窯元日記復活

木造吉祥天立像 市指定文化財に 大和郡山

新規指定の大和郡山市指定文化財について 


指 定 書 番 号 市彫第 10 号 指 定 年 月 日 令和4年3月 31 日 

種 別 有形文化財(彫刻) 名称及び員数 木造吉祥天立像 もくぞうきっしょうてんりゅうぞう 1躯 像内に永禄六年、本願主守栄 しゅ  えい 、作者宿 院 しゅくいん 仏師源 次ぶっしげん  じ 等の銘がある。 

所 有 者 宗教法人 金剛山寺 こんごうせんじ 
法 量 像高 189.0 ㎝ 
年 代 室町時代 永禄六(1563)年
 作 者 宿院仏師源次 しゅくいんぶっしげんじ 

説明(指定理由) 本像は金剛山寺の本堂厨子に安置される吉祥天像であり、中尊地蔵菩薩像、左脇侍十一面観音像 とともに構成される、矢田地蔵三尊の右脇侍像である。 左手に如意宝珠 にょいほうじゅ を載せ、右手は垂下して与願印 よがんいん 風に五指を伸ばし、荷葉座 かしょうざ に立つ。寄木 よ せ ぎ 造り、玉 眼 ぎょくがん 、 彩色 さいしき(彩色は宝永五(1708)年に補っている)。 像内の墨書より永禄六(1563)年に守栄 しゅえい を本願主として宿 院 しゅくいん 仏師源 ぶっしげん 次 じ によって製作されたこと がわかる。室町時代(16 世紀)に奈良を中心に活躍した宿院仏師の造仏活動後期の優品のひとつ である。 市内の室町時代彫刻における基準作のひとつとして注目すべき作品であるとともに、中世以来の 矢田地蔵信仰の歴史を考える上でも重要な作品である。

 報道資料 
備考 ■金剛山寺 矢田町に所在する寺院で、矢田丘陵の中腹に建つ。天武年間に僧智通により開かれたと伝わり、平安時代以降 「矢田地蔵」の名で地蔵菩薩信仰の中心地として栄えた。矢田地蔵三尊のうち、中尊地蔵菩薩立像は平安時代初 期、左脇侍の十一面観音立像は奈良時代の作で、どちらも重要文化財である。右脇侍の吉祥天立像はこれまで未指 定であった。

 ■宿院仏師 室町時代(16 世紀ごろ)に南都で活躍した仏師集団。特定の寺院に属さない新興の仏師集団である。奈良市宿 院町に工房を構え、仏師屋の屋号も掲げ、仏師名に俗名を用いた。慶派仏師や椿井仏師など南都の伝統的仏所の系 譜には連なっておらず、仏像製作の助手的な役割を担っていた木寄番匠をルーツとしている。多くの作品が檜の 良材を使って彫刻されており、素地のままに仕上げている点に特色がある。 

■像内の墨書 本像の頭部と体部の内面に多数の名前が墨書されている。本願主である守栄の事歴は不詳。作者の仏師源次は、 息子の源四郎や源五郎らを率いていたとわかる。宿院仏師の仏像彫刻には、市内では丹後庄町松本寺の釈迦如来 像・阿弥陀如来像(いずれも市指定文化財(令和元年 9 月 17 日指定))などがある
https://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/material/files/group/63/houdoushiryou.pdf


 

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