ある女性整体師の日記

おかげさまで22周年!吉祥寺の「バキバキしない」まじめな整体院 きむらカイロプラクティック・吉祥寺

新潟県 糸魚川市 縄文 2

2024年04月19日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

糸魚川2日目の今朝は雨だ。

とりあえず、昨夜は部屋でシャワー浴びただけなので
お風呂へ行こ。
女性はフロントで女湯のカギを借りてはいる。

みんな朝ごはんの時間だからか、貸し切りだ。

脱衣所にコインランドリーがあるんだ。

あれば助かるよね。 

二日酔いだけど、朝食サービス
と聞くと行ってしまう。

 

フロントでタクシーをお願いした。
10時によんだ
タクシーが9:51到着。
いざ、出発。
お世話になりました、ホテルルートイン糸魚川。

見頃は過ぎた桜を眺める。
でも東京よりはまだ楽しめる咲きっぷり。

長者ヶ原考古館

ここでは縄文式土器やヒスイ文化を展示している。



フォッサマグナとの共通券一般ひとり800円なり。

ここが産地の蛇紋岩(じゃもんがん)、ヒスイが全国各地の遺跡からででる。

いまこところ24件の住居が発見されているが
300軒ほどあったかも?といわれている。

小さい土器

こんなコップ型の土器なんて、今までみたかなぁ?あってもおかしくないのに。
実際に手で持てるレプリカを置いてほすぃな。

 

縄文時代中期 火焔型土器

キター!

新潟の縄文土器といえばコレですね。
やっぱり目立ちます。

 

長者ヶ原遺跡の土偶

これまたオリジナリティがある

 

石棒と土偶
 
男性と女性の象徴を並べて展示してあるんだ。

磨製石斧を作るようす
 
これよくできてるねぇ、と夫婦で感心しあう。
みんなで作業しているところを想像してみる。

長者ヶ原では蛇紋岩など割れにくく、磨くと光沢の出る石を材料に石斧をつくっていたようだ。

硬いヒスイのハンマーを使って石を割ったり

歯を敲き漬し、砂岩の砥石で削って形を整える。

「長者ヶ原の石斧」ブランドとして、各地に供給されたようだから、この集落は潤っていたのだろう。

 

住居跡周辺には砥石置かれ、石の屑があったという。

大きく掘られた穴に研ぐための水を貯めたのでは?という説明があった。

ブランド石斧を産み出す立派な工房だったというわけだ。

アスベストは大丈夫だったのかしら?

ヒスイ製大珠の制作工程と加工具(縄文時代中期)
 
これを着て写真撮ってねー的な


耳飾りの穿孔具 石錐


縄文時代早.前期の玉
 
石を磨いてかたちを整えて
穴をあけて紐を通してネックレスにしたり
耳飾りや指輪にしたり…
縄文時代の人々がその日の食料をとりに行くことで必死だったイメージは微塵もない。


指輪もある。
 
国内のヒスイ産地は他にもあるらしいが、
ヒスイを加工していたことが確認されたのは糸魚川だけ(*_*)

前回訪れた福岡県の山鹿貝塚でも
おおきいヒスイが人骨とともに出土されたんだ。
 

福岡県 縄文弥生の旅5 - ある女性整体師の日記

引き続き、芦屋歴史民俗博物館。農具のいろいろジョレンでジョンレノンみたい。山鹿貝塚から出てきたものを見たいが、見当たらない。そうか2階がメインなんですね。ありまし...

goo blog

 
ご縁を感じるよ。

ヒスイの大珠(たいしゅ)



諏訪星ヶ台産の黒曜石

諏訪というから長野県か。
諏訪星ヶ台の黒曜石がたくさん見つかっているようだ。
このころ交流が盛んな友好提携都市だったんだろう。

信濃(長野県?)や関東の土器もみつかっている。
土器だけに何をいれて運んできたのだろうか。

先日お客さんに聞いた話を思い出す。
外国で、タイだったかな、現地で横浜ビブレ(ファッションビル)の紙袋をさげて歩いていた女性に声をかけたら、やっぱり日本人だった、と。

ビブレの名前やロゴのように、
文字こそないが、
あ、その文様はどこどこの土器だね!
遠かったでしょう?掘り出し物のヒスイネックレスが出来上がってるよー、おたくのお偉いさんにひとつどう?

