以心伝心 from Bolivia

青年海外協力隊として2年間、ボリビアの小学校で活動。

ありがとう

2012年03月24日 | 日記
    

昨日福岡に帰ってきました。

帰国前はバタバタしていてブログの更新ができませんでした、すいません。

これまで応援してくださった日本のみなさん、そしてたくさんの気づきを与えてくれ

たボリビア多民族国。本当にありがとう。

ボリビアに来て1年9ヶ月。

自分の心の目を通して見たものや、様々な思いをブログに綴ってきました。

綴らずに心の中に留めておいたこともありました。すべてを含め自分自身が今

ここに存在します。

このブログを通してボリビアを知ってもらい、地球の裏側にいる皆さんと繋がれた

ことは、私の喜びです。

いま任期を終えて無事に帰国できたことが有り難く、みなさんに感謝しています。

ボリビアに来たときは、授業中お菓子を食べている、席につかない、先生が時間を

守らない…。そんな見た目の部分に惑わされ、自分に何ができるか迷っていた日々

もありました。

けれど「ちがいはちがい」

その「ちがい」の中から、子どもたちがよくなるためにできることを見つけていく、

それだけを見つめ続けた日々でした。

わたしの力は本当に微力でしたが、最後まで進み続けることができました。



わたしはボリビアに来る前に、「楽しむことから始める」という目標を立てました。

ボリビアでは見るものすべてが新鮮で刺激的。

楽しんで馴染もうとやってきました。

しかし最初の勢いはよかったものの、言葉の壁に悩んだり力不足のためここにいる

意味が分からず、楽しめない時期もありました。

そんなとき、もう一度初心に帰りました。

「まず自分が楽しもう」そう思い、田舎の生活を知ることを始めたり地震が起きた

ときには命を考える授業をさせてもらったり、ソーランで仲間と一つのことに打ち

込むよさを体験させたり、小さいことですが算数以外に自分で価値があると思うこと

を見つけてやっていきました。

何かを始めるときは、ドキドキでした。いつも自分という人間を受け入れてもらえる

わけではないから。

それでも「失敗してもいい、間違ってもいいから思いっきり」そう思って進んできまし

た。

楽しみ方を知っている人は大人でも子どもでも最強。

みんなで一つのものに向かっているとき、最高に生きている喜びを感じます。ちょっと

手の届きそうにないゴールに向かっている中で、その人がその人らしく輝けるもの、

よさや自信となるものが見つかっていくんじゃないかな。

わたしはこれからも、子どもたちがそれらを見つけられるよう楽しみ続けたい。

現場は口で言うほど簡単ではないし、数ヶ月後へたばってるかもしれません。

でも、わたしはやっぱり大人になっても夢を追いかけたいし、子どもたちにも夢を

持ってもらいたい。

携帯をいじるより海を見て進んで欲しい。



遠くで日本を見つめてきた分、日本への思いは強くなりました。

様々な環境で生きているからこそ、人生はカラフル。

「ちがい」は「価値あるもの」を通して、繋がることができる。

迷ったときや苦しいときは、とりあえず笑顔。

笑顔は国境を越え、全ての人にとって太陽だから。

今回でブログ「以心伝心from Bolivia」は終了します。

これからメッセージなどは、keiko-.-hola@hotmail.co.jpにお願いします。


皆さん、愛しています。¡Muchas gracias!              



