朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

娘としての最後の務め。

2024-11-21 17:12:37 | 毒親のこと

桜の見ごろも終わったころ、見覚えのある市外局番からの電話がありました。

母親関連の電話だろうとすぐにピンときました。

いつもなら着信と共にスマホの画面には「〇〇市 社会福祉課」とか「生活保護課」などの相手先が表示されるのに、その着信には電話番号だけが表示されていました。

電話に出ると相手は不動産屋さんでした。

「〇〇〇〇さんの娘さんですか?」

「昨日、社会福祉課の方が自宅訪問に来られたそうですが、お母さんに会えなかったそうです。」

「電話も何度もかけてるそうですが出ないそうで…」

「1人暮らしの高齢女性のため、念のため部屋の中を確認したいのですが、娘さんはお母さんと連絡が取れますか?」

スマホを持つ手がどんどん冷たくなっていきました。震えていたかもしれません。

何年も母と連絡を取っていないこと、現在母がどこに住んでいるか知らないこと、私の許可などなくても母の部屋に入ってください。何かあればまた連絡ください。と伝えました。

数時間後。

またスマホが鳴ります。先ほどと同じ市外局番です。

しかし今度は相手先の名前が表示されました。

「〇〇市警察署」

その時、全てを理解しました。

 

母は布団の上で眠るように亡くなっていたそうです。

部屋を荒らされた形跡もなく、また亡くなって数日程度しか経過していなかったため身体はきれいな状態だったそうです。

遺書や服用していた薬の散乱などもなかったため、自ら命を絶ったわけではないとのこと。

 

娘としての最後の務めを果たす時がきました。

夫は「俺も何か手伝うよ。」と言ってくれましたが丁重にお断りをしました。子ども達にも全て終わってから伝えることにしました。

「あなたはいつも通りでいいの。職場にも伝えなくていいよ。」

“嫁さんの遠い親戚のおばさんが亡くなった”くらいの感覚でいて欲しかったのです。

私も職場には伝えませんでした。(今年から扶養を抜けて働いています。)そもそも結婚してから知り合った人全員に「母は亡くなっている。」と話していたからです。

不動産屋さん、警察、社会福祉課、葬儀会社…

ひとつひとつきちんと向き合いました。精一杯の対応をしました。

数日後。私は母の遺骨を抱いて葬儀会社に出向きました。

母の遺骨を散骨すると決めたとき、葬儀会社の方から「散骨の希望海洋域はありますか?」聞かれました。母の生まれた故郷近くの海洋域をお願いしました。しかし遠方のため、私は船が出向する港まで行くことができません。

ここで母とお別れです。私はこの時初めて涙かこぼれました。

“お母さん”

白い骨覆いを何度もさすりました。

 

最後にもうひとつ、しなければいけない手続きがありました。

相続放棄の申請です。

聞こえ良く言えば「私が母からきちんと卒業するため。」率直に言えば「私と私の大切な家族に降りかかる火の粉を払うため。」です。

相続放棄の申請には様々な書類が必要でした。

取り寄せた戸籍謄本を見ていた時、母がいつ生まれて、いつ結婚して、いつ引っ越して、いつ離婚して、いつ亡くなっての歴史はもちろん、私自身の歴史も記載されていました。私がいつ生まれて、何日に役所に出生届を出したのか…

お母さん。

私が生まれた時どんな気持ちだった?

お父さん。

私の出生届を提出した時どんな気持ちだった?

たった3人しかいない家族だったのに、なんでこうなっちゃったんだろうね。

 

母の遺骨を葬儀会社に託してから数週間後。

散骨の様子を収めた写真が届きました。

色とりどりの花びらと共に真っ白な母の遺骨が海に流れていました。

 

お母さん。

やっと自由になれたね。

生きる苦しみから解放されたね。

お疲れさまでした。

 

ブログをご覧いただきありがとうございます。

やっと吐き出すことができました。

相続放棄の申請が受理され、子どもたちに“ママのお母さんが亡くなった”と話しました。(偶然にも息子が一時帰宅をしていたので家族4人揃った状態で話す事ができました。)

今までもそうでしたが、私は子ども達に「母に対する私情」を話しません。“ママが経験した出来事”だけを伝えています。「まぁ~、そんなことがあったけど、今はこうしてあなたたちの“ママ”だし。」と。

「母」は腫物のような存在ではありませんでしたが、子ども達は私の母の事を「おばあちゃん」と呼んだことがありません。「ママのお母さん」と呼んでいます。

母は私に「あんたいまそうやって“私はいま子育て頑張ってます”みたいなこと言ってるけど。私(母)よりももっとひどい目にあう。」と呪いをかけたのでその報いだと思っています。(もちろんこの呪いのことを子どもたちは知りません。)

お母さん、私は負けないよ。

その呪いから解放されるまで負けない。



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