫌いでしかたない。妻は妻で、木村を愛するようになってしまう。娘もまた木村を思い、両親への憎しみを抱えている。剣持は木村と娘を結婚させようとする。木村は剣持の名誉や財産だけを狙っている。死への怯えが強い刺激を増幅させ、剣持は血圧を上げすぎ、死んでしまう。奥さんは「やっと死んだ」というような笑みさえ浮かべる。そして三人になり、木村を母に奪われたくない娘が、母に毒を盛るのですが空振り。そこへ召使の作ったサラダが運ばれてくる・・・。
ラストは、なんとなく複線があったので納得しますが、それにしてもあっけない。でも、そこまで書いて、ああと見えてくるものがある。いかに執着がたわいないものであるか、しかしその執着が人を動かし、安定させもしているか。
そして、観る者をそちらに引っ張る力がある。あなたもそうでしょ、と。
確かに。否定できない。
精錬潔白。そんな人がいるのでしょうか。それは多くの場合、偽装なのではないでしょうか。
谷崎は、誰になんと言われようと、確かに人間の核に触れていた。情欲のない人間がどこにいるでしょうか。
闇を書けてこそ作家です。もちろん、光も。
それにしても「鍵」。人を生かし、人を殺しもする鍵。
鍵が具体的になんだ?と聞かれても答えに窮してしまいますが、谷崎潤一郎は確かに、小説の全体で「鍵」を書いたのだと思います。
まあ、気になったら観てみてください。こんな素晴らしい映画が、ツタヤの片隅に眠っています。
市川崑/中村雁治郎・京マチ子・仲代達也他/1959/角川映画