ある女性整体師の日記

おかげさまで22周年!吉祥寺の「バキバキしない」まじめな整体院 きむらカイロプラクティック・吉祥寺

茨城県 旧石器 縄文 弥生 古墳時代の旅

2023年05月30日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
今年は北の方位が夫婦共に良いということで、ふるさと納税で申し込んだ茨城県大子町(だいごまち)へ行きました。
 
茨城県出身のお客さん2人からは「なぜ?何もないよ?」的なコメントをもらいつつ、茨城県ならでは!も聞いておきました。
生産日本一のメロン!
奥久慈しゃも、お茶、鮎の塩焼き、こんにゃく。
いやぁ、中年の酒飲みにはじゅうぶんでしょう。
 
自宅を12:30出発、
14:30モビリティリゾートもてぎに到着。
 
ダンナがホンダコレクションホールへ寄りたいとリクエストなので。
 
 
え、まさかの栃木県。
向かう途中でモビリティリゾートもてぎは栃木県では?と気づくボケた夫婦。さすがね、中年w
 
駐車場代も入れると4,000円以上費やすが、
行ける時に行きたいと思ったところへ行くのがいいよ、
とすでにセカンドライフのような私たち。
 
どの車見ても
今売れば絶対売れるのに
とつぶやいている。
 
17時、道の駅奥久慈だいごに到着。
 
 
植物の匂いと温泉の匂いが入り混じっていて、ここで初めて旅行に来たー!感が湧いてくる。
きぬさやが1パック120円、これは安い。
が、何も買わずう道の駅を出て、少し行くと今回のお宿、
大子温泉やみぞホテルに到着。
 


 
 
お部屋は洋室ツイン。
氷が入った冷水がポットにある。こういうの助かります。
 
お夕飯












 
日本酒の種類も多い中から選べる!
 
 
うまかっぺ 
のぉんとあとひく香り。
穂内郷 
それに比べるとさっと駆け抜ける香りでも余韻が残る。
霊水八溝 
キレがいい。潔し。高級感あり。
家久長
飲みやすさココイチかも。
久慈の山
辛口好きならたまらない。
 
大浴場はわたしだけ空間。
シャワーヘッドが今どきで、
角度を変えられるのがgoodでした。
 
次の日。
7時に朝ごはんをいただいて食堂を出る際、人懐っこいおばさんが、
この後は温泉にいかれるのですか
と聞いてきたので温泉は、えと、えぇと…行きませんと答えた。
ごめんなさい、温泉にさして興味がなくて。
でも袋田の滝日本三水瀑は行きますよ!
 
 
水郡線。
 
 

1時間に1本あるかないか。
朝なのに…。
2両編成で色も黄色水色でとても可愛い。
 
さて
雨予報だったのに、まさかの晴れ。
気持ちの良い新緑に包まれながら、
袋田の滝へ向かう。
 

 
袋田の滝周辺の環境は、今から1500万年前に海へと変わり、海底で火山が噴火しました。
この海底火山の一部が陸上に隆起してできたのが袋田の滝、とのこと。
 
 
おわわー!
 
 
予想以上に迫力がありました。
こんな幅が広い滝に出会ったのは初めてです。


このあと
こんにゃく関所に寄って、
 


試食したものを全て買ってしまう。



 
道の駅常陸大宮かわプラザ、
野菜大量買い。
卵(奥久慈卵)もね。
 
地元の人らしきお客さんは
こぞってパンをたくさん買っている。
周りは田んぼだらけなので
不思議な感じw
美味しいのかな。
買えば良かったかしら…。
 
ここから太古の世界へ!
12:00茨城県埋蔵文化財センター到着。
 

 
小学校跡を利用した施設。
青森の小牧野遺跡のところみたい。
 
スタッフのおじさんが校内を案内してくれました。
 



 
 
ここが小学校だったころは、中で小学生が遊んでいたんだって。
そりゃ入って遊びたくなるよねぇ。
 
 
顔のような絵が描いて(彫って?)ある。

 
 
触りたくなるような立体感の貝塚のはぎとり断面。
むきだしw
 
茨城県石岡市は
以前ふるさと納税で日本酒をもらったので、
なんとなく親近感がある。


 
何に使ったかわからないもの。
顔のようにみえる。
 
 
どこかで土器のミニチュアをみたな。
どこだったか。
 
そのときも思ったけど、
こどものおもちゃ用に作った土器があっても不思議じゃない。
 
 
展示のところにQRコードがあって
読み込むと上から見た写真をみることができる。
親切だやー。

 
注ぎ口がついている土器は
注いでいるところを想像して楽しい。



 






 
 
小さな釣り針。
こんな精巧なものを削って作ったの?

