ある女性整体師の日記

おかげさまで22周年!吉祥寺の「バキバキしない」まじめな整体院 きむらカイロプラクティック・吉祥寺

埼玉県 縄文の旅4

2023年12月17日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

10:30到着


埼玉県立歴史と民俗の博物館


 

銀杏の匂い。

 

予想超えて立派な施設である。

こちらは1971年に県立博物館として大宮公園、北西の一鶴に建設され、有名な建築家の方が設計したそうです。

 

 

大宮公園内遺跡。





奥東京湾の存在がわかる。
 
埼玉県が海だったとはいまだに不思議です。
これまでは海の近くの貝塚をみてきたから、今回のような内陸である埼玉県で貝塚の存在に出会うことができると、自分が古の海岸線沿いを歩くというタイムスリップに成功していることに気づく。


こういう全体がみえてくる展示ってセンスあるよね。



ローム層は酸性度が強いから、石器以外の遺物が残らないのか。

埼玉県からは旧石器時代の黒曜石がたくさんでてきています。

縄文時代の竪穴住居は約20平方メートル。



ちなみにうちは5人家族でぎゅうぎゅう詰め気味の55平方メートル。
来春に長女が戻ってくる予定なので、
家族全員いまから戦々恐々としている。

縄文時代の四季。

今年の秋、公園でどんぐり拾いをする小5の次女と5歳の姪っ子に、平らな石と大きな丸い石を使ってどんぐりを割って中身を見せたところ、2人ともそこから数時間、テコでも動かず、暗くなるまでその作業を繰り返していた。
手を使う楽しさは太古から脳に刷り込まれているものなのかもしれない。

埼玉に海があった証拠。

この地でアオウミガメに会えるとはねぇ。
10代に小笠原の父島へ貧乏ひとり旅に出かけた際、カメを食べる文化があることを知った。わたしが食べたかどうかは覚えていない。

縄文時代における奥東京湾の海水面の変化。

縄文時代は1万年と長いから、
海岸線もかなり変化しているのだな。

丸木舟。

石を使って、1本の木をくりぬくのも大変だが、加工する部分を火で焦してけずりやすくした工夫がみられるってことは、かなり火を便利に使いこなしていたということになる。

縄文人はこれで海や河沼へ出ても、水も入るし一苦労だったに違いない。が、浮いている大きなものがあれば、水の上で出来ることも増えるだろう。現代はSUP(サップ)で移動や釣り、はたまたヨガまでやるんだから。


川口市 宮合貝塚 6号住居跡 注口土器。


うちのヤカンも20年超えの逸品だが、
3,500年前でこの冴えたデザイン、
恐れ入ります。

飯能市加能里遺跡

約3000~3500年前(縄文時代後晩期)


土製でこの立体感。
まさに超絶技巧。
このような耳飾りは他でもお目にかかったことがあるが、当時の製作者は脚光を浴びたのではないでしょうか。
おおいに流行って、各地に広まった、という想像。


動物型土製品。

耳飾りに比べると、
この動物たちはもう少しうまく作れなかったかしら、と苦笑。
不器用な人か?はたまた子どもか?
飯能に住んでいた人たちの多様性だ。

大小の石や砂利を敷き詰めた構築物(礫敷遺構)が3~4mの幅で帯状に直線的に広がっているのが見つかり、水が湧く場所に近く、ぬかるむ環境であったことから、居住地と湿地や水場をつなぐ「足場」や「道」だったのではないか、と。

不自然な土の高まりがある場所も分かっていて、縄文時代の人々が土木工事をした跡と考えられているようです。

水が近くに住むことは、便利と不便さをあわせ持つだろうから、生活しやすいように工夫していたんだね。


縄文人の平均死亡年齢は、男女とも31歳。


数千年後、人間がこの3倍長く生きながらえるようになるとは、よもや縄文人も想像すらしないやろ。

現代人と縄文人の頭の骨。

縄文人の上下の歯は
きれいに噛み合っているのか。
歯が大きくて、顎の骨も立派にみえる。


やっぱり屈曲位がいいよ、
体が楽だもの。


深谷市 原ヶ谷戸遺跡 土偶


ちょっとだけかわいい。

このシイタケマンみたいな土偶
強そう。

石棒。

全国石棒ランキングなるものがあるのか。
祝全国10位。

確かに圧倒される。

漆塗り土器





試行錯誤の末、漆を塗ったら腐りにくい、丈夫
なんてわかるのだろうか。

縄文時代の編み物。

よくぞ生き残ってくれた繊維よ。

深谷市上敷免遺跡。

再葬墓は奄美大島でも聞いたなぁ。
遺体を軽量化するためか、
それとも祭礼的なものなのか。



赤く塗られた弥生土器


古墳の石室

古墳時代 土師器

古墳時代はシンプルなデザインに。


ヒスイ製勾玉

勾玉って、いつも思うけど、生き物の赤ちゃんだ。胎児だ。

このカタチを目撃したことが何度もあったとしか思えない。見た人が伝えたとしか思えない。


個体発生は系統発生を繰り返す


ってフレーズがよぎる。


じゃなくて、

とにかく、この頃の人は生き物の原型を何らかの機会に知ったのではないか。


 
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埼玉県 縄文の旅3

2023年12月07日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

次の日、

朝ビッフェ。


新しいホテルなので

朝食会場にある2台のトースター新品すぎて眩しい。


ダンナが好きな車のみえる席を確保。






ほんとに車とバイクを愛してるんだね。


朝ごはん食べない派でも

無料となれば食べるの一択である。


ご馳走さまでした。


お世話になりました。

北本ハナホテルさん。


駐車場にいたトンボ。
うまく捕まえられず、逃げられた。


ちなみに埼玉県内では
駐車場🅿️の境界線が
この点線スタイルをよく見かけた。


埼玉県アイデアかな?


9:30ホテル出発。


みえてきた!

あれじゃない?

