『弾正橋(だんじょう ばし)』 は、中央区京橋 と 八丁堀 の間で、
皇居の二重橋前から八丁堀方面に向う 「鍛冶橋通り」 が
「首都高速道路」(旧・楓川) を渡る橋で、
その創架は江戸時代の初期、寛永年間 (1624~1643) またはそれ以前であると伝えられている。
橋名の由来は、この橋に近い八丁堀に江戸時代初期に町奉行を勤めた
島田弾正 の屋敷があったことから 『弾正橋』 と呼ばれた。
よく チャリで通る鍛冶橋通りにあります。
昔の弾正橋は 今は八幡橋と名前を変えて 八幡様の近くに 移築されています。
ここを過ぎると 昭和通り 中央通り 外堀通り となります。
鍛冶橋通りと外堀通りの交差点 いまの 東京国際フォーラム付近は
元禄11年(1698)の火災で焼けるまで吉良上野介の屋敷がありました。