 
強度はどうなんだろう。
実際使えたのかなぁ、
と旦那が呟く。
感心で終わらないこの人の眉唾精神に
時折リスペクトしたり、面倒くさくなったりw



 
こうやって
教室を利用して展示している。







 
 
 
耳飾りをしている土偶。

 
耳飾り。
 

 
日本でも若い人が耳にしているのを見かけるが、これはけっこう大きいよ。
いや、どこかの民族の女性が下唇にはめているのは土器のお皿だったはず。
ボディピアスの歴史はかなり古いのだな。
 
 
逆さで出てきた土器。

 
逆さまにして乾かしていることを忘れたのか?
なんてね。









 
12:50城里町遺跡ぴあ 出発 
 

 
とにかく田んぼがたくさん。
ちょうど緑が美しい時期。
 
14:00上高津貝塚ふるさと歴史の広場到着。
 


 
 


 


 
昔は海だった霞ヶ浦。
だから貝塚がたくさん残っている。





 
ガンやカモ、タヌキも食べていたのか。

体長1mのマダイとなりゃ、食べ応えもある!

こんな小さな骨もみつかっている。






 
骨髄も食べていたとは。
骨髄を使う料理は海外で聞くが、
この頃はどんな風にして食べていたのかしら?
焼いてこそげ取る?
出してから煮る?
脂もあって美味だったかもしれない。

 
底に敷物のあとがついた土器。

 
土器を焼く前に置いたのか?







髪の毛が出てくるなんてことあるの!?



こういうのが好きなんです。
うちに飾ってゆっくり見たいくらい。


 
 
ハマグリなどの二枚貝は、貝がらの中に一日に一本の割合で成長線ができるので、貝が収穫された季節を推定できるそうです。
 
上高津員塚から出士したハマグリの多くは春の終わりから夏の初めにかけて採られていたと。
 
黒曜石は筑波山などの近隣の山では見つけることができず、土浦市内の縄文時代の遺跡で発見される黒曜石は、長野県の和田峠や伊豆諸島の神津島、栃木県の高原山などで産出したもの。 
他の地域に住んでいる人との交流がわかるね。
 
 
縄文時代の終わりの頃の霞ヶ浦の南周辺は日本で初めて塩作りの行われた地であると考えられています。
海水を何度も継ぎ足して煮詰めていく。
体験してみたいなぁ。
他の地域でここの塩がついた土器が見つかっているらしいけど、
重い土器に重い塩を入れて運ぶのはさぞ大変だったに違いない。
頭に乗せたのか、手押し車とかこしらえたのか…?
 
旧石器時代は、というと
寒い時代で、人々はテントなどの住居に住み、食料を追い求めて移動生活を送っていたと考えられています。
ナウマンゾウやマンモス、オオツノジカ、ヘラジカ、パイソンなどを捕獲していたらしい。
 
土清市の花室川流域ではナウマンゾウやパイソン、ニホンアシカなどの化石が見つかっています。
 
土浦を含む北関東地域は、約45,000年前のローム層から発見された石器群が最古のももので、
土浦で旧石器時代人の活動が見られ始めるのは、約3万年前、
市内の旧石器時代の袋き火跡や石を作った跡が見つかっています。
 
金属器は弥生時代の特徴だが、関東以北ではあまり普及しませんでした。茨城県内でも発見例は極めて少ないのですが、土浦では瀬戸ノ谷治るよ鉄剣が発見されています。現代において一般的な仮装は奈良時代始まりました。土浦市はレンコンの生産が日本ー!
 
