長文ですm(_ _)m
18年ぐらい前のことです。
品川ストリートでお聴きくださった方から番組出演のお声がけをいただきました。その方は寒河江さんとおっしゃり、テレビ神奈川でソプラノ歌手、故佐藤しのぶさんの「出逢いのハーモニー」という番組のプロデューサーを、当時なさっていました。
そして、その番組に出演させていただいた時には、佐藤しのぶさんが私の母の教え子さんだったとわかり、大変に話が盛り上がりました。。。本当に懐かしい思い出です。
その後も寒河江さんは私のコンサートにも来てくださったり、と長年のお付き合いをいただいています。
そしてこれまた偶然にも、2ヶ月ほど前の有楽町ストリートで久しぶりに再会、そこで「今度ね、私の90歳のお祝い会があるんだよね、よかったら来てね」とお誘いをいただき、今日は銀座の三笠会館に行ってまいりました。
自分の父を思うと、「同じ90歳だけど、こうにも違うものなんだなぁ」と思うほどにピンピンとお元気でいらっしゃいます。そして、多方面でご活躍されてこられた方なので、多くの方々がお集まりでした。
円卓で同席の80代の男性は「私はビクターでレコーディングプロデューサーしていたんだけど、あなたのお父さんとお母さんのレコードも全部私がやってたんだよ!」というようなびっくりな出会いもありました。父母と同時期にご活躍されていたクラシック歌手、立川澄人さんや友竹正則さん・・・私のゴッドファーザーの畑中良輔先生やらやら、みんなだそうです。
そして、会の後半には、寒河江さんが引退された当時に佐藤しのぶさんが寄せたビデオメッセージが流されました。
「寒河江さんいつまでもお元気で!私もレジェンドな歌い手になれるようにこれからも、もっともっと頑張っていきますからね!」という、おそらくお亡くなりになる2~3年前の録画でしょうか?の映像に、会場の皆さんの涙腺は・・・。
また、寒河江さんは南北朝鮮がいっしょだったころに北朝鮮側に家族で住んでいたから、終戦時に命からがら逃げてきて・・・という歴史を本にもされていて、それをテレビ神奈川でドラマ化したものも流されました。
なんでしょう?今日は様々と時空を越えて?盛りだくさんの不思議な時間を過ごさせていただいたような気がしています。
寒河江さんの100歳のお祝いに参加できるように、そもそもまずは自分も生きていないと!と思うような一日でした!
(こんなことを当時中村健佐は書いていたよねぇ・・・と、私を知る皆さんの涙腺が・・・、ってならないように頑張ります^^;)