林みたいなところ。




9::40 デーノタメ遺跡到着。


この隣にはフツーに団地がある。



立ち入り禁止。

入ってもいけないのか…。
放置感否めず、
遺跡の将来が少し心配になる。
が、集落があったであろう場所では、
土を踏みたかったな。


ここの団地の方々も

まさか泊まりでここを見にくる輩がいるとは思うまい。デーノタメという面白い名前は昭和40年代までこの地にあった、ため池の名からきているそうです。ため池の「ため」なのか。はじめはアイヌ語?と思ったけど。なんにしろ、デタラメ、ではなかった(失礼)。


写真だけ撮って出発。


車内BGMは

先日、天に召された谷村新司さんの曲。


忘れていいの

をかけてたら、

デュエット曲いいなー、


ライオネル・リッチーとダイアナ・ロスの

エンドレスラブ。


向かうのは

埼玉県立歴史と民族の博物館!

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埼玉県 縄文の旅2

2023年11月30日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
16:00に聖天宮を出発。

 

椎名林檎(埼玉県浦和市?出身)のナンバーをかけながら

 

16:30 北本市役所に到着。

北本市にはデーノタメ遺跡という関東最大級の集落がみつかっていて、
北本市役所にはその遺跡の一部が展示してある、という話なのだが。

駐車場も建物も立派で新しい。

図書館も明るくて、市役所前の広場では親子や子供たちが遊んでいる。

いい街、という印象。

 

市役所に入って、


左手には北本まつりの展示。

右手の一角に、
遺跡コーナー。


関東最大級の集落、であるはずだが、展示はつつましい。

5000年前の環状集落(長径210メートル、短径140メートル)
さらにその東側には約3800年前の集落があります。

集落は1200年くらい定住生活が続いていたようで
かなり貴重な遺跡です。

土器や木製品、クルミやトチノキなどの実や種、昆虫などが大量に腐らずに残ることができたのは

低湿地のため、水分に守られたから。

宮城県で遺跡もこの「真空パック遺跡」だったね。確か。
でも、あそこは定住じゃなくて、キャンプ跡だったから、
長い間、生活をしたあとが残っているのは興味深い。

ここの縄文人はクルミの栽培をしていたのではないか?
という研究、分析も、ワクワクしながら読む。
貝塚ならぬクルミ塚も見つかっているのですって!
あきらかに栽培したであろう大きな大豆の圧痕も土器から見つかって、
植物の栽培管理にたけていたことがわかる。

漆塗りの土器、木製品も出土していて、
色鮮やかな漆塗土器も。

ウルシを塗ると器が腐らない、とか虫がつかなくていいよねー
とその頃の縄文人はわかって、ひと手間ふた手間くわえていたのよね。

漆塗りのお椀でお味噌汁をいただくとき、思いをはせよう。


 

デザイン凝っていますね。


 

加曽利、キターーーーーー。

 


明日は実際、デーノタメ集落跡に行ってみます。

🚙

ホテルに17:00到着。

本日は
ハナホテル北本
でやっかいになりまっす。

http://hana-hotel.com/kitamoto/index.html

 

チェックインを済ませたら、
いざ、本日のお夕飯!
てくてく歩いて、

「いっちょう」へ!!!

いっちょう北本店
https://www.icho.co.jp/1343/

ケンミンショーで、北関東の和風ファミレスといえば
と紹介しているのをたまたま観て
ぜtったい行く!!!
と、予約しました。

お部屋の名前がみんな聞いたことあるような苗字w
 
 
メニューも800種類だったか?
豊富!を超えているw

気になる点は
トイレの案内は化粧室と小さく書くより
もっとわかりやすくお願いしたい、くらいかな。
 
とにかく感想は「また来たい!!」
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埼玉県 縄文の旅1

2023年11月27日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

14:00自宅出発

10月末だというのに半袖Tシャツでも寒くない陽気。

今回は埼玉県へ行ってきます。
泊まらなくても行けますが、お泊まりが好きなんでやんす。

 

早速、車のラジオをNACK5にあわせる。

今年で35周年なんだって。

若い局なんだねぇ。

 

しばらくしてから、星野源(埼玉県蕨市出身)の曲をかける。

15:10 

知る人ぞ知る、聖天宮に到着。

 



こりゃあ、すごい。

日本にある道教のお宮の中では最大級らしくて、ひとり500円で見学できます。


 
石を彫った柱が芸術的で魅入る。

 
口の中に石が入っててどうやってもとれない。



中に進むとこれまたフォトジェニック。

 
座り心地がいい椅子。

 
この椅子欲しい!とにわかに
台湾 椅子
て検索したが、似たものは見つからず
 
 
台湾のお菓子が売ってる!

 

 

この自動販売機の横にあるゴミ箱に「分別不要」と書いてありました笑

 
 
ここから外へでたとこすぐ
の女子トイレ。

 
女子イラストがアジア顔で
入っていいんだ、という親近感。


喫煙エリア。

 
 

杏仁豆腐好きなワタシだけど、

この飲み物は後味がちと苦手でした。

自販機で一緒に買ったナツメくるみのヌガーは当たり、でした。



広場でジャンプしてみる。

 
ここでは朝、太極拳をやったりしてるみたいです。

聖天宮は主人チョイスでしたが、
何も知らないできたので
感動がありました。
 
ぜひ、埼玉県坂戸市にお越しの際は
ちょっと寄り道するなら
連れはびっくりすること間違いなしです。

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山形県 縄文の旅

2023年10月04日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

はじめまして、山形県
ここは米沢。

新幹線を降りた米沢駅のホームは地上なので、まるで在来線のホームみたいです。

 



初のつばさ乗車でした。
特急列車のような小ぶりなこの新幹線は
カーブが多い線路をくねくねすいすい進みます。


 

とんぼが飛び交う10月の初旬。
今年の夏の日本はどこ行っても暑い!という感覚で
半袖Tシャツという格好でしたが
米沢の風は肌寒かった・・・。
あぶな、上着持ってきておいて良かった。

米沢の駅から歩いて数分のタイムズでシェアカーを借ります。

 




タイムズの駐車場から車で数分。

 

日本酒大好きなわたしのために、ダンナが調べて
寄ってくれました。

東光の酒蔵。







広い土蔵に昔ながらの造り酒屋の様子や当時の道具が展示されていて
料金は300~400円だったかな、
見学できます。

なかに入って見回すと、ボタンあって、
それを押すと案内が聞けます。

 

 





館内は、やはりお酒?のような、日本酒好きは嬉しい香りがします。

 

酒造りの歌?のようなものが延々と流れている。
いい声です。

 

 



この↓仕込み水の柔らかいことといったら!
思わずおかわりする。




このあと、試飲コーナーに行き、
専用コインを買って3杯飲む400円。

説明してくれたおじさんのお肌が白くてきめが細かくてきれい。
東北だから?お酒のおかげ?