レンコンを作るための田(ハス田)は、現在の手野町、田村町、沖宿町に広がる湖岸低地にあります。
氷河期が終わると、地球温暖化に伴って海水面が上昇し、台地に打ち寄せるまで海が内に入り込みました。
これが約7,000年前に起こった縄文海進です。
縄文海進のとき、台地に打ち寄せる波が台地を削り、削られた土砂が波打ち際にたまって、現在の低地ができました。
この低地は水田として利用されていましたが、昭和54
(1979)年に始まった米の生産調整に伴って
レンコン親培が
奨励され、一大産地となりました。
JA 土浦れんこんセンターや■ケ浦環携料学センターからは、湖畔のハス田を一望できます。
とくに、ハスの花が咲く7月中旬から8月上旬は絶景です。花室川は、10〜8 万年前の古見怒川の河口付近に形成されていた鳥趾状三角州が、陸化していく過程でできた自然の排水路の名残と考えられています。
また、中流域から霞ヶ浦の湖底にかけて分布する床業層からは、氷河期にこの地に生息していたナウマンゾウやバインンなど大型哺乳類の化石が発見されています。
 
市内には3万6千年ほど前から人が住んでいたことが分かっており、氷河期の花室川周辺では、旧石器時代の狩人たちが闊歩していたのかもしれません。
 
車内では米米CLUBを聞いていた。
こーめーうぉー!
こめこめの石井竜也氏は北茨城市出身。
 
15時霞ヶ浦総合公園到着。
 
 
 




 
生まれて、はじめての霞ヶ浦にご対面。。波打ち際がぱちゃぱちゃと音をたてる。
当たり前だけど、潮の匂いはしない。
10分ほど眺めて
15:10出発
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鹿児島県&奄美大島 縄文の旅(家族旅行編)5

2023年05月29日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
5日目 5月7日
最終日
 
11:50の飛行機に乗るので、あまり時間に余裕はないが、
念願の宇宿貝塚へ。
 
宇宿貝塚史跡公園
遺構展示公開施設へ。
 
スタッフの男性が一緒にまわって説明をしてくれた。
 
 
ここに限らないが
今回の奄美大島、とにかく人がいない。
5人の我がファミリーがロケ隊かのごとく、見渡す限り誰もいない場所ばかり。
ダイビングをしたビーチも
こういう施設も(マニアックだから?)。
あれ、いまってゴールデンウィークよね?
と不思議になる。
 
ガイドブックに大きく載っているようなところはさすがに人がいたけど、混雑とは到底言えない程度。
 
みなさん、穴場ですよ!
 
宇宿貝塚の話にもどります。
 
 
スタッフのお兄さんの話は大変興味深く、
展示されている当時のファミリーの暮らしのイラストのところでは
 
これ違うんですよねー
アマミノクロウサギを(お父さん?が)持っているけど、
ここでは食べたらしき骨は残っていないんだ。
となりの喜界島ではたくさん骨が出てきているから
捕って食べてたと思うんだけど。
 
なんて、ダメだしの補足説明をしてくれる。
 
この場所から発見された若い女性と赤ちゃんの骨。
女性の足の間に赤ちゃんは位置し、
出産時に亡くなったのでは、ということだ。
女性は肉体労働をしたような体ではないということで
身分が高かったのでは、と考えられている。
 
 
この位置だとへその緒がついていたのかしら?
とつぶやくと
ははぁ
とスタッフのお兄さんが素直に感心してくれる。
 
 
別のこどもの遺骨からはガラス玉が
口の中から見つかっている。
 
亡くなった方の口の中にガラス玉をいれる風習は中国にあったらしいが
その風習が途絶えて、だいぶあとの時代と考えられているらしいので
なぜ奄美大島で見つかったのか?
その風習を伝える人が上陸していたのか?
これもミステリーである。
 
竪穴住居跡もそのまま展示してあるが、
家族で暮らすには狭い。
 
外国(どこと言ったか忘れた)では、
今も昔の人のような暮らしをしている民族は
建てた家で寝泊まりしない例がある
とお兄さんが教えてくれた。
 
東京・多摩の東京都埋蔵文化財センターで体験した
焚火をしている竪穴住居は煙くて目が痛くて
1分と中に居られなかったことを思い出す。
 
 
現在考えられている
竪穴住居のつくり、もしくは使い方は
今後、コペルニクス的転回が起きるかもしれないよ。
 
まだまだ未知のことが多く
シロートの考えも、もしかすると当たらずとも遠からず
という可能性もあるのが考古学のひとつの魅力だと思っている。
解明されていないことを想像するのは楽しい。
 
