窯元日記復活

京博展示の赤膚焼「楽焼金彩宝珠文茶碗  奥田木白作」

京都国立博物館特集展示「茶の湯の道具  茶碗」展には



京博蔵伊東陶山氏寄贈「楽焼金彩宝珠文茶碗  奥田木白作」が展示されています。
軟質陶で焼かれていて、高速回転のろくろで成形されています。宝珠文は木白や先行する青木木兎 や木白さんもよく使っていました。宝珠文には金彩が施されています。キャプションには赤膚焼の窯で焼かれ(大和郡山市)となっていますが、軟質陶・・・楽焼きだと堺町の木白の屋敷内で焼かれた可能性もありますが・・・。
京博所蔵のデーターでみると、

高9.5cm  口径12.2cm
高台脇に「赤膚山」及び「木白」の印あり 

https://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=5049919&data_id=4592
以前発行された蔵品目録には赤膚焼が2点蔵されていることは知っていました。いずれも伊東陶山氏寄贈。今は、データー目録で簡単に出せる。
京博の展示40年ほど見ているが初めて赤膚焼を拝見しました。

伊東陶山(1846―1920) は帝室技芸員 。京博には30点以上寄付しています。
「没年:大正9.9.24(1920)
生年:弘化3(1846)
明治期京焼の陶工。名は重太郎,のちに幸右衛門。明治28(1895)年より陶山を名乗る。京都粟田口に生まれ,絵を円山派の画家小泉東岳に学び,文久3(1863)年,京都五条坂の陶工亀屋旭亭に師事し陶技を学ぶ。さらに3代高橋道八,幹山伝七,9代帯山与兵衛らの指導を受け,各地の窯場を巡った。慶応3(1867)年,京都粟田白川畔に開窯。京焼の改良を志し,明治24年には本焼絵付の技法を完成,同29年には京都に陶磁器試験場と伝習所を開設した。さらに36年には浅井忠,宮永東山らと陶器研究団体「遊陶園」を結成するなど京都陶芸界の発展に尽くした。大正6(1917)年,帝室技芸員となる。
(伊藤嘉章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版」


https://blog.goo.ne.jp/kazupon2790/e/1f61cb35a630615244aad313a4d7e813 

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