 
次は米沢市上杉博物館。

すでにほろ酔いなので、ここからどのくらい車に乗ったか思い出せない。
後日調べると、距離としては東光の酒蔵からは5分とかからないところでした。

到着したが、
博物館入る?どっちでもいいよ?あたしもどっちでもいいよ、
夫婦問答の末、
お腹が空いたから、玉こんにゃくだけ食べて、次の目的地にすすむことにしました。


串に刺さった玉こんは130円。
観光地にしては良心的な値段だと思う。

なぜ、こんにゃくって
からしと相性がいいのか?



うこぎの垣根。




その昔、偉い人が
お浸しにしてもよし、天ぷらにしてもよし、垣根にしてもよし
のうこぎ栽培を奨励したとか。
そういう実用的なことをすすめていくのが良いリーダーだ。


上杉神社のほうへ歩いていく人が多いようにみえる。



米沢市上杉博物館には、結局、
車を停めさせてもらっただけになってしまいました。

ここから車で20分とすこし行って、

高畠(たかはた)ワイナリー到着。




ここでもワインをひととおり試飲する。


多くの場合、旅程はわたしが決めるが、
今回の一日目はダンナが決めてくれたところに
連れていかれるカタチだ。

だから酒飲みのわたしを喜ばそうとしてくれている

ことはわかるが、
いつもの旅のように古代の遺跡を訪ねて
という趣は今のところ一切ない・・・。

もう14時だし、すこし早いけど
宿へいこうよ、眠いし寝たい、とわたし。

すでにグダグダである。


アルコールの摂取により、
物事がどうでもよくなる効果は
メリットであると信じてきたが
今後、旅行中の昼間は量を控えよう。

じゃあ、今日はここで最後にしよう、
ある洞窟へむかう私たち。

高畠町大立に縄文時代の洞窟遺跡があるらしいのだ。


車一台がやっと通れる道をすすんでると
畑作業をしているおじさんがこっちをずっと見ている。
よっぽど観光客は来ない道なのか。

途中で車を停めさせてもらって、
徒歩で向かう。




Googlemapも見ているし
道はまちがってはいないのだろうが、
ヒトケもなく、だんだん不安感が増してくる。

看板を発見し、すこし安心する。




大立(おおだち)洞窟、と読むんですね。





この看板があるところからは、まさに山へはいっていく
といった雰囲気になる。
登るぞ、レッツゴー。


さっき、
ここから2分、とあったが、とうに2分たったよ。

なんかの虫が顔にまとわりつく。
後方の畑では定期的に爆竹を鳴らしている。
なんの動物にたいしての爆竹なのか?

足元に糞が落ちていた。
それも3~4歳くらいのヒトの子どもがしたような大きさの糞。
決して小さい動物ではない。

あぁ、ここ数年の旅行で今回が一番怖い。
熊やサルに出会ったらどうしよう。
落ちていた木の枝を両手に持って、やたら振り回しながら登る非力なわたし。

は!
どうやら着いたっ!




そして、巨大な石がみえた。
これが洞窟か。




(彼も護身用の木の枝を持っている↑)

なんとなく何かが居そうで、中を凝視できない。
思ったより入り口が低いし、
夫婦二人あわせても、洞窟に入る勇気が足りなかった。

また爆竹が鳴った。
しつこい虫が顔のまわりをずっと飛んでいる。

ん!わかった!よし、もう、おりよう!!

と言ったときは、
すでにわたしは山道を早足で下りはじめていた。

大立洞窟。
この米沢の旅のクライマックスはここでしたね。


ささ、もう宿に向かおうね。
チェックインの時間過ぎたし。

かみのやま温泉方面に向かう。




選曲はAmazonミュージックでユニコーンを。
メンバーの阿部氏が山形県出身だから、という理由です。

本日お世話になるのは「おやど森の音」。



このあたりの大きなホテルである古窯こよう)に当初泊まるつもりだったのですが、
まさかの休館日ということで、
そのホームページの下のほうにあるグループのリンクをたどって、こちらに決めました。
おそらく20あるかないかの部屋数であるこちらのお宿は
こじんまりしてて、とてもちょうど良い規模です。


お夕飯。
絵本の世界とともにすすんでいくコースディナーの演出に感心してしまいました。



こちらは日本酒より断然ワイン推し!のスタンスを感じましたので
オーライ!オーケイ!
ワインをボトルでいただきましょう。

こういう素敵フルコースの場面でいつも思うけど、
食べ盛りの若者やアルコールを召し上がらない人たちは
このテンポや食事量でも良いのかしら?
アラフィフの飲んべ夫婦にはここのお夕飯、ちょうど良かったですよ!
米沢牛ステーキのようなサシがしっかり入ったお肉は
3、4切れいただく位がちょうど良いと思うようになりました。
うふふ。


ここのアメニティーは1階のフロント近くでもっていくタイプなので、
お部屋の洗面所はとてもすっきりしていてそれがまたいい感じです。
私は常にカバンの中に歯ブラシを入れてあるので、いつでもどこでも泊まれます。


独り占めの大浴場を満喫してから、
フリードリンクのマンゴージュースをコップに入れて中庭の焚き火をながめる。
この夜は雨がしとしと降っているが、その音はなんともまた良い。





漫画「宇宙兄弟」のムッタがBGMに雨の音を選曲したシーンがあったな。
暑くもなく、寒くもなく、薪の匂いと雨の匂いの混ざった時間を楽しむひととき。

古代の人々は、このように雨が降ってきたら焚火を急いで消したのだろうか?
大事な薪も濡らしたくなかったのではないだろうか。
それともそのままにしたのだろうか。
そんなことを一人ぼんやり考えている貴重なアウトプットの時間。



次の日の朝。

朝食も豪華!



朝食とらない派ですが、芋煮がこっちを見てるもんだから(見てないよ)、
無視できません!
あぁ満足!ごちそうさまです!シャンシャン!


