朝がまた来る

旧ブログ名「母のようになりたくないのに」です。
毒親、ママ友、育児、病気のこと…40代パート主婦が呟いています。

本日仕事納めでした。

2020-12-31 00:45:53 | 日記

日付が変わって今日は大みそか。本日仕事納めでした。

31日、1日とお休みをいただいたのでシフト調整で久しぶりに夜のシフトで働きました。

家の玄関先やお店の入り口に飾り付けてある正月飾りを見ながら「あぁもう2020年が終わって、新年がやってくるんだなぁ」としみじみしながら帰ってきました。

ブログを始めて今日で53日目。

「応援ボタン」等、いつも本当にありがとうございます。

時々閲覧者数が「えっ!?こんなに沢山の人が見にきてくれたの!?」とびっくりするときがあります。

上手に文章が書けませんが、このブログを読んで少しでも共感してくれたり、何かに気付いたり…

「辛いことは吐き出してもいいんだ」と心が楽になってくれたらいいな…と思っています。

私自身、腹の底でぐるぐると渦巻いてるものを吐き出すことができて、本当に気持ちが楽になりました。

お顔もお名前もわかりませんが「あなた」に出会えることができてよかった。この出会いに感謝しています。ブログを始めて本当に良かったです。

来年も頑張りすぎず頑張りましょう。

まだまだマスクが手放せない日々が続きますが、マスクの下では笑顔あふれる毎日が送れますように。

どうぞよいお年をお迎えください


心療内科に通うきっかけ②

2020-12-24 23:28:12 | 病気のこと

コロナで学校が休校中「他所は他所、うちはうち」と頭を切り替えることが出来ず、自分の子育てにますます自信が持てない毎日でした。

学校から出された課題は出来る限り提出しましたが、「これでよかったのかな?」「もっといろいろなことに挑戦させればよかったかな」と不安でした。

そして緊急事態宣言が解除され、学校が始まりました。

数か月ぶりの学校でしたが、下の子は特に「問題行動」を起こすことなく通っていました。

が…!!下の子のクラスの先生が熱血といいますか、志しが高いというか…頻繁に発行してくださる「学級通信」が、子育てに自信が持てない私に追い打ちをかけます。

「〇〇さんの漢字のノートはこんなに素晴らしいです」(ノートの写真付き)

「〇〇さんと〇〇さんがこんな素晴らしい行いをしました」

「〇〇さんが授業中こんな素晴らしい発言をしました」

「漢字のテストを返却後、〇〇さんと〇〇さんと〇〇さんが自主勉強をしたいと言っていました」

伏せ字ではなく、ちゃんと児童の名前が書かれた学級通信です。

学習意欲があることは素晴らしいことですし、うちの子も「ちょっとは見習ってよ~」と思いますが、この学級通信が週に2、3回発行されます。さすがにお腹いっぱいになります

「先生…クラスには他にも子どもがいますよ」と学級通信を読みながらモヤモヤする私。

とうとう先生は「学級通信で名前があがる子は自主的に勉強ができる、クラスでもトップランナーの子ども達です」と書いてしまいました

私立の進学校ならまだしもこれは…ちょっと…心中穏やかになれない。

さらに先生は「〇〇の授業はまだ始まっていませんが、〇〇の授業内容を理解している子ども達が〇〇人(クラスの約半数)いました。」

うわわどうしよう…うちの子「理解していない方」なんだけど…授業大丈夫かな…

数日おきにこのような意識高い系志しが高い「学級通信」がやってきます。

あまり下の子を追い込んだら、また学校で「問題行動」を起こしてしまうかもしれない。

だけど、休校中にもう少し勉強させておけばよかった。

学校で勉強についていけなくなったらどうしよう。

焦る気持ちがとまりません。

そして、学校が再開されてあっという間に夏休みがきました。例年よりも短い夏休みです。

子ども達の夏休み中も、私と夫は仕事に出ます。また子ども達だけで留守番をさせなければいけません。

「これとこれ、宿題やっておきなさいね」と言って仕事に出ますが、(今思えば)子ども達も疲れとストレスが溜まっていたのでしょう。言っておいた宿題をやらない日が何日か続きました。

