「ボルヘスは旅に値する」と言われます。
最晩年の作品を読み、訳者の丁寧な解説と著者の言葉を聞いて、その意味が私なりにわかってきました。
著者は常々こう言っていたそうです。「書いたものよりも読んだものを誇りたい」
さらにはこんなことも。
「私も書くことでだいぶ救われました。惨めな気持ちが癒やされました。ですから、私の書いた作品は全然文学的価値がなくても、私には大いに役に立ったんです」
この言葉を聞いて、私も救われました。
そうだ、そうだ。書いたものより読んだものを誇りに思う。まるでイチローみたいじゃないか。3割のヒットより7割のミスを誇りたい、というような発言を思い出して。
ボルヘス自身、自分の降りかかった不幸を嘆いてもいます。政治的なことだったり、目が不自由になったことだったり。
それでも彼はそれらの不幸を「人間ならだれもが経験する」ものとして受け止め、何世代にもわたって受け継がれる作品へと移し替えることができた。
ボルヘスの作品はどれも短いですが、ものすごく濃いです。そして一目で、これは彼しか書けない作品だとわかる。誰かに似ているなんてことは全くない。
この本に収められた最晩年の4つの作品は、初期の作品に比べてだいぶ読みやすくなったように感じました。本人も言っているように、過剰な装飾を必要としなくなったためなのでしょう。
それでも持ち味は変わっていません。むしろ装飾が落とされた分だけ作品に入っていきやすいかもしれません。
一つ目は「1983年8月25日」というタイトル。お気に入りのホテルでチェックインしようとすると、すでに本人が部屋に入っていた、というもの。
「本人」は、死を目前にした老いた自分。老いた自分と自分が対話し、お互いにお前は自分じゃないと言い張ったり、一番の過ちを言い合ったり。
俺がお前を夢見ているのだと言えば、いや俺がお前を夢見ていると言い返したり。
二つ目は「青い虎」。
「青い虎」を探してある村に来ている主人公。彼は住民たちの世話になりながら、来る日も来る日も青い虎を探している。
ある日、彼は「青い虎」とそっくりな色の小石を見つける。高い場所にある大地の裂け目で。
青い小石は増殖する。消えたと思ったら、また戻ってくる。
最初は喜んでいた彼も、やがて不気味に思うようになる。今まで信じていたものすべてが青い小石には通用しないので。
彼は乞食に青い小石を譲る。その替わり、彼が乞食から渡されたのは、恐ろしい世間だった。
三つ目は「バラケルススの薔薇」。
彼は灰になった薔薇を元に戻すことのできる錬金術師。一方で詐欺師呼ばわりもされていた。
彼の元に弟子入りを志望する者が現れる。袋にたくさんの金貨と、もう一方の手には薔薇を持って。
金貨を差し出し、さらにこの薔薇を灰にして元に戻してくれ、今見せてくれとせがむ。それを見せてくれたら弟子になると図々しい。
バラケルススもまた弟子を求めていた。確かな信念こそが道なのだ、とか言って諭すが、弟子には伝わっていない様子。
彼は薔薇を暖炉に投げ入れ、灰になった薔薇はもう元には戻らず、私は皆が言っているようにただの詐欺師なのだよと言う。
弟子志望者はがっかりして失礼を詫びて、差し出した金貨を回収してすごすご退散。
一人になったバラケルススは、おもむろに灰になった薔薇を手に取り、小さな声である言葉を唱えると薔薇は蘇る。
最後が「シェイクスピアの記憶」。
これは何だろうと思いますよね。
読んでみるとそのまま、「シェイクスピアの記憶」を保持している人がいて、その人から「シェイクスピアの記憶」を譲り受ける話。
彼はシェイクスピアの学者であり、シェイクスピアの記憶が自分に入ってきて、まるで自分がシェイクスピアになったようで興奮する。
しかし彼は、彼だった。今、自分がどこにいるのかさえわからなくなり、自ら望んだ「シェイクスピアの記憶」を誰かに譲りたくなる。
電話をかけまくって、これぞという人に譲ることはできた。
それでも、「シェイクスピアの記憶」が思い浮かばなくなるまでには時間がかかり、バッハの音楽に救われることを見つける。
「我にすぎないものこそが、我が身を生かしていくのだ」と繰り返し言う彼に、私は深く共感しました。
以上ざっくりと要約してみましたが、先にも書いたように、一行ずつが濃いので、読んだ人の今によって、様々な受け取りが開けてくると思います。
その「開け」こそが「救い」につながっていくのではないでしょうか。
私は、いつの間にか私ではなくなっており、やっぱり私が恋しくなって、私に還り、私を再発見する。
不幸である私から抜け出し、だれのものでもないけど確かにある存在に触れ、私自身が夢となり、人生の主導権を投げ捨て、永遠とも言える世界とつながって、私はいつの間にか癒やされていた。
日本のアニメにも通じるものがありそうです。パラレルワールドをリアルに感じるというか。
だからこそ「ボルヘスは旅に値する」のです。
彼の魅力、少しは伝わったでしょうか?
