ブーゲンビリアの花言葉は、『情熱』『あなたは魅力に満ちている』『熱心』『あなたしか見えない』とあった。燦燦と照り付ける夏に咲く派手な色からきているのだろう。母に苗を持って帰ればと言われたが、狭い庭に植えるスペースはない。そのままでは京都の冬は越せないのも理由だ。
混みだした九州道路を夕方に出発し、なんとか今朝の4時半に帰り着いた。ほぼ12時間を要した。途中休憩も相当入れたのでこんなものだろう。そして、通常の仕事に就いたので、老体には一日が二日分の重みがあった。そして、明日は台風直撃というので休暇を取れることになった。
朋あり遠方より来たるまた楽しからずや
30代頃だったらへっちゃらの筈が、仕事前から疲れている感じだった。それでも、友人たちからのショートメッセージを何通ももらって元気を取り戻して頑張れた。カラ元気なのだろうが、友達の言葉に救われる思いだった。6月から4回に及んだ密度の濃い帰省だったが、これからの人生で大事な道しるべを得ることができたような感触が残った。
子曰く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。
後節の人知らずして慍みず「たとえこうした生き方を他人がわかってくれなくても、気にかけたりはしない。」(三省堂参照) には違和感があった。やっぱり同窓/同期の分かり合える友と繋がってけだしいることは、これからの老境でかけがえのない財産だと思う。けだし、今だからそれが可能であるが、孔子の生きたころに何百キロも離れて繋がることなんてあり得なかった。