夏休みだけど、毎年行っていた海にもいけない、友だちにも会えない、おじいちゃんにも会えない。そして私たち親は仕事。子ども達には寂しい思いをさせてしまいました。

なのに私は「なんで宿題やってないの!?」「学校が始まったら勉強についていけなくなっちゃうよ!?」「あんたのクラス、〇〇人も〇〇の勉強をもう覚えちゃてるんだって!あんたどうするの!?」

あぁ…またやってしまった。私の中の母が出てきた。相手の気持ちも背景も考えず、キツイ言葉で追い詰めてしまった…。母のようになりたくないのに。

でも私ももういっぱいいっぱいなんだよ…もう何か月も職場とスーパーだけの行き来だし、息抜きもできない。毎日毎日三食作るのにも疲れた。ほとんどキッチンに立ちっぱなしだもん…夏なのに、手洗いとアルコール消毒の使い過ぎで手があかぎれだらけだし。

でもそんなのはただの言い訳で…。どうして子どもの力を信じてあげないんだろう。進み方はゆっくりかもしれないけど、やればできる子なのに。私が一番の理解者にならなきゃいけないのに…。なんでその時に気付けないんだろう。怒りの感情に任せてキツイことを言ってしまうんだろう。

毎日自己嫌悪に陥ります。どんどん落ち込みます。

さらに「えっ!?どうしてこの人が!?」と悲しいニュースを見聞きすることが増え、絶対に絶対に絶対にありえないことだけど、「私もふっと何かに背中を押されたらいってしまうのかな?」と絶対に絶対に絶対に考えてはいけないことが頭をよぎり、日に日によぎる回数が増えてきました。

心臓がばくばくして、手に汗をかいて、なかなか眠れません。母と一緒に暮らしていた頃、仕事も私生活も心休まる時がなかったあの頃と同じです。

でも、私には守らなければいけない家族がいて、私は太陽のようなお母さんでいたい。私の母のようにはなりたくない。

なのに日中はイライラして大切な家族を傷つけてしまう。

この混乱した頭と心は自分一人では治せない。

夏休みが終わるころ、私は「〇〇区 心療内科」と検索を始めました。

 

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メリークリスマスイヴですが、上の子の習い事が今日明日と夜遅くまであるので、我が家のクリスマス会は今度の土曜日に予定しています。今日は普通のご飯でした。ほうれん草の白和えを作って食べました(笑)

今は心療内科に通院しているので心穏やかに「学級通信」も読むことができます

「学級通信」に名前が挙がる子は、学習意欲のある子、勉強ができる子、気遣いができる子、ほぼ同じメンバーなので慣れました。

大きな成果をあげる子ばかりを注目するのではなく、小さな良いこともひろってほしいなぁ~。

ちなみにこの「学級通信」を元教師の知り合いに見せたところ「うーん。〇〇が何人できるって…脅しだね」と言ってました。「気にすることないよ。3月31日(学年最後の日)までに習得すればOKなんだから」と言ってくれて気持ちが楽になりました。

写真は我が家のクリスマスツリーです。子どもたちに「飾りが少ない!」と言われたので子どもたちと一緒に折り紙でオーナメントを作りました


心療内科に通うきっかけ①

2020-12-22 17:10:51 | 病気のこと

「忙しくも平凡で身の丈にあった生活を」と、心がけて過ごしていたある日。

じわりじわりと“それ”はやってきました。

そうです。「コロナウイルス」です

マスクどころかトイレットペーパーや箱ティシュ、カップ麺やホットケーキミックス、ガーゼ生地にゴム紐…ありとあらゆるものが店頭から消えました。棚がガランとした状態を見ると、「焦るな」と言われても焦ります

