ご無沙汰のブログになってしまいました
私が住む街では早くも桜が散り始め「もう散っちゃって…儚いなぁ」と思う気持ちと、風に吹かれてハラハラと舞う桜吹雪がきれいだな~、ピンク色に染まった地面に黄色のタンポポが咲いていて色味が春っぽいな~と思う気持ち…両方が相まって「やっぱり桜っていいな。春が来るっていいな。」と四季を楽しめる気持ちになりました。やっと。
今までブログには書きませんでしたが、私には心療内科に通う理由がもうひとつあります。
(久々に長い文章を書くので、時系列などの説明がメチャクチャになるかもしれません)
下の子が幼稚園の年少さんだった頃、家族全員が胃腸風邪にかかりました。
最初は子供たちが体調を崩し、下痢嘔吐の後始末に追われていたら、今度は私がかかりました。まったなしでマーライオンのように嘔吐し、鼻も気道も吐瀉物で詰まり息ができません。意識が朦朧とするほどの脱水状態になり、夜中の救急外来へ…
その時、血液検査をしました。
点滴を打って寝ている私の所に看護師さんがやってきて仰いました。
「けめこさん、食後何時間たっていますか?」
食後何時間も経っていた私の血糖値は×××を越えていました。(恥ずかしいので数値は伏せます)
「この数値は不味いですよ。きちんと検査を受けた方がいいです。」
まだ吐き気が収まらず、お腹がグルグルしているなか「あぁ…ついにきたか…」と思いました。
そこからさらに時は遡って。
上の子を妊娠した時私は「妊娠糖尿病」になりました。
私の母含め、母方の親族は「糖尿病」を患う家系です。
母も、祖母も、おじも、いとこも。「糖尿病」を患っています。
祖母が亡くなった時、久々に会ったいとこは妊娠していました「お医者さんに1キロも太るなって言われてるの。」と嘆いていました。中肉中背、学生時代からスポーツをしていたいとこです。「うちは糖尿の家系だからさ…けめちゃんも気を付けてね。」といとこは言いました。
それから数年たって私は妊娠しました。
里帰りも出来ないし、近所の産婦人科のお世話になろう。
その時の検査で「妊娠糖尿病」だとわかりました。
「うちではハイリスク妊婦の分娩ができない。」と言われ、目の前が真っ暗になりました。
総合病院を何軒か教えてもらい、うちから電車で何駅か離れている総合病院で分娩することになりました。
初めての妊娠、初めての出産、なのに「ハイリスク妊婦」。
実家を…母を頼ることは出来ません。詳細は書けませんがうちは私の実家も、夫も実家も「女手」がありません。
「妊娠糖尿病」についてネットで調べれば調べるほど不安ばかりが募ります。
どうして?なんで?結婚するまで当時勤めていた会社で健康診断を受けていたのに。何も問題なかったのに。
「うちは糖尿の家系だからさ…けめちゃんも気を付けてね。」といとこが言っていたのはこのことか…
私と糖尿病との長い長い付き合いが始まりました。
ご無沙汰しております
ここ1か月と少しの間、糖尿病の治療方法について大きな岐路にたっていたので毎日ドキドキハラハラしていました。
いえ…ドキドキハラハラしすぎないように平常心でいよう。どんな結果になっても受け入れよう。心を乱さないように過ごそう。でも結果が怖いな。大丈夫かな。
そんなことばかり考えていました。
withコロナの生活も丸1年が経ちました。
昨年の桜は心の底から楽しめないまま眺めて散っていきました。
今年の桜は「春っていいな」という気持ちで見ることができました。
よつばと15巻の帯に書かれている「普通という奇跡」。
この言葉の重みを、大切さを実感しています。