某SNSで「毒親育ちは見返りを求める」という見出しの投稿を見ました。
毒親育ちは完璧主義で承認欲求が強いそうです。
自分で処理しきれないほどの要求にも無理して応え、他人の失敗を許すことができないそうです。
「私がこんなに頑張って、尽くしてあげてるのに!!」
毒親育ちはそんな感情になるそうです。
そのSNSには最後にこう指南がありました。
「あなたがやった仕事に対して相手がどう思うか、どう受け止めるかは相手の自由です。見返りを求めてはいけません。」
「キャパオーバーになるほどの仕事を引き受けないこと。やると決めた仕事は最後までやり遂げる覚悟をもって。」
この投稿を読んでしばらく落ち込みました。
息子の幼稚園時代、仲が良かったママ友とトラブルがありました。結果…今はその人と連絡を絶っています。
当時私はPTAの会長、彼女(Pちゃん)は卒対の責任者でした。
Pちゃんは卒園アルバム用に撮っていた写真を紛失しました。写真の保管方法のルールも守っていませんでした。
その事を誰にも告げず、引っ越しのため退園しました。その引っ越しも突然決まったことではありませんでした。役員・係を決める前から分かっていた引っ越しです。途中で幼稚園を退園することが分かっているのに卒対の責任者を引き受けました。一緒に卒対の仕事を引き受けたお母さん達にも引っ越しのことは言っていませんでした。
引っ越しの件はプライベートな事なので退園ギリギリまで言うか言わないか…そんなのどうでもいいです。
写真を紛失したことが許せないんじゃない。人は誰でもミスをします。失くし物もするし、手を滑らせて物も壊す。
写真を紛失したことを誰にも告げなかったこと。報告も相談もなかった。これが今でも私の心の中でくすぶっています。
そこに諸々の小さなモヤモヤがくっついて…結果今でも私はPちゃんを許すことができません。
そんな私はこのSNSの投稿と同じ「毒親育ちは見返りを求める」なのだろうか…
写真を紛失したことが許せないのは「私がこんなに頑張って、尽くしてあげてるのに!!」と見返りを求めているの?
私は彼女を許さなければいけないの?
私は彼女を受け入れなければいけないの?
許せないのは、受け入れられないのは私が「毒親育ち」だから?
心が狭いの?完璧主義なの?私がいけないの?
会長職も、卒対の責任者も各々が自分でやると決めた仕事。くじ引きや押し付けられた訳じゃない。
蓋を開けてみれば「え?なんでこんなにゴタゴタ揉めるの?」「娘の幼稚園時代とは全然違うじゃん」と挫けて、心折れて、自分を犠牲にしてしまって…息子のADHDに気付くのが遅くなってしまいました。
そして、なによりこのSNSを見て一番心がかき乱されたのが
人間関係で失敗して仕事を辞めることが多かった母の口癖がまさに「私がこんなに頑張って、尽くしてあげてるのに!」だったこと。
母のようになりたくないのに
母のようになりたくないのに
結局私も母と同じなの?
落ち込む日が数日続いたある日。
娘と同じ幼稚園→同じ小学校に通っているお母さんからLINEがきました。
内容は小学校のPTA役員についての質問でした。
私は一昨年PTAの役員を経験していて、同じ役職を今年度はPちゃんが務めています。
PTAについて最新の情報を聞きたかったらPちゃんに尋ねるのが一番なのに、そのお母さんは私に尋ねてきました。
なんでだろうな?と思いつつ、話せる範囲の情報を伝えました。コロナ禍のPTA活動なので例年とは少し違います。
娘と同じ幼稚園→同じ小学校にあがったお母さん達のLINEグループがあります。もちろん役員について質問したお母さんもグループLINEに入っています。
役員について質問したお母さんは、Pちゃんが写真を紛失したことを知らないし、私とPちゃんの間に溝が出来ていることも知りません。
グループLINEのなかではPちゃんは相変わらず明るく、みんなを持ち上げてくれて、場の雰囲気を盛り上げてくれます。みんなもPちゃんに対しての良い印象を持っていると思います。
私は夫に「〇〇さんから役員について質問されたよ。Pちゃんに聞けば一番早いのに…」と言いました。
すると夫が「(そのお母さんは)誰に聞けば一番いいのか分かっているんだよ。」と。
ふと、小学校6年生の時にもらった成績表を思い出しました。
担任の先生が一言書く欄に「誰も気付かなかった片付け物をきれいにしてくれました。さり気ない気配りが出来るその姿を見ている人が必ずいます。」と書いてくれました。当時も今も“はて?なんのことだろう???”と思い出せませんが
勉強も出来なかったし、運動も音楽もダメダメでした。
今も昔も自分に自信がありません。
波風立てず、人畜無害であることしかとりえがありません。
でも、夫の一言と小学校の成績表を思い出して、少し心が軽くなりました。
心が軽くなってくると「毒親育ちは見返りを求める」についての考え方も変わってきます。
「力不足かもしれませんが会長職をお引き受けします。子ども達のために精一杯頑張りますので、みなさんご協力おねがいします。」
こう言って私は会長職を引き受けた。これって私は他の保護者に見返りを求めているの?
他の役員さんも自分で決めて引き受けてくれた。Pちゃんも卒対の責任者を自分で引き受けた。
自分で決めて引き受けた仕事をやり遂げず、写真を紛失したことを誰にも告げず立つ鳥跡を濁しまくって引っ越した。
紛失したことが許せないんじゃない。報告も相談もなく引っ越していったのが許せない。立つ鳥跡を濁しまくった後、残されたみんながどんなに困って悲しい思いをするか…子煩悩なPちゃんならわかるはず。
さらに数か月後、再びこの街に戻ってきたPちゃんは私に対して心無い言葉を投げつけた。
やっぱり私はPちゃんを許せない。だってたくさん傷ついたから。その傷は未だに癒えない。
でも全く癒えてないわけじゃない。LINEも整理した。だけど良くなってきた傷口がまた開く時だってある。
いつまでたっても許せない私がいたっていいじゃないか。
それを「心が狭い」とか「毒親育ちだから」とか一括りにしたければすればいい。
ど~~~~~~したって許せない事もあるんだよ
ブログをご覧いただきありがとうございます。
役員について質問をくれたお母さんからお礼のLINEをいただきました。
「丁寧に教えてくれてありがとう。私はまだ役員を引き受けていないのでそろそろかな…って思っているんだけど、コロナ禍のPTA活動がどうなのかわからなくて。」
ここ数年、「PTAのあり方」が全国で見直されています。
うちの子が通っている学校のPTAも今の時代にあったやり方を考えていきましょう…と会長さんが仰っていました。
しかし、このコロナ禍の影響で「例年はこうしていたPTA活動をこれからはこうしてみましょう」の「これから」がまだ試せていません。いつ例年通りに学校行事が再開されるのか、いつPTA活動が再開できるのか。
「〇〇さんはまだ役員やってないよね?いまのうちにやっちゃいなよ!!」ってはやし立てられるのは嫌なんだよね…
と言っていました。
PTAの役員決めの際の「〇〇さんはまだやってないよね?」の圧力…嫌ですよね。人のことは放っておいてよ