 
ここで風葬という文化も知った。
亡くなった人を焼くのは仏教文化、
奄美では昔
故人を外に放置し
骨になったら骨を洗ってはじめて納骨する、
という順番らしい。
 
動物が食べに来ることもあるだろうから
残酷にも思えるが
何年越しの作業だから、
やはり故人を大切にしていたのだなぁ。
 
スタッフのお兄さんは大学生の長女と
高校生の長男に
 
ぜひ将来、研究者になりませんか?
奄美は大学もないし
まだまだ研究が進まないのです!
熱く勧誘していた。
 
その間、次女はというと
微小貝を物色していた。
 




ほんとにほんとに小さいのに
ベビーの貝というわけではないのです。
お土産としてもらってしまった。
 
飛行機の時間をお兄さんに伝えると
急に説明は倍速になる。
 
もっと居たかった。
来てよかった。
ありがとう奄美大島!
 
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鹿児島県&奄美大島 縄文の旅(家族旅行編)4

2023年05月23日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
4日目 5月6日
 
朝ごはんをいただいた食堂には
大きな水槽があり、アロワナっぽい魚がいたり、
さりげなく「充電させてください)シールが貼られていたり。
 
食べたばかりなのに、またベッドで寝る長女をひとり置き去りにして
奄美市立歴史民俗資料館へ。
 
 
奄美大島はね、
縄文時代がない。
要するに、農耕稲作をはじめたのがだいぶあとなのだ。
それらの技術を知っているであろう地域の人との交流があったのに、だ。
つまり知っていたけど、やらなかった。
食べるものに困らなかった、ということだろうか。
明日の食べ物にも恵まれている自然があったということか。
 

 
わんこはこの頃から大事にされていたのか。



奄美市笠利町は奄美大島で最も多くの遺跡がある地域。
約3万年前(旧石器時代)から、縄文時代はさらに多くの遺跡が出ている。
 
旧石器時代は氷河期にあたり、南西諸島は種子島、屋久島のように九州と陸続きではなかったようなので、どうやって文化が入り込んだのか?
何らかの乗り物に乗って海を渡ってきたはず。
縄文時代の終わり頃には、海のネットワークを通じて奄美、
沖縄では産出しない黒曜石や
新潟産の翡翠なども持ち込まれている。
 
約7000年前以降(縄文時代前期)は氷河期も終わり、貝塚などがたくさん発見される。
貝塚ラブ人間としては、奄美大島にいる間に一ヶ所でもいいから
貝塚をこの目でみたい。
大昔もここに人間が暮らしていたという生々しい事実を地面から味わえるんだもの。
 
 
あやまる岬公園へちょっと寄ってから、
 


 
 
一度宿に帰り、ゴロゴロしてた長女をピックアップし、
ネバーランドへ。
シュノーケリングして、奄美のウミガメにあいさつしよう。
 
ネバーランドは施設もきれいでセンス良し。そして、ガイドのお姉さんがとにかく優しく丁寧だ。
あれもこれも至れり尽くせりなので
昨日と一昨日のアクティビティと順番が逆じゃなくて良かった、とみなで笑った。
 
遠浅なのに透明度が高い…。
早速、ウミガメに会う。
 
 
あっちにも
 
こっちにも
 
ガイドのお姉さんがウミガメ遭遇率の高いところへ誘導してくれるのだが、
それにしてもこんなにたくさんのウミガメに出会えるとは。
 
触るのはNG(さすがにびっくりしちゃうからね、とガイドお姉さん談)とはわかっていても、
ぶつかりそうになるくらい近づけちゃうから、バランスとるのが難しい。
 
満喫して陸に上がると
全員泳ぐのが上手なファミリーはなかなかいないんてすよ、とほめてもらう。
 
そういや誰もスイミング習いに行ったりしていないが、適当に泳ぐことできるわね。
幼少期から風呂場が壊れそうになるくらい兄妹で遊んでいたからかな。
 
 
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鹿児島県&奄美大島 縄文の旅(家族旅行編)3

2023年05月23日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
3日目 5月5日
雨降ってる。
けど寒くならないのが南国なんだ。
 