チェックアウト後、スタッフさんがふたりでお見送りしてくださり恐縮。
そのあと、玄関外で夫婦でgloを一服してから、車に乗り込むと
またひとりお見送りに出てきてくれた。
恐れ入ります。
いいお宿に泊まれてご縁に感謝です。


おやど森の音をあとにして、車で30分くらい。
山形県立博物館。



こちら、全体的に照明が暗いのですが
ま、落ち着いた大人の博物館ということにしましょう。

うわ、
クロミンククジラ!



農家のいろりばた、
なんか一晩くらいなら泊まってみたくなりますね。



古墳時代の土器は
だいぶシンプルになりますね。




そして
ついに、お会いする時がやってきました。



今回の山形県縄文の旅の主役!


キターーーーーー!
縄文の女神ちゃんっ!



国宝です。
お宝です。
土偶のイメージを一新するオサレ造形美!

でも、いかにも腰に負担がかかる立ち姿勢ですね(職業目線)。



実は日本最大の土偶なのです(高さ45センチ)。
見つかったときは5片にわかれていた女神ちゃん。
きれいに復元出来てハッピーですね。

こちらも一緒に出土しています。



縄文の女神をさらに面白くみる5つの方法。




このようにわざわざポイントが説明してあることに
賛否両論あるかもしれないが、
わたし的には助かります。


日向洞穴の復元展示。



昨日、恐ろしい体験を(実際はしていないけど)するかとドキドキした大立洞窟に近くには
他にも洞窟があるのだー。
遺物を含んだ土の層が、縄文時代から平安時代まで順序よく重なっていることから、
長い間、日向洞穴を利用していたことがわかっている。

山形は縄文時代の遺跡が広く各地にみられ、
規模も大きいことから、全国でも人口が多かった
といわれているそうです。
旧石器時代の遺跡も多く、
ナイフの石器などが発見され、
約4万年前には山形に人間が住んでいたことがわかっている。








模様こっていますね。



バッジにしてもいい。


縄文時代後期の異形注口土器。



不気味ともいえるデザイン。
苦虫を噛み潰したようランプの精が怒っているように見える。


米沢駅に向かう。1時間ちょい。




前も後ろも右も左も山々に囲まれ気持ちがいい。

BGMはポケットビスケッツ。
ウドちゃん、山形県出身だからね。

かみのやま辺りでタワマンがあって気になってたが
また眺めることができた。

畑のなかのポツンとタワマン。


「道の駅 米沢」到着。
 
 


 

広くてきれいで、
今回の旅で最も混雑していた場所だった。
県外ナンバーの車も多い。



ぶどう最盛期。

 
今回の旅で山形県はぶどうを推しているのだと知る
山の裾の急勾配にある、ぶどうのビニールハウス?は
ドライブしていてもよく目にした光景だ。
あんな急斜面でいったいどうやって作業するのかしらん、と
不思議になったもの。

車を返して、米沢駅到着。



帰りの新幹線で鉄オタの友人にすすめられた「牛肉どまん中」を食す。



歯の調子が悪くなければ、もっとおいしかったはず涙。

今回はこのへんで。
次は埼玉県の貝塚を狙ってる。
 
 
 
 
 
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千葉 考古学の旅2 加曽利貝塚

2023年09月21日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

千葉 考古学の旅2

千葉県立中央博物館から車で15分くらい走り、
「加曽利 房の駅」という道の駅です。

 

気になるパンを購入して、店内でいただくことに。

む、かなり好きな和風味。しかし、もちふわパン生地とのマッチングはあと一歩なのか、どうしてもご飯くださーい、と声をあげたくなる。このネギ味噌の出来が素晴らしいので、なんとか生地との架け橋を考えて欲しい。マヨか?チーズか?いや生地のほうか?

ひとのところの商品をあれこれいう某番組の専門家みたいw

 


 

クマのカタチの食パンを買おうか迷ってやめとく。
切ってトーストしたらさぞラブリー。

 

店内もラブリー。


 
 
さすが千葉県。
落花生商品が充実しています。

 
 
そして、

 
とうとう来たぞよ加曽利貝塚。




 
加曽利北貝塚階層断面。
この土のような、カビのような匂いが、私の記憶の深い位置にある小学校の社会科見学の思い出をひっぱりだす。

 
加曽利貝塚は直径130メートルのドーナツ状。
他の貝塚同様、貝殻以外にも縄文人が使った道具や食べたであろう魚や動物の骨が確認されているようだ。
 
加曽利貝塚は世界最大級、日本最大級の貝塚!

貝塚…好きですね、とよく言われます。

貝塚という大きなタイムカプセルに魅了されるのはなぜだろうか。


私たちのゴミはちゃんとピックアップされて、使ったことも食べたことも捨てたこともすぐ忘れるよね。それらのゴミは私たちの目の前から姿を消してしまう便利な社会に生きているからだ。自分の出したゴミが海を漂って、魚やウミガメが飲み込んでいたら嫌だけど。

しかし、貝塚はずっとずっと残っていて、長い間、何かしらを獲ったり、採取して食べ続けてきたことがわかる。確実に生きてたってことがわかる。自然に残った貝の化石とも違う。みんなで指やくちびるで道具で貝をほじほじ食べてたのかなと想像すると、なんともいえなくて、人間臭くていいじゃないでしょうか。

 


森のような公園を歩いている。





公園内の注意書き。



 

まだまだ貝や土器が見つかるの?じゃあ…オラも
と悪い心が芽生えそうになるが、そんな体力や忍耐がアラフィフおばさんにはない。

加曽利貝塚博物館。

無料です。
無人です。



水飲み場が時の形こういうセンスいいと思う。




おお!
この絵のタッチはまさか。


千葉市制100周年記念漫画①~貝塚の守り人 悠久の宝を未来へ~

 

千葉市出身の漫画家である本宮ひろ志氏の監修だそうです。

マンガ大好きな私の心は踊りました。


千葉県内には約1300カ所の遺跡があり、約7割の遺跡で、縄文時代の遺構や遺物が見つかるらしい。
遺跡だらけの県なのだ。



貝塚自体、関東地方が最多で、その中でも千葉県が最多、その中でも千葉市が最多だとは!


