私は母との電話を廊下の一番奥で話していました。
明かりも暖房も届かない場所でただただ「うん…うん…」と話す私の様子を息子が何度か見に来ました。
昨年の夏。私は子ども達に“おばあちゃん”の存在を話しました。
思春期との向き合い方⑥ - 母のようになりたくないのに
詳しくはこちらをご覧ください
どのくらい母と電話をしたかわかりません。
暗くて寒い廊下の奥で話していたので体は冷え、手も足も冷たくなりました。受話器を持つ腕に力がこもっていたのか腕が痺れていました。
電話が終わりリビングに戻ると、子ども達が心配そうな表情で私の顔を見ます。
夫は気を使ってくれたのか、シンクに少し残っていた食器を洗っていました。
私の大切な家族に…私の母の事で心配をかけてる、気を使わせている…
本当に申し訳ないと心から思いました。
私は子ども達に「ママのお母さんとお話してたんだよ。」と言いました。
「今までも時々電話があったの。ママが忙しいときは電話に出られないこともあるけど。」
「たまにこうしてお母さんのお話を聞いてあげるの。」
平静を装って話しますが、子ども達は私の“本音”を見抜いているようでした
“どんなお話したの?”とは聞いてきません。
次の日の朝6時。
私のスマホが鳴りました。その時まだ布団の中だったので“ん?目覚まし?”と寝ぼけてスマホの画面を見て…一気に目が覚めました。
再び母からの着信でした。
え?うそでしょ?なんでまた!?昨日話を聞いたじゃん!!
一緒の部屋で寝ている夫と息子を起こしてはいけないと思い、着信音の音量を下げ電話が切れるのを待ちました。
1回目の電話を無視した数分後、また母からの着信。
もういい加減にしてよ
そろそろ起きる時間だし、平日の朝だよ?お母さんだってわかるでしょ!?
2回目の着信も無視しました。
私はいつもより少し早めに起きてリビングに向かいました。
暖房をつけて、朝の支度…起きてきた夫と子ども達には電話の事を言いませんでした。
夫は会社に、子ども達は学校にそれぞれ家を出ました。私はコロナの影響で咳が続き、処方してもらった咳止めを服用している間は仕事に出られません。
朝ドラを見ながら洗濯機が終わるのを待っていると、母からの三度目の着信。
私は電話に出ました。
「昨日も電話したのにごめんね!」
今日の母の声色も興奮気味です。
「お母さん、〇〇(母の実家)に電話したの。そしたら兄貴からすごい話を聞いたよ」
以下、まとめます
・祖母は大叔母のお金を管理していた。(大叔母は病気で入退院を繰り返していたので)
・伯父(母の兄)いわく、大叔母はかなりのお金を持っていたらしい。(遺族年金?など)
・祖母は伯父に「自分が亡くなったら大叔母のお金をお前(伯父)に渡す」と話していた。
・ところが祖母が亡くなって、大叔母のお金がどのくらいあるか確かめると予想以上に金額が少なかった。
・祖母がそのお金を私の父に渡していたんじゃないかと伯父は疑っている。
私は頭が痛くなりました。
なんで、どうして、そうなるの?
誰かを悪者にしなくちゃ気が済まないの?
よりによってなんで私の父なのよ?
それまで「うん、うん、」と母の話に相槌を打っていましたが
「さすがにそれはないでしょ伯父さんはなんでそう思ったの?」と母に尋ねました。
すると母は「兄貴は昔からお父さんのことが大嫌いだったからね。“あの男はひとでなしだ”って言ってたから。お父さんが何度か海外旅行に行ってるでしょ?そのお金をどこから捻出するんだ?って言ってた。」
母と離婚してから確かに父は2,3回海外旅行に行っています。
でも格安のパックツアーを利用して行っていました。(旅行会社から送られてきたしおりで私も確認しています。)
母と離婚して、借金の返済めど(ゴール)もはっきり分かって、家のローンも終わって…
パックツアーで2,3回海外旅行に行く。
そのくらいは父の稼ぎでやりくりできるだろうし。“自分にご褒美”で許される範囲なんじゃないかな。
私も母の借金を返していたけど、祖母にお金を無心したことないし、しようと思ったこともない。それは父も同じでした。
母の借金のことで母の実家に助けてもらいたい…なんて一度も思ったことない。
むしろ、両親が離婚して母が福祉のお世話になるとき、その知らせが祖父母と伯父のもとにも届いてしまって本当に申し訳ないと…私も父も思った。私たち家族で解決できなくて本当に申し訳ないって思った。
祖母が亡くなって約20年。
両親が離婚して約20年。
なんで今更そんなこと言うの?
なんでそんなに私の心をかき乱すの?
確かに伯父は父の事を毛嫌いしている節がありました。毛嫌い…というか見下していました。
超がつくほど山深い田舎で生まれ育ち、中卒で働きだした父。
伯父は祖母が商売をやっていた影響もあり、子どもの頃から何不自由なく育ち、学歴もあり、某団体職員としてキャリアを積み定年まで勤めました。
プライドが高く、とっつきにくい性格の伯父ですが私に対して冷たい態度をとるような人ではありません。
私が結婚する時も「いい反面教師(私の両親)がいるのだから頑張りなさい。」と言ってくれたし、伯父が横浜に来た時にわざわざ東京の私の家に寄っていってくれました。
夫婦喧嘩が絶えなかった私の両親。祖父母が間に入って仲裁したのも数えきれません。
伯父は「もし妹夫婦になにかあった時は俺がけめこを引き取って面倒を見る」と言ってくれたそうです。(祖母談)
祖父母も伯父も両親も…子どもの私にはわからない複雑な“大人の事情”があったのかもしれません。
だけど…もう祖父母も大叔母もこの世にはいないし、大叔母のお金の真相を知る人は誰もいません。
お金のことでわだかまりを生み出すのはやめて欲しいです。