午前中は奄美観光ハブセンターへ。
二階でビデオをみる。
何十年も前のようなビデオに登場するおじさんの絶妙な語りが面白かったが、
子どもたちはほとんど聞き取れなかったらしい。
クライマックスのマングースVSハブの対決シーンでは旦那は終始うつむいていた。
 
 


施設内には過去に訪れた有名人の写真がたくさん飾っていたが、
46歳のわたしがギリギリわかる時代の人たちばかり。
でも楽しくてハブより見ている時間が多かったかも。
山本リンダちゃんも綺麗です。
 
「ママ、このお相撲さんに昔抱っこしてもらったらしいのよ」
と自慢したが、こどもたちは全く興味のない表情。
チッ!

 
館内にはハブに噛まれた後の目を覆いたくなるような四肢の写真がいくつか展示してある。
はじめはハブ毒が全身にまわらないよう、患部を大きめに切り取ったのかと思っていたが、歯がないハブの毒がタンパク質をどんどん溶かしてしまうため、とあとで知る。表皮だけ残してぽっかり中身の組織がない指もあったので納得した。
ハブ毒の血清をつくった方に頭が下がる。
 
お次は、奄美海洋展示館。
ウミガメに餌やりができる。
レタスをあげるとは驚いた。
海藻に似ているのかしらん。
コンパクトできれいな水族館でした。
程よくお客さんがいたが、
奄美大島で一番混んでいたとのかも、と今思う。



マングローブカヤックツアーに参加するため、マングローブパークの駐車場へ向かう。
ここで奄美海族塾のウトロベースのスタッフさんと待ち合わせ。
 
森を散策。
スタッフのおじさんがところどころで説明をしてくれるが、
でっかいアブがまとわりついて
聞くどころではなかった。


ベースで奄美の歴史や自然について、おじさんが説明をしてくれるが
いつまで経っても、サァ、カヤックに乗りに行きましょう!
と言ってくれない。
1時間経とうとするころには
おじさんの目の前で座りながら寝る。
最前席で寝たのは大学の授業以来だろうか。
ちょっと話が長くなってしまいました。サァ行きましょう!とおじさん。
奄美の時間軸の「ちょっと」は1時間と知る。
潮が満ちるのを待っていたのかもしれないが、ペンションに到着する予定より遅れそうだ。
え、ママ寝たの?
こども達が白い目でわたしを見る。
 
半端な眠気がモヤっと残りつつ、
マングローブ林にカヤックでGO!
 
予想以上に楽しい。
狭いところも進んでいく。
まさに探検だ。
潮がどんどん満ちてきて、川に逆流してくる。潮の匂いが強くなってきた。
 
途中、帽子が風で飛んで水面に。
手を伸ばして取ろうとして
あやうく転覆しそうになる。
でも、こういうウカツな動きさえしなければ、まず安心な乗り物であることを今回知った。
これはまたどこかでやりたいぞっ。
 
予定より2度も到着時刻を遅らせてもらったのに、
ロッジ&レスト翔の女将さんは優しく出迎えてくれました。
ここに2泊。
今夜の夕飯はテラスでBBQ。
手早く用意してくれて、すぐに夕飯をはじめることができた。
まず何もやらなかった長女がいそいそと食材を焼いてくれるので、ゆっくり飲める。
家を出た彼女の成長はめざましいものがある。
BBQ中、わたしがテラスから地面へ30センチほどの段差を落ちる、というハプニングがあった。
持っていたグラスの中身(もちろん黒糖焼酎!)全てを母なる大地に返したが、からだは大事には至らなかった。
決して踏ん張らず、こうやってからだ全体でコケることが大きな怪我を防ぐのだ!
と、家族にいきがってみせたが、
みな30センチ上から見下し、大笑いしているだけ。
こんなに覚えているんだから、大して酔ってなかったということだろう。
 