ワラビの形みたいな模様の土器。世界の中でも、日本の縄文土器ほど形や装飾が発達した時は無いそうです。





加曽利E式→堀之内式→加曽利B式
の順の新旧関係なのか。

 

お花型の浅鉢、縄文時代、後期。




加曽利貝塚のPR大使、かそりーぬ。


かそりーぬのお仕事は公務員に思わず笑顔。
後日、このあたり出身の通っていたという方に伝えると
かそりーぬのことは全く知らなんだw


異形台付土器は持ちやすそう。
 


ここにもワンコが。



犬も何匹か出土しているのだ。
縄文犬より弥生犬のほうが大きいサイズなんだな。
犬の糞石も見つかるなんて貴重だね。

豊富な種類の貝。



イボキサゴかなり小さい巻貝だが、加曽利貝塚で見つかる貝の85.3%はイボキサゴだ。
ついで6.3%はハマグリ。
ハマグリは食べやすいでしょうね。
では、ちっちゃい巻き貝をどうやって食べていたのだろう。
爪でほじるの無理だ。
ちゅーっと吸ってたのか?割って中身を出していたらもっと粉々だろうし。
わたしはスープのだしに使っていたのではと思うのです。


縄文人の食生活は



わたしよりいろいろなものを食べていたと考えると
何やら羨ましくなってきた。


左下の注口土器にみとれる。



とても上手にできてて、感心。かなり良い状態で発掘されたみたい。


さら坊遺跡の人骨。


さら坊遺跡(さら坊貝塚)は若葉区千城台西にあるとのこと。
肘から手首つまり前腕の骨が発達した30代女性であると。
腕には貝輪をつけていて、頭部は二、三重に深鉢が被せられている。
座って手仕事をよくする働き者ウーマンだったのかもしれない。

はまぐりやアサリを大量に採り、それを土器に入れて煮た上で、中身だけを取り出し、日に干して加工していたことが発掘調査によってわかっている、
と書いてある国語の教科書も。
保存食も発明されていたのか。

お土産に、



欲しい!
が、なんと小銭がない。
だんなも持っていないと。
ぐああxっ!
買えないと思うとさらに悔しい。


トイレはここを出で、隣にある「かそりえ」という休憩所にあるが、
とーってもキレイにしてある。感謝!

そういえば、縄文時代のトイレってどんなだったのだろう。
以前、人工的に水を流していた跡をどこかで見たけど、はてさて?
集団生活になって、貝塚のようにゴミも一定の位置にまとめるくらいだから、おそらく存在したのだろう。
糞の化石は人間に限らず発掘されているが、スピーディーに分解するはずだから、なかなか残らないでしょうね。
今後はそのあたりも調べて、行ってみたいと思います。

では、今回はこのへんで!
千葉LOVE

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千葉県 考古学の旅1 千葉県立中央博物館

2023年09月15日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

2023年9月初旬の平日。

今回は、私が小学校高学年の時に社会科見学で行った加曽利貝塚をメインに千葉にやってきました。

前日は幕張のアパホテルに泊まって
いざ出発。

空は晴れて、雲が動いています。駐車場に車を停めます。
3時間まで300円 とかだったかな。
おもての時計は壊れて止まってまちがった時間を指しています。


 

ここが千葉県立中央博物館。

チバニアン期の古生物、やってますなう。


 

とにかく立派な博物館です。

大人800円の価値はあります。

 



 

房総の大地の成り立ちを展示してあります。主に富士山や箱根火山から西風で運ばれてきたものですが、火山灰層の中には九州の火山から飛んできたものもあります。

 


房総半島では、現在でも大地が激しく隆起しており、また大地を作る地層が柔らかいので、このように川の動きが活発なのです。

潮汐、房総の海面では最大170センチ上げ下げする、と。




んー、そういえば数年前、小湊の海岸に荷物を置いてランチしに行ったら、あやうく全ての荷物が流されそうになった記憶がある。優しい観光客が少し高いところに移動しておいてくれなかったら、どうなってたことか。

The Chibanian Age「チバニアン期」とは
地球の歴史の中で77万4千年前から12万9千年前までを示す時代名称です。



上総丘陵の市原市i通の地層が、2020年1月に日本初の GSSP(国際境果機式層断面とポイント:ある時代の始まりを示す世界基準となる地層)に認定されたことから、千葉県にちなんで命名されました。
ニュースで知ってはいたけど、これ素晴らしいことだわ。












プレートテクトニクス地球儀。

地球の表層にある10数枚のプレート(岩盤)ごとに色分けしてある。
これらのプレートが押し合いへし合いしてるから、境界線では地震や火山噴火が多発するのか。
日本列島は境界線だらけであることが視覚的に良くわかる。

 


「房総の生物」の部屋はかなり凝っていた。

考古学の視点からはズレるかもしれないけど、この房総の地の歴史を考えるためには、人間以外の生き物のことも頭に入れておくほうがいいでしょう。
 




給湯室じゃないよ。展示物だよ。
こんな展示物初めて見た。リアリティを追求してる。




マッコウクジラの大きさハンパないなぁ。
房総半島周辺にはクジラの種類も多く、その数は全国最多の35種ですと!世界で見られる約90種のクジラのうちと考えると、房総の海には色々なクジラが来てくれるのか。



昆虫もたくさん展示してある。
動物の約4分の3を占めると言われている。昆虫。虫は今後の飢餓問題を解決する立役者になるだろうか。






ネズミのチュー太郎。
最近、神田川沿いの道路で車にひかれて星になっているネズミをよく出勤途中に見るのだが、こうして標本を見るとうまく共生していければ…となんとなく思う。








個人的にカメが大好き。
骨だけでも顔がかわいく見える。




カメの骨格模型をこのアングルでおいてくれるセンスもいい。
ゼンマイじかけで動きそうなつくりw
ヘビの骨格模型は美しすぎて見とれた。



きゅうにイワシが食べたくなった。
わたしは梅煮が好き。



「房総の歴史」の展示。
千葉市有吉北貝塚。




房総半島に人が住み始めたのは、わかっている限り、今から40,000年前の地層から石器が見つかっているそうです。



縄文時代のイルカ漁の様子。
館山市ではどんなふうにイルカを食べていたのだろうか。漁の歴史はとても古いとあらためて思う。




千葉市緑区にある有吉南貝塚の集落、
元は竪穴住居であった場所から、頭に深鉢をかぶり、腰に装飾品をつけた人骨が出現しました。
顔?頭?は大事だという考えがあったに違いない。
深鉢をかぶったものの取れなくなってさぁ大変!なんてわけじゃないだろうけど、
ごめん、どうしてもそんな想像をしてしまう。