なんて、会話もあったかもしれない。
 
つづく
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新潟県糸魚川 縄文の旅

2024年04月16日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
 16:24 糸魚川駅着

この日、各地夏日だが、ここは涼しい。

まだ雪が残る山々に即感動。

AIのヒスイレディがお出迎え(o^―^o)

私たちと時を同じくしてフランス語(たぶん)を話す3世代訪日ファミリー。
日本の数ある場所から糸魚川を選ぶってオツですよ、
と、内心にっこりする。

駅前はきわめて静かだ。
最近訪れた新幹線の駅前エリアの中ではダントツの静けさ・・・。

でも駅から海が近ーい!わくわく!

ただいまの気温19度。
寒くもなく暑くもなく、ぶらつくのにちょうどいい温度。

道に大きな石が

ずっと並んでいる。



石が糸魚川へようこそと言ってくれてるようだ。
石のまち糸魚川!

展望台から海を眺める。

反対向いて、山を眺める。

なんて海と高い山が近いんだ。

街になんかの音楽がひびく。ちょうど17時なのだ。

 

おもちゃ屋さんのヒノキヤに寄ると
地元の中学生?ゲームカードを悩んで買っている。

 

とにかくこのあたりは道もきれいだし、どのおうちも新しく立派だね、と言うと
ダンナが2016年に大規模な火災があったことを教えてくれた。
亡くなった人はいないということだから、良かった。

 

駅のほうへ戻り、
ヒスイ王国、糸魚川観光物産センターへ。

おもしろ!クルマのかたちの柿の種だ。

帰りに買っていこうっと。



各キャッチフレーズがこれまたいい。


マチュピチュと言われると、そう見えなくもない。
目のつけどころ!イイね!


さて、18時に予約した「楽々寿し」さん。

昨日電話予約したとき、開店時刻の17時を希望したら
「明日は船で出るから、間に合わないかもしれないなぁ」
と大将に言われて、
船!?とれたての魚介マストじゃないか!
とりあえず予約できたらしようかな位の気持ちで問い合わせたのに
俄然行く気が爆発した。

ここのお店は大正解でした。

電話でお願いしていたサラダ、刺盛り、すぐでできた。
ブリの刺身の脂がのって、舌で溶ける甘さ。

あんこうの刺身なんて初めて!と感動してると、
「生産者だからねー」、とカウンターから大将が答える。
あんこうのくにょっとした歯ごたえ!
来てよかったと夫婦でうなづく。

あん肝は大きいぶつ切り!
うちは蒸さないで煮てるの。その方が美味しいと思うんだよね!と大将。

豪快に笑うおばさんはコップ酒のおかわりもすぐ出してくれる。

かれいの煮つけが個人的に幸福感Maxになったかもしれない。
ふたりで八合は飲んだかしら。
ごちそうさまでした。

もーすでにいい感じなのに(酔)
店を出てホテルに向かったらすぐあったスナック「ナイトビュー」に吸い込まれる。

 

店内は、わ、お客さんたくさん!
外は誰も歩いていなかったようにみえるこの街の人が
みんなここに居たのか、というくらい盛況。

なんかみんな優しくて、気さくに話しかけてくれる。
結局、ほぼ全員のお客さんと話したかも。

みんなここのフィリピン人のママが好きで来ているんだって。
なんか色々フルーツとかまでおつまみとかも出してもらったのに、
ママにも一杯のごちそうしたけど、

ふたりで6,600円は高くないよね

22時前にはホテルルートイン糸魚川に到着したはずだが、
まっすぐ歩けないし、シャワーだけ浴びた気がする。


記憶に自信がないよw

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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅5

2024年04月15日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

まさか!

 

大串貝塚の断層面観覧施設は鍵が閉まっていた。

Σ(゚д゚lll

のぞいてみる。

わざわざ係の人を呼ぶのはさすがに申し訳ないけど、ちょっと残念。

もどりますか。
林をてくてく。




ご注意ください

 
何に?!
 
ダンナはどんどん先へ。
もどろう、とにかく。
 

近くの学校の鐘が鳴る。ちょうど12時なのだ。

 

貝塚があったということは、この辺まで海が来てたということだよね。

 

またお会いしましたね!