そして突然の休校。習い事も休みになりました。

学童に行くことも可能ですが、子ども達が学童を拒否

短時間勤務とはいえ、子ども達だけで留守番をさせる不安もありました。

私も夫も(大雑把に言えば)ライフラインに必要な職種であるため仕事は通常通りありました。

しかし、未知のウイルスにいつどこで感染するかわからない状況で勤めに出る不安や恐怖。家のマスクの在庫がどんどん減るのを見て焦ります

学校が休校だった頃の私の1日は…

起床→子ども達の朝食を作る→夫の夜勤分のお弁当作り→夫の朝兼昼食&子ども達の昼食を作る→子ども達が学校から出されている課題の内容確認・用意→出勤→帰宅→宿題丸付け→諸々の家事

職場とスーパーと週1学校と(課題を取りにいくため)この三か所をぐるぐる回っていました。(世のお母さん達もみなさん同じだと思います。)

学校の課題…上の子は自分で計画を立ててすすめるのですが、下の子は…まだまだ親が介入しなければいけませんでした。また、先生方が子どものやる気と自粛生活が乱れないよう、あの手この手で課題を出してくださいます「毎日できたかな?カード」や「〇〇チェック表」、「勉強以外にもこんなことしてみよう!チャレンジカード」などなど…学校に課題を取りに行くたび膨大なプリントの数です。それらに目を通し、やり忘れていないか確認し、宿題を丸付けし、間違っている箇所、わからない所は教えて…、テレビやyoutubeばかり見ないようステイホームで出来ることの模索。自分が子どもの頃、母に「あれはダメ、これもダメ」と口うるさく言う割にはかまってもらえなかった経験があるため、私が勤めに出ているせいで我が子に私と同じ思いをさせてはいけない!!子ども達の「学び」を停滞させてはいけない!!と変なプレッシャーがありました。

テレビで「我が家はこんな方法で自粛生活を乗り越えてます!」とか「ステイホーム中の勉強方法」みたいな特集を見ちゃうと、あぁ私…なんにも出来てない。子ども達が退屈しちゃう。学校が始まった時についていけなくなっちゃう。また下の子が学校で「問題行動」を起こすようになったらどうしよう…とますます焦りとプレッシャーが募りました。そしてそれらがストレスとなって私に重く圧し掛かります。

「他所は他所、うちはうち」と頭を切り替えることが出来ず、どんどん余裕がなくなりました。

 

 

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親のこと、ママ友のことについては一旦区切りをつけて、「現在」のことを書いていこうと思います。よろしかったらお付き合いください

コロナウイルスとどう向き合って(戦って)いけばいいのか、ゴールはいつなのか。。。本当に今年は耐える1年でした。(ワクチン接種が始まった国もありますが…)

習い事が大好きな上の子は「もっと上達したい!もっと上を目指したい!」と、ほぼ毎日習い事に通って、大会にも出られるようになったのに、大会も軒並み中止となりました。このような悔しい思いをされた人も数えきれないほどいると思います。

1日も早く「当たり前の日常」が戻りますように。


幼稚園ママの話(おまけ)

2020-12-20 22:16:34 | ママ友付き合いのこと

下の子が幼稚園を卒園して幾年月。

私のママ友付き合いは三杯酢をかけたところてん並みにあっさりしてます

PTA、卒対をやっている時は昼夜問わずやってくるLINEの着信音もすっかり鳴りやみました。

「企画隊」のグループLINEから抜け、Pちゃんのことを気にしなくてよくなりました。

週3の夜のバイトから週4の昼のバイトに変えたので、子ども達と一緒に過ごす時間も増えました。

「問題行動」を起こす下の子にじっくりと向き合うことができ、「もっと(習い事)を上達したい!もっと上を目指したい!」という上の子にも付き合えるようになりました。

時間の使い方も人付き合いも不器用な私。

ママ友付き合いも子育ても家事も仕事も…全部上手くはできません

さらに面倒くさいことに「一人になる時間」がないとパンクしてしまう性格です

コロナの影響でなかなか一人になる時間はありませんが、こうして何十年ぶりに文章を書く「ブログ」を始めて…予想以上に心が落ち着いています

下の子が幼稚園の時、一緒にPTAの役員をやったお母さんと時々一緒に通勤するのですが(仕事先は違います)この間、お昼に公園で待ち合わせをし、色づく木々を見ながら公園のベンチで「ソーシャルディスタンス・ランチ」をしました。コロナ禍になって初めて家族以外の人とお弁当を食べました。たわいもない話を沢山しました。