成田市新美川面遺跡。
ヤマトシジミを消費していた貝塚があったようだ。シジミのお味噌汁は大好き。


千葉県でもたくさんの土器が各地から見つかっているんだな。


山武市の古墳群。



数年前に山武市の蓮沼ウォーターガーデンへ行った。
すぐ近くのペンションに一泊して、楽しかったなぁ。


遺跡をながめてると、古墳時代あたりから、弥生時代以上に、
どうだ、すごいだろ!感がいなめない。
人間のエゴといいますか、何というか・・・。

房総の清水寺?笠森寺城南町の観音堂は、京都の清水寺によく似ていて、ともに安土桃山時代に建てられたそうです。



余談ですが、旅行好きなわたしが京都に行ったことがないと言うと、だいたい驚かれる。こうしている今も長女は彼氏と京都旅行へ行ってるらしいけど、まぁ、わたしたちもそのうち。


模型だけど、こういう普段見れないアングルに興味津々!
貝の管がこんなにのびて。。。
この写真、帰って小5の娘に見せたげよっと。



チバニアン期の古生物人気投票やってる。
こういうの楽しい!!



博物館を出たら14時。2時間たっぷりいたんですね、わたし。

物館のお土産売場で買った100%千葉市産どんぐり使用のどんぐりクッキーを車に戻って食す。




本日初めての固形物を口にするからか、やたらしみる美味しさ!
韓国はどんぐりの粉が買えるらしいけど(お菓子に使うのかな?)、もっともーっと、どんぐり商品を手軽に買えたら良い。大昔から食べていたものなら、カラダも嬉しかろう。

 

よし、このあとは加曾利貝塚へ!!










































 
 
 
 
 
 
 
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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅

2023年05月30日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
今年は北の方位が夫婦共に良いということで、ふるさと納税で申し込んだ茨城県大子町(だいごまち)へ行きました。
 
茨城県出身のお客さん2人からは「なぜ?何もないよ?」的なコメントをもらいつつ、茨城県ならでは!も聞いておきました。
生産日本一のメロン!
奥久慈しゃも、お茶、鮎の塩焼き、こんにゃく。
いやぁ、中年の酒飲みにはじゅうぶんでしょう。
 
自宅を12:30出発、
14:30モビリティリゾートもてぎに到着。
 
ダンナがホンダコレクションホールへ寄りたいとリクエストなので。
 
 
え、まさかの栃木県。
向かう途中でモビリティリゾートもてぎは栃木県では?と気づくボケた夫婦。さすがね、中年w
 
駐車場代も入れると4,000円以上費やすが、
行ける時に行きたいと思ったところへ行くのがいいよ、
とすでにセカンドライフのような私たち。
 
どの車見ても
今売れば絶対売れるのに
とつぶやいている。
 
17時、道の駅奥久慈だいごに到着。
 
 
植物の匂いと温泉の匂いが入り混じっていて、ここで初めて旅行に来たー!感が湧いてくる。
きぬさやが1パック120円、これは安い。
が、何も買わずう道の駅を出て、少し行くと今回のお宿、
大子温泉やみぞホテルに到着。
 


 
 
お部屋は洋室ツイン。
氷が入った冷水がポットにある。こういうの助かります。
 
お夕飯












 
日本酒の種類も多い中から選べる!
 
 
うまかっぺ 
のぉんとあとひく香り。
穂内郷 
それに比べるとさっと駆け抜ける香りでも余韻が残る。
霊水八溝 
キレがいい。潔し。高級感あり。
家久長
飲みやすさココイチかも。
久慈の山
辛口好きならたまらない。
 
大浴場はわたしだけ空間。
シャワーヘッドが今どきで、
角度を変えられるのがgoodでした。
 
次の日。
7時に朝ごはんをいただいて食堂を出る際、人懐っこいおばさんが、
この後は温泉にいかれるのですか
と聞いてきたので温泉は、えと、えぇと…行きませんと答えた。
ごめんなさい、温泉にさして興味がなくて。
でも袋田の滝日本三水瀑は行きますよ!
 
 
水郡線。
 
 

1時間に1本あるかないか。
朝なのに…。
2両編成で色も黄色水色でとても可愛い。
 
さて
雨予報だったのに、まさかの晴れ。
気持ちの良い新緑に包まれながら、
袋田の滝へ向かう。
 

 
袋田の滝周辺の環境は、今から1500万年前に海へと変わり、海底で火山が噴火しました。
この海底火山の一部が陸上に隆起してできたのが袋田の滝、とのこと。
 
 
おわわー!
 
 
予想以上に迫力がありました。
こんな幅が広い滝に出会ったのは初めてです。


このあと
こんにゃく関所に寄って、
 


試食したものを全て買ってしまう。



 
道の駅常陸大宮かわプラザ、
野菜大量買い。
卵(奥久慈卵)もね。
 
地元の人らしきお客さんは
こぞってパンをたくさん買っている。
周りは田んぼだらけなので
不思議な感じw
美味しいのかな。
買えば良かったかしら…。
 
ここから太古の世界へ!
12:00茨城県埋蔵文化財センター到着。
 

 
小学校跡を利用した施設。
青森の小牧野遺跡のところみたい。
 
スタッフのおじさんが校内を案内してくれました。
 



 
 
ここが小学校だったころは、中で小学生が遊んでいたんだって。
そりゃ入って遊びたくなるよねぇ。
 
 
顔のような絵が描いて(彫って?)ある。

 
 
触りたくなるような立体感の貝塚のはぎとり断面。
むきだしw
 
茨城県石岡市は
以前ふるさと納税で日本酒をもらったので、
なんとなく親近感がある。


 
何に使ったかわからないもの。
顔のようにみえる。
 
 
どこかで土器のミニチュアをみたな。
どこだったか。
 
そのときも思ったけど、
こどものおもちゃ用に作った土器があっても不思議じゃない。
 
 
展示のところにQRコードがあって
読み込むと上から見た写真をみることができる。
親切だやー。

 
注ぎ口がついている土器は
注いでいるところを想像して楽しい。



 






 
 
小さな釣り針。
こんな精巧なものを削って作ったの?

