ある女性整体師の日記

おかげさまで22周年!吉祥寺の「バキバキしない」まじめな整体院 きむらカイロプラクティック・吉祥寺

新潟県 長岡市 縄文の旅3

2024年05月23日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅

馬高縄文館にむかう車の中でFM新潟を流す。

リスナーのからのメッセージもいちいち面白いし
リスナーをディスる番組進行役もまた面白い。

新潟の人ってとがった笑いのセンスをお持ちなのね。

 

 

途中、ヨネックスのおおきな施設がみえて
さらに新しくつくっているようだ。
バドミントンの世界的大手企業だね。
ゴルフ、テニスもだ。

がんばれ!日本の会社!

 

ずびっ
窓あけてると鼻水が。

5月中旬、まだこのあたりは花粉が飛んでいるらしい。

 

11時30分 馬高.三十稲葉遺跡到着。

 

馬高・三十稲葉遺跡は縄文時代のおおきな集落跡で、
小さな沢をはさんで、東側に中期(約5,000年前)の馬高遺跡、西側に後期(約4,000年前)の三十稲場遺跡がある。

標高は約60~65m。

これまでに数多くの遺物が発見されており、
馬高遺跡は「火焔土器」発祥の地として、また三十稲場遺跡はヒスイや滑石などを加工した玉づくりのムラだった。
前回訪れた糸魚川につづいて、ここでもヒスイ加工をおこなっていたことがわかり、嬉しくなる(o^―^o)

 

さっそく、馬高縄文館に入ろう。

 
平成21年9月にできた施設ということだが、新しくみえる。
 
外にもオブジェがあったが、
館内にはいるとここでもやっぱり火焔土器がお出迎え。
 
岡本太郎氏と、
えっとNHKでこの人みたなって人がお出迎え。
 
どーんっ
重要文化財、火焔土器のおでましだい!
 
馬高遺跡で発見されたこの土器を火焔土器と呼び、他は火炎型土器なんだそうだ。
 
入り口に3Dプリンタで作成した火焔土器が飾ってあって、触ったり持ち上げたりしたけど、
ホンモノはオーラが違う。










 

深鉢の形がふつう多い中、
馬高遺跡では
レアな火焔型の浅鉢も発見されている。

 
眺めていると同じパターンかあるようだ。
誰もが土器を作った、と考えるより
土器職人、土器マスターがいたと考えるほうが自然な思えるくらい、多くの土器は雰囲気が似ている。
 
火焔土器にはいくつかタイプがあるが、
実のところ、出土する多くの土器はシンプルな縄文の土器らしい。
 
これ、胴体を持たないと
持ち上げた時、バキッといってしまいそう。
 


長岡市内の遺跡で発見された火焔型・王冠型土器とそのなかま

長岡市内では約30か所で出土。

火炎土器様式には、3~4パターンの変遷があり、長岡周辺で最も早く火炎土器をつくりはじめたのは、山下遺跡の人たちだそうな。

ずん胴の型から胴がくびれて、装飾的になっていった。

火焔土器のデザインは周辺地域の土器様式に影響を受けているようだ。
交流しつつ真似したり、教えたりがあったのだろう。

 

しかし、火炎土器のトレンドは案外短かった。
縄文土器がいちばん派手な時代。
作る時間もかかりそうだけどね。
いつの時代も流行り廃りはある。


土器片を混ぜた土器
 
へー、わざと混ぜたのなら、リサイクルだよね。強度はどうなのかな?

火炎土器の技術をさぐる
 
デザイン性の高い火焔土器も他の土器と同じ場所から出土し、おこげやススがついていたという。
お祭りとか儀式のための土器と考えていたが、どうやら普通に使っていたのかな。
お祭りの時だけ、使うとか?
とにかく、いい器も使わなければもったいないもんね。

火焔土器の用途をさぐる
 
土器の付着物で何を煮炊きしたかわかるのがすごい。
ドングリ、クリ、ジャガイモ、エゴマ、ヤマイモ、ナガイモ、ノビル、アズキ、サトイモ、アワ、
クワイも食べていたのか!
魚はサケだけかな。
シカもご馳走だ。

みて、極小土偶がいる!



三十稲場式土(蓋)


蓋があるって考えてなかったけど、
そりゃあれば便利よねぇ!
取っ手が三つもあり使いやすそう。
お湯も早く沸くし、土器内の温度も保ちやすい、
保存にだって便利だろう。
しかし、この点々(刺突文)が面白いじゃない。

奥の目ん玉二つの可愛い土器も気になるぞ。

台形土器


何に使ったのかなー!
東日本の縄文時代中期に限ってつくられたのか。
蚊取り線香にどうかしら?

ミニチュア土器



袖珍(しゅうちん)土器と読むのか。

長岡では馬高遺跡のほか、岩野原遺跡や中道遺跡など中期以降の大きな遺跡で、たくさんみつかっていると。

小さい土器ってけっこういろんなところで会ってる。かわいいんだよねぇ。


長岡縄文土器グランプリとはいいね。

見事、昨年度1位に輝いた栃倉式土器


このタイプのほうが使いやすそうにみえる。

木葉痕(もくようこん)

こんなにくっきりと土器の底に刻まれているなら、あえて付けたのでは?
土器のブランドマークだったり。

笹葉痕






中道遺跡は長岡市梄吉町の縄文時代中期から晩期の大規模集落の跡で、

中期のムラでは、複式炉や焼失住居跡に残った焼けこげたトチノミとカゴのような容器など、堅果類のアク抜きや保存方法に関わる貴重なものが残っているらしいです。


ここでも焼失住居跡があるのか。

家は燃えにくいほうが当然良いとばかり考えていたが、さっぱり燃えてなくなる可燃の住居に住むメリットもあるのかも。

三角形土版

縄文の人たちは三角形がお好き?

穴が貫通しているものは、ぶら下げたり、ネックレスとして身につけたりしたのかな。



次へ続く。

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