植槻八幡神社ぶらぶら①
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大和郡山観光協会のHPから「祭神は誉田別命。奈良時代の植槻寺となんらかの関係があったものと思われる。
植槻寺は、和銅2年(709)藤原不比等が浄達法師を招いて維摩会を行った道場。
郡山築城の際掘り出された薬師三尊銅像は薬師寺西院堂(現在の講堂)に移転。」
「
旧社格 指定村社 | |||
所在地 | 奈良県大和郡山市植槻町5-2 | ||
御祭神 | 主祭神 | 誉田別命 (ほんだわけのみこと) | |
摂社祭神 | 青龍神 | 植槻坐魚名神社(金魚神社) | |
藤原不比等公・武智麻呂・仲麻呂 | 植槻坐藤原神社 | ||
末社祭神 | 此花開耶姫命 (このはなさくやひめのみこと) | 浅間神社 | |
春日四柱神 (かすが4はしらのかみ) | 春日神社 | ||
天照大神 (あまてらすおおみかみ) | 天照皇大神宮 | ||
大物主命 (おおものぬしのみこと) | 三輪神社 | ||
応神天皇 (おおじんてんのう) | 八幡神社 | ||
由 緒 | 旧郡山地区の植槻町集落の東端に鎮座、誉田別命を祀る。旧村社。創祀は明らかでないが、奈良時代の古刹植槻寺の東に位置し、同寺の鎮守であったと見られている。応永十三年(1406)の法華寺田畑本券に、ウエツケニノ宮前の三反が、右京九条三坊五坪内にあるとされ、条坊からウエツケノ宮は当社に当たる。境内に八幡神社(応神天皇)・神明神社(天照大神)の境内社がある。 -奈良県史(神社)より- |
植槻八幡神社「おん田祭」
植槻おん田祭(うえつきおんだまつり)は、毎年1月7日植槻八幡神社で行われている、豊作祈願の祭。笛や鼓にあわせて五月乙女が袖を連ねて歌を謡い、松の枝、榊の葉を早苗に見たてて、田植えの所作をする。男は、黒衣を着て牛の面を着け、犂(からすき)を引き、もう1人の男は烏帽子(えぼし)、素袍(すほう)で、鍬を使う。この鍬には、天保の墨書がある。
貞観元年(859)筑紫国より山城国男山へ移った八幡が分霊が、神勅によって植槻の地へ移されたので、男山の社人が毎年植槻神社へ参って御田植えの神事を務めたのに始まるという。
※ふるさと大和郡山 歴史事典より
昭和初期には大和三大奇祭の1つに挙げられている祭礼です。
貞観元年(859)筑紫国より山城国男山へ移った八幡が分霊が、神勅によって植槻の地へ移されたので、男山の社人が毎年植槻神社へ参って御田植えの神事を務めたのに始まるという。
※ふるさと大和郡山 歴史事典より
昭和初期には大和三大奇祭の1つに挙げられている祭礼です。
日程
1月7日 |
http://yamatokoriyama.locodoco.net/event/jan/58.html