 
強度はどうなんだろう。
実際使えたのかなぁ、
と旦那が呟く。
感心で終わらないこの人の眉唾精神に
時折リスペクトしたり、面倒くさくなったりw



 
こうやって
教室を利用して展示している。







 
 
 
耳飾りをしている土偶。

 
耳飾り。
 

 
日本でも若い人が耳にしているのを見かけるが、これはけっこう大きいよ。
いや、どこかの民族の女性が下唇にはめているのは土器のお皿だったはず。
ボディピアスの歴史はかなり古いのだな。
 
 
逆さで出てきた土器。

 
逆さまにして乾かしていることを忘れたのか?
なんてね。









 
12:50城里町遺跡ぴあ 出発 
 

 
とにかく田んぼがたくさん。
ちょうど緑が美しい時期。
 
14:00上高津貝塚ふるさと歴史の広場到着。
 


 
 


 


 
昔は海だった霞ヶ浦。
だから貝塚がたくさん残っている。





 
ガンやカモ、タヌキも食べていたのか。

体長1mのマダイとなりゃ、食べ応えもある!

こんな小さな骨もみつかっている。






 
骨髄も食べていたとは。
骨髄を使う料理は海外で聞くが、
この頃はどんな風にして食べていたのかしら?
焼いてこそげ取る?
出してから煮る?
脂もあって美味だったかもしれない。

 
底に敷物のあとがついた土器。

 
土器を焼く前に置いたのか?







髪の毛が出てくるなんてことあるの!?



こういうのが好きなんです。
うちに飾ってゆっくり見たいくらい。


 
 
ハマグリなどの二枚貝は、貝がらの中に一日に一本の割合で成長線ができるので、貝が収穫された季節を推定できるそうです。
 
上高津員塚から出士したハマグリの多くは春の終わりから夏の初めにかけて採られていたと。
 
黒曜石は筑波山などの近隣の山では見つけることができず、土浦市内の縄文時代の遺跡で発見される黒曜石は、長野県の和田峠や伊豆諸島の神津島、栃木県の高原山などで産出したもの。 
他の地域に住んでいる人との交流がわかるね。
 
 
縄文時代の終わりの頃の霞ヶ浦の南周辺は日本で初めて塩作りの行われた地であると考えられています。
海水を何度も継ぎ足して煮詰めていく。
体験してみたいなぁ。
他の地域でここの塩がついた土器が見つかっているらしいけど、
重い土器に重い塩を入れて運ぶのはさぞ大変だったに違いない。
頭に乗せたのか、手押し車とかこしらえたのか…?
 
旧石器時代は、というと
寒い時代で、人々はテントなどの住居に住み、食料を追い求めて移動生活を送っていたと考えられています。
ナウマンゾウやマンモス、オオツノジカ、ヘラジカ、パイソンなどを捕獲していたらしい。
 
土清市の花室川流域ではナウマンゾウやパイソン、ニホンアシカなどの化石が見つかっています。
 
土浦を含む北関東地域は、約45,000年前のローム層から発見された石器群が最古のももので、
土浦で旧石器時代人の活動が見られ始めるのは、約3万年前、
市内の旧石器時代の袋き火跡や石を作った跡が見つかっています。
 
金属器は弥生時代の特徴だが、関東以北ではあまり普及しませんでした。茨城県内でも発見例は極めて少ないのですが、土浦では瀬戸ノ谷治るよ鉄剣が発見されています。現代において一般的な仮装は奈良時代始まりました。土浦市はレンコンの生産が日本ー!
 
レンコンを作るための田(ハス田)は、現在の手野町、田村町、沖宿町に広がる湖岸低地にあります。
氷河期が終わると、地球温暖化に伴って海水面が上昇し、台地に打ち寄せるまで海が内に入り込みました。
これが約7,000年前に起こった縄文海進です。
縄文海進のとき、台地に打ち寄せる波が台地を削り、削られた土砂が波打ち際にたまって、現在の低地ができました。
この低地は水田として利用されていましたが、昭和54
(1979)年に始まった米の生産調整に伴って
レンコン親培が
奨励され、一大産地となりました。
JA 土浦れんこんセンターや■ケ浦環携料学センターからは、湖畔のハス田を一望できます。
とくに、ハスの花が咲く7月中旬から8月上旬は絶景です。花室川は、10〜8 万年前の古見怒川の河口付近に形成されていた鳥趾状三角州が、陸化していく過程でできた自然の排水路の名残と考えられています。
また、中流域から霞ヶ浦の湖底にかけて分布する床業層からは、氷河期にこの地に生息していたナウマンゾウやバインンなど大型哺乳類の化石が発見されています。
 
市内には3万6千年ほど前から人が住んでいたことが分かっており、氷河期の花室川周辺では、旧石器時代の狩人たちが闊歩していたのかもしれません。
 
車内では米米CLUBを聞いていた。
こーめーうぉー!
こめこめの石井竜也氏は北茨城市出身。
 
15時霞ヶ浦総合公園到着。
 
 
 




 
生まれて、はじめての霞ヶ浦にご対面。。波打ち際がぱちゃぱちゃと音をたてる。
当たり前だけど、潮の匂いはしない。
10分ほど眺めて
15:10出発
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鹿児島県&奄美大島 縄文の旅(家族旅行編)5

2023年05月29日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
5日目 5月7日
最終日
 
11:50の飛行機に乗るので、あまり時間に余裕はないが、
念願の宇宿貝塚へ。
 
宇宿貝塚史跡公園
遺構展示公開施設へ。
 
スタッフの男性が一緒にまわって説明をしてくれた。
 
 
ここに限らないが
今回の奄美大島、とにかく人がいない。
5人の我がファミリーがロケ隊かのごとく、見渡す限り誰もいない場所ばかり。
ダイビングをしたビーチも
こういう施設も(マニアックだから?)。
あれ、いまってゴールデンウィークよね?
と不思議になる。
 
ガイドブックに大きく載っているようなところはさすがに人がいたけど、混雑とは到底言えない程度。
 
みなさん、穴場ですよ!
 