今勤めている職場は女性が多い職場なのですが、私語を話せる環境ではないので私的なトラブルも起こりません。

時々60代の方と一緒に働きますが「下町の肝っ玉母さん」のような人で、私もこんな風になれたらいいな~と憧れてしまいます。幼稚園に通っている時は(素敵なお母さんももちろんいましたが)同年代のお母さん達に囲まれていたので何かと視野がせまくなっていたのかもしれません。また、「子どもを通して知り合った仲」であるからこその「壁」も多くありました。

私はいま心療内科に通院していますが、いえ…そのおかげで、忙しくてもいま人生で一番心穏やかな毎日を過ごしているかもしれません。(コロナは置いといて

夢を叶える努力すらさせてもらえなかった学生時代。

幸せになることを諦めていた社会人時代。

「えっ!?なんでこんなことになっちゃうの!?」と歯車がかみ合わなくなった下の子の幼稚園時代。

でも今は私と私の大切な家族の為に時間を使えることができます。

当たり前のことができる毎日がこれからもずっと続きますように(憎いコロナは一刻も早くいなくなって欲しい

 

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学校や街中でPちゃんとバッタリ会うことがありますが、元気に挨拶をして、ちょこっと立ち話をして、ササっと立ち去ります(笑)子ども達同士は一緒に登下校してくるみたいですが、私はこのくらいの距離感でちょうどいいです


幼稚園ママの話⑩(最終話)

2020-12-18 20:59:51 | ママ友付き合いのこと

上の子が幼稚園を卒園してから「企画隊」というグループLINEを作りました。

メンバーは卒対をやっていたお母さん達と、クラス委員をやっていたお母さんです。

切り込み隊長の(卒対委員長)お母さんが「卒園してもたまーに会いたいよね」と声をかけてくれて、春はお花見、夏は花火、秋はハロウィン、冬は新年会…とイベントを企画し、他のメンバーが日程を調整したり、場所をおさえたり。無理のない範囲で、出来る人が出来ることを、参加も自由参加で都合のいい時間においでよ!と気兼ねなく集まっていました。(集まりの時、いつも切り込み隊長が作ってきてくれる手作りのお菓子が最高に美味しかったです

私もPちゃんも「企画隊」のメンバーでした。Pちゃんは「企画隊」の盛り上げ役でした。「よっ!おつかれ」「さすが!仕事が早いね!」と場の雰囲気を盛り上げてくれるので、私を含め他のお母さん達は気持ちよく仕事(役目)ができました。

集まる予定がない時もお互いの近況報告や、悩み相談、愚痴をこぼしたり、たわいもない会話のやりとりをしていました。そのLINEのやりとりも出来る人が出来るときにLINEをする。忙しいときは既読スルーOKだったので「LINEの返事をしなくちゃ」というプレッシャーがありません。

下の子達が幼稚園の年長になって私がPTAの会長、Pちゃんが卒対委員長になった時も「大きな役目だけど、2人なら大丈夫だよ!」と励ましてくれたり、Pちゃんが引っ越した時も「Pちゃんがんばれ!」と応援してくれました。

結婚を機に東京にきて、誰も知り合いがいないなか妊娠出産。子育て支援センターや児童館にも遊びに行っていましたが、働くお母さんが多いのか3歳を過ぎると会うことが少なくなり疎遠になってしまいます。

なので「企画隊」は私の心の支えでした。とても心地よい場所でした。

程よい距離を持って無理なくお付き合いできる…いい人たちに出会えてよかった。卒対を経験してよかった。と思っていました。

 