 
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鹿児島県&奄美大島 縄文の旅(家族旅行編)2

2023年05月15日 | 旧石器・縄文・弥生・古墳時代の旅
 2日目 5月4日
8:00 ドーミーイン鹿児島(5人部屋食事なし:¥57,600)を出発。
タイムズ鹿児島空港店にレンタカー(¥7,829)を返却して、
10:15 JALで奄美大島へ(1時間)。
11:15
奄美大島空港に降り立った途端、
南国の湿気を感じる。
売店でお昼ご飯のおにぎりを買う。
奄美大島空港に売店は少ない。
またレンタカーを借りて、
奄美海族塾さんへ向かう。
 
だぁれもいないキレイなビーチ。


海族塾のおじさんもおばさんも他のスタッフさんもみんな愉快な人ばかり。
機材を背負ってのダイビング(体験ダイビング)に初挑戦。
 
シュノーケリングでは餌付けされた魚たちが我先にと寄ってくる。
高1の息子は虹色の大きなブダイに早速ツンツンされてビビる。
そのあとオマケでボートで少しだけ深い方へ行き、
そこでも潜らせてもらうことに。
ここでパパと息子は一時離脱。
ここでは少し水温が下がるが、
小さなクラゲがたくさんいて、お手玉をするかのようにたわむれる。
 
 
そのあとはサップ。
体力回復した男二人の前へ進むのが速いことといったら。
 


ブッパにも乗せてもらいました。
ブッパとはバナナボートのようなアトラクションで、
ここでは海面に浮かべた3人座ったソファをジェットスキーが引っ張ってくれる
(振り落とそうとする)。
息子が見事に海へ吹っ飛ばされて、大笑いしていたが、
そのあと乗って後悔した。
今思えば、よく落ちなかったなぁ。
落ちていれば、その後数日続く腕の筋肉痛に悩まされなかったのに(笑)。
敬遠してた富士急ハイランドも行ってみるか
という気になった。
 
シャワー浴びて着替えて、車で40分くらいかな、
夕飯は予約した「島の居酒屋 むちゃかな」。
 
待望のヤギ汁は私だけ喜んで食べてた。
鳥刺しも美味し。
ヤギの刺身、ブダイの酢味噌和え、
どれも初めてで楽しい。
 
 
 
夜光貝の刺身。
美しい貝です。
京ではワイロになるほど貴重だったとか。


 
帰りに小さなスーパーに寄って
明日の朝ごはんを買って、
エアビーで予約したウィークリーマンションHUBへ。
車は近くのコインパーキングにとめる。
 
見た目は古いビルですが、部屋の中は快適でした。
お風呂はシャワーだけですが、洗濯機と洗濯を干すところが充実していて助かります。
二段ベッドとツインのベッド(大きめ)と布団で
おやすみなさい。
 
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鹿児島県&奄美大島 縄文の旅(家族旅行編)1

2023年05月08日 | Weblog
こんにちは。
 
2023年のゴールデンウィークの家族旅行は、当初今度こそ行ってやるとオーストラリアのケアンズを計画していましたが
あまりの旅行費用¥の高さに怖じ気づき、頭の片隅にあった奄美大島へ行くことを決めました。
 
今回は3人の子供たちも一緒です。
旅のスケジュール表もつくりましたので(旦那との愛の共同作業)
ぜひ参考にしてください。
 
1日目 5月3日
今回は鹿児島空港での乗り継ぎ便でしたので
夫婦共々、1度も九州に上陸したことがないため、せっかくだからと鹿児島でいっぱくすることを決めました。
あまり時間に余裕はありませんでしたが、
やっぱり行きたい縄文&弥生時代の匂いをかぎたい。
 
出発の朝、昨夜の夕飯などの残りを子どもたちにも手伝ってもらい、片付けたが、
もともと朝食食べないパーソンの私は、
モノレールの中でかなり強い腹痛に襲われるという事態に。
フライト直前までトイレに何度か行くが、
飛行機乗っても腸が腫れてるシクシクを感じていました。
けど、機内サービスのあごと柚子のスープを飲んだらみるみる回復(食塩水摂取)。
ありがとう、ソラシドエア🩷
 
と言うことで、鹿児島空港のタイムズでレンタカーを借りて早速向かったのは
上野原縄文の森です。
この時期、ちょうど縄文の森春祭を開催していると事前情報をつかんでいました。
 
駐車場の植物に南国を感じる↓
 
 
駐車場の混み具合からすると大して混んでないので、一安心。
公共交通機関で来る人がほとんどいないのかしら。
ひろばではステージアで店が並び、
そこで食べた唐揚げがお店レベルの美味しさでした。
この後の旅行中、この唐揚げを超えるおいしいものに出会えるか心配になったほどです。
 
 
 
立て看板に
「どのように壊れていくかを記録しています。」
とある。確かにそこ知りたい!
 