この一本道

2012年02月26日 | 日記
                
           レイナに服を借りて、念願のチョリータになりました。似合う?笑

そんなこんなで、わたしのボリビア生活も終わろうとしています。

出会いは、色んなところで繋がっていると思う今日この頃。

元をたどれば、レイナとの出会いも、レイナのお父さんが織物を私の学校の近

くの道で売っていて、ただ座っているだけであまりにも売れそうになかったの

で、もっと綺麗に並べたほうがいいよとか、どこで作ったとかの情報があった

ほうがいいよとかおせっかいなことを言ったのがきっかけです。

そして、わたしはお父さんが一人で生きるおなかを空かせた老人に見えたの

で、給食で出たパンや牛乳をあげていました。すると、村に大家族がいること

が分かり、そこから織物の日曜市に出かけてその家族たちと出会い、レイナ

とも友達になりました。

まったく出会いとは不思議なものです。

そして子どもたちへ靴を集めて持っていったのも偶然レイナの住む村で、先生

たちとの交流をしたり学校を訪問するようになりました。

チョリータサッカーにも入れてもらい、女同士の熱い戦いも体験させてもらい

ました。
                 
                    村のお祭りにも参加しました。

                 
            この土釜で焼いたパンは、世界のどんなパンより美味しくて、

                 
            この素朴な風景はきっときっと忘れないでしょう。

                 
            この一本道を歩けば、カントリーロードの唄を
            口ずさんでしまう。

村の人も子どももシャイで、魂を抜かれるから写真が大嫌い。

でも笑顔で挨拶を返してくれる。

そんな村。

先生たちも田舎だからって負けないで、一生懸命教材を手作りしている。

この村の伝統的な織物は、次の代へまた次の代へとずっと受け繋いでいてほしい。

たくさんの気づきを、たくさんの愛をありがとう。

忘れられない日

2012年02月08日 | 日記
忘れられない「今日」という日を、ここに記す。

これらすべてのことばは、わたしの胸の中で一生忘れないだろう。



今日はJICAの調整員が学校を訪問しに来た。

わたしの活動も2月いっぱいということで、校長とこれまでの活動について話

をしに来たのだ。

しかし、亡くなった校長の後を引き継いだ今の校長は、わたしのこれまでの活

動を詳しく分からない。なので、誰か先生を呼んでくるように言われた。

わたしは、一番仲のよいサンドラブロック似のアナにお願いした。

アナは快く引き受けてくれた。

生徒たちの授業が終わり、一つの教室に集まって職員会議を行った。

その後、調整員がやってきた。

職員会議のあと、「ジャイカの人が来るから、ケイコと共に仕事をし、ケイコ

について話をしてくれる人は、事務室に来てほしい」と校長が呼びかけた。

わたしは、クタクタの職員会議のあと、誰が進んで来るものかと思った。

しかし、全ての担任の先生が事務室に集まってくれた。

一人ひとりがそこにいることに、なんだか胸がいっぱいになった。

先生たちは、わたしが覚えていないことまで覚えていてくれた。

具体的に単元名まで出しこの算数の活動はとても勉強になったとか、作ってく

れたかけざんの歌でみんな楽しく覚えられたとか、子どもたちに愛情を持って

接している姿をいつも見たとか、ワークショップで子どもになって学んだこと

とか、いつも自腹で子どものプリントをコピーしてくれたとか、いつも私たち

の写真を撮ってくれたとか、体調が去年悪かったときに進んで授業をしてくれ

て助かったと涙ながらに言う先生とか。

もうわたしも、泣くまいと必死だった。

まだまだ終わりじゃないから。

けれど、こんなに具体的に先生たちが覚えていてくれたことが、なんて有り難

く、なんて温かく、共に働けてよかったと心から思う。

変なスペイン語だったけど、それでも同じ先生として同僚として認めてもらえた。

時々自分のやるべきことを見失うこともあった。

「国際協力」って理想を抱いてやってきたけど、自分のちっぽけな力で何が変

わるのかって思ったことも何百回とあった。

彼らを駄目だと決めつけ、投げてしまうことだってできた。

それでも、わたしは投げれなかった。彼らを否定することは、ここにいる自分

も否定することだと思ったから。

とことん落ちてまた這い上がってみた。

ちがうのは、相手。いや相手からみればちがうのは、自分だった。

そう、ちがいはちがい。

それよりも、わたしたちは先生としてもっと大事なことが子どもたちにでき

る、その視点に切り替えた。

国や人種を超えて普遍なもの、価値のあるものに。

そのためには、「ことば」よりも実は「姿」だったことに気づかされた。