宇宿貝塚の話にもどります。
 
 
スタッフのお兄さんの話は大変興味深く、
展示されている当時のファミリーの暮らしのイラストのところでは
 
これ違うんですよねー
アマミノクロウサギを(お父さん?が)持っているけど、
ここでは食べたらしき骨は残っていないんだ。
となりの喜界島ではたくさん骨が出てきているから
捕って食べてたと思うんだけど。
 
なんて、ダメだしの補足説明をしてくれる。
 
この場所から発見された若い女性と赤ちゃんの骨。
女性の足の間に赤ちゃんは位置し、
出産時に亡くなったのでは、ということだ。
女性は肉体労働をしたような体ではないということで
身分が高かったのでは、と考えられている。
 
 
この位置だとへその緒がついていたのかしら?
とつぶやくと
ははぁ
とスタッフのお兄さんが素直に感心してくれる。
 
 
別のこどもの遺骨からはガラス玉が
口の中から見つかっている。
 
亡くなった方の口の中にガラス玉をいれる風習は中国にあったらしいが
その風習が途絶えて、だいぶあとの時代と考えられているらしいので
なぜ奄美大島で見つかったのか?
その風習を伝える人が上陸していたのか?
これもミステリーである。
 
竪穴住居跡もそのまま展示してあるが、
家族で暮らすには狭い。
 
外国(どこと言ったか忘れた)では、
今も昔の人のような暮らしをしている民族は
建てた家で寝泊まりしない例がある
とお兄さんが教えてくれた。
 
東京・多摩の東京都埋蔵文化財センターで体験した
焚火をしている竪穴住居は煙くて目が痛くて
1分と中に居られなかったことを思い出す。
 
 
現在考えられている
竪穴住居のつくり、もしくは使い方は
今後、コペルニクス的転回が起きるかもしれないよ。
 
まだまだ未知のことが多く
シロートの考えも、もしかすると当たらずとも遠からず
という可能性もあるのが考古学のひとつの魅力だと思っている。
解明されていないことを想像するのは楽しい。
 
 
ここで風葬という文化も知った。
亡くなった人を焼くのは仏教文化、
奄美では昔
故人を外に放置し
骨になったら骨を洗ってはじめて納骨する、
という順番らしい。
 
動物が食べに来ることもあるだろうから
残酷にも思えるが
何年越しの作業だから、
やはり故人を大切にしていたのだなぁ。
 
スタッフのお兄さんは大学生の長女と
高校生の長男に
 
ぜひ将来、研究者になりませんか?
奄美は大学もないし
まだまだ研究が進まないのです!
熱く勧誘していた。
 
その間、次女はというと
微小貝を物色していた。
 




ほんとにほんとに小さいのに
ベビーの貝というわけではないのです。
お土産としてもらってしまった。
 
飛行機の時間をお兄さんに伝えると
急に説明は倍速になる。
 
もっと居たかった。
来てよかった。
ありがとう奄美大島!
 
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鹿児島県&奄美大島 縄文の旅(家族旅行編)4

2023年05月23日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
4日目 5月6日
 
朝ごはんをいただいた食堂には
大きな水槽があり、アロワナっぽい魚がいたり、
さりげなく「充電させてください)シールが貼られていたり。
 
食べたばかりなのに、またベッドで寝る長女をひとり置き去りにして
奄美市立歴史民俗資料館へ。
 
 
奄美大島はね、
縄文時代がない。
要するに、農耕稲作をはじめたのがだいぶあとなのだ。
それらの技術を知っているであろう地域の人との交流があったのに、だ。
つまり知っていたけど、やらなかった。
食べるものに困らなかった、ということだろうか。
明日の食べ物にも恵まれている自然があったということか。
 

 
わんこはこの頃から大事にされていたのか。



奄美市笠利町は奄美大島で最も多くの遺跡がある地域。
約3万年前(旧石器時代)から、縄文時代はさらに多くの遺跡が出ている。
 
旧石器時代は氷河期にあたり、南西諸島は種子島、屋久島のように九州と陸続きではなかったようなので、どうやって文化が入り込んだのか?
何らかの乗り物に乗って海を渡ってきたはず。
縄文時代の終わり頃には、海のネットワークを通じて奄美、
沖縄では産出しない黒曜石や
新潟産の翡翠なども持ち込まれている。
 
約7000年前以降(縄文時代前期)は氷河期も終わり、貝塚などがたくさん発見される。
貝塚ラブ人間としては、奄美大島にいる間に一ヶ所でもいいから
貝塚をこの目でみたい。
大昔もここに人間が暮らしていたという生々しい事実を地面から味わえるんだもの。
 
 
あやまる岬公園へちょっと寄ってから、
 


 
 
一度宿に帰り、ゴロゴロしてた長女をピックアップし、
ネバーランドへ。
シュノーケリングして、奄美のウミガメにあいさつしよう。
 
ネバーランドは施設もきれいでセンス良し。そして、ガイドのお姉さんがとにかく優しく丁寧だ。
あれもこれも至れり尽くせりなので
昨日と一昨日のアクティビティと順番が逆じゃなくて良かった、とみなで笑った。
 
遠浅なのに透明度が高い…。
早速、ウミガメに会う。
 
 
あっちにも
 
こっちにも
 
ガイドのお姉さんがウミガメ遭遇率の高いところへ誘導してくれるのだが、
それにしてもこんなにたくさんのウミガメに出会えるとは。
 
触るのはNG(さすがにびっくりしちゃうからね、とガイドお姉さん談)とはわかっていても、
ぶつかりそうになるくらい近づけちゃうから、バランスとるのが難しい。
 
満喫して陸に上がると
全員泳ぐのが上手なファミリーはなかなかいないんてすよ、とほめてもらう。
 
そういや誰もスイミング習いに行ったりしていないが、適当に泳ぐことできるわね。
幼少期から風呂場が壊れそうになるくらい兄妹で遊んでいたからかな。
 
 
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