でも「企画隊」のメンバーは知りません。

 

Pちゃんが写真を紛失したこと。それを誰にも告げず引っ越していったこと。そしてそれが原因でクラスのお母さん達の歯車がかみ合わなくなったことを知りません。

私が登校班で苦い思いをしたことを知りません。

数々のドタキャンを知りません。

Pちゃんが自分の子どものお迎えを忘れて、私が何度か送り届けたことを知りません。

うちの上の子のことを小馬鹿にしたことを知りません。

なにも知らないし(「企画隊」のお母さん達とは学区が違います)、Pちゃんも「実は私(写真紛失で)みんなに迷惑かけちゃったんだよね」と言いません。

「企画隊」の中ではいつもの盛り上げ役のPちゃんのままです。

「引っ越し作業大変だったでしょう」「Pちゃんはいつも頑張っててえらいよ」と「企画隊」からLINEが流れてきます。

さんざん尻ぬぐいしたのに、Pちゃんに心無い態度をとられてムカついてる私の本音を誰も知りません。

「既読スルー」すればいいのにLINEの着信音がなるたび、それがぜんぶPちゃんを褒める内容のLINEに思えて苛立ちが募ります。

 

 

あぁ…嫌だ嫌だ。腹の底でぐるぐると渦巻いているものを吐き出せば吐き出すほど母に似ていて嫌だ。

どうして私はこんな性格なんだろう。

完璧な人なんていない。わかってる。わかってるのに。

なんで私はPちゃんを許せないんだろう。

こんな思いをするくらいなら…この縁を断ち切ってしまおう。

 

 

私は「企画隊」のグループLINEを抜けました。

下の子が「問題行動」を起こしていること、上の子の習い事が忙しくなったこと、今は子ども達のために時間を使いたいこと。そして日中働くことになったことを告げてグループLINEを抜けました。(実際本当に忙しくなりました

「企画隊」のメンバーになれて本当に嬉しかったときちんと感謝の気持ちも伝えました。もちろん感謝の気持ちは本音です。本当にいいお母さん達でした。

Pちゃんに対する複雑な思いを隠したまま「企画隊」のお母さん達とお付き合いできなかった。

私みたいな性格の人間はママ友付き合いどころか、人付き合いが不向きなんだろうな。

大切な「縁」を自ら断ってしまった私には、もうこの先「縁」はないんだろうな。

母もほとんど人付き合いをしていませんでした。結局私も母と同じようになっちゃうのかな…

でも、我が子との「縁」は一生守り通します。何が何でも。絶対に。

 

 

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「企画隊」からは抜けてしまいましたが、時々個人的にLINEをしたり、お下がりをいただいたり…ありがたいことにお付き合いは続いています

Pちゃんが私に対して心無い態度を取った時、(引っ越しや転入手続きなどで)Pちゃんは心に余裕がなかったのかもしれませんが、私もPちゃんの態度を受け流すほどの心の余裕はありませんでした。それだけ幼稚園が大変でした

新学期が始まって間もなく、私が子ども達の帰りを家の前で待っているとPちゃんちの子が「家の鍵が開いてなくては入れない」と。Pちゃんに電話をしますが…案の定出ませんそのうちうちの子ども達が帰ってきたので、「とりあえずもう一回家に行ってみよう」と、私も一緒にPちゃんちに向かいました。運が悪いことにPちゃんちのマンションのエレベーターが点検作業中。10階近い階数を階段で上がりました。ピンポンしても出ません。小雨降る中、Pちゃんを待ちました。あの時はマジで膝が死んだ…

ちなみに。Pちゃんがうちの上の子を小馬鹿にした話ですが、上の子が低学年の時「〇〇選手が自分と同じフォームだった。似ていて嬉しい!」とPちゃんに話したそうです。Pちゃんは私に向かって「〇〇(うちの上の子)がそんなこと言ってたよ。バカだね~www」と。「うちの子が一生懸命頑張っているのにバカにしないで!!」と言い返せなかった自分が情けないです。。。