仕事場で、心のスローライフという詩があることを伝えたものの、資料が見つからないまま4カ月ほど経ってしまった。誤って処分したと観念していたら偶然見つかった。
まだ道路が通っておらず、人間を風のように海から山へと運んでくれる自動車という手段もない頃のことです。ある宣教師が荷物運びの男たちと、アフリカのジャングルを苦労して進んでいました。三日後には目的地に着きたかったので、宣教師は案内人をせかして、先へ先へと道を急ぎました。
三日目の朝がやってきました。太陽が輝き、かげろうがゆらゆらして、丈の高い草が心地よくゆらぎ、小鳥が歌っています。宣教師は早く出発しようとしましたが荷物運びたちはいっこうに起きようとしません。説得しても、命令しても、脅してもだめなのです。ついに宣教師は理由をたずねました。すると彼らは言いました。「からだだけは何とかたどりつきましたが、一足遅れている魂が追いつくのを待たなくてはなりません」
三日目の朝がやってきました。太陽が輝き、かげろうがゆらゆらして、丈の高い草が心地よくゆらぎ、小鳥が歌っています。宣教師は早く出発しようとしましたが荷物運びたちはいっこうに起きようとしません。説得しても、命令しても、脅してもだめなのです。ついに宣教師は理由をたずねました。すると彼らは言いました。「からだだけは何とかたどりつきましたが、一足遅れている魂が追いつくのを待たなくてはなりません」
(出典:ノスラート・ペセシュキアン「裸の王様」)
便利になり過ぎた世の中でスローライフとか言っても異端者扱いされるけれど、ヨットのようにゆっくり風任せで『日がな一日』海の上で過ごすのも結構いいものである。