市の美術館で藍染め展が開催されている。会場では絞染や型染など藍染の技法と作品が紹介されていた。また機械染めで用いる、透かし彫りの金属製の筒も展示されていた。その金属の筒を見て、学生時代に捺染工場でアルバイトした時のことを思い出した。
季節は冬だった。場所は油小路五条下るの捺染工場だと憶えている。工場といっても、民家や事業所が建ち並ぶ市中の京町家だった。玄関の引き戸を開けると、すぐ右手に畳敷きの帳場がある。京都らしい鰻の寝床の通路が奥に延びていて、右側に炊事場、坪庭、座敷が続いている。突き当りが、もとは裏庭だったと思われる天井の高い作業場だった。
友禅染めには手書き染めや型染などがあり、その店は機械染めだった。表面に柄が彫刻された銅製の捺染ロールを使い、染められた反物はベルトで上方の乾燥工程へ送られる。私たちの主な仕事は回転する捺染ロールの横に二人相対して座り、反物が捩じれないようにすることである。艶のある純白の生地がロールに接すると、美しい小紋の反物となって出てきた。大袈裟にいえば、美が生まれる瞬間を目の当たりにして飽きなかった。
お昼には弁当が出た。小さな木箱の仕出し弁当で、若い身には少々物足りない。お茶は薬缶で出されたが、不味かった。色は茶色で、茶葉ではなく茶の枝で淹れたような苦い味がした。これが万事節約する京のシブチンなのかと思った。
数日して新しい学生がバイトに入ってきた。寺の息子で、跡を継ぐため仏教系の大学に在学しているという。よく喋る人で、雑談時の話題はもっぱら競馬である。京都には親に言われて来ているらしい。誘われて昼休みに二人で近くの喫茶店に行った。染料で汚れた作業服姿なので迷ったが、彼は構うもんかと言う。
五条通りに面したガラス張りの洒落た喫茶店だった。若いウエイトレスが注文を取りに来たが、品のない冗談で彼女を赤面させた。連れの私も同類と思われたようで、どうも居心地が悪い。コーヒーを飲み、そそくさと店を後にした。他のバイト学生たちは記憶にないが、あけっぴろげな彼のことは印象に残っている。
そんな彼も今では老住職となり、法事などで檀家に説法しているのだろう。
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