「しんかい6500」の遊具(その6)中からの風景、船尾方向。安全柵があります。「しんかい6500」の船首上部にある黄色い帽子(整流覆という)にあるハッチがあるとこから顔を出せます。けっこう凝ってます。 pic.twitter.com/rFNPu9rErA
「しんかい6500」の遊具(その7)船尾方向から。大きなメインスラスタ1つなので、改造前のもの。垂直尾翼のような黄色い垂直安定ヒレにはちゃんとJAMSTECロゴと「SHINKAI6500」が描かれています。侮れません。 pic.twitter.com/Toob4OywEf
「しんかい6500」の遊具(その8)もう古いのと震災の被害もあるのでしょう。ペンキも薄くなっていました。 pic.twitter.com/nz1Mora2qV
今日のお宿はオーシャンビュー。日の出もここからバッチリ。 pic.twitter.com/0AM8TFGErU
種市歴史民俗資料館に併設の図書館によって種市町と合併後の洋野町の広報誌を16年分確認したけど、遊具がある海浜公園が14年前に完成した事が分かっただけ。
種市歴史民俗資料館には、「南部もぐり」の展示もありました。明治期に端を発し、現在も日本で唯一、潜水士を養成する学科をもつ種市高校があります。町のキャラクターも潜水士のダイちゃん。 pic.twitter.com/sj7HVfmf1p
資料館にある潜水士の人形、後ろにあるセーターは潜水服の下に着るもの。使いやすいように、当時の潜水士は自分で編んでいたそうです。 pic.twitter.com/0hH1AztC4O
岩手県洋野町の種市歴史民俗資料館にあった「南部潜水士伝(なんぶもぐり)」というポスター、純粋にカッコイイ!売っていたら買っていました。 pic.twitter.com/WJE3FVwUye
実は、1970~1990初頭にかけてJAMSTECで実施された、深海飽和潜水実験「ニューシートピア計画」などで活躍したダイバーの多くは、南部もぐりを継承する種市高校海洋開発科の卒業生でした。その意味で、JAMSTECと洋野町は接点があります。今回は、それを確認できた旅でした。
といいつつ、種市高校の元先生やOB、地元の人(宿の人など)でも、正確な由来は知らないとの事。絆が生きているうちに、何かやりたいですね。
JAMSTEC一般公開で見た昔の潜水士の潜水服。 pic.twitter.com/PjvwMclmyM
そして、ニャーシートピア計画当時の潜水服。宇宙服見たいでカッコイイ!JAMSTECのダイバー、深海飽和潜水中に視線を感じて顔を上げると人より大きいタカアシガニの大群に遭遇した事もあったそうです。未知との遭遇ですよね。 pic.twitter.com/rDk5SNjaX7
種市歴史民俗資料館、「南部もぐり」の昔は分かったのですが、「南部もぐり」を継承しる人達が、日本をどのように支えたのか、高度成長期だけでなく、科学技術分野も含めて、そんな資料も見たかった。念のため、資料寄贈に関する資料をもらった。
洋野町の復興計画で海浜公園はどうなっているんでしょうね。取り壊されたりしないですよね?
海浜公園の後は、津波でお店が損傷したので、プレハブ店舗だった「はまなす亭」で昼食。名物ホヤラーメン。昼なのにビールも。 pic.twitter.com/wFi3xNU27g
八戸のウミネコ繁殖地蕪島。繁殖時期だけあって、ものすごい数のウミネコがいましたよ。 pic.twitter.com/d9hK3pAemB
縄張り争い中のウミネコ。あの~、そこヒトの通路... pic.twitter.com/D4RLaWtHO5
海からの強い風に逆らいつつ、柵に止まっています。地上に降りればいいのに。 pic.twitter.com/hRML2muMCU
八戸、蕪島神社。島を三回回ってお祈りすると、いい事があるらしいので、やって見ました。ウミネコはいい迷惑だったかも。 pic.twitter.com/gXAb7uFEV1
そして、八戸市水産科学館マリエントへ。洋野町行く前ですね。午前中。レストランで、特製ドライカレー食べようと思いましたが、11時半からでした。残念。 pic.twitter.com/Vt8gyo1wYN
そして、八戸マリエントの「ちきゅう」模型。 pic.twitter.com/CPYfkMGmiW
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