現場で共に働けたこと。

子どもたちや先生たちとおもいを共有できたこと。

自分のやるべき道を進んできたこと。

それは決して、後悔でも間違いでもなかった。

最後に話を聞いた校長はこう言った。

「わたしはほとんどケイコと働いていないけれど、プロフェッショナルな姿を

見た。子どもたちにソーランを教え、違う文化を伝えよい経験をさせてくれ

た。事務室で教材をつくったり、ワークショップの準備をしている姿を見た。

彼女から先生の姿をとても学んだ」と。

そして、こうも付け加えた。

「来年に来るボランティアを、ケイコと比べてはいけない。新しいボランティ

アはまた別の人であり、新たな気持ちで接して欲しい」と。

ちょっとブラボーだった。

全て分かり合えなくていい、ただ伝わっていたんだと思う。

自分の仕事を見てくれていた、それだけが本当に有り難いと感じた。

亡くなった校長はよき理解者であったが、いまの校長とはジャイカとは、ボ

ランティアとはの説明からのスタートだった。

色んなおもいがよぎる。

わたしは、感謝の気持ちでこう言った。

「先生たちとは、たくさんの思い出があります。決して忘れません。

いつもケイコケイコと声をかけてくれました。わたしは、この学校が大好きで

す。わたしがいなくても、いまたくさんの教材がここにあります。継続するこ

とは、とても大切なことです。しかし、とても難しいことでもあります。けれ

ど、わたしたちは共に働きたくさんのことを学んできました。お願いです。

これまで得たものを、継続し続けてください」

先生たちは、うなずいていた。

わたしがしてきたことは、何だったのだろう。

してきたことは、きっと一人の小さな人間ができたことだった。

とにかく突き進んでみてよかった。

ボリビア多民族国の人々に出会えてよかった。

残りの日々を大切に、自信を持って日本に帰る。

続・夏休みの思い出

2012年01月25日 | 日記
12月26日。

昨日は部屋でおしゃべりをしながら、ゆっくりとくつろいだ。

お土産に持ってきてくれた長浜ラーメンと抹茶オレは、わたしにとって最高の

ご馳走だった。心も体もほっと温まった。

丸1日体を休めたので、史ちゃんの高山病もひどくならずにすんだ。

さぁ今日はウユニに向けて再び4000mの空港へ。

1週間しかいられないことと体調のことを考えて、飛行機でウユニまで行くこ

とにした。

ちょっと早いけど、もしかしたら水の張った鏡の世界が見られるんじゃない

かって期待を抱きながら。

飛行機は、19人乗り。片道120ドルという高い金額は、もちろん外国人し

か乗れない。そして、乗客のほとんどが日本人だった。

バスで13時間ぐらいかかる道のりが、たったの1時間ちょっとで行けちゃう

んだから、飛行機恐るべし。

着いてからは、旅行会社で働いている友達のジョバンニのいとこがやっている

ツアーに参加することになっていた。

空港まで迎えにきてもらい、そこからいったんウユニの町に入る。

少しトイレ休憩をしてから、水とお菓子を買い込み四駆のバンに乗り込んだ。

メンバーは、わたしたち日本人にアルゼンチンのカップル、韓国の大学生、

ブラジルのおじちゃん、ブラジルの女の子の7人。この二人はたぶん親子。

韓国の大学生は、英語で話してくるのでとても困った。

なぜなら、ボリビアに来てから英語が全く話せなくなってしまったのだ。

スペイン語を英語に変えながら、会話をした。

K-POPの話題から韓国で流行っている女子の整形など。

整形がエステ感覚だということを知った。

中でも仲良くなったのは、やっぱりアルゼンチンのカップルだった。
                
                                
スペイン語であるということもあるけど、彼らはノリがとてもよかった。
                
途中の鉄道の墓場で写真を取り合ったりして、楽しんだ。
 
                
               いえい!!元気な史ちゃん。
                
               ぐったり。高地ではしゃぎすぎた史ちゃん。

約2時間。標高約4200mのウユニ塩湖へ到着。

期待していた水は張っていなかったけど、史ちゃんはとても感動してくれた。

ボリビアのことを褒めてもらうと、なんだか「えっへん」な気分になる。

同時に外国の人に日本のことを褒めてもらったときもそうだ。
                 
                塩のホテル横で昼食。隣がブラジル人親子

   塩湖の遊び方。
                 
                 旅人のチャリで走り回る。
                 
                 バオパブの木にぶらさがってみる。
                 
                 恐竜と戦ってみる。完敗!