気になった方はぜひ読んでみてください。
きっと、今まで体験したことのない斬新な読書体験ができますよ。
J.L.ボルヘス 作/内田兆史・鼓直 訳/岩波文庫/2023
最晩年の作品を読み、訳者の丁寧な解説と著者の言葉を聞いて、その意味が私なりにわかってきました。
著者は常々こう言っていたそうです。「書いたものよりも読んだものを誇りたい」
さらにはこんなことも。
「私も書くことでだいぶ救われました。惨めな気持ちが癒やされました。ですから、私の書いた作品は全然文学的価値がなくても、私には大いに役に立ったんです」
この言葉を聞いて、私も救われました。
そうだ、そうだ。書いたものより読んだものを誇りに思う。まるでイチローみたいじゃないか。3割のヒットより7割のミスを誇りたい、というような発言を思い出して。
ボルヘス自身、自分の降りかかった不幸を嘆いてもいます。政治的なことだったり、目が不自由になったことだったり。
それでも彼はそれらの不幸を「人間ならだれもが経験する」ものとして受け止め、何世代にもわたって受け継がれる作品へと移し替えることができた。
ボルヘスの作品はどれも短いですが、ものすごく濃いです。そして一目で、これは彼しか書けない作品だとわかる。誰かに似ているなんてことは全くない。
この本に収められた最晩年の4つの作品は、初期の作品に比べてだいぶ読みやすくなったように感じました。本人も言っているように、過剰な装飾を必要としなくなったためなのでしょう。
それでも持ち味は変わっていません。むしろ装飾が落とされた分だけ作品に入っていきやすいかもしれません。
一つ目は「1983年8月25日」というタイトル。お気に入りのホテルでチェックインしようとすると、すでに本人が部屋に入っていた、というもの。
「本人」は、死を目前にした老いた自分。老いた自分と自分が対話し、お互いにお前は自分じゃないと言い張ったり、一番の過ちを言い合ったり。
俺がお前を夢見ているのだと言えば、いや俺がお前を夢見ていると言い返したり。
二つ目は「青い虎」。
「青い虎」を探してある村に来ている主人公。彼は住民たちの世話になりながら、来る日も来る日も青い虎を探している。
ある日、彼は「青い虎」とそっくりな色の小石を見つける。高い場所にある大地の裂け目で。
青い小石は増殖する。消えたと思ったら、また戻ってくる。
最初は喜んでいた彼も、やがて不気味に思うようになる。今まで信じていたものすべてが青い小石には通用しないので。
彼は乞食に青い小石を譲る。その替わり、彼が乞食から渡されたのは、恐ろしい世間だった。
三つ目は「バラケルススの薔薇」。
彼は灰になった薔薇を元に戻すことのできる錬金術師。一方で詐欺師呼ばわりもされていた。
彼の元に弟子入りを志望する者が現れる。袋にたくさんの金貨と、もう一方の手には薔薇を持って。
金貨を差し出し、さらにこの薔薇を灰にして元に戻してくれ、今見せてくれとせがむ。それを見せてくれたら弟子になると図々しい。
バラケルススもまた弟子を求めていた。確かな信念こそが道なのだ、とか言って諭すが、弟子には伝わっていない様子。
彼は薔薇を暖炉に投げ入れ、灰になった薔薇はもう元には戻らず、私は皆が言っているようにただの詐欺師なのだよと言う。
弟子志望者はがっかりして失礼を詫びて、差し出した金貨を回収してすごすご退散。
一人になったバラケルススは、おもむろに灰になった薔薇を手に取り、小さな声である言葉を唱えると薔薇は蘇る。
最後が「シェイクスピアの記憶」。
これは何だろうと思いますよね。
読んでみるとそのまま、「シェイクスピアの記憶」を保持している人がいて、その人から「シェイクスピアの記憶」を譲り受ける話。
彼はシェイクスピアの学者であり、シェイクスピアの記憶が自分に入ってきて、まるで自分がシェイクスピアになったようで興奮する。
しかし彼は、彼だった。今、自分がどこにいるのかさえわからなくなり、自ら望んだ「シェイクスピアの記憶」を誰かに譲りたくなる。
電話をかけまくって、これぞという人に譲ることはできた。
それでも、「シェイクスピアの記憶」が思い浮かばなくなるまでには時間がかかり、バッハの音楽に救われることを見つける。
「我にすぎないものこそが、我が身を生かしていくのだ」と繰り返し言う彼に、私は深く共感しました。
以上ざっくりと要約してみましたが、先にも書いたように、一行ずつが濃いので、読んだ人の今によって、様々な受け取りが開けてくると思います。
その「開け」こそが「救い」につながっていくのではないでしょうか。
私は、いつの間にか私ではなくなっており、やっぱり私が恋しくなって、私に還り、私を再発見する。
不幸である私から抜け出し、だれのものでもないけど確かにある存在に触れ、私自身が夢となり、人生の主導権を投げ捨て、永遠とも言える世界とつながって、私はいつの間にか癒やされていた。
日本のアニメにも通じるものがありそうです。パラレルワールドをリアルに感じるというか。
だからこそ「ボルヘスは旅に値する」のです。
彼の魅力、少しは伝わったでしょうか?
気になった方はぜひ読んでみてください。
きっと、今まで体験したことのない斬新な読書体験ができますよ。
J.L.ボルヘス 作/内田兆史・鼓直 訳/岩波文庫/2023
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