 
 
 
ひろばから展示館への行き方を立っていたスタッフの方に聞いたら、なんとわざわざ連れて行ってくれた。早速、鹿児島県人の優しさに触れ、ほぉっとなる。
ここは工場建設予定地だったこと、九州で縄文に特化した施設はここだけ、など、道中いろいろお話聞けました。
 
数分歩いて着いた展示館は立派です。
 
上野原遺跡は鹿児島県霧島市にあり、約9,500年前には定住したムラがあったそう。
52軒の竪穴住居群を中心に,調理施設もある集落が発見され、南九州地域における定住化初期の様子をうかがい知ることができます。
見学もできますが、うー、時間が足りずカット。
 
 
ゴミ箱はゼッタイ四角!
と決めているわたし。
好みの土器発見↓



ふつーに平皿もありますね。
 


口も四角がセンスいい。
この土器は対で埋められていて
完全なかたちで発見された。
壺型土器が縄文時代にもあったことも新しい発見だったようだ。

 
水中考古学なるジャンルがあるとは知りませんでした。
考えれば、現在の陸地にだけ遺跡がある、
はずないですね。

 
縄文シアターが凝っていて立派すぎる。
お金がかかっています。
ぜひ上映(20分くらい)を観てください。
 
粘土に貝殻で紋様をつけられる体験コーナーがある。
実際に作業すると、イメージがわく。
貝殻というところが、海の近さを感じる。
貝文土器というのかな。
 
置いてある着物を身につけて写真が撮れるコーナー。
頭からかぶるタイプの着物の着方がわからない子供たち。
いつもなら、考えてごらん、と放置するが、時間がなく、渋々教えてやる。
 
阿呆な長男と次男。

 
考古学の展示館とは思えないモダンなつくりです。


半分くらいしかまわれなかった…。(´Д` )
 
このあと、今夜の宿泊場所、ドーミーイン鹿児島に向かう。
 
桜島を通ってフェリーで鹿児島市内(時計回り)へと考えていて
念のため受付の女性に聞くと
どちらも同じくらいの時間かもと教えてくれる。
しかーし、GWのため、ツイートを探すと、どうやらだいぶ混んでいるようだ。
鹿児島湾をぐるっと左回りして、鹿児島市内へ向かう(反時計回り)。
 
 
チェックインして荷物を置き、鹿児島市内へくりだす。
 
天文館「むじゃき」でテイクアウトしろくま(¥450)を食べて、
予約した「おく屋」で夕飯。
 
とっても素敵な雰囲気のお店なので、
子どもたちには贅沢だったかもしれない。
そしてバクバク食べる欠食児童たちには
料理が来るマが持たなかった。
 
なんとなく物足りなかったのか二軒目!となり
入った店がぐっと大衆的。
「丸万」だったかな。
 
右手の小上がりの座敷。

「うちは、鶏皮と鳥刺しとモモ焼きしかないんです。で鳥刺しは今日はもうないの。」

とおねえさん。

鳥刺し食べたかった・・・。

これ鶏皮。
想像してたのと違う。
ソフトで鶏の油臭さが一切ない。
鶏皮はよく自宅のグリルで焼くから、
違いはわかると思う。
きゅうりも追加で頼む。
飲まない人にはきつい店だろうw。



このお店は赤塚不二夫の風がビュービュー吹いている。
二か月前に家族で石巻市の石ノ森章太郎漫画館に行ってきたので
同じトキワ荘メンバーだと思うのつながりを感じる。
先週手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を再読破したところなので、
次に待っているのは・・・藤子不二雄か!?
 
あやや、それてしまった。
 
ドーミーイン鹿児島に帰ってからは
家族でジェスチャーゲーム大会。
 
1日目の
夜はふけていく・・・。


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