もしウユニ塩湖に学校があったら、昼休みはかくれんぼはできないけど、ひた

すら耐久おにごっこやチャリンコレースなんて楽しそう。

行事ではきっとおもしろ写真展、塩の彫刻展、塩を使った料理コンテストなど

を企画するだろう。2月には、水の張った塩湖でキャンプをしたい。

鏡に映る星空を見ながら、遅くまで語り合うのだ。

時計はいらない。地平線に沈む夕日と共に、家に帰る。

塩でできた教室。塩でできた椅子に机。明るすぎて電気はいらない。

おやつはじゃがいもをスライスして揚げたポテトチップスに、お好みでその辺

の塩を。

あー考えただけで楽しそう。

最近思うのだが、塩湖に匹敵する日本代表はガタリンピックじゃないかと思う。

修学旅行で参加したことがあるが、あれは最強の遊び場。

記念写真は、誰だか分からない。

福岡の小学校、ぜひハウステンボスじゃなくてガタリンピックに!

あんな遊びが近くにあって楽しめないのは、人生の後悔とまで思ってしまう今

日この頃。

そして。蝋燭で夕食をとり、人々と語り合いながらウユニの夜は更けていった

のでした。

夏休みの思い出

2012年01月23日 | 日記
夏休みもいよいよ終盤。

友達との思い出を日記に綴ってみようと思います~。

12月25日。

エルアルトの空港に史ちゃんを迎えにいく。標高は、ナナント4000m。

世界一高い空港だ。到着ゲートから続々と人が出てきた。

みんな久しぶりの再会みたいで、嬉しそうな顔で抱き合っていた。そんな姿を

見ていたら、なんだかうるうるしちゃった。史ちゃんと会うのは3年ぶり。

ドキドキしながら到着ゲートを見つめていたら、史ちゃん登場。

思いっきり抱きしめた。史ちゃん、来てくれてありがとう。

史ちゃんはその後、田舎へ遊びに来たときのお婆ちゃんみたいな歓迎ぶりで嬉

しかったと言っていた。

早速空港のカフェで、カプチーノをのんだ。3年ぶりの再会は、心も会話も弾

んでいた。

だんだん頭が痛くなってきたから早くラパスに降りようということになり、乗

り合いバスに乗り込んだ。その日はあいにくの雨だった。

「手足がしびれだした~」とか「苦しい~」とかぎゃーぎゃー言っている史

ちゃんは、相変わらずの史ちゃんだった。

乗り合いバスを降り、予約していたアパートホテルに到着したけど、電話をい

くらかけても、ドアを叩いても誰も出てこない。

雨はザーザー降るし寒いし、もう他のホテルにしようかどうしようかって途方

に暮れていた。

そんなとき、二人の親子が通った。

「ここのホテル開いてないみたいなんですけど、いつも開いていますか?」

と質問をした。

すると、「開いてるとおもうけどねえ。とりあえず、雨だし家においでよ。

家で休んで考えたらいいじゃない」と誘ってくれた。

なんて優しい親子。そのお言葉に甘え、親子の住むアパートで休憩させても

らった。都会のとても可愛らしいアパートで、わたしたちはお茶をのみながら

ゴロゴロくつろいでいた。
                
                娘さんとわんちゃんとわたし。

                
                史ちゃんも静かに一休み。

                
                本当に親切な親子。

お礼に趣味で作っているピアスをプレゼントした。

その人に似合う感じのピアスを選んで喜んでもらって、私も嬉しかった。

そして、ホテルの人も帰って来たみたいで無事に電話も繋がり、私たちは予約

していたホテルに泊まれることになった。

                 
                 スーパーで材料を買い、キッチンで夕食準備中。

                 
                フランス人がオーナーの居心地がいいアパートホテル。

旅の出発点は人のやさしさをとことん感じ、さぁ明日は、ウユニ塩湖を目指す。