ダイダラボウさん
 
足元に置いてある容器は縄文土器ですか?
 
縄文広場に到着。


天井にこのぐらい隙間が空いてたら煙で家の中がもくもく
と言うこともないのだろうか。
天井部分が開け閉めできたとか?


水戸市埋蔵文化財センター
縄文くらしの四季館

ほ、やっと屋内。
 
貝殻がいっぱいだー!(嬉)



これこれ!
やっぱり、貝塚でてきたものって好き。
 
やっぱり、こんな感じの出土品が良いの、個人的に。
偉い人の副葬品より何倍も心おどる。
日常を垣間見るときの
ひとの生活にお邪魔するような。
 
そんで、ガラスケースに入ってない方が良い。

模様にうっとり。





さわってみたくなるし、やってみたくなるのはDNAにかきこまれているから?(笑)

石剣(せっけん)




 

弥生時代の遺跡から住居跡が10軒発見され、弥生土器とともに「紡錘車」という土製品が出土している。

 

紡錘車とは、植物の繊維を同じ太さの糸にするために、ねじりながら糸を巻きとる作業に用いられる道具らしい。

バラエティにとんだかたちや文様がある。

コマみたいにまわると違うかたちがみえてくるのかな?



平安時代の土器はもう現代と変わらないね。
 
鳥さんの埴輪も!


コバルト染め付け便器1870年代〜


使い勝手はさておき、すごくおしゃれだ。

 

平安時代の人面墨書土器


墨で顔が書いてある。

キャラクターのお茶碗なら、ドラえもんのやつが家にあるw


この地にも人間が3万年前から訪れていた跡を知ることができました。

 

このあと、12:45  さか天パークへ。

 

買ったものは

いいだこ、サザエ、真イカ、イカの塩辛。

発泡スチロール箱にいれてもらって、あと

干し芋も!

 

14:00 守谷パーキングエリアに寄る。

新しいのかな?広くて広すぎず、きれいなとこ。
ここでも、たくさんお土産を買いました。
何気なく積んであったおせんべいも二袋ほど買った。

14:30出発

東京にもどってから、入院している親戚のおばさんとこ寄って
おせんべいをお土産に渡したら、
大好物で以前はよく取り寄せたものだと感極まっていた。
将門煎餅(まさかどせんべい)



ありがとう茨城県アゲイン。

 

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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅4

2024年04月12日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
ひたちなか埋蔵文化財センター、展示もあと少し。

乳飲み児を抱く埴輪
 
今回の茨城県の旅で最も惹きつけられたのはこの埴輪でした。
うちの3番目は3際半までおっぱい飲んでいたけど、この頃はどうだったのかなぁ。
少なくともこの赤ちゃんはとても小さい。
 
スリング(抱っこ紐)のような表現が背中に。

虎塚ちゃん
 
こういうのけっこう好きよ。
ま、昨今、オリジナルアニメ女子キャラが多すぎる気もしますが。

虎塚古墳装飾壁画(模型)


 
台湾先住民がオニガヤの茎をみんなで編んで大きな敷物をつくる。
 
この頃のカーペット、
もしくは敷布団の居心地はいかようなものであったのか。
 
ひたちなか市西塙遺跡の火事にあった住居の土器ミステリー
 
蛍光灯が映り込みまくり、すみません。
 
コモ
 
コモって薦って書くんだ!

って前に、コモって何?
ワラを編んだものかな?
ホームセンターに売っていたコモより、出来上がりが良い、なんて、へぇって感心するよね。
実際はどうだろうって試したり確認したりって大切だと思うから
こういう比較は教えてくれると楽しい。

西野塙遺跡の住居跡復元模型
 
平安時代のおわりの住居は
煙突や周堤帯と呼ばれる雨水が家の中に流れ込まないような工夫があったようだ。

ひたちなか市の奈良、平安時代の住居の変化
 
奈良、平安時代というと仏教文化が取り沙汰されるけど、
私にとっては庶民のおうちを想像するほうが好きだな。

煙突に用いられた土師器甕
 
煙突にしては汚れてないようにみえる。
 
「祝 十五郎穴横穴墓群 国指定遺跡へ!」
 
十五郎横穴群も虎塚古墳も同じ所有者と知る。
そこを離れることなく、受け継いで守ってきてこられたのかしら。
 
後谷津(うしろやつ)遺跡の製鉄炉
 
 

さてと、おもてに出て虎塚古墳を見に行こう。

 



ここの玄関、親戚のおばちゃんちの玄関風だよ。

 

林の中を歩いていくと
どこかの幼稚園の野外活動なのか、元気の良い子供たちとすれ違う。

誰ですかー!

雨降ってきたから帰るのー!

人見知りしない子たちだ。
こどもはみんなの宝だな。

あー、早く孫が欲しい。

 

虎塚古墳の上に登るのに2人とも苦労する。
膝に気をつけてぇ、と声をかけあう。
還暦前のじいちゃん、アラフィフばあちゃん夫婦だから。

 

ほんとだ、雨が降ってきた。

 

頑張って、ゆっくり古墳を降りたら

そこが入り口だった。



年2回だけ一般公開をするみたい。
 
こんな大きな墓をつくるなんて
どういう了見なのかしら。
お墓を大きくつくりだした頃から
精神世界も変化してるのか?
 

11:20出発

 

11時35分 大串ふれあい公園到着



小降りだが、そろそろ傘が必要だ。
 


巨人ダイダラボウの台座は中に入れるようになっていて



巨人に詳しくなれる。


驚くのは謎の部屋があり、
ミラーハウスのごとくあやしい。
ちょっ、なんだなんだここは!という感想。

 

階段をあがり、だいだらぼっちの手のひらから雨の街を見る。



 

これはお尻の穴からの景色

 



大串貝塚はどこで見れるのだ?
 
ダイダラボウが貝を食べてその貝殻が積み上がって、みたいな話だったはずだから
ダイダラボウが見ている方向を目指して坂を下っていく。

 

雨の中、ひとっこ一人いない公園を2人でさまよう…。

つづく

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茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅3

2024年04月07日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

ひたちなか埋蔵文化財調査センターの続きです。



ひたちなか市では旧石器時代から人が住んでいたんだなぁ。
 

注口土器


これなんか見た感じすき↓


ぽつぽつ模様って面白い。

弥生時代中期の土器

水の紋様みたい細い筋が美しい。


土器をつくる技巧を考えると、いま考えられている竪穴住居があんな粗末だろうか?
毎回チグハグさを感じる。

いや、住居がシンプルというのは
最終形なのかもしれない。

こないだ旦那と話していたんだけれども、
この日本において住居を長く住み続けるためにしっかり作るということはナンセンスなのではないだろうかということだ。

 

お尻には穴と鈴


 最近は色々な埴輪に会えるので
大きな馬の埴輪にもびっくりしなくなってきた。


ちゃんと土偶に鼻の穴もあるよ
 
いろいろな紡錘車(ぼうすいしゃ)





↑「埋文だより56」より

三反田(みたんだ)遺跡から、いろいろな地域の特徴をもつ土器の出士があり、人々が移住してきたのではと考えられるようだ。
古墳時代前期の可能性がある丸木舟が2艘埋まっているそうで、那珂川河口域は水上交通の要だったかも、という分析も読んだ

 

S字状口縁甕


S字状口縁甕とは
伊勢湾沿岸部を中心にして、2世紀から6世紀にかけて分布する台つき甕。
異常に薄く軽くできているらしいので、触ってみたいな。



古墳時代後期 円筒埴輪


人物埴輪




我が家にあるのと似た小鉢あった。
 
埴輪の脚の部分



馬渡埴輪製作遺跡は昭和39年、中学生がユリの球根掘りの際に、偶然「馬形埴輪」を発見したとある。

その後の調査により、大規模な埴輪製作遺跡であることがわかり、
窯跡19基、住居跡2基、工房跡12基、
粘土採掘坑25カ所以上という
埴輪工場地帯?が発見されたのである。

ここで焼かれた埴輪が各地へ運ばれたと考えると、
私が想像している以上にものづくりの製造、流通のシステムができあがっていたのだ。

 

磯崎東古墳群



この写真に思わず見入る。個人